守護霊・霊言があると言うのは、ブッダの教えに背いていると思いますが、 宗派によって様々な考え方が有るというのが現実なので、仕方ないのかもしれません。 しかし、僧侶が苦しんでいる人を救うことに努めるという事は、 全ての宗派に共通するのではないでしょうか? 最近話題の清水富美加さんが出家した宗教団体、について >その方々のことはよくわかりません。 と言うのは、僧侶の行を果していないと思います。 その教団に苦しんでいる人、苦しめられたと言う人々が沢山いるのですから、 その様な方々の事に思いを巡らした上で回答するのが、僧侶の責務ではないでしょうか?
いつもお世話になっております。 あるお坊さまから、阿弥陀仏さんとお不動さんでは教えもお誓いも全く違う事も伺いました。(阿弥陀様は、「すべて受け入れる」、お不動さんは「阻む物を追い返す」) 私の関わって来たお坊さま方はそれぞれ、 「左手の縄でもって無理やりにでも仏道に引き入れる」、「仏道を妨げる物を追い払う」という対極的な教えを説いています。 私は浄土宗の人間なので、あの寺の職員はお不動さんの教えにのっとって 「畑違い、出て行けや!」 的な行動をとったのかとも思いました。 遠い昔に法然上人が感じた肩身の狭さを知り、「女は成仏できない」と説かれていた事も知りました。 ですが、どうも私はお不動さんがその様な悪い神さま?には見えません。 あの細めた左目が、悲しそうに泣いているように見えるんです。 人によってはご気分を害してしまう様な質問かもしれませんが、 お不動さんはどんな想いを抱いて私たちを見ているのでしょうか。 国内の浄土宗寺院にも、不動明王をお祀りしている所があると聞きました。 なので余計混乱しています。 くだらない事かもしれませんが、 ご教授のほど、よろしくお願いいたします。
最近、周囲の人のことや、将来に対する不安、夢に対する執着が酷くなってきたので、坐禅を習慣にして心身を整えたいと考えています。 けれど、学生という立場上あまり時間が取れず、本に書いてあることも複雑すぎて、坐禅を実行することができてません。 結跏趺坐をする坐禅が理想なのですが、何かいい方法はないでしょうか。
三面大黒天さまをお祀りしている者です。 ご本尊(阿弥陀さま)、個人的な念持仏のお不動さまと共に、毎日お勤めをしております。 大黒様のお祀りの仕方を読んだ本には書いていなかったのですが、人づてに「天部の神様は怖い」と聞きました。 (聖天さまやダキニ天さまの噂は聞いていたので、遠慮しました。) 大黒様には怖い噂は当初は聞いていなかったので、大丈夫だと思っていたのですが。 しかし何人かの方々から、総じて「天部」の神様は、人間に近く感情をお持ちなので、気をつけなければならないと聞きました。 聞いたところによりますと、 ・粗末に扱う、罰当たりなことをしゃべる ・礼拝をさぼる ・信仰をやめる ・お祀りの作法を間違える ・お坊さんの真似をして、在家が本格的な祈祷をやる これらが要注意だと聞きました。 その後、いろんな人の意見を聞いたのですが、「怖い」、「いや怖くない」と意見はバラバラでした。 いずれも在家の人々です。 (開眼は大きな寺院で集団で行いましたので、そのお寺のお坊さんとは連絡しずらい状況です・・・) そこでお坊さまがたのご意見を伺いたくて、ご質問をした次第です。 よろしくお願い致します。
お坊さんの上下関係は、厳しいですか? 私は以前、テレビで、“お坊さんの上下関係は厳しい”と聴いた事が有ります。お坊さんには、はっきりした官位や地位(僧正、僧都等)が有るので、やはり上下関係は厳しいものなのでしょうか。 又、私は浄土宗の僧侶を志しているのですが、浄土宗でも、上下関係は厳しいのでしょうか? 法然上人の「敬上慈下」という御言葉は、上下関係を意識し、上の者には敬い、下の者には慈悲の心を以って接せよ、という意味ではないかと私は思うのですが、それは、今の浄土宗の上下関係にどの様に影響しているのでしょうか。 これを見て下さっているお坊様方、どうか私に教えて下さい。宜しくお願い致します。
はじめまして。先日、お寺の会に初参加させていただきました。 お経をみなさんと一緒に唱え、その後にお坊さんからのお話をいただきました。 その中で、「今日ここでお経を唱えたからといって、みなさんの悩みや、起こるかもしれない災いなどが無くなるという訳ではありません。仏教の道は厳しいのです。お経を唱えたことで、災いがこのくらいで済んだ、この程度で済んだ、という捉え方をして下さい。あとは努力をする事です。」 とのお話がありました。 仏教の世界でいうところの努力とは、どのような事をすれば良いのでしょうか。 あまりにも幼稚な質問で申し訳ありません。 よろしくお願いいたします。
永遠の地獄についてお坊様はあると思いますか? 永遠の地獄などないなんて考えは 着るものも食べるものも住む場所もある先進国で生まれた人の平和ボケした考えだと思うんですが 量子力学の光には波と粒が最初から同時に存在する二重性の性質があるという理論において この世界はどうして生まれたのかを究極的に突き止めると全ての根源は量子力学の二重性の性質に行き当たるそうで この世界は最初から有ったと同時に無かったという最初から同時に存在する二重性の性質 何も無い空間でもそこにヒッグス粒子が有るという最初から同時に存在する二重性の性質 全ての根源はこの量子力学の二重性の性質に行き当たるなら 死後の世界において永遠の地獄はなかったと思ってもそれはあるという二重性の性質を想定できますよね だとしたら永遠の地獄があると思うんですが イエスキリスト様はその永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですが 全能なる神ではなくただの人間であったお釈迦様は 瞑想して悟りを開いたことで 永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですか?
生きることはつらい事ばかりおきます なぜでしょうか? 仏教では、なぜと教えていますか? またそのつらさに負けて自決を選んでしまった場合 その先には、何が待ってますか? 何年か前に、大好きで信頼している人が自決しました 気持ちは、とてもわかります なるべく、多くの教派の方のご意見がききたいと思います 教派により、教えに違いはありますか?
私は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品が、昔からいろいろに解釈できて、ずっと不思議に思っていました。 最初に読んだとき(子どものとき)は、 ①カンダタは莫迦だなあ、自分ならきっと、みんなと力を合わせて、みんなで極楽にたどり着くのに と思った ちょっと時間がたって(思春期) ②どうせ私もカンダタと同じだろう、きっと誰でもエゴが勝ってチャンスをだめにしてしまうに違いない と思った またしばらくして(反抗期) ③お釈迦様って何様なんだ!(お釈迦様だけど。)教養もなく悪人として生きてきたカンダタを、カンダタが成功しそうにない極限状況で試すなんて。助ける気なんかもともとないじゃないか、この話に正解も救いもないじゃないか と思った また少しして(青年期) ④カンダタが蜘蛛の糸を見ても登ろうと思わないくらい達観していたら、もしくは落語の江戸っ子のように、「一度地獄に落ちた身分の自分が、いまさら蜘蛛の糸などにすがってたまるか」と居直っていたら、お釈迦様は確実にカンダタを助けていたのかも と思った そして今(中年期) ⑤芥川が絵本として子供向けに書いた以上、一周回って、①の子どもらしい慢心(カンダタを通した戒め)が作者の意図した一番素直な読ませ方なのでは とも思う そこで質問です。 カンダタが確実に極楽に上がるためには、どうすればよかったのでしょう。 回答者陣のお坊様方は、自分の仏教に関するすべての見識や体験をふまえたならば、助かりたいカンダタに何とアドバイスしますか? それともこれは、カンダタはどうやっても助からないというお話なのでしょうか? その他、この作品に対してどう解釈しますか?
私の家の宗派は浄土宗で、私はよく、祈る時や心が苦しい時等に念仏(南無阿弥陀仏)を唱えます。しかし、最近不安に思う事が有ります。 それは、念仏の唱え方と、阿弥陀様についてです。 私は、念仏を唱える際には、御仏を念じ、御仏の名を口にする事を心掛けています。ですが、それが本当に正しい唱え方(観想念仏、称名念仏)と言えるのか、御仏に失礼ではないか、と思ってしまうのです。 そしてもう一つ、阿弥陀様は、御釈迦様とは、どの様な関係が有るのでしょうか。私は、以前にネットに“阿弥陀様は御釈迦様の先生である”と書かれてあるのを見た事が有るのですが、果たしてそれが事実なのか、それを鵜呑みにするのを躊躇してしまいます。もしかしたら、私は阿弥陀様の事を勘違いしているのではないか。阿弥陀様の事も知らずに、御仏を信仰し、念仏を唱えてしまっているのではないかと思うと、不安で仕方無いので御座います。 これを御覧になって下さっているお坊様、正しい念仏の唱え方と、阿弥陀様の事について教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
お坊さんになる為には、お寺への入門や得度等には、費用は掛かりますか? 又、掛かるとしたら、どの位掛かりますか?
こんにちは。私は将来天台宗の僧侶となり、出来る限り多くの人の支えになりたいと考えております。 しかし、私はどこかの寺と関わりがあるわけでもなく、大正大学などの仏教に関することを学べる大学への進学も経済的にかなり厳しいです。 インターネットで調べた限りですが、私が僧侶になることは厳しいと自分でも承知しておりますし、僧侶とならずとも人の支えになることも、仏教に寄り添い生きることも出来るだろうとも考えております。 ですが、幼少期からの夢ですので、なかなか諦めることが出来ずにいます。 そこで質問なのですが、こんな私でも僧侶となることは可能なのでしょうか? 可能だとしたら今後どのような行動を取れば良いのでしょうか? 同じような境遇から僧侶になった方や、そうでない方でも教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。
死後について、天国しかないという人もいれば臨死体験で地獄へ行ったという人もいます。 私はこれまで悪いことを沢山しました。 嘘も沢山ついてきました。心配してほしくてついた嘘もあります。 申し訳ないと思いながらも気にかけてほしくてついている嘘もあります。 ぬすみもしました。 りょうしんのおかねをとりました。申し訳ないと思い、どうすれば良いのか悩みましたが、全て自分持ちで両親を旅行に招待することにしました。 友人のお金を盗ったこともあります。近々出産だというのでお祝い金や友人へのお祝いで盗った額以上返したいと思っています。 本来なら謝らなくてはならないことですが、勇気がありません。 汚いとは分かりつつこれが精一杯です。 今までしてきた悪いことに後悔し、毎日地獄に怯えて正直精神的に参っています。 自分の犯した過ちでくるしんでいる、で地獄にはいきたくななんて都合良すぎる話かもしれませんが、おかしくなりそうですl
私はキリスト教には詳しく、「イエス様を信じないと地獄に堕ちる」と言う教えがキリスト教にはあるようです。仏教にも、「仏陀を信じないと地獄に堕ちる」というような教えはありますか?
私は将来、浄土宗のお坊さんになりたいと思っています。その為には、今の内からやっておくべき事は有るので御座いましょうか。 私は、今は高校生で、将来、大学に行ったら仏教を学びたいので、大学受験に向けた対策をしておく事、そして、日頃から“仏になる事”を意識しながら過ごすのを心掛ける事は行っているのですが、それ以外にも、しておくべき事は有りましょうか。 因みに、正座の練習や、『般若心経』の誦経、読経(所詮は素人の真似事かも知れませぬが)も行っているのですが、其れ等は将来、役に立ちましょうか。 これを御覧になって下さっているお坊様、教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
私は将来、浄土宗のお坊さんになりたいと思っています。勿論、“修行”する覚悟は有ります。 しかし、浄土宗では、修行はどの位の厳しさなのかは分かりません。禅宗や日蓮宗よりは厳しくないと聞いた事は有るのですが、やはり、仏教は修行有りきなので、浄土宗も厳しいとは思うのですが、どの程度の厳しさなのでしょうか。他宗派の様に、滝行や施餓鬼等もするのでしょうか。 これを御覧になって下さっているお坊様、教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
いつも丁寧な回答ありがとうございます。 最近、何もかもうまくいかないし… 悲しいし、悔しいし、マイナスな事ばかり考えてしまいます。 イライラしっぱなしで、良くないことはわかっていますがイライラしてしまいます。 ハスノハで私たちの悩みを聞いてくださり、たくさんのアドバイスをくださるお坊さんもイライラすることはありますか? お坊さんたちは、皆やさしくて…心がきれいで…いつも心安らかなイメージです。 もし、イライラした時は、どのように心を落ち着けていますか? アドバイスをいただきたいです。
私は、仏教を深く学び、将来はお坊さんになりたいと思っています。でも、私は普通の学生で、別に実家や親戚がお寺であるというわけではありません。因みに私の家の宗派は浄土宗です。 それでも、お坊さんになる事は出来ますか? 又、どの大学へ行けばお坊さんになる為の勉強が出来るでしょうか。 教えて下さい。お願い致します。
うまく言えませんが、般若心経を覚えることに挑戦してみようと思っています。 まずは意味は分からないけど全部言えるようになる方がいいか、一区切りずつ意味を分かって覚えて行くべきか迷っています。 つまらない質問ですみません。 よかったらアドバイス下さい。
大学へ行ったら仏教を学び、将来はお坊さんになりたいと思っているのですが、大学選びはどうしたら良いでしょうか。 私の家は浄土宗でして、私は浄土宗の僧侶になりたいと思っています。それを学ぶには、家から通える距離に有る大正大学が良いと、自分は考えているのですが、両親や学校の先生には、「偏差値が高くて名の知れた大学を選んだ方が良い」と言われており、駒澤大学や東洋大学を勧められています。 私も、最近になって、もう少し偏差値の高い大学を狙う方が良いのかなぁ、と思う様になりました。けれども、近場で、浄土宗を始めとする施設やカリキュラムが充実しているのは大正大学だけだと思いました。 これを御覧になって下さっているお坊様、私は、大正大学へ行くべきでしょうか、それとも、大正大学よりも偏差値が高い駒澤大学や東洋大学を狙うべきでありましょうか。 もしよければ、アドバイス等を頂ければ幸いです。どうか、宜しくお願い致します。