うちのお寺は去年和尚さんが亡くなり、その息子さんが引き継いでいます。 若いせいか、やる気がないのか、法事の時間は間違えるし 携帯に電話しても出ないし もちろんかかっても着ません。 義父が亡くなった時過去帳に記録をお願いしてましたが、全く音沙汰無しで いつの間にか郵便ポストに入れてありました。 しかも銀行の袋に入ってました。私らに電話してもらえたら手渡しで受け取る事も出来たのに…と思いました。 生前の和尚さんが良かったせいか、より悪く感じます。これから長い付き合いになるので いい解決案をお願いします。
昨冬、脳出血で倒れた父の「もしも」の事態を考えまして、お墓などの準備を考えております。父の実家(本家)は曹洞宗を信仰しておりますが、父は倒れる前から「〇〇寺(真宗大谷派)がいい!」とおそらく〇〇寺のお坊さまを敬ってのことと思いますが、こう言っておりました。 宗旨替えの動機としましては少しハテナと感じつつも、ほかの方々へのお坊さまのお答えを拝見しまして、私は「まあいいのかな」と勝手に解釈しておりますが… お聞きしたいのは、その場合、どのような手続きが必要なのかということです。真宗大谷派のお寺様は受け入れていただけるようです。また父は二男で実家から出ましたので新しくお墓や墓地はまだ準備しておりません。 生まれて出生届を市役所に提出しますが、それに似たような何かがあるのでしょうか。父の実家に報告するとか、父の実家の菩提寺様にお話しするとか、何か必要なのでしたら教えていただけますでしょうか。
お寺に週に何度か参拝しにいっています。 何も起こらない平凡な毎日、1日1日を終えられたことに感謝し手を合わせています。 なぜかお寺に入った瞬間、心がクリーンになったように感じ前向きになり見守られている気がします。週に何度か通うことでその気持ちが持続できてるようです。 私はなにを感じているのでしょうか?
祖父母の代から先祖を祀ってもらっている菩提寺があります。もっと古くからかもしれません。両親、兄7人、すべてそのお上人に引導を渡してもらいました。法事もそのお寺で行います。 1. お寺を変わりたいのです。格式が高く、つきあいにくいのです。お寺まで2時間近くかかります。 変わってもいいのしょうか? 2. 近くで探すとすれば、どのような点に気をつければいいでしょうか? 先日、墓をたてるための土地がきまり、10月完成予定です。 寿陵です。 開眼をしようと思いますが、お寺が決まりません。よろしくご指導おねがいいたします。
いつもお世話になっております。 前からもやもやと疑問に感じていたのですが、 爆発した(笑)のでちょっと聞いてください。半分愚痴。 * 油ブチまかれたり、カレー粉散らかされたり、 果ては熱烈なご信徒のフリをして女のケツ追っかけまわしたり… はたまた戒壇内でおさわりしたり!! 私の知っているあるお坊さんいわく、 「金をとれ!払える奴が聞きにくればいい。金を払うことで真剣みも増してくる。ろくでもない奴も来なくなる」と怒っていました。 表現がかなり過激(笑)ですがある意味的を射ていると思います。 * 私もある寺で5回ほど、境内でストーカー行為をされていました。 「若いのによく勉強してるね、えらいね」 彼らはだいたいそれを口実に近づいてきました。 今も、男性の参詣者にじっと見つめられると身構えてしまいます。 腹が立つやら怖いやら、気持ち悪いやら、ぶっ飛ばしてやりたいやらでお祈りどころじゃなくなる時もあります。 この前も定期的に参列している法要で、「元気な子は前に座んな!」といって常連のおっさんが私を隣に座らせました。 * そのような気持ちになった場合、心を静めるにはどうしたらよいのでしょうか。何とぞご教授のほどお願い申し上げます。
永代供養料とは和尚さんへの謝礼?の事ですか? 浄土真宗なのですが、お墓は市営の墓地を永代使用料をお支払いして、契約しました。 父が1月に亡くなった時に、叔父が葬儀をお願いに行ってくれた際、前に亡くなってる母と1月に亡くなった父、2人分で70万の永代供養料を払ったらしてやると言われて帰ってきました。 母のなくなった時に30万円包んで、他に通夜や葬儀に来てくださった度にお布施を渡しておりました。 その30万円は何だったのか?と永代供養料とはお墓を使用するためのお金ではないのか? 寺院のお墓を使用していないのに、なぜ寺院に納めなくてはならないのか? 不思議でたまりません。
夫が36才で急死、夫方のツテで寺をお願いしましたが「地方にいて無理だ」とのことでその住職に紹介されたお坊さんに通夜と葬儀、そして今後新しく門下に下る方向で話を進めていましたが 通夜前になり親族と話し合い「私が今後籍を抜ける可能性もあるし、通夜と葬儀だけお願いしたい」と伝えました。 大変なお叱りを受けましたが、何とか通夜と葬儀はお願い出来、式を終えることが出来ました。 夫方には私方で寺探しをすると伝えてありますが寺探しが初七日に間に合いそうにありません。 夫の実家は少し遠方で70才の義父と義兄の2人暮らしです。 四十九日の法要は必ずしますが、初七日は目をつぶってもらえるものなのでしょうか? また、宗派が違えど納骨は夫方の墓にしても良いものなのでしょうか? なるべくならば骨は夫方の墓には入れたくありません。 私の実家に夫と長年暮らしており、子供もいない為、金銭的なこともあり墓を買うことは難しいです。 夫の家庭環境は少し複雑なこともあり、仏事は全て、寺に集まり行うことが一同の総意です。 当方全く知識が無く困っています。
私は、叔母と恋愛成熟のパワースポットになっているお寺に行く事に なりました。 そこのお寺は1つだけ願いごとを叶えてくださるそうなのですが、私の 願いごとは、今は遠い存在である方とお付き合いしたいという願いごとです。 でも、サイトで調べると芸能人と付き合いたいなどの願いごとは叶わないと書いてありました。 私が片想いしている方も、遠い存在ですし、芸能人に含まれるかもしれないですが、一般人に近いと思っていますし、イベントという形ではありますが、何度も、お会いしています。 私の勘違いもあるかもしれませんが、少しは認知されていると思っています。この願いごとは、願っても大丈夫でしょうか。叶いますでしょうか。
いつもお世話になっております。 ご縁を新たにしたら大分に体調が落ち着きました。まずはそのお礼を申します。 数々のみ教え、ありがとうございます!! ですが、悩みと疑問は次々に湧いてきます。 そこでご質問なのですが、 願い事がないのに、自由参拝型の護摩・祈祷にお上りしたり、またはお参りの際などにお賽銭をお納めしないのは、失礼にあたりますか? いささか軽率な例えではありますが、 私にとって寺院への参拝は、 今時の若い皆様が遠くのおばあちゃんや単身赴任中のお父さんに会いに行って、思いっきり甘えたり、楽しい時間を過ごすような感覚です。 むろん、最低限のマナーやルールは守りますが。 ご教授のほど、お願い申し上げます。
関わっている寺院の改修について、どうすればいいのか判断出来ません。 強風と、境内の巨木の枝によって、瓦が落ちました。それを機に、本堂の屋根などを調査して貰ったら、全体的に老朽化していて、雨漏りも多数あるとのことでした。 さて、改修となりますと、当然ながら門徒様への「懇志」を必要とします。 その額は6桁を超えます。しかし、懇志をお願いする以前に、自坊から(宗費や伝燈奉告法要懇志 事務費を除いた上での)修繕費を捻出出来ません。 年間に頂く財施の合計も少なく、担保になるものも無いため、金融機関からの融資依頼も絶望的です。 また、老住職が寺務に無関心であり、門徒様からの説得にも一切応じる意思を捨てている為、お金も出されず、話になりません。 見積もり書をもらい、町内の総代様とお話しても、お寺側が動いたら動くというスタンスです。僕は、この問題から逃げたくて仕方ありません。雨風の強い日が来る度に、不安になります。放置して、良くなることなんて絶対にありません。 門徒様の中には「私らは年金生活だから、大金出せないよ」とか、先に釘を刺される方もいます。 それはそうですよね。 年金は減らされ、消費税は上げられ、保険料や固定資産税も高くなり、みんな生活を送るのに節約して、やっとやっとです。 高齢者でこれなら、お若い方々は違うのかと言うと、そうでないですよね。みんな生活苦です。自分の家の修理もままならないでしょう。 それらを思うと、果たして大金を出すのをお願いして、でも一方でお寺側はお金出せませんという形で、お寺の修繕費をお願いなんて、しちゃいけないんじゃないか?と思うのです。 私は、どうすればいいのでしょうか。 また、お坊様方は、お寺の修理を行う迄に、どのような御苦労をされましたか。宜しければ、教えてください。
いつも、ありがとうございます。 今一人暮らしで、仏壇とかないですが お線香をたいて毎日、般若心経を唱えて 手を合わせています。 (私の家は浄土真宗ですが) そんな我流でも、よろしいでしょうか? また、いつも思うのは、お寺にいって お坊さんの話を聞いてみたいと思うのですが お寺というのは、お葬式とかしか関わりがなくて、普段近寄り難く思います。 突然、お話しを聞かせくださいといっても受け入れてもらえるのでしょうか? またその際いくら包めばよろしいでしょうか?
私はあるお寺の長男で、跡を継ぐ立場にありますが、ここ最近進路について真剣に考えていると、どうしても自分が跡を継いでいいのかという疑問を抱いています。それはタイトルにもあります通り、私に信心というものがほとんど無いからです。 家柄上、仏教・宗教とどう向き合うかということをよく考えるのですが、そのとき仏教はこれこれこういうものであると認識することはできても、それを信じることはできません。読経や修行も必要ないのではと考えてしまいます。そのような者が僧侶となってお寺を継ぐということは適当でしょうか。私は適当で無いと考えます。 私自身はお寺を継いでも構いません。職が決まっているというのも有り難いことだと考えています。しかし原理を大事に考えてしまうので、真面目に活動している僧侶の皆様を見ると、咎める心があるのです。 私はお寺を継ぐべきなのでしょうか。そして、もし継ぐにしても、信心が無いのは問題でしょうか。周りにこのことを相談できる人がおりませんのでこの場で質問させていただきます。
自分の死後、婚家のお墓に入るのはある意味当然なことなのかとは思いますが、もし最大限のわがままがきいてもらえるのなら、入りたくないです。 ほかに迷惑をかけないのは大前提で、海にまくなり、木のもとに埋めるなり、本当の生家に入れてもらうなり、とにかく婚家のお墓は避けてもらいです。 なぜかというと、婚家のお寺さんは、お寺の入り口にたくさんの卒塔婆が無造作に捨てられているし、節目にお参りに行っても花も榊もないし、お寺の心配りを感じないどころか、何かにつけお布施をせがむのが受け入れられません。(提灯、座布団、椅子などを買ってくれと、いうらしいです) 地震の亡骸を、安らかな気持ちになれない場所に葬られたくないのが正直な気持ちです。
浄土真宗本願寺なんですが この度、引っ越す事になりました それでお仏壇の向きなんですが故父が東向きと言ってたのですが 東向きだと斜めになります 北東か南東になるのですがどちらが良いですか? どちらでも良いと聞いてましたができればどちらでしょうか? そして引越し先でのお寺はどのように探せば良いのでしょうか? そして今までお寺の骨堂に入れてたのですが お金もないので無宗教の骨堂が安かったので入れようとしましたが 般若心経だと聞いたのでなんだか悩んでしまいました。 そして引越し先の家にお札の入ってない神棚がありました 神棚はいらないと聞いてますが本当ですか? そして事情があり仏壇が2つあります。 父の仏壇と姪っ子の仏壇です 一緒にする事は問題ないのですが一緒にする日は どちらかの節目みたいな日が良いのでしょうか? 父も姪っ子も私の方なので 夫に迷惑やお金をかけずに行いと思います 最良なお答えをよろしくお願いします。
お恥ずかしながら、宗教のことに関してほぼ無知の状態でして、お力添えいただきますでしょうか。 昨年、母が他界しました。 京都に住む私は浄土真宗であると教えられ育ってきました。母方の父母、そして叔母も大谷本廟(西大谷)に喉仏や髪の毛があるということで命日にはお参りに行っていました。 私と母の二人暮らしで親戚もおらず、所属寺院などもわからない為、小さいお葬式というところで葬儀をしていただき法名もつけていただきました。 年が明け一回忌も近づき納骨をしたいと考えているのですが、大谷本廟(西大谷)のホームページを確認したところ、所属寺院証明書なるものが必要のようで… この場合は大谷本廟に納骨はしていただけないのでしょうか?
本堂は自由に入っても良いですか。 今日一晩だけ数時間だけいさせて頂いてもよろしいでしょうか
何もわからず、失礼な質問かもしれません、お許しください。 近年、お寺や、神社など、参拝した時に、御朱印をいただくということがブームになっていると、いつかのテレビで観たことがあります。 しかし、御朱印のそもそもの意味を知らずに、スタンプラリーのように、お寺、神社構わずたくさん集めておられる方々がいらっしゃるみたいです。 私も参拝した記念にと、某神社二箇所で御朱印をいただきましたが… あるお寺では、御朱印とは写経を納めいただくものだと参拝者を諭しているともテレビで観ました。 一から御朱印について、 お寺と神社のあり方を教えていただきたいと思って質問させていただきました。 根本的に世間知らずで失礼な質問だと理解しております。 よろしくお願いいたします。
昨年お寺で購入したお守りを、今年行った神社に返納してしまいました。主人は皆やってるから大丈夫と言っていました。私は間違いであるのを知りつつも、皆そうならいいかと、返納してしまいました。 後になって、やはり失礼にあたるよな、と思い、後悔しています。今後は絶対しませんが、何か神様や仏様に謝る方法はないでしょうか。よろしくお願い致します。
プロフィールに書きました 捨てなくて良いですよね
以前こちらで、主人のほうの先祖供養について相談したことがきっかけで、家族で話し合い、お墓のあるお寺に相談したのですが…。 なんでも、長男がなくなり子供がいないときは、墓地は寺に返さなければいけない。次男である義父には墓地は管理する権利はない。月命日や行事に参加(お布施収める)できないなら、墓じまいをしてほしい。 最近のお寺ってこんなにあっさりとしてるものなんですかね。義父の兄弟も近くにいるのになんにもしないからなんとも言えないですが。 お骨をこっちにもってくるのもすぐにできないので、しょっちゅうお墓の管理はできないけれど、お参りしたり掃除したりはできますし、大事にしたいと話したようなのですが。 結局墓じまいをしてお骨のみを供養してもらえることになったようです。墓地は義母が買ってあるようなので、いずれはそこにお骨を収めたいなと主人と話していますが、それまでお骨はどういうふうに扱われるのでしょう?