人が亡くなった後は、完全に無になるわけではなく なんらかの感覚(味覚・嗅覚等)が残ると聞いたことがあります。 肉体は失うものの、なにが残るのですか? また、人は死後に修業を重ねると聞いたことがありますが 具体的にどんな修行で、最終的に何を目指すものなんでしょうか? 教えてください、宜しくお願いいたします。
とある事情で実家に帰ることができず、檀家を探す上で宗派が分からず困っています。(実家の仏壇を見れば分かるのですが) 疑問に思っているのは、実家の檀家のお坊さんが祖母のお葬式の際のお経の中で、「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒」「般若心経」「南無大師遍照金剛」を唱えるので、真言宗かと思ったのですが、最後に「南無阿弥陀仏」を繰り返していました。 檀家は高野山真言宗のお寺だったと思うのですが、とても田舎でそのお寺しかなかった・・・ということもあるのかもしれません。ご本尊は阿弥陀如来だったと記憶しています。 このような記憶ですが、宗派は分かりますでしょうか? また、今後「阿弥陀如来」をご本尊にして、真言宗のお寺に檀家をお願いするということもあっていいのでしょうか?
はじめまして、実家にあるお仏壇の事で質問させてください。 私は嫁いで県外に暮らしております。 父が五年前に死去いたしまして元々ご先祖様のお仏壇はあったのですが 最近になって80歳になる母が離縁出来る書類をもらってきて 「私はこれから旧姓に戻ってこのお仏壇は知らない」と言い出しました。 私には兄がいるんですが精神的な病で働けなくなってしまい おまけに離婚されて現在独り身です。 母は、父方の親戚に苛められた!と昔から子供の私たちに父やその親戚 の悪口ばかりで子供ながらに最低な母親だな!と私は思って育ちました。 私は父は大好きで母が見ないと言ってるのだから私が引き取りたいと 思ってます。 ただ、主人も長男なので先々はそちらの仏様もうちで引き取る事になると 思うんですが同じ家に2つのお仏壇を置いてもいいものなんでしょうか?
神社で肌守を購入したのですが、外では内ポケットに入れて肌身離さず持っているのですが、家ではどうすれば良いのでしょうか?デスクの上や棚の上に置いて良いのでしょうか?またお守りは神社の出張所の様なものと聞いたのですが、神社のお参りの様に、二礼二拍一礼をお守りにしても良いのでしょうか?宜しくお願いします。
私の家はとあるお寺の檀家なのですが、そこのお寺は毎年寺費と言う言わば年会費のようなものを取っています。年会費はもちろん必要だと思いますがその内容が少し疑問です。その費用の中にはお坊さんの息子の学費も寺費に含まれています。普通なことなのでしょうか? それに三回忌など拝む時のお金は別で、少なく包むとお坊さんに少ないですねと言われました。仏の道に行く人がお金の額の高い低いを言って良いものなのですか?しかもその人の前で。 正直檀家を抜けたいと思っています。どうしたらいいか教えてください。
現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。
新しいお守りを買おうと思っているのですが、古いお守りが沢山あるのですが、どのように処分すれば良いのでしょうか? 購入した神社やお寺に返すと良いとも聞いたのですが、購入した神社やお寺が遠方にあり難しいです。どうすれば良いのでしょうか?
お坊さんのお給料は、月(又は年間)幾ら位でしょうか。普通のサラリーマンと同じ位だと聞いた事が有るのですが、如何でしょうか。 又、お坊さんは税金を納めていますか? 偶に、「お坊さんは税金を払わなくていい」と聞きますが、それは本当なのでしょうか。 質問尽くしで申し訳有りませんが、どうか教えて下さい。お願い致します。
悟りとは何でしょうか?
最近得心して、主人の家の宗派に入ることに決めました。 ついては以前も質問させていただいたのですが、生前戒名の件です。 お師さまは生前戒名はつけられないとのこと、ただしエンディングノ ートなどに書き残しておけば、出来るだけ希望に沿って名前をつけま しょう、とのことです。それはいいのですが、大姉を希望したら、余 程のことがないとつけられないと断られました。 実家の父方は居士に大姉、母方は院号に居士・大姉なので、ひとり信 女になるのに抵抗があります。主人は信士でもいいようですが、自分 の心をどうやって納得させればいいでしょう。よく戒名は金額の違い といいますが、お師さまはそのようなつもりではなさそうです。 総本山に問い合わせもしましたが、菩提寺に相談しなさいとしか言っ て下さいません。実家では先日も叔父が亡くなり信士を居士に替える ようお願いしていました。
お坊様方、お坊様に公開している私のプロフィールをご覧ください。 元気さがいまいち足りないのですが、何かアドバイスを頂けますか? 以前の私の質問(ニックネームもメールアドレスも異なりますが)の中の善神という言葉は神様方に悪神がいるかの誤解を受けかねないものでした。失礼しました。すべては欲(無心を続けたいのも無意識の欲)で少しの嫉妬心などがあり得ますが、優しく弱さのある良い!人で普通、、普通、、普通、、、普通、、、普通、、、普通、、、普通、、、(^^)ですね?
明日、祖母の命日です。 祖母の家には明日は行けませんが、自分の家で手を合わせたいと思っています。(仏壇はありません) 祖母の家は浄土真宗で、私の父方の実家は曹洞宗です。(私は独身です) 亡くなった祖母の家の宗派で念仏をとなえるのか、自分の実家の宗派で念仏をとなえるのか このように考えること自体が間違っていることであるのかもと とても不安なのですが、教えていただければと思います。
わたしの家は真言宗大覚寺派の檀家ですが、私は興教大師さまを尊敬していて、朝のおつとめは、高野山真言宗のやり方です。これでもいいのでしようか。
仏陀はなぜほかに苦しんでいる者を助けるのですか? それから、仏陀はどのようにして無執着という教えからそれないで世界を救おうとしたのですか?
仏教の教えで、なぜ私たちは他人の幸せを気にするべきとありますがなぜですか? また、経典に従えば道徳的な心の改善はできますか?
真言宗を信仰している祖母に、夫の胆嚢ポリープに悪性の可能性が出てきた。と相談したら千枚通しをもらいました。 南無大師遍照金剛と三回唱え、お願い事をいい、千枚通しを一枚お水で飲み、また南無大師遍照金剛と三回唱えなさい。と教えてもらいましたが、ネットで調べたところ手順が違うようで、どれが正しい頂き方か分かりません。 どうかお教えいただけたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。
おはようございます この国に生まれてよかった/村下孝蔵 日本の良さが歌われています ヴィジュアル系ではないので御安心下さい 個人的には「故郷へ」という歌も、感慨深くて味わいがあって、好きです 村下孝蔵さんの歌は秀逸です 他にも良い曲が沢山ございますので、是非お聴きになって下さい お坊さんは日本が好きですか? 愚問ですかね よろしくお願いいたします
不寛容な社会だともがいていたら、自分の中にも差別感があることに気付き、「自他不二」という世界の観方を探究したく仏教に興味を持っている一般人です。 仏教において、「空」や「仏性」ということが大切であることを知りました。それは思考や感情に囚われない普遍的な「全体性」ともいうべきもの(こと?)であり、全てのものは「自性」を持たないということかと思うのですが、そうすると私達の「意識」にも「自性」はなく、「自己選択をしているようで、実は選択していない」ということになるのでしょうか?そして、我々は様々な関係性の中で「刺激」に対する「反応」としてのみ「行動」しており、そこに「自己選択」などというものはないということになるのでしょうか? 教えて頂けると助かります。 どうぞよろしくお願いいたします。
お布施については既に回答して頂いている中に見ることできます。また、他のホームページにも沢山書かれいることなのですが、それでも解らない愚か者にご教授をお願い致します。 お布施とは三施のことである、といって間違いないと思います。 お布施は対価として支払うものではなく己の為の修行です、というのは理解できます。 しかし一方で、お布施はお礼ですと多くの方が仰っています。 また、お布施は謝礼ではありませんと仰る方もおられます。 謝礼は対価であるのか対価ではないのかということも、意見の分かれるところだと思います。 教えを説くことや読経も三施の中の法施ですから、見返りを求めないことが大前提でありますので、謝礼を受け取って良いのだろうか? と思います。 謝礼を要求することはしていませんと仰っても、謝礼を受けることはほぼ確実なので未必の故意というものです。 しかし私のような凡夫は、お布施をする時にお礼の気持ちを込めて無いのか?と問われれば、有りますと答えざる負えません。 お布施はお坊様が受け取るのではなくお寺に納めるものですと仰られますが、お坊様がお寺で生活をしたり給与を受けていれば、お布施を受け取っていないとは言えないと思います。 などと言ってますが、お寺やお坊様がお金を必要とすることを否定するつもりでは全く有りません。(重要) お坊様が畑を耕しているお寺もございますが、お釈迦様はそのようなことを推奨しなかったと信じています。むしろお布施を施したり受けることを積極的に推奨したと思っています。 しかし、新宗教の中には物欲を捨てるためにと言って多額のお布施を求めるものもございます。ここでは是非を問う事ができませんが、その様なことも考慮に入れてのご回答をお願いしたいと思います。 厳しいことを問うているように思われるかも知れませんが、「仏教しっかり頑張れよ!」っていう応援メッセージだと思ってください。 正しい気持ちでお布施できるようにご回答お願いいたします。
お忙しい中、申し訳ありません。 お釈迦様本来の教えに最も近いと言われる最古のお経の中には、 お釈迦様は、何がしかの行為を行った場合にお布施を受け取ることを拒否された、 と書かれていると聞きます。 またお釈迦様は、死者に念仏のようなものを唱えることは意味がない、と説かれたとも。 お釈迦様が対機説法を用いられたと言われていることを少しは存じておりますが、 お釈迦様の教えを学び実践する目的は、たった一つしかないと思っています。 現代のお坊さまの方々は、葬儀などでお経を上げお布施を受け取ることを、どのように考えておられるのでしょうか?