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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

満足することと欲、向上心、自衛について

こんばんは。またよろしくお願いいたします。 私は仕事、プライベート問わずに満足感が続くことがあまりありません。 例えば仕事がうまくいった、友人と楽しい時を過ごしたなどその場ではとても満足感があります。 しかし家に帰り冷静になると「まだまだ、あの仕事ができていない」「あの店はよくなかったな」など悪かった面を思いつきます。 ここまではよくあるかと思うのですが、、、私が自分自身おかしいと思うのは、例えば悪い面がなかったときでさえも悪い面をあえて見つけ出そうとする癖があるのです。 想像でものを言い「実は裏でこうだったに違いない」など悪く考えます。 楽しかったな、良かったなで1日を終わればよいのに。 あえて悪い面を見つけるのは、もっともっとと満足感をほしがる欲深さなのでしょうか。 またはもっと上を目指す向上心のはじまり、または満足感を得てその後の不幸を怖がる自衛の気持ち、浮かれないぞといった警戒の気持ち、いったいなんなのでしょうか。 いずれにせよ、あまり自分にとってプラスにはならないような考え方の癖かと思っています。 (向上心ゆえの癖でしたら、別の方法で向上心を持ち続けたいです。せっかくの満足感をあえて壊す自分がよく分からないです) お坊さまがたからぜひアドバイス、ご意見いただけましたら幸いです。 この自分にとってマイナスでしかない癖の原因をさぐり、なくしたいとおもいます。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 28
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これからどう生きるべきか、見えなくなりました。

私は以前から彼女が欲しいと言っていました。 実際に行動しなければ彼女はできないと言われ、それから私は目標の為にとにかく実践することを心がけてきました。 女の子の服を褒めました。その子がその服を着てくることは二度とありませんでした。 何度か旅行に誘いました。声をかけられる程度に仲のいい10人強全員に全て断られました。 私は先日までとある大会に出場する部活に所属していました。 私には目標があったので、その為に賛同者を集め、先輩に挑戦の許可を得、必要な勉強をしました。 学んだことを資料にまとめ、必要な物の販路を新たに開拓しました。 人出が足りないと思ったので友人を誘いました。 行く先々の寺社仏閣で神頼みをし、自腹でお札も買って手を合わせました。 半年を費やした準備の末、仲間に「実は乗り気ではなかった」と言われ、私の挑戦はなかったことになりました。私は部を去りました。 目標達成の為には行動するべきというのはよく分かっています。 しかし私は努力することで成功どころか、自分は疎まれていると知りました。 人生の成功には努力が不可欠ですが、私は努力しても沼に深く沈んでいくだけです。ならば人生うまくいく訳がないではないかと、次第に人生そのものに希望を見出せなくなりました。 今、人生そのものに対する絶望と、人生を諦めたくないという気持ちで潰れそうです。 私はこの状況を嘆けば、本当に努力したのか?足りないんじゃないか?と責められます。 私は努力しても結果を残せないどころか、努力したことを認めてさえ貰えないのかと、とても悲しい気持ちになります。 同時に、努力は報われるものと信じて疑わず、実際に報われている人々にとても嫉妬してしまいます。 私はこれからどうするべきか、全く見えません。 努力しなければうまく行かないが、努力しても上手くいかない。 何度も死のうと思いましたが、人生を諦めたくないという気持ちから思いとどまりました。しかし私は奇跡的に運良く良い事が起こることを期待して惰性で生きていこうとしています。 これで良いはずがないというのは分かりますが、ならばどうすればいいのか、分かりません。私はこれからどう生きていくべきでしょうか。

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自分を大切にするとは?

自分を大切にしなさいと言われました。 自分を大切にするとは具体的にどうしたらいいでしょうか? 自分の立場が悪くなるようなことはしない方がいいと、割りきることも大切だと、上司の言うことを聞いて仕事をしていれば、 「自分のために働いている」と責められ、 自分の思ったことを言えば、なんでそんなにこだわるのか、と責められる。 疲れているから休め、と言われるが、休んでいる余裕はない。 諦めれば楽になる、でも、諦めたくない 自分の体を大切にしろ、と言われるが、大切にする方法はどこにも書いてありません。 誰も教えてくれません。 自分の立場を守れと言われるが、お前は自分の立場を守っていると責められる。 心構えがないのは詐欺師だと。 人を信用するな、でも、信頼関係が大事だそうです。 自分の好き勝手やっている人は許されるが、 私が自分の考えを持てばそれは違うと否定される。 いろんな人から矛盾することを強要され もう壊れそうです。 もう誰にも迷惑をかけたくない。 両親にも申し訳ない。 諦めたくない、でも私はいったいどうしたらいいのかもわかりません。 考えがまとまりません。 自分を大切にするとはどのようなことですか。

有り難し有り難し 60
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信ずるものの矛盾について

前置きとして、私は仏教に深く関心し、このサイトでも別の質問をさせて頂き有難い回答も頂いております。 お気持ちを害するかもしれませんが純粋な質問として受け止めて頂ければ幸いです。 私の現状はご指摘もしてもらいましたが煩悩により、自らを囚え振り回されている状況です。 まず、仏への道として宗派は道程であり、すべからく目的は苦からの脱却、解脱であると勝手に認識しています。事実、それぞれの教えから自己満足の範囲でいろいろ学ばせてもらいました。 煩悩を拭いひたすらに。 しかし、人を救いたい、苦から解放されたいと願うことこそ人智を超えた最大の煩悩の気がしてきてしまいました。だからこその仏様でしょうか。 これが一つ目の問いになります。 心の有り様。全てはここに集約されているのかも知れませんし、因果や縁、前世、今世、来世の繋がりも頭では理解していますが、私個人として、苦がなければ生ではないと強く根底にあります。 苦しみこそが人を最大限に無意識のうちにでも足掻かせ、思考を巡らし、結果が悪かったとしてもその後も全力を尽くした経験値として忘れることがないものと思うのです。好きなことより回避したいことの方が望む望まないに関わらず人は本気を出せると思うのです。出さざるを得ないという方が多いですかね。 往々にして心が弱いですから。 それが成長の種になると。 纏めますと、私は己の弱さ故につまらない選択肢と隣り合わせな苦しい日々が続いていますが、この苦しみから解放され 楽しい、安楽なことだけになることも怖いのです。 弱い心が解放も囚われも恐れるのです。 一つだけ身を投げ打ってでも生きる意味として手に入れたいものがあります。 これは教えに反していますよね。 また、その対価としてというわけではないですが苦難を望んでいる自分がいるのはおかしいですかね。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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後悔ばかりしてしまいます。

お付き合いをしはじめたばかりの彼がいます。 でも、緊張してしまうのか、沈黙がコワイのか 「どうでもいい話」ばかりしてしまいます。 例えば、別れた夫の話。 彼には関係のない 私の友人の話。 彼は、聞き上手なのか 私のことを少しでも知りたいと思ってくれているのか、ずっと私の話をニコニコ聞いてくれていますが、 ふと気付くと 「どうして私、こんな話してるんだろう?」 と思って 悲しくなります。 もっと彼のことが知りたいのに、気付くと私のどうでもいい話で もちきりになります。 もともと、人づきあいがあまりうまくなくて、それをストレスに感じてしまい、別れた夫からも グチばかり言う女だ といつも言われていました。 カウンセラーさんにお話に行ったり、お寺をお参りして心を軽くしようと日々努力を積んでいますが、どうでもいい話をする癖が治りません。 離婚後も何人か男性と知り合いお付き合い直前まで進んでも 「話が重い」と言って別れを切りだされたこともあります。 ようやく、きちんとお付き合いが出来る人が現れ もう失敗したくない・・・と思うと余計に それに緊張を感じて どうでもいい話をしてしまうことに、後悔ばかりして お会いして帰ってきても 「また振られるかもしれない」という不安に襲われます。 お坊さんは、いつも ご説法をされるときに 限られた時間できちんと大切なことをまとめてお話をされていて お聞きしていても、すごいなぁと感心させられます。 どうでもいい話をしなくするために お話をする時のコツや、 要領よく 大切なことを話す方法、 相手のことを丁寧に聞き出す方法などを教えてくだされば幸いです。

有り難し有り難し 35
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お金にはこころがないように感じてしまう

農家の嫁です。手作りのものが好きで、パン・ジャムや梅干し、つくだ煮などを作って、友人にあげることがあります。 それは、「おすそ分け」の気持ちです。我が家では食べきれないこともあるし、今の時代では手作りは珍しいこともあり、食べて、味わってほしいなぁと思うこともあります。 先日も、自家製の天然酵母のパンを焼き、いっぱいあったので、友人数名にあげました。 ある方は、お菓子を持ってきてくれる人もいれば、お花をくれた方も。 しかし、別の友人から「お金、払うよ?いくら?」と聞かれて、困ってしまいました。 あくまでも、手作りが好きでやっている。手作りでしか出ない味を楽しんでほしいだけで、お金という価値で置き換えられません。 友人には「今度、何かをおごってね」と言って、お金は受け取りませんでした。 こういうことは、今までも何でもあります。 そのたびに、何か「お金で・・・」と言われることに、抵抗というか、虚しさを感じます。心がないのではないけれど、何か気持ちがすっきりしません。 お金がほしくて、作っているわけではないので、お金を受け取ることにも、お金での価値(値段をつける)ことにも、できません。 この気持ち、どうしたら、すっきりするでしょうか?

有り難し有り難し 26
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適切なアドバイスの仕方について

適切なアドバイスは何か?と考えてみますと、相手にとって過不足なくアドバイスすることが重要なことではないかという結論に至りました。  まず、不足しているアドバイス。これは、不足していて誤解を与えるアドバイスです。相談される側が相談する人の話を聞いていない場合です。また、聞いても助言が思いつかない場合もです。これらの場合はアドバイスが検討違いになったり、受け流すだけになってしまいます。これらを考慮するのは助言を与える側の前提条件だと思います。    次が、過剰なアドバイスです。いきすぎると、おせっかいになります。これは2つのケースが考えられました。  1つ目は、相手から相談された場合。これは、相手がある悩みをもっていて、自分にその悩みを聞いてほしいか、解決する手段を求めていると解釈できます。その悩みに対して、相談される側が"正しい"アドバイスを思いついた時に、それを相手に最後まで伝えるかどうかです。つまり、相手の理解できる範囲を超えたその時点では理解できない"正しい"アドバイスをすることは本当のアドバイスと言えるのか?ということです。  2つ目は、相手が相談していないけれど、相手の問題点を発見し、"正しい"アドバイスを行う場合です。これについても相手にとって現状が最善であるけれども、周りからは自明でより良い選択肢を提供できる時に、その選択肢の存在を知らせることは良いのかにとても悩みました。これは1つ目のケースよりも相手の理解できる範囲を超えうるアドバイスになります。 以上より、適切なアドバイスとは、 (1)カウンセラーのように相手の意見を熱心に聞き、自分の意見を全く言わないようにする (2)それとも、相手の理解できる範囲のアドバイスにとどめておく (3) 相手が今理解できなくても、後に理解できるだろうから最後まで言う のどれが適切と思いますか?(全く別の意見でも構いません)。実例としてこのhasunohaで質問者の悩みに対する答える時に気を付けていることなどでも良いので、お坊さんはどのような心持で答えているのか知りたいです。  私は相談者は(1)→(2)→(3)の順に負担が重く、助言する側はこの順で言いやすくなると思います。私はついつい最後まで言ってしまう(3)(これが煩悩なのですか?)が多いので、(2)にしたいと思っているのですが。。。 お願いします。

有り難し有り難し 7
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性欲とどのように向き合えば

このような質問をしてよいものか迷いましたが 悩みが深まるばかりでしたので、質問することにいたしました。 本当に汚い文章で申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。 お坊さんは、煩悩である性欲とどのように向き合っていらっしゃいますか? 私は大変悩んでいます。 大学生になってから1人暮らしを始めて性欲が強くなってしまい 2、3日に1度は自慰行為をしてしまいますし、 アダルトビデオ(AV)もみてしまいます。 しかし、人格形成のうえで良いこととは思えません。 できることなら自慰もAVもやりたくも、みたくもありません。 にもかかわらず、自然と性欲が湧き上がってきてやってしまいます。 このままじゃ駄目だと、ひたすら自慰やAV鑑賞を我慢したこともあります。しかし、寝れなくなったり、学業に集中することができなくなりますし、我慢することも違うように感じています。 それでいま、 「人として道を踏み外さないようにするために、性欲とどのように向き合えば良いのか」 ということで悩みが深まっていました。 そこでお坊さんにご意見をいただこうと思って質問いたしました。 人として道を誤らないために ・自慰行為はやめるべきなのか ・アダルトビデオをみることはやめるべきなのか あとは自由に性欲についてお答えいただければ幸いでございます。 ご指導のほどよろしくお願いします。

有り難し有り難し 2616
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大人ってなんなのでしょうか?

私はもうすぐ20歳になります。 しかし、それを受け入れることができません。20歳になるのがこわいのです。 実感は0歳が1歳になるのとなんら変わらないのかもしれません。毎年のように、家族や友人から「おめでとう」と言われ、ケーキを食べて、また1日が過ぎるのかもしれません。 しかし、私にとって20歳の区切りはとても意味のあるように思えてならないのです。 このことが頭を巡り始めた頃は、おそらく「責任や就職などの大人になったら乗り越えなければならない壁から“逃げたい”」という気持ちがあったのだと思います。 しかし、今はその気持ちよりも「大人になったら見えなくなるものに対する“恐怖”」が強いです。 私にとって大人は汚いもののシンボルであり、自分はこうなりたくないもののシンボルです。大人になったら見えなくなる何か大切なものがあるはずなのです。 なので私は「大人とは何か」という疑問に答えを出そうと考え始めました。 その答えが分かれば、大人を受け入れられる何かが手に入るかもしれない。そう思います。 しかし、一口に大人といっても様々です。未成年の子供を指して「あいつももう大人だなぁ」という親もあれば、いい年した部下に「子供じゃないんだから!」と怒鳴りつける上司もいます。 多分「大人」と「子供」の境界はとても曖昧なのかもしれません。 なので大人のお坊さんたちに何か「大人とは何か、どう定義するか」のヒントをいただきたいのです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 165
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