法話集を求めて 近くの書店へ行ったときに、 読んでみたいなぁと思う本がありましたので 購入してさっそく読んだのですが、 書かれている内容は、 なるほどなぁ、ありがたいなぁ、 これからはこういう風に 生きていきたいなぁと前向きになれたり、 仏教についても理解が深まったり、 素敵な本だったのですが、 亡くなった人は仏様になったのだから 食べ物に好き嫌いはありません 故人の好物をそなえるのは 供養とは真逆の行為です、 仏様になったということを 信じていないことになります。 とか 仏様になった故人に、 手紙を書いても声は届かないし読めない 故人との思い出を綴ることは良いが 手紙を書くのはすすめない、 と言う内容のことが書いてありました。 他の内容はとても素敵なのに 自分がしている行動と違うからか、 どうしてもこの2つが気になります。 著者の方の考え方を否定しているわけではありません。 仏教の中で、このように考えるのか、 それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。 日本語がおかしいですかね、すみません。 わたしの理解力が足りないのかもしれません、 失礼なことを申し上げているかもしれません。 ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。 未熟ですみません。
永平寺での参禅で非常に感慨を受け、また、日々躓いていたことに関しても少しではありますが良い方向を目指せるきっかけを頂きました。 仏教や曹洞宗についてもっと知りたく思い、帰ってから地元で坐禅を始めると共に、道元の著書や関連文献を読み始めました。 「正法眼蔵」と共に「正法眼蔵随聞記」も合わせて読んでいるのですが、その「随聞記」の八「無常迅速なり、生死事大なり」という文についてお訊きします。 たしか永平寺の山門の木版にもこの言葉が掲げられていたように思いますが、読んでいる水野弥穂子氏(ちくま学芸文庫)の現代語訳では「死の至ることは速やかである。生死を明らめることは重大である」となっています。 前半は理解できるのですが、後半の「生死を明らめる」の意味がいまひとつよくわかりません。 ご教示いただけましたら幸いです。
高校生です。よろしくお願いします。 最近般若心経というものに出会いました。意味を考えながら唱えると、嬉しい訳でも悲しい訳でも、苦しい訳でも無いのに、ただ涙を流して泣いてしまいます。 不思議な感じがして、よくわからないです。これは、どうしてでしょうか。私は、般若心経が伝えたかったことを理解できたということでしょうか。 よろしくお願いいたします。
昔から写経したかったです。 しかし、私は左利きです。 左利きなんですが 写経ってできますでしょうか? 写経って筆?で書きますよね? 左利きのひとはどうやって写経してますか? 昔から習字が苦手でした。 右で書かないとだから。 そもそも写経はイマココに神経を集中させるものだから ブツブツ言わないで そんなのどうでもいいですか。 写経したい理由は、 イマココを感じたいからです
世界の裏側ではいつも悲惨な戦争が起きてます もしもお坊様が目の前で愛する人が殺されてもそれは執着、煩悩、雑念と切り捨て 悟りを開く無の境地になれますか?
私は京都に住んでいたことがあり、よく「ほ~~~~~(?)」と声を上げながら、数人というよりもっと大勢で托鉢(?)されているお坊さんをよく見かけました。 思い込みでてっきり禅宗の方かと思っていたのですが、浄土真宗の別院の近所に住んでいる知人は浄土真宗の方もされていると言います。 テレビでは密教の方も托鉢をなさるというのを見かけました。 私がいつも見ていたお坊さん方は、どの宗派の方だったのでしょうか? 当時の住まいは右京区でした。
なかなか文書には出来ず 話を聞いて欲しいです。 私の考え方がおかしいのか導いていただかるお坊さんにお会いしたいです。 近くで聞いていただける お寺さんはありますか?
お釈迦様の話しを聞きたいです
初めて投稿させていただきます。 去年の一月に母を亡くしました。 ちょうど20年前に父を亡くして、母と細々と暮らして来ました。 こうなることは分かりきっており、自分なりに心積もりしていたつもりなんですが、母が急死し、片腕がなくなってしまったような悲しく辛い思いをしてきました。 別居の既婚の兄が、私が寂しくならないように気づかってくれていますが、私も早く母のところへ行きたいです。 もし、昇天したとしても両親に会えるんでしょうか? どうか教えてください
お坊さんは、クリスマスは、何をしているんですか?
お地蔵様と閻魔様は、同一人物だと聞いたのですが本当ですか?本当だとしたら、お地蔵様も恐ろしいのでしょうか?
質問です、夜にご本尊が動いたリ幽霊が出たりしないんですか?テレビの見過ぎかもしれませんが、気になるので、よろしくお願いします。
この間彼氏と話していたときに「例えば自分が100円持っていて、友人にいくらずつ渡すか」という話になりました。お坊さんはどのようになさるのかと思い質問しました。 私の人付き合いと彼の人付き合いの考え方が全く異なることがわかったことからこの話になりました。 私は簡単に言えば「広く浅い」付き合いに近く、その中でも特に仲のいい友人とは「少し深く」というような具合です。もっといってしまえば、私は嫌いな人ともある程度は付き合います。 彼は言わば「狭く深く」の付き合いです。仲のいい人とはどこまでも付き合い、嫌いな人は嫌いで付き合わないようです。 だからと言って、私に本当に仲の良い友達がいない訳でもなく、彼が嫌いな人に対して顔に出して露骨に嫌な顔をするという訳ではありません。 そして「100円持っていたら」という話になりました。 私はまずみんなに1円ずつ渡します。その上で仲の良い人達にはさらに5円ずつ渡すといったところです。 彼は仲の良い人に20円や30円渡すといっていました。 お金を渡す人が何人いるのかというようは話は特にありませんでしたが、おそらく私の方が渡す人数は多いでしょう。 私の答えに対して彼は「仲のいい人がそれだけしかもらえないのはかわいそう」といい、私は彼の答えに対して「そもそももらえない人がいるのがかわいそう」という意見でした。 別にどちらが間違ってるでも、正しい訳でもないとは思います。しかし周りの友人に聞くと彼の意見に近い人がかなり多いのです。正直私の意見に近い人が少なく、びっくりしています。 お坊さんはどちらの考えに近いのでしょうか、そもそもどのように考えるのでしょうか。教えていただければと思います。 p.s. 別に彼との関係が上手くいっていない訳ではありません。こういう話をするのがお互いに好きなだけで仲は良いです。ただ、彼の意見に近い人が多く、得意げになっている彼には少々ムカつきます。
お釈迦様は誰にでも私にでも平等でしょうか
自死で彼が逝き1年3ケ月ほどが過ぎました。 当初ほどの焦燥感や不安定さはなくなりましたが、 自責・罪責はなかなか消えません。 苦諦と言う言葉がありますが、私は苦しみとともに生きていくしかできません。 坐禅にも取り組んでますが、終わったあとはとても苦しいです。 辛く悲しいものが湧き上がってくる感じなのです。 こんな私はどのようにして苦と向き合っていけばよいのでしょうか。 決して解放されたいとは望んでいないのです。 勝手に一人で苦しい、苦しいと言いながら生きてけばいいのでしょうが、ただ意識だけははっきりさせておきたいのです。 どうかするとすぐに死の世界に入ってしまいます。 私は本当に無知でした。何にも分かっていませんでした。 自殺は追い詰められた末の死だと言われますが、 間違いなく私が彼を追い詰めました。 もしかしたら生きる道を探していたかもしれない彼の邪魔をし、最後のスイッチをを入れる決断を促してしまったと思っています。 こんな私が生かされております。生きていなくてもいいのにです。
久々の質問です。 宿曜経には宿曜占星術が説かれていますが、仏教では占いは禁止ですよね?宿曜占星術は例外的に許容範囲なんでしょうか?
親から、自分が買った仏壇だし私が嫌いだから参るな、と言われました。 こういう事、どうしたら良いのでしょうか?
お世話になります。 今日、初めて仏教勉強会に参加させていただきました。 そこで、輪廻転生を教わったのですが、すんなりと『なるほど~』と思えれば良いのですが…。 私は、 *『死後の世界はないと考えたい自分』と、 今までの霊的体験や臨死体験から、 *『死後は、ちゃんとあの世に行ければ、それはそれは暖かくてまばゆい光に包まれる。だけれど成仏出来なければ霊魂としてこの世をさ迷うこともある…と感じている自分』がいて、 輪廻転生を、なるほどと受け入れることが出来ませんでした。 そういう「教え」を受け入れられなくて、南無阿弥陀仏をお唱えすることに矛盾を感じてしまいました。(仏教に対してではなく、自身への矛盾です)。 輪廻転生や、死後の世界、私の感じる矛盾について、どうお考えになられますか? 宜しくお願い致します。
仏教についてなるべく簡単にわかりやすく書いてある本が欲しいです。 仏教が成り立った経緯とかも知りたいなと思っています。 またはWebサイトでも良いところを知りたいです。 よろしくお願いします。
こんばんは。 ふと思ったのですが、お坊さんって嫉妬などしたりしますか? いつも冷静でそんな感情とは程遠いイメージがあります。 そして、もし嫉妬するときがあればどのように対処してらっしゃいますか?