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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

得度・出家、単立寺院について

はじめてこちらに質問させていただきます、菩提心です。 現在、一切衆生の救済の為、また困っておられる方、悩みを抱えている方をお救いしたく、僧侶の道を志している者です。在家の者なのでなかなか師僧に巡り合えず難儀しております。いくつかの寺院の御住職に相談にのっていただいたりはしているのですが、基本的には「またいつでも参りにおいで」という感じでなかなか師弟関係を結べずにいます。まだ機が熟していないのかはたまた縁が巡ってこないのか、とにかく現在はそんな感じです。とにかく師僧の方と巡り合いたく、現在自分に行をかして(近所の寺院に100日間毎日参拝して一回15分程度読経しております)おります。また、これから先の人生、縁がなく師に巡り合えなかった場合、最終手段として単立寺院で得度出家を考えているのですが単立寺院での得度・出家には問題が(意味が)あるのでしょうか?もちろんその場合はいいかげんなところではなく、きっちりとした修行をさせていただける寺院様を探すつもりです。一応2件ほど常時得度・出家・伝法灌頂まで受けさせて戴けるお寺は見つけています。 ちなみに得度から伝法灌頂の最後まで諸々の費用は40万から50万程かかります。私自身、まだ20代後半とまだまだ人生経験の浅い青二才ですが、これまで様々な苦労や苦痛にさいなまれながらも生きてきました。なので、自分と同じように苦しんでいる方々を仏教を通してお救いして差し上げたいのです。また仏教の尊い教えを一人でも多くの方にお伝えしたいです。 なので、どうしても僧侶になりたいのです。ちなみに自分は真言密教が大好きなので、真言宗の僧侶になりたいです。とりあえずは単立寺院での得度出家に関してアドバイスをいただきたく存じます。長文になり誠に恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 32
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仏教の理解と学び方

初めて、お便りさせて頂きます。 最近、仏教の教えを知り教えを学ぼうと考えています。 現状の仏教の理解や考え方の方向性が正しいのか確認をさせて 下さい。 現在、深刻な悩みはなく本件のご相談は、急ぎではありません ので悩みごとのご相談の皆様を優先させて下さい。 ■現状の理解内容(超要約して記載します) 1)仏教の目的:涅槃(解脱)に至ること。幸せを説くこと。 2)涅槃(解脱)への到達の方法として「四聖諦」があり、日々の  実践として「八正道」がある。 3)最初に苦諦の理解の為に、無常・無我、因縁を理解することが必要  以下は、私の解釈した定義です。  無常:この世の全ては移り変わるもの  無我:全ては繋がりの中で変化している現象である  因縁:原因+条件(環境等)があって結果がある 4)今後の方向性(考え方や実践内容)について ・目的:   日々の生活や仕事で、怒りなく、平穏で周りの役立つ人生を送る ・行動や思考の指針  日常生活では、八正道、慈悲喜捨、五戒などを意識し、正しい判断  基準で行動する。 ・貪瞋痴に支配されない為の手段として、ヴィパッサナー冥想があり  今の瞬間に気付けるようにする。これにより、無常・無我、因縁が  頭でなく、身体で理解(体験・体感)できるようになる。  常に、今の瞬間の自分に気付くようにし、正見・正念・正定の向上  を図ることにより、煩悩が湧いてこないようにする。 以上の認識や方向性で、大きな誤りや重大な認識漏れがないか、 ご指導を頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 28
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日本人の食べるということに対する意識

私の食べ物に対する感覚は日本的な考えなんでしょうか? 仏教的な考え方なのでしょうか? それとも少数派なんでしょうか? 世界共通の認識だと思っていたのですが、そうではないようだと思うようになりました。 一般的に日本人の食べ物に対する感謝はいくつかの意味があると思います。 ①命を頂くことに対する感謝 ②食材を育ててくださった農家の方に対する感謝 ③食材を育んだ地球の恵みに対する感謝 ④調理人の方に対する感謝 ⑤食材を入手するための代金を稼ぐ労働に対する感謝 これらが一言で表されるのが「いただきます」という言葉だと思っていますが、特に①を強く意識していると思います。 そして食べ残すことは、奪った命をないがしろにすることだとして、食べ残さないようにします。 動物だけでなく植物に対しても同様に命を頂いていると考え、米粒一つでも無駄にしてはいけないと子供のころに教わりました。 私は「殺すのは出来るだけ少なく。食べ残すことは死ぬ必要のない生物まで殺す行為だ」「食べるために命を奪ったのだから、食べなくては無駄死にだ。」と考え、 そして動物はもちろん、植物も命を頂くと考えています。 欧米諸国では、日本とは比べ物にならないほど家畜の福祉に対する意識が高いです。 可能な限り家畜の苦しみを軽減しなければならないと考え、苦痛の少ない方法で飼育し、苦痛の少ない方法で屠殺しなければならないと考えています。 ですが、どうもそれは生きている時だけのようなのです。 食肉を食べ残すことに対しての意識がとても違うと感じています。 もちろん、もったいないとは思っているようですが、「死ななくていい分まで殺した」という風には思ってないようです。 「食べても食べなくても、いずれにしろもう死んでいる。」と考えているようです。 動物福祉に熱心な方でもです。 大乗仏教には精進料理がありますよね? 出来る限り殺生を避けるために動物性のものは取らず、植物にも命があるが感謝して無駄にしない、という考え方だと思います。 そして上座部仏教では「托鉢で頂いたら肉魚も食べてよい。食べ残してはいけない。」と聞きました。 このことから私の考え方は仏教的なのかな?と感じたのですが、仏教的でもなければ日本人の共通認識でもない、という意見の人がいて、疑問に感じ質問いたしました。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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一年経とうとしていますが

両親の死から1年が経とうとしています。 母の葬儀、49日法要の時の事で、 ずっとモヤモヤが消えませんので ご意見をお聞きしたいです。 我が家は曹洞宗ですが、両親はお寺とは お付き合いがありませんでした。 そこで、葬儀屋さんにお坊様を依頼する 事にしたのです。 そのお坊様は名前を見るだけで、その人が 生前、どんな人だったのかを言い当てる、 不思議な力を持った方なんですよ! と葬儀屋さんから聞いていました。 そして母の戒名が決まり、葬儀屋さんは、 お坊様が、この人は~という事でしたので 良い戒名を授けて下さいましたよ、と にこやかに言って下さったので、 それは良い意味なのか、悪い意味なのか 判断に苦しみましたが、良い意味と 捉えようと思い、あえて聞き返しません でした。 そして49日法要も同じお坊様に依頼 したのですが・・・その時の事です。 母の白木位牌を手にし、この人は面倒な人 だったな!と、一言。 え?と言葉も出ない私達親族。 あれ?葬式の時、葬儀屋から聞いて なかったか? この人は面倒な人だったな!って 言ったはずだぞ。・・・と。 6日違いで亡くなった父も同じ日に 49日法要をしたのですが、父の 白木位牌には、この人は良い人だった んだけどなぁと穏やかに語りかけて いたのですが、こっち(母)はイカン!と また母を罵ったのです。 確かに、母の性格は自分の嫌な事は 何でも面倒臭がり、姉や私は母からの 愛情を感じた事もなく、ただいつも 叱られていた記憶しか残っていません。 孫の相手も苦手で、遊んでくれた事も ありませんでした。 反面、外面はとても良い人でしたが。 その時は、姉も私も言葉も返せません でした。ですが、先日、姉との電話で その話題になり、あれはダメだったよね。 確かに言ってた事は合ってたけどさ。 呆然としちゃったから何にも言えなかった けれど、普通、あんな事をお坊さんが 言うものかなぁ?と、私がずっとモヤモヤ していた事を姉も同じ様に思っていたのです。 故人の悪口は言ってはいけないと聞いた 事があります。 紫の袈裟をまとったお坊様でしたが そんな風に言われた母を可哀想に思います。 お坊様側から見たご意見をお聞きしたく 存じます。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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