庫裏の修繕費用を檀家で全額負担して、修繕する事が決まったのですが、その金額が本来かかる修繕費用よりも約倍額の200万円程誤魔化し多く請求させている事が発覚いたしました。 どうして発覚したかと言うと、お寺のお手伝いをさせて頂いている時に、庫裏の修繕見積書が乱雑に置かれていて、正規の金額がたまたま目に入ってしまいました。 またお寺の修繕を依頼された知り合いの業者さんが住職さんに、大幅に誤魔化した金額の見積書の作成をしてくれとお願いされ、断ったと相談されました。 業者さんの話と見積書の内容が合致し、尚且つ一般的な建築業者さんなら明らかにおかしいと気付く金額でもあります。 また、不審に思った檀家さんが住職に見積書の提示を求めると言う話も聞きました。 とても小さな町なので、この問題がすぐに広まり大問題になる事が予想されますが、とても良くしただいている住職さんなのでショックでどうしたら良いのか分かりません。 檀家の少ないお寺なので、何か深い事情があったのかなとも思いますし、嘘であって欲しいとも思います。 また住職さんの言葉に何度も助けていただきましたが、それが嘘だったのかとも思ってしまいます。 誰にも相談する事が出来ず、苦しいです。 どうかアドバイスをお願い致します。
僕は中学生で、興味のある職業について調べています。 僕が選んだ職業は、趣味の仏像鑑賞にも精通する僧侶です。 質問の内容なのですが ・仕事内容 ・その職業に就くためにどうすればよいか ・仕事中に心がけていること ・その仕事をしていてやりがいを感じるとき この質問に答えていただけないでしょうか。宗派や、寺院によって変わることは、承知しております。 答えづらい質問は無視していただいて結構です。 よろしくお願いします。
私の婚家は真宗(東本願寺)なのですが、傾聴の会で知り合ったお坊様は浄土宗です。 何度かお話しするうちに心安くなり、私の性格や心情をお汲み取りいただけて信頼をしています。 万一私が亡くなった場合このご住職にお葬式をして頂きたいのですが、違う宗派のお坊様でもお葬式をしていただけるのでしょうか? ご住職にその旨をお話したら、承りましたと仰ってくださいましたが、主人の両親や親族がどう思うかわかりません。数年前に大病をして以来、最期の時のことをよく考えますが、お葬式の時ぐらい私のことをよくご存じのお坊様にしていただきたい、末期の望みですが叶うのでしょうか? エンディングノートにはご住職の名前を書き、必ずこのご住職にと記載してありますがいかがなものでしょうか? よろしくおねがいします。
私の地元に全国的に有名なお寺があるのですが、そこのお坊さんが超高級車であるフェラーリやマクラーレンを長年所有していると知りました。最近は中古価格が1億円を超えることもあるマクラーレンを所有しているそうです。親に聞いて見たところ、昔から地元では有名だったそうです。 私の中でお坊さんと言えば質素な生活をするのが当たり前?だと思っていたので大変驚きました。超高級車を乗り回すなんて煩悩の塊ではないかと思うのですが、お坊さんが超高級車を所有することは仏教の教えやお坊さん達にとって問題のない事なのでしょうか?
皆様が色々と抱えているお悩みのご相談やご質問の中失礼致します。 お寺などにいらっしゃる山務員さんとはどの様な方なのでしょうか??
私は深い呼吸がとても苦手です。 そのため体は慢性的な酸素不足のようで、声も小さく覇気がありません。 深い呼吸をすると、胸のあたりがムズムズして気持ち悪く落ち着かないです。 これは体に異常がある訳ではなく、恐らく精神的なものです。 例えばですが… ジェットコースターに乗った時、「キャーッ!」と叫ぶ人と、「…っ!」と声を出さずに体を固めて身を守ろうとする人の2種類がいると思います。 私は圧倒的に後者です。声を出したら体の力が外に発散されて振り落とされてしまうのではと思います。 私は体が常に緊張状態で、肩に力が入りやすく「肩が上がっている」ともよく言われます。 何故こんなにも体が緊張しているのか考えたところ、私は浅い呼吸をして常に緊張状態でいることで防御体勢を維持し、自分を守ろうとしているのではないかと思いました。 呼吸に苦手意識があるだなんて人には相談しづらく、お坊さんなら深い呼吸が上手な方が多いのでは?と思ったので質問させて頂きました。 ご回答頂けると嬉しいです。
お寺様で 色々おうかがいしたい事がある場合 事務所で聞いたらいいのか?誰に聞くのがいいのかが いまいち わかりません。御住職様に直接聞く事は あまりしない方がいいんでしょうか 聞く人によって違う時があるので 困っています。 ご住職様方はどういう話なら 心よく 答えていただき どういう話しなら 違う人に聞いて欲しいものなんでしょうか?
初めまして。 現在お付き合いしているお坊さんがいます。 もうすぐ誕生日なので前から欲しがっていた法衣着衣時でも身に付けられる、シンプルな腕時計をサプライズで渡そうと思っているのですが、何か素材やデザインでタブーなものはあるのでしょうか? 今は文字盤とベルトが黒で、ベルトの素材は皮のものを検討しております。 予算がなく高価なものは贈れませんが、彼に喜んでもらえるよう選びたいです。お忙しい中このような質問で恐縮ですが、教えていただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。
今の状況を好転させたい時、願望を叶えたい時、負の出来事を寄せ付けたくない時、自分を愛し許したい時…引き寄せの法則、願い叶えるノート、アファメーション等色々とありますが、お坊さんも、アファメーション等を試して成功したり叶ったりした事はありますか? または、別な方法や誰かの言葉で救われた経験がありましたら教えていただきたいと思っています。 よろしくお願い致します。
僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?
前に授業で仏教について習った時、仏教の最終目的は解脱して輪廻転生から抜け出し、あらゆる苦しみから解き放たれて「無」になること、と習い、驚きました。私は自分の意識が無になることが1番怖いと思います。お坊さんは死ぬのが怖くないのだろうか?と不思議に思いました。どうなんでしょうか?
今年、祖母を亡くし葬儀・法要と先祖代々お世話になっている お寺にお願いしました。 その際住職の対応が不誠実に感じています。 ・葬儀でお経を咳き払いをしながら読み 木魚を叩く棒を床に落としました。 落としても気にせず葬儀社の方が 拾い上げてくださるまでそのままでした。 (住職の飲み歩きは有名で飲みすぎでうまく お経が読めないのではと勝手ながら思ってしまいます。) ・葬儀に際して両親が連絡をした際も 希望日に私用があったらしく「僕も忙しいからさ、疲れちゃうし」 と言われ別日になりました。 お布施も相場3倍以上の額を住職から言われ包みました。 車代も自家用車でくるのに「タクシーだと1万じゃ足りないよね」と言われました ・四十九日では 位牌二つを一度に片手で持たれ(二つ指で挟むように) 遺影は片手で渡されました。 親戚がお寺でコードにつまずいた際は 足元よく見て歩きましょうよ。と言われました。 質問を無視されたこともあります。 ・住職から祖母を悼む気持ち、遺族に寄り添う気持ちは全く感じられませんでした。 ・お布施も祖父母が自分の葬儀にかかるお金はと コツコツためてくれたお金から包んだものです。 私は大のじいちゃんばあちゃん子で大好きな祖母の最期を 台無しにされた気持ちが強くとても腹が立ちます。 ・祖父や両親も離檀はちらついてはいるようですが 実家は田舎町で、色々な話があっという間に広まることや 先祖代々からのお寺、離檀にかかるお金と気力を考えると 現実的ではないと思っているようです。 祖父も高齢で体調も思わしくない為、そう遠くないうちに またお寺と関わる機会もあるかと思うと 今、騒ぐのはかえって負担にさせてしまうと思います。 一方でまた住職にお願いしたくないとも思います。 ・現状、祖父も両親もいますので 私がでしゃばって行動しようとは思っていません。 ただ頼りにされた時力になりたいです。 私は実家を出ている為色々な案を出せればと思っています。 そこで一度ほかのお坊さんのお話も聞きたいと思いこちらに質問させていただきました。 (住職への怒りが収まらず話を聞いて欲しかったのもあります) ・このような住職の対応は私たちは受け入れるしかないのでしょうか? 先祖代々からのお寺を離檀するというのは良くないことですか? 離檀のさいは今の住職にまず話をするべきですか?
そろそろ母の七回忌になります。 父も癌を患い、認知症も兼ねています。その為、手術はできず、経過見送りのじょうたいで余命宣告されて先も短くなりました。 そこで、今まで葬儀や法要の際にお世話になっていたお寺さまなのですが、先代の時は親切でとても良かったのですが、現住職は無愛想で会食にも立ち会わず、お布施だけ受け取り帰ってしまうのです。夜は飲み歩き、花火大会などのイベントでは、酔って暴言を吐いたりだらしない始末…家族、親戚共に良く思っていません。家は浄土宗とは分かっているのですが、お寺を変える際どのような変え方をすれば良いでしょうか?
ご住職はお経の後、必ず「せしゅふしょおおー」と言われます。 「施主不詳」の意味なのでしょうが、施主は目の前にいる私だと思いますが 何故でしょうか。これまで何十年もずっと私がお墓、仏壇のお世話をさせていただいています。 その宗派ではこのように言うのでしょうか。それとも何かの社会的差別でも存在するのでしょうか。 お坊様が、施主や、ご先祖様が不安に思うような接し方をしてよいものでしょうか。
昔に人のお金や物を盗んだりした事があって今年に入ってから昔の悪い出来事を思い出して今現在でもその盗んだ事が頭から離れなくて自分は、この先や生涯で地獄が存在するなら自分は、さまようのでしょうか?
最近、とても疑問に思うことがあります。お坊さんは何のために信仰をしているのでしょう?例えば、信仰して極楽浄土(宗派によって変わるかもしれませんが)に行くためとか...宗教って、信仰する人は良い事があって、それ以外の人はあまり良くない事が起こるってよくある事だと思います(酷い場合は地獄に行ってしまうとか...ちょっと怖いですね)そう考えると、もし自分が特定の宗教を信仰する目的は、地獄に落ちないためとか、天国に行くためっていうことになってしまうのです。ですが、本職のお坊さんは私のように浅い考えで信仰されているとは思いません。実際、私は何回かここで相談した時もお坊さんは本当に真摯に向き合っていただき、適切なアドバイスを頂いてきたので、それがお坊さん自身のためとは思えないです。改めて質問しますが、お坊さんは何のために信仰をしているのでしょうか?
(編集部より。hasunohaでは基本的に質問時に対する回答で完結する形をとっています。お礼の欄での新たなご質問に回答することは必須としていないので、新たに回答を求められる場合は新規投稿をお願いします。また文章でのやりとりなので、書かれていない部分は背後を想像して回答する場合もあります。そのため誤解を生じてしまう場合もあるかもしれず、申し訳ございませんが、hasunohaは字数制限ある文章でのやりとり上、そのような性質を持っていることをご了承の上ご利用をお願いします。) 前回、『呪いの代行について』で質問させて頂きました。その時に、 『どんな人に対してであれ、人の不幸を祈るようなことをする、そのこと自体が、そういう気持ちが、貴女の人格として滲み出し、人とのご縁を遠ざけてしまいます。先祖のせいにしてはいけないことです。 まず、貴女が人の不幸ではなく、幸せを祈れる人になってください。』 とご回答を頂きました。 人の不幸を願う人間と決めつけられて、凄いショックでした。でも、そのお坊さまからしてみれば、『呪いの代行』とあったので、『呪い』ということにこだわってしまわれたのかなとも思い、お礼欄に人の不幸を祈り依頼したわけではないこと、恋愛成就の相談をしたことを記載させて頂いたのに、それに対してはご回答を頂けませんでした。 お坊さまとは、私の中では、もっと心に寄り添って下さる方と思っていました。一方的にアドバイスされ、それに対して返答しても、ご回答を頂けず、とても残念です。
いつもありがとうございます。今回も僧侶の先生方にご指導賜りたく、よろしくお願いいたします。先日尊敬する先輩からお話を頂きまして、お坊さんになる為にお寺で働けることになりました。労働条件として、宿坊業務はやらず法務見習いをするとの事でしたので、長年働いていた会社を辞めてお寺に行きました。行くなり宿坊業務と台所仕事、掃除等の外回りの仕事ばかり指示されました。前々からいる事務員は何を尋ねても答えませんし、的確な指示もなくどうしていいか分かりませんでした。独りで何から何まで抱えることになりまして、いっぱいいっぱいになり「これはちょっと違うぞ」と思いました。先輩に助けを求めても「とにかく耐えろ」しか言われませんでした。しまいにはその事務員は、やってもないことを住職に告げ口され、住職から注意される始末でした。もう限界と住職にありのままをお伝えして辞めて来た次第です。職を失い、年齢的にお坊さんになる夢も絶たれ、途方にくれています。どうか先生方のご指導をよろしくお願いいたします。
こんばんは この前も相談しましたが 赤ちゃん引っ越しすることにしました 納骨堂に引っ越しして、精神的にも楽になりました。共同墓地なので 寂しくないと思います。多分引っ越ししたのわかってると思います。 妹かなって思ってたけどお坊さんに聞いたら男の子っていってました。 見ただけで、分かるんだね すごいと思いました。弟が母のお腹にいるとき 母は薬飲んでたから、奇形児が産まれると私が大変だと思ったから かわいそうだけど、おろすことにしたみたいです。学校にいくようになったら いじめの対象になるから、かわいそうだから、産まれなくてよかったかもって 男の子か女の子かわからなかったから 名前はないけど たまに弟の墓参りにいこうって思います。姉ちゃんは線香と花あげることしかできないけど怒らないと思います。 バチ来たことないから、弟もわかってるのかもですね
社会生活に馴染めず、現在ひきこもりで、両親のおかげで生かしてもらっています。 学生時代に読んだ正法眼蔵を読み返し、道元禅師やお釈迦様のような境地に至れば、生き苦しさは少しはマシになるかなと、最近、坐禅会に行くようになりました。 坐禅を通して、仏教の世界に少しずつ惹かれ始め、出家を考えるようになりました。しかし、ネットで調べると、出家後の僧侶の生活は、お葬式や法事などの時間が大半で、坐禅をする時間はほとんどないとのことでした。 私が思い描く出家後の生活は、お葬式や法事はしないで、収入はお寺以外の副業で賄いながら、自分と似たような境遇のひこもりの方達の居場所を作れるようなお寺を創っていきたい考えています。 このような考え方は、仏教の立場から外れたものになるでしょうか。 やはり、お葬式や法事をしないお寺というのは非常識でしょうか。 身近に僧侶の方がいないので、出家後の僧侶の生活がよく分かりませんので教えて頂きたいです。