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「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

執着を手放すには

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。 ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。 ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。 たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。 なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。 説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

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こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?

いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

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私が○○さんの為にしている努力(自分磨き)の方向性。

こんばんは。いつもお世話になっております。 ゆーりです。いつもいつも、質問ばかりで、お礼の返信が出来なくて申し訳ありません。時間を作り必ず、お礼申し上げます。 さて、本日は、自分磨きの方向性について質問させて頂きます。 2ヶ月半くらい前でしょうか? 私は、ここで強くなるにはどうしたらよいか?を質問させて頂きました。ぜひご一読ください。 私は、今、○○さんに思いを伝えるために自分磨きをしています。 持論ですが、自分磨き(自己啓発)というと、ネットなどによく書いてありますように、外見をお金を掛けて変える様な内容をよく目にします。 人は見た目が9割とは、よく言いますがそれでは私は○○さんには届かないのでしょうか? 私には、本当のかっこよさ、強さというものは、内面から滲み出てくる人徳ではないかと思われてなりません。 私は内面を磨きは、辛い道を選ぶ。つまり今できる努力、すべき努力を逃げずにするということだと思います。 私は、今、大学院に向けての受験勉強、教員採用試験の勉強、野球、TOEICの勉強、と四足の草鞋を履いております。 これを乗り越えれば、自分は間違いなく一皮むけると思います。 私は、大学では追試だらけ、野球は(大学から始めたということを差し引いても)下手くそです。 ですから、大学院・教採合格、野球でレギュラー奪取出来たとしたら、間違いなく一生自分を誇れると思います。 また、これらのおかげで、今の自分は、色々な勉強をし、読み物を読み、野球といった努力のおかげで色々な人や物と出会い、内面も、ものすごく成長している気がします。 しかし、これは紛れもなく自分の為でありこの気持ちは相手に届くのでしょうか? もちろん、自分の為にしている努力ですから、相手に届かないかもしれません。自分のしている自分磨きをしてから・・・○○さんに告白するという事は物凄く遠回りです。 ですが、自分に今、出来る自分磨きというものは他に見つかりません。 漫才師になった時の為に、弱い奴を笑かしてやれるようなコントのネタを磨く、これくらいでしょうか。というのは、冗談にしても・・・ 私のしている自分磨きというもの自分磨きと呼べるのでしょうか? また自分のこれからしていくべき自分磨きというものは、いかなるべきでありましょうか? お伺いしたいと思います。お手数をおかげしますが、宜しくお願いします。

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20代後半特有の焦燥をコントロールするには

お坊さん こんばんは。またお聞きしたいことがいくつか浮かんできてしまったので、こちらに分けて書き込みます。 先日、自分がした質問(25歳、これからの生き方について等)とお坊さんからいただいた回答に改めて向き合い、状況を少し客観的に見られるようになりました。20代後半という状態に突入し、どうしようもない焦燥感を持っています。職場にうまく馴染めなかった、大学院が思っていたような場所ではなかった、趣味も人付き合いも嫌気が差してすぐに放り出してしまう。何事も身にならない自分に対して、同世代である友人は毎日働いて社会経験を積み、結婚して家庭を築き、学会に出て研究業績をあげています。 自分だけ時間が止まっているようです。止まっている場合ではない、早く自分の道を選ばなければいけないと思って、資格や他の教育機関の受験、意経験分野の仕事の面接などに挑戦しましたが、ことごとく結果につながりませんでした。おそらく、行動の原点が「今の大学院へ行かないための理由づくり」という消極的な姿勢も関係してしまっていると思います。 この歳になると、今までと同じ道を進むなら、それなりのアウトプットが求められることを覚悟しなければいけない、と感じます。また、違う道へ運良く進めても、また同じ道へ戻りたいと思ったり、さらに違う道へ進もうというのは、もう許されないとも感じます。息苦しいです。どんどん選択肢が狭まっていくことに耐えられず、選ぶことが怖くなっています。他の20代後半のみなさんは、気がおかしくなってしまいそうな焦燥を、どのようにコントロールしているのでしょうか。お坊さんは、仏様を信じることで、このような状態から離れているのでしょうか。

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個性を磨く。

お久振りです。いつもお世話になっております。ユーリです。 今回は、個性を磨くということについて質問いたします。 教育現場では、良く「個性を磨く」といった文言が使われ、「生きる力」と共に、二大教育用語になりつつあると、私は考えております。 さて、個性というと、広義にはその人の特性・性質ですが、それを磨くというと、どういった意味なのでしょうか? 私個人の見解を述べますと、やはり、短所のない人間はいないわけで、また、自分と同じ人間もまたいないわけであります。 自分を追及し(今頑張っています。)、自分をより深めることで、自分にしか出せない味を出す。それによって、噛めば噛むほど味が出てくる。噛めば噛む程、噛んだ傍から味が出るような。そんな人間を目指すのが、「個性を伸ばす」だと感じてならないわけであります。 私は、部活の野球はベンチ外。勉強は、論外の外。顔は、圏外の外。 喋らせたら、うるさいとよく言われ…。そんな人間です。 ですが、人に誇れるものというととくにありませんが、この喋りというのは、自分の中で好きな部分ではあります。 アホなこと言って、「自分ってあほやなー」と、振り替えってにやにやしてしまう。そんな自分が大好きです。 元々、芸人になりたい私ですから、そう感じるのかもしれません。 「よく喋る・デブ・ちび・くそメガネ・頭悪い・送りバントが得意」これが私の個性です。 ですが、「よくしゃべるなー・・・」と周りに言われるということから、それを不快に思う人もいるかもしれないわけです。 自分は誇らしく思っても、そんな一面を磨いてどうするのかと思うわけです。 「個性」には、対個人、対社会にプラスのもの、マイナスなものがあるわけで。 マイナスなものだとしても、それを伸ばせ、ってことなんでしょうか?

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モチベーション、やる気の上げ方。

お久しぶりです。有理です。 お婆ちゃんの事。芸人になりたいということ。進路の事。部活。 何より「○○さんの事」、自分磨き。いつもいつもお世話になっております。 まだまだ、心はクソガキですので、色々と社会に出ることを考えると、それだけで疲れてしまいます。 私は、妥協の神様です。今までも。そしてこれからもそうなのかもしれません。 さて、元々、努力が出来ず、実りもしない私は、成り行きに人生を任せていたら、推薦入学で、受験の辛さを知らないまま、国立大学3年になってしまいました。 何が正解かも分からず。ただ、努力、自分磨きはするも、その方向性は果たして合っているのか?自問自答を繰り返す毎日を過ごしております。 毎朝、野球の自主練をし、学校に行き・・・ 授業の合間、お昼の時間は食事を5分で済まし、約45分素振りをし。 授業を終えて、図書館に缶詰で勉強。これがだいたい5~7時間。 図書館から帰宅し、家事を済まして、眠くなるまで勉強。 疲れてきたら、息抜きに漫才のネタを書いてみたりしています。 悔いを残さないためにも。渾身の努力で日々是前進していきたいところではありますが、最近少し、疲れてしまいました。 勉強中に気が散ったり・・・睡眠時間が多くなったりと・・・ 周りには、「ちゃんと寝ろ!」「息抜きにバッティングセンター行こうぜ!!」と誘われますが・・・ 能力があって努力できる人はたくさんいます。 では、能力がない人間がどう自分を大成させる方法がありますでしょうか? 受験戦争時代の、四合五落とはよく言ったものですが、遊ぶ時間を減らし、寝る時間も惜しんで、飯の時間も参考書片手に・・・ それでも、努力が実らない人も沢山おります。世知辛い世の中です。 粉骨砕身の努力を、日々していきたいところではありますが。 人間である以上、限界があるのかもしれません。 「お前はそれで、認めてもらえると思っているのか?」 そう、自分に問いかけていても・・・やはり、睡魔は襲ってきますし、疲れもたまります。 疲れてしまったとき、ヤル気が出ないとき、モチベーションが上がらないとき。 どうすればよいでしょうか? なにか、方法・気持ちの持ち方がありましたらご教授お願いします。

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私の本当の夢。それは芸人なんです。

いつもいつもお世話になっております。 今回は、ダブルワーカーについての相談です。 私の友達に住職の息子がいます。 その子の父は住職をしながら、学校の先生をしているらしいです。 住職をされてる人の中にもそんな人がいるとは・・・驚きました。 さて、私は農学部に通っていて、将来は、学校の先生・研究職の二択を迫られています。 が・・・実は本当の私の夢は「芸人」です。 突然ですが、私はいじめられっ子の経験があります。 大学でのスケープゴートの件や仲間はずれが許せず、正義感だけ一丁前なのは、こういった時期があったからです。 (この年になったら、そんなこと(さわらぬ神に祟りなしではありませんが・・・)気にしないのが世間一般の風潮かもしれませんが・・・) その時、心の支えになってくれたのは、家族。そしてバラエティ番組でした。 (結局私には、いじめっ子にやり返すだけの元気があったので、事なきを得ましたが・・・) ですから、お笑い芸人は小さい頃からの夢でした。 いつから、夢を忘れてしまったのか・・・ 私の夢は、ただの芸人ではなく、日曜にいじめられっ子を集めてライブを開くような、いわば「日曜芸人」です。 弱い奴の味方になりたいです。 「何にもしていないのに、笑われていたお前らが、今度は実力で笑わしてやる番。」これを教えてあげたいです。 就職したら、仕事をしながら、休日はアマチュア芸人活動などをボランティアでしていきたいと考えています。 お金はいりません。いや、いりません。 子供からお金を取る事なんかできません。 いじめられっ子に限らず、誰かを勇気づけられる芸人になるのが夢です。 ダブルワーカー(もどき?)っていうのはやはりしんどいでしょうか? どちらも、中途半端にならないよう、努力していくつもりですが・・・

有り難し有り難し 40
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