僕の小さい頃から、入ってる宗派は 最近 僕なりに疑問を持ちはじめて 2011年の事件以来、距離をおきはじめました。 先代の住職もその息子さんも、亡くなって 僕が、仕事で倒れた時も、お寺に来てなく遊びに狂ってるとか… 僧侶さんが、行って来て 精神的にまいってます… 母が、熱心に信仰をしてるので辞めるに辞めれない状況です 母を説得にも心痛しそうで、お寺に辞めますと言うのにも、色々言われそうで正直 怖いです どうしたらよいか、お知恵を下さい
お世話になります。 離婚後も元夫の義父母とは付き合いが有り、色々と良くしていただいておりました。夫のDVが離婚の原因でしたので、尚のこと私や子供達を不憫に思われたのだとおもいます。 毎年、私と子供達にお寺のお札(おふだ)を郵送して下さっておりました。離婚後、一人になった夫でしたが、この2、3年で再婚したようです。その事を知り私は義父母との付き合いをやめました。 いくら血縁関係のある孫がいるとしても、父親は全くの知らん顔で、新しい家族と楽しく暮らしているのに、孫、孫と言うのをやめてほしいのです。 なのに、毎年送って来ます。義母とは会ってもおりませんし、話もしておりません。 昨年は私の分は早々にお寺のお札を納めるところへ持参しました。子供の分は1年手元に置き、年明けに納めました。 今年はどうしたものかと考えています。 もうやめてくださいと一言書いて家のポストに入れるか、又は祀る事もなくみんなまとめて納めにいくか。 粗末に出来ない事は分かっていますが、ここに書ききれない他の事もあり、何もして欲しくないのが本当の気持ちなのです。
京都市内に下宿出来るお寺はありますか?
休日はよく神社仏閣をめぐります。 もともと仏教には全く興味がありませんでしたが、 仏様に手を合わせるうちに仏教についてだんだんと知りたくなってきました。 私自身接客業をしてますので、仏教でいうおもいやりの気持ちは大変共感できるものがあります。 ただ、最近某山口県のお寺に参拝した時のことです。 拝顔するのに隣の売店でチケットを買うのですが、売店のお坊さんが愛想が悪いというか、威圧感のある言い方をする人で大変不快な思いをしました。 お坊さんも仏様じゃなくて人間ですので、色々な人がいるのは理解できますが、もう少し下界の人達にも優しく接してほしいものです。 お店じゃないのでクレームもいえませんが、 そういうことがあって私の足がお寺から遠のくのも仏縁だと最近考えるようになりました。 やはりお寺は修行の場であり、全てのお坊さんが人にやさしいと思うことは間違いなのでしょうか?
近所のお寺の奥さんの言動に失望し、傷ついたのですが聞いて下さい。 私は特別支援学校の職員ですが、いつも生徒15名と他の職員3名と共に散歩をしているのですが、その散歩コースに近所のお寺が含まれており、境内で休憩し生徒達もはしゃいで走り回って楽しんでいます。 トイレも拝借しております。 ある日、帰校しようとお寺を出た所、お寺の奥様に呼び止められ「あなた方にはモラルがないのですか?」と、いきなり怒られました。 一方的に「あなたは、よそ様のお宅に勝手に上がり込んで勝手にトイレを使って庭を荒らしても何の挨拶もなく知らぬ顔で帰るのですか? 来る時は前もって、いつ、何時頃行ってもいいですか?と連絡するのが常識でしょ」と言われました。 納得できないのですが、お寺は地域の為に存在し、誰でも自由に出入りが出来てトイレも自由に使ってもいいのではないですか? 奥様が仰るには、「うちは観光寺院ではありませんし、トイレも公衆トイレではありません。」だそうです。 これでは生徒達が可哀想です。 お寺は皆そうなのですか?
団地に住んで一年以上たちますが、何ヶ月かに一回は新興宗教の勧誘が回ってきます。 毎回居るときは丁寧に「申し訳ありませんが、旦那が僧侶なので…お話もチラシもいただけません」とお断りしています。 それでも、「奥さんは僧侶じゃないでしょ、なら平気よ。それとも、仏教徒?」と聞かれ「はい、仏教徒です。すみません、忙しいので」とお断りしてます。 本当にしつこくて困ってます。ああいう宗教はすぐお金の話をするし、最初は優しくても、すぐ信者の勧誘をせがむし、ろくなもんではありません。 どうしてそんな変なもんに入ってしまうのか、人間弱ってる時に優しくされると弱いのはわかりますが、私からすれば行く所が間違ってると思います。 お寺さんや教会に足を運んで少し話を聞いてもらうなり、お参りに行くなりの方向になぜ行かないのかな?と思います。 私は精神的につかれた時にお参りに行って、空間と香りに癒され、開放された気分になるし、好きですけどね。 そのうち私も寺婦になりますが、誰でも気軽にあがれるアットホームな空間作りが出来たらと思います。 たまに物貰いもきます(笑)そういう方はお断りしますが、若い人も気軽に来れるようになればと思います。
文才がないもので、もし、宜しければ、直接、お会いして話を聞いていただけるお坊さん、いらっしゃいませんでしょうか? ご相談内容を端的に申し上げますと、ここ最近の自分に嫌気がさしており、どうすれば、この壁を越えて、一皮むけた自分となれるのか、アドバイスをいただきたいというものでございます。 お忙しいかとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。
手を合わせ 線香と蝋燭2本を御供え 無作法でありましたが 帰って来ました。 これまでの事が嘘の様に穏やかな状態になりました。 大変感謝しています。 何故かとても不思議です。
こんにちは 下世話なお金の話で恐縮ですが、ご助言いただければ幸いです。 私は山登りが趣味でよく山歩きをしていますが、山頂などにはお寺があることが多く、門が開いていれば参拝させていただくようにしています。 恥ずかしながら私には仏教や宗派などの知識はほとんどないのですが、それでもお寺に一歩踏み入れた時の、あの独特の落ち着く雰囲気が何とも心地よく、 また、お堂を参拝して掲げられている由緒などを読むと、なぜこんな山奥にお寺があるのかがわかったり、あるいは意外な歴史上の有名人が登場したりして、そんな発見が楽しくてお寺を訪ねています。 (そもそもそのような動機でお寺を訪ねることが良いのかどうかも自信がありませんが…) そのようなときにお坊さんが声をかけてくださることがあり、いろいろと興味深いお話をお聞かせいただいたり、お茶を出して下さったり、秘蔵の文化財を見せて下さったところもあります。 ある山頂のお寺では「精進料理で良ければ食事していかれませんか?」と庫裡にお誘いいただき、当然有料だと思ったので遠慮なく頂いて代金を申し出ると受け取っていただけないということもありました。 どのような場合もありがたくお礼を申し上げ、お布施についてお尋ねするのですが、たいてい「そのようなお気遣いなく」と仰られますので、せめてもの気持ちで、帰りがけにも賽銭箱にいくらかのお金を入れて辞去するようにしています。 しかしお坊さんが時間をかけて興味深いお話や案内をしてくださることに対して、賽銭箱にコインを投げ込むというのではなく、やはりきちんとお礼をしたいと思いますし、 請求されなかったからといって何もしないと作法知らずと思われているのでは?、とも思ってしまいます。 このような場合に、お坊さんを煩わせることなくスマートにお礼をお渡しするには、どのようにするのが宜しいでしょうか?。 そもそもこのような場合の「相場」もわかりませんので、何卒お導きを賜ればありがたく存じます。 よろしくお願い申し上げます。
先月からご縁があり、とある相続関係の仕事をさせていただきました。内容は、同じ区画内の土地と建物の権利者がそれぞれ4人おり、権利が複雑な為、権利関係を整理するという内容でした。その一部にとあるお寺の所有の土地があり、事前に住職にお話しをしたところ他の権利者に譲渡(売買)の話をしてもらえないかとの事だったので、時間がかかりましたが何とか承諾いただき他の3人の権利も整理できそうな所まで話がまとまりかけたところ、 そのお寺の住職が売らないと突然言い出し、話が破断に終わりました。私が残念に感じたのは、その住職はお金の話(そんな安い金もらってもしょうもないなど・・)が多く、また誰が損か得かの話も多く、仏に仕える方として有るまじき発言だと感じました。同じ住職としてどう思いますか?私はお寺や住職さんの心を作るお話が好きで前から「住職」という職務を全うしている方には尊敬の念がありましたが、そこのお寺の住職さんは欲深く、由緒あるお寺なのに修行が足りないのかな?と感じました。大きなお寺ほどそういう方が多いのですか? ちなみに私は今回の仕事に対して報酬はなく、奉仕(無料)でさせていただいておりました。どちらが仏に仕えるものかわからなくなりました。同じ住職でもこの方欲深いな?と感じる方いますか?
こんにちは。 先日はお話を聞いてもらってありがとうございます。 今回はお寺のことについて質問させてください。 今自分が住んでいる家の近くに曹洞宗のお寺があり、息子の散歩の途中に立ち寄って、境内の中を一周して帰っています。 境内の中にはお地蔵さんや、観音様の石像があるので、手を合わせています。 そのお寺はいつもひっそりとしていて、お坊さんに会ったことはありませんが、仏像にキレイなお花が供えてあるので、ちゃんと手入れされています。 小さめのお寺ですが、門はとても立派に見えますし、落ち着いた雰囲気なので私は好きです。 お坊さん的に私のようにお寺に入るのは問題ないですか?? あと、人の気配がなくても、お堂の中で何かしているのですか なんとなく気になっていたので、教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
最近、仏教に興味を持ちはじめ、 自分なりに様々な本を読んだり、知識を深め始めています。 そして、私の心の支えになっています。 仏教を学ぶにつれ、 「仏教徒になりたい」という思いや 「お寺さんと繋がりたい」という思いが湧いてきています。 私が現在住んでいるのは、 古くから住んでいる人が多い、いわゆる「田舎」の地域です。 私は、夫の仕事の都合でこの地域に引っ越してきたため、 地縁などもなく、つながりのあるお寺が全くありません。 お寺はありますが、檀家さんは皆、何代も前からのお付き合いのようだし、 「写経の会」などの対外的に開かれているイベントなども特別実施されていないようなので、 興味はあるものの、 「完全なよそ者が訪れても受け入れてもらえるだろうか」 と、不安になってしまい、敷居が高く感じられ、一歩踏み出せずにいます。 また、まだ特定の宗派を信仰する、 というところにまでは至っていないため、 そのような状態で、檀家寺さんを訪れるのも もしかしたら迷惑になってしまうのかな・・・とも考えてしまいます。 昔からの檀家さんばかりのお寺に、 私のような、仏教初心者が訪れるというのは、 お坊さんの本音として、いかがなものでしょうか? 都市部に足を延ばせば、 私のように、仏教に興味を持ち始めた人でも 気軽に参加できるイベントなどが行われているお寺があるようなので 遠いけれど、そういうものに参加した方が良いのかな・・・とも感じます。
『駆け込み寺』という言葉があるように、なにか迷ったり、困ったりしたらお坊さんの所へ行き、叱咤激励をもらう。 このようなイメージが私にはあります。 しかし、いきなり訪れて事情を説明し、「どうすればいいでしょうか?」というのはお坊さん側からしてみたら少し迷惑じゃないだろうか?という気もあります。 このような素晴らしいサイトもありますし、お坊さんにも優先すべき様々なお仕事があると思います。 しかし、面と向かってでしか話せないことはあると思います。 なので私はいつも「話を聞いてもらいたい。でも……」という状況です。 皆さんはこのことについて、どうお考えでしょうか? ご回答よろしくお願いします。
京都や奈良のような有名で大きな寺がない県に住んでいます。 お参りして御朱印をいただきたいのですが、神社より敷居が高く感じます。特に小さなお寺は敷居が高く感じます。 どうしたらそのように感じなく素直にお参りできますか?
私は、お坊さんや寺社仏閣が近代化していることに違和感を感じてしまいます。 例えば、手水舎の水がセンサーで出る仕組みになっていたり、タイマーで自動的に鐘をつく機械があったり、卒塔婆用のプリンターがあったり…… 自動鐘つき機を設置している方のインタビューで「朝起きるのが大変だから設置した」という主旨の答えがあった時には「そういうもんじゃないだろ!」と突っ込んでしまいました。 他にも、袈裟を着たお坊さんが高級車に乗って家を訪れてきたりするときも不思議な感覚になってしまいます。 私的には、こういう近代的なものからは離れたところに存在するのがお坊さんであり、お坊さんたちがいる場所であると思うのです。 この考えはもう『古い』のでしょうか?
宗教ファンお寺ファンですが、よくお寺方は自分のおてらの本尊荘厳に詳しいようですが欄間に詳しい方が少ないのは何故でしょう。永平寺の法堂の龍の彫刻(内陣の中)のことは説明の中でほとんど触れられていません。 先日石川県の那谷寺を参詣したとき金堂の十一面観音は撮影禁止だったのに重文の三重塔のは触れそうなところにありました。なんとなく住職さんはどう思っているのか聞きたいのですが。 テレビで見た真言宗(だと思う)の某有名寺院の欄間に目が行く爺のたわごとに答えを・・・
皆さま初めまして。 こちらでこの様な事をお尋ねして良いものかどうか迷いましたが、 思いきってお尋ねします。 私は掛軸の表装や仕立て直しを生業とするいわゆる表具屋 でございます。 常日頃より、お寺の方とお付き合いをさせていただきたい と考えておりましたが、知識不足故なかなかご住職にお話 を聞いていただくまでには至っておりません。 大変勝手な、また素人すぎるお尋ねで恐縮ではございますが どのようにしてご住職とお近づきになれるのか、アドバイス いただけないでしょうか? 何卒よろしくお願い申し上げます。
今日 日経平均の下落に賭けるお寺、京都の青蓮院門跡が日経平均レバレッジETFを6億円空売りしました。 株とは、人の雇用であり将来 値上がりを期待し投資します。株価は、経済先行指数といい、株が上がれば景気がよくなる兆しとなります。 しかしながら空売りとは、値下がりを期待したもの、大口でしかければ、それだけで、値段は動いたりします。 つい最近も18億円を 高野山真言宗、お布施を外国債などで資産運用し失敗してます。 質問は、財テクがお坊さんの中で流行っているんでしょうか? お寺の維持には 檀家だけでは なかなか回らないんでしょうか?
お寺に行くと、撮影禁止とよく書いてありますが、どうしてだめなのでしょうか? こんなすばらしい仏像に出会ったとブログに書きたいのですが。 仏像の写真を撮られるとお坊さんとしては嫌ですか? 他の人がお参りしているときとかにはもちろん写したりはしないのですが
はじめまして! 皆さん色々なお悩みの中、お気楽かつ興味本意な質問なんですが… 御朱印を書いてくれる人達ってどんな人なんでしょうか? 数年前とあるお寺で御朱印帳をおすすめして頂きました。 その女性は『御朱印が何か分からない』と言った私に気さくに色々と教えて下さり、御朱印も書いてくれました! その時は字の上手い売店の人だと思っていたんですが(笑) ところが色んなお寺へ行くようになって、お坊さんが直接書いてくれる所が多い事に気が付きました… 実はあの女性はお坊さんだったのかな? それとも字の上手な人が書くものなのでしょうか? 何か決まりってあるんですか?