私は浄土宗の檀家です。 お仏壇も阿弥陀様を主役におまつりし、毎日「阿弥陀経」を読誦し、発願文を読み、お念仏を100回唱えております。 しかしお不動様と大黒様も大好きで、阿弥陀様とは別に個人的な持念仏として、毎日勤行しております。 浄土宗のお寺にもお不動様をお祀りしている寺院もあること、個人的に尊敬している祐天上人がお不動さんと縁のある方であったこと。 またお不動さんを開眼してくださった密教系のお寺でも「阿弥陀様と共に信仰しても構わない」とアドバイスをいただいたことから、問題無いと考えていたのですが・・・ しかし法然上人のご著書を読んだところ、専修念仏では雑修(お念仏以外の仏道修行)は行わない方が良いと書かれていました。 阿弥陀様以外の仏様に浮気をする雑修は、往生の妨げになると。 (真宗では特に厳しく、阿弥陀様以外の仏様は、原則祀らないと聞いております) しかし家の菩提寺の浄土宗のお寺では、お地蔵様や聖観音様、馬頭明王様も祀られています。 (菩提寺とは遠方に住んでおり、ご住職とはほとんどお話しできません) 浄土宗は、本当のところ、雑修をどう考えておられるのでしょうか? ご意見をいただけましたら、幸いです。
お坊さんの1日のスケジュールはどんなものか気になります。 やはり朝は早く起きて、夜遅くに寝てらっしゃるのでしょうか? お寺によって様々な催し物も開催されているようなので、お坊さんとはとても活動的な人達なのでは、と思っているのですが...。 hasunohaで様々なお坊さん達の取り組みを知り、質問してみたくなりました。 よろしくお願いします。 (前の質問、自殺をしたら地獄へ行くの?では多くの方々から回答を頂けたのにも関わらず1人1人にきちんとしたお礼ができず申し訳ありませんでした。一度お礼を書いてしまうと、後から書いてももう反映されないみたいですね...?参考になりました、ありがとうございました。)
密教をご存知のお坊様に、質問をさせてください。 3つ質問があります。 「越三摩耶戒罪(おつさんまやざい)」が非常に気になっております。 密教には、在家の人間がやってはいけないことがあると聞きました。 在家の人間が、阿闍梨の許可なく、勝手に真言を唱えたり、伝授なしに梵字を書いたり手印を結んだりするのはいけないと聞きました。 これを破ると越三摩耶戒罪、越法罪という宗教上の罪になる。 何の功徳も、ご利益もなく、徒労に終わる。 「大叫喚地獄に落ちる」とか「無間地獄に堕ちて出ることができなくなる」という恐ろしげな記述もありました。 1つ目の質問です。 何人かの先輩の信徒(在家)から色々と聞いて、自分なりに考えをまとめました。 ・真言なら唱えても良いし、功徳もご利益もある。 ・手印を結んだり、梵字を書くのはやめたほうが良い。 ・阿字観はお坊さんの指導のもとやること。独学は駄目。 ・本格的な祈祷の真似事をやるのは絶対に駄目。 ・「地獄に堕ちる」は、師僧の指導に従わない・修行のルールを守らない修行僧を戒める方便。でも原則として守らなければならない。 これでよろしいのでしょうか? 2つ目の質問なのですが。 私は信仰を持つ前から、仏教に強い興味がありました。 多くの本を集めて読んでいたのですが、愚かな素人の悲しさ、当時は越三摩耶戒罪のことは知らず、手印や梵字の書き方の本、さらに儀軌や口訣書を含めた専門書もかなりの数、蔵書として所有しております。 また密教美術にも惹かれ、曼荼羅の色紙も購入してしまいました。 しかし阿闍梨の許可なく、曼荼羅を建立したり、儀軌や口訣書などの専門書を読むのも越三摩耶罪に当たると聞きました。 ・小さな仏壇の上に、両界曼荼羅の色紙を額に入れて飾っているのですが、これを気にするのはやはり神経質すぎるでしょうか? ・密教の専門書を読むことを気にするのも、神経質すぎるでしょうか? 3つ目の最後の質問なのですが、先輩の信徒(在家)から、 ・「そもそも貴方は結縁灌頂を受けておらず、正式に三摩耶戒を授かっていないので、越三摩耶罪は成立しない。だから気にする必要はない。しかし灌頂を受けると越三摩耶罪が成立してしまうので、注意しなさい」と聞きました。 この解釈は正しいのでしょうか? 長文かつ生意気な質問で、申し訳ありませんが、ご意見を伺えましたら幸いです。
私の母が1年前に亡くなり、一周忌にお寺のお墓に納骨することになって、まだ生きている90歳の父がすっかり体が弱ってしまい、遠いお墓にお参りできないので、母の遺骨を分骨し自分の近くのお墓に埋葬したいと申しましたので、その旨お坊さんに申し出ました。 お坊さんは一周忌の時に、やっと小さな骨壺に分骨し、兄が持って来てくれましたが、いざこちらの霊園に埋葬しようとしたら分骨証明がないと埋葬できないと言われ、お坊さんに分骨証明を書いていただくことをお願いしましたが、当山では分骨は認めていないと言って、書いてくれません。 火葬場に火葬証明の再発行をお願いしても今となってはその分骨した遺骨が母の物である証明ができるのは、そのお坊さんだけなので、こちらではできませんと言われ、でもその時にお寺の監督をしているのは保健所なのでそちらに相談してみるようにと教えていただき、保健所に連絡しましたら、保健所の方が分骨証明は遺族の求めに応じ書かなければいけないという法律があることをおっしゃって、お坊さんに「指導」の電話を入れるとおっしゃて下さいました。 ところがその後保健所から連絡がなく、結果を聞くのが怖くてお電話できずにいます。お坊さんは母の遺骨は父が持っていればいい、父が亡くなったら、戻すようにとおっしゃって分骨は認めないし、どうしてもと言うなら墓じまい、とまで言ってきて、脅されています。 法事は長男である兄がしますし、父亡き後の墓守も兄が檀家としてするので、お坊さんの生活を脅かすようなことはありませんし、父はただただ母の墓参をしたいだけなのです。母の分骨墓地は無宗教の共同墓地で、法事もありませんし、父の居場所から数百メートルの場所のバイアフリーで車いすの父にもお参りのできる墓地なのです。お坊さんとは人を助ける人、そう思っていましたが、心身共に弱り、いつ亡くなるかわからない人(父)にどうしたらこんなひどいことができるのか理解できません。教えていただきたいことは、保健所の指導でも分骨証明を書かいていただけない場合、今後どこに申し出れば良いでしょうか?このままでは母の分骨はどこにも埋葬されず、父が可哀想すぎてみていられません。 どうか老い先短い父を助けて下さい。親戚が絡んでいることや父が高齢なので父を矢面に立たせる裁判は避けたいと思います。
今日亡くなった母の四十九日でした 母が良いところに行けるには自分は何をすべきでしょうか? 高齢の母をしばらく実家に一人で住まわせて申し訳ないという思いが ありました 母にあまりなにも出来ずに病気で亡くなってしまいました やはり自分が至らないのだろうと思います かわいそうな事をしたと思います これから母はつらい所へ行くのでしょうか? さみしくないように 苦しまないように願いますが 残された自分に出来ることを教えてください
仏教には天国や地獄の概念がないと思ってました。 地獄絵図は仏教の中でどういうものになるのでしょうか?子供の頃から地獄絵図や、仏画というのでしょうか?を見るのがなぜか好きでした。大人になってから思えば、ウォーリーを探せの様な感覚で楽しんでいたみたいです。。。(^^;) お時間のある時で構いませんので、返答いただけましたら嬉しいです。
はじめまして´`* 私は仏教系の女子校を卒業して現在は短大でいけばなをしています。高校では毎週宗教の授業が嫌ほどあり、頭が悪いのか何なのか、なぜか宗教だけ成績が一番良かったです( ̄∇ ̄)ですがそこまで宗教に興味がありませんでした。高校3年になると得度を受けないとみんな卒業させないと言われたので仕方なく受けた感じでした。 卒業してからは短大でいけばなをしています。いけばなは仏前供花が元になっているので現在でも仏教的思考は少なからずあると思います。いけばなの歴史などを勉強しているうちに仏教にも興味を持つようになりました。 いけばなや仏教を勉強しているうちに、ふとこんな言葉を思い出しました。〝人間になるな、人になれ〟です。 これは得度をした時に学校の先生(お坊さん)が言った言葉です。当時は意味がわからず流して聞いていましたが、今でもわからず日々考えていますが、なかなか答えにたどり着きません。 〝人間になるな、人になれ〟とはどういう意味なのでしょうか?ぜひお坊さんの力を貸して下さい!
こんにちは 昔から気になっていることがあります。 おじいちゃんは仏教でどこどこの、等は分からないのですが、昔は毎日南無阿弥陀仏なお経を筆で書いて読むことをしていたので…そんな感じの仏教です。 その仏教の本?みたいなもので、小さい頃 私の生年月日等調べて、千手観音様が見てくれてる。と言われて、ピンとこなかったんです。 手がすごいあることは知っています。 私の厚い唇を神様もそんな感じの口してるから すごい神様見てくれてるって!私にぴったりだな!みたいなことを言われた気がします。 でもそれは見てくれている、のか守護神なのか、 なんなのか今になって気になってしまいました。 おじいちゃんは今少しボケつつあるので当時のことをあんまり覚えてないです。 その…生年月日で調べれる神様みたいなのは占いなんですかね…?? ご存知でしたら、無知な私に教えていただけたらと思います。
御寺の方から告知がありましたので、ご報告致します🙇 腕数珠を受けてある方に、お知らせです、 8年に一回 神座が一周いたします 3/21で腕数珠の四天王珠が少しずつ擦れに入りますので 御数珠の四天王を変えることを おすすめ致します 意味がわかりません。教えてください
こんにちは。 他愛もない質問なのですが、ずっと気になっていましたので思いきって質問します。 先日、京都の大谷本廟まで祖父の納骨をしに行ったのですが、広間のようなところで読経する際に、お坊さんが決まった足(右足か左足か失念しましたが…)で段差を上り下りしていました。 決まった足から踏み出す、など決まりごとがあるのでしょうか? また何か重要な意味があるのでしょうか? その他にも、なにか独特の仕草やしきたりがあるようでしたら、後学のために教えていただきたいです。 単なる好奇心から生まれた他愛もない質問で申し訳ないですが、お答えいただけると幸いです。 何卒宜しくお願い致します。
悟りをひらくと輪廻転生しなくなると言われていますが、どうなるのでしょうか。私は俗世に未練があるようです。
浄土宗のお坊さんは、 具体的にはどの様な修行を行うのですか? 又、どの様に一日を過ごされるのですか? 教えて頂けたら幸いです。 お願い致します。
こんにちは。いつも楽しく・癒されながら拝読しています。 先日、お彼岸という事で、久しぶりに祖父と祖母のお骨があるお墓にお墓参りに行ってきました。 祖父母のことは大好きで、亡くなって7年くらいたつ今でも家族団欒の席で祖父母の話が持ち上がります。 仕事が忙しくてなかなかお墓参りに行く機会は作れないのですが、お墓の前で手を合わせれば、「おじいちゃん、おばあちゃん、家ではこんなことがあったんだよ」とか、たまには「お母さんがお父さんの所為で滅茶苦茶ふてくされているのでどうにかしてください」とか願ってみたりします。なかなか無茶ぶりをしているかなと自分で思ったりもします(笑) さて、そんなお墓参りですが、このサイトや他のサイトを見ていて、ふと疑問が浮かびました。 宗派によっても異なるのかもしれませんが、亡くなってすぐ、(少なくとも祖父母の場合の7年より前には)ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。 それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか? それに、私はお盆やお彼岸の機会でもお墓にお参りに行けない時は、せめて仏壇に手を合わせるのですが、その場合仏さまは仏壇とお墓を生きている人が手を合わせる都合に合わせて瞬間移動しなくてはならないのでは…!? 是非その仕組みがどうなっているか教えてください!
初めまして。 ふと疑問に思った事があり質問させていただきました。 宜しくお願いします。 "この世の中での苦行や学ぶことはもうない"とかたまに聞きますが、何をもってそう感じるのでしょうか。(他者がそう判断した場合、自分でそう感じた場合両方教えていただけると有り難いです) 苦行とは修行という事ですよね?人生で起こることは全て修行なんでしょうか。 私はこれまで波乱万丈まではいきませんが、普通ではない事も数多く経験してきました。 幼少時に性的虐待を受けた事や元夫が薬中毒でDVだった事、15才で売春を始め風俗で働くようになったこと等それも全て修行ということになるんでしょうか。 いずれこれまでの過ちや苦も何らかの役に立つのでしょうか。 大変失礼ですが、仏教に興味が湧き得度を考え始めている私は、少し疲れてしまっているんでしょうか。(転職活動がうまくいっていないのでそのせいなのかなと) 長くなりましたが、何方かお答えいただけますと幸いです。 カテゴリーがよくわからず間違えていたらすみません。
人が亡くなった後は、完全に無になるわけではなく なんらかの感覚(味覚・嗅覚等)が残ると聞いたことがあります。 肉体は失うものの、なにが残るのですか? また、人は死後に修業を重ねると聞いたことがありますが 具体的にどんな修行で、最終的に何を目指すものなんでしょうか? 教えてください、宜しくお願いいたします。
とある事情で実家に帰ることができず、檀家を探す上で宗派が分からず困っています。(実家の仏壇を見れば分かるのですが) 疑問に思っているのは、実家の檀家のお坊さんが祖母のお葬式の際のお経の中で、「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒」「般若心経」「南無大師遍照金剛」を唱えるので、真言宗かと思ったのですが、最後に「南無阿弥陀仏」を繰り返していました。 檀家は高野山真言宗のお寺だったと思うのですが、とても田舎でそのお寺しかなかった・・・ということもあるのかもしれません。ご本尊は阿弥陀如来だったと記憶しています。 このような記憶ですが、宗派は分かりますでしょうか? また、今後「阿弥陀如来」をご本尊にして、真言宗のお寺に檀家をお願いするということもあっていいのでしょうか?
はじめまして、実家にあるお仏壇の事で質問させてください。 私は嫁いで県外に暮らしております。 父が五年前に死去いたしまして元々ご先祖様のお仏壇はあったのですが 最近になって80歳になる母が離縁出来る書類をもらってきて 「私はこれから旧姓に戻ってこのお仏壇は知らない」と言い出しました。 私には兄がいるんですが精神的な病で働けなくなってしまい おまけに離婚されて現在独り身です。 母は、父方の親戚に苛められた!と昔から子供の私たちに父やその親戚 の悪口ばかりで子供ながらに最低な母親だな!と私は思って育ちました。 私は父は大好きで母が見ないと言ってるのだから私が引き取りたいと 思ってます。 ただ、主人も長男なので先々はそちらの仏様もうちで引き取る事になると 思うんですが同じ家に2つのお仏壇を置いてもいいものなんでしょうか?
神社で肌守を購入したのですが、外では内ポケットに入れて肌身離さず持っているのですが、家ではどうすれば良いのでしょうか?デスクの上や棚の上に置いて良いのでしょうか?またお守りは神社の出張所の様なものと聞いたのですが、神社のお参りの様に、二礼二拍一礼をお守りにしても良いのでしょうか?宜しくお願いします。
私の家はとあるお寺の檀家なのですが、そこのお寺は毎年寺費と言う言わば年会費のようなものを取っています。年会費はもちろん必要だと思いますがその内容が少し疑問です。その費用の中にはお坊さんの息子の学費も寺費に含まれています。普通なことなのでしょうか? それに三回忌など拝む時のお金は別で、少なく包むとお坊さんに少ないですねと言われました。仏の道に行く人がお金の額の高い低いを言って良いものなのですか?しかもその人の前で。 正直檀家を抜けたいと思っています。どうしたらいいか教えてください。
現在、父の会社で働かせてもらってます。 祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。 父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。 自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。 本当はそれでは困るのですが… もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか? お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。 ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。 昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって… 何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。 これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。 僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。 やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか? 甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。