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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

僧侶と女性

僧侶の多くが妻以外の女性と関係を持っているという話を僧侶から直接聞きました。花街のようなところで使ったり出張先のホテルで女性を呼んだり、人々の大切なお布施であったりということも忘れてしまうみたいで、そういうことがあると知っていても、繰り返し十数年も、と聞くと、やはりとてもショックでした。カトリックの僧が外国ではやはり子供をあちこちにつくったり、乱れた性生活をしていますが(子供相手とか)、お金と権力と(住職などでたえずひとにあがめられるようになると)手に入れてしまうと、思うままになんでもできるようになるので、そういことが普通になってしまうのでしょうか。罪悪感がないところにとてもショックを受けました。 もうひとつ質問があるのですが、僧侶は男性社会で長期修行などをすることがあると思うのですが、男性同士で関係をもったりすることというのは頻繁にあるものなのですか?外国では、カトリック教会内部が女性禁止とはいわなくてもやはり男性社会なので、そういう傾向にあります。 不躾な質問で、多くのそうではない方々を侮辱するような内容になってしまっていますが、そういうつもりはまるでなく、本当にあくまで、そういうことがあるのはなぜなのか知りたいと思い、書かせていただきました。

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仏教の教えについて

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。  以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。  これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。  これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?  その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

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仏教の「助け合い」

先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。 でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。 そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。

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日本仏教とは何なのか?

 初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。  私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。  現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。  この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。  まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。)  第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。  これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。  結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。

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夫の葬儀に来たお坊さんが…

3年前の夫の葬儀の際のお坊さんについて疑問に思ったことがあります 先日、家族で当時のことを話していた時に、「葬儀にきたお坊さんは自分で袈裟も着れず、通夜の際はギリギリにきて葬儀社の人とほとんど打ち合わせができなかったらしいよ。」と言われました。そして、母からは「まだ列席のかたの焼香が続いてるのにお経を止めて退席したお坊さんをはじめて見たし、あんなにひどいのは初めてだった。葬儀社の人もいってたよ。」と言われました。 地元とは離れたところでの葬儀だったため当初は葬儀社の方が手配していただく予定でしたが、夫側の家族が自分のお寺にゆかりのあるところにお願いしたそうです。(とはいえ、来ていただいたお坊さんとは初対面です) 私は仏教徒ではなく、また他の葬儀に参列したことがないのでいくつかお伺いしたいのですが、 1.お坊さんは自分で袈裟を着れないものですか(私の印象としては袈裟は  お坊さんの制服のようなものと認識していますが) 2.通常、焼香が続いている間はお経はつづけられるのでしょうか  (参列者がそんなに多かったわけでもありません) 3.ゆかりのあるお寺のお坊さんに葬儀をしてもらうのと、そうでないので は 何か違いはありますか(本人は自分の宗派もわからないぐらいお寺とは疎 遠な関係です。夫側家族の自己満足ではないですか) 当時は私自身に余裕がなくこのような話を家族でしたことはなかったのですが、夫の最後の別れをこんないい加減な葬儀だったのなら家族と友人でお別れ会という形で宗教にこだわらずに送ってあげたたかったなと思ってしまいます。 ちなみに、宗派は浄土真宗です。

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寺嫁が離婚を迫られました

住職である夫から離婚を迫られました。 理由は兼業僧侶の夫に家事育児を私が強要した結果、病弱な主人が心身ともに限界に達し、娘を捨ててでも奴隷のような生活から解放されたいというのが、一番の理由です。 今年の2月に別居し、2ヶ月後に初めて離婚を切り出されましたが、それまでの間主人からは1度も連絡なく、現在まで娘にも会いに来ませんでした。 寺嫁としての心得が不足していて、寺の運営に口出ししたことは平に謝りました。 しかし、私も41歳で病弱ながら出産し、産後うつの状態にあり(今振り返ると、ですが) とてつもなくイライラしながら、できる限りの家事育児はこなしてきました。主人が帰宅する頃には疲労困ぱいで、先に寝てしまうことも多かったので、主人に家事をお願いする場面も多かったですが、主人が病弱なことも理解していますから、できる範囲で構わないとお願いしてきました。 しかし主人は日ごろから、感情の起伏が激しい私を怖がり話し合いで結婚生活を進める習慣はなく、私の愚痴を適宜義父母に話し、結果三人が怒り頂点に達し、追い出されるように実家に帰されました。 しかも、離婚の話し合いに入る前に、私を実家に返したことを理由も含め伝え、私が寺に戻れない状態を作ってしまいました。 また、話し合いがこれまでに一度ありましたが、義父母がほとんど話し、主人は2人だけの話し合いに、全く応じてくれません。 慰謝料も、要求したいくらいだと迫られ、寺というところは、ここまで一方的なのかと戸惑っています。 このまま、主人家族の要求をのむしかないのでしょうか。

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欲から離れると精神エネルギーに溢れる?

御覧頂きありがとうございます。 カテゴリーの判断が難しかったためこちらでお願いいたします。 先程「禁欲」についての記事を見ていたのですが、まとめるとこのような内容でした。 「しんどいことをすれば精神がすり減らされるように、快楽をえて欲を発散する時も精神力が消費される。そのため酒やタバコ、マスターベーションなどを習慣から遠ざけ、欲から離れることで無駄な精神力の浪費を抑えると、やる気が向上したり、運動や習い事や勉強など新しいことを始めたくなったりと、活動的な方向へ向けて精神力を発散したくなる」 これを見たとき、仏教について調べていた時(たしかサイトはYahoo!)の「仏教の教えは楽しいことから離れること。実行すると廃人になるのでは?」という質問に対する「いいえ、欲にとらわれることが減れば、逆に活動的になります。社会的ないい方向へ。」といったような回答を思い出しました。 私の勝手なイメージなのですが、まさに御坊さんは「御坊さん」以外にも色々なお仕事を(お金のためというより、やりたいからという理由で)掛け持ち?されている方が多く、そうでなかったとしても、ごく平均的な社会人より活動的だと感じています。 これはまさに上記の「欲から離れることで社会的な方向へ精神力を発散させたくなる」現象が起こっているのでしょうか? 御坊さんは、この記事の内容のようなことを感じておられますか?

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お坊さんの好きな作品

御覧頂きありがとうございます。 カテゴリー違いでしたらすみません。よろしくお願いいたします 映画、ドラマ、アニメ漫画、小説から芸術作品まで、何にしても、見る人の感性や価値観によって大きく感想や印象、好き嫌いが変わると思います。 そこで世間、いわゆる俗世間から離れ、「一般的」とは価値観の変わった御坊さんはどんな作品のどんなところが好きなのかな?と気になりました。 絵画や写真ならまだしも、映画などストーリーのあるものとなると、やっぱり仏教観が影響してくるのではないかなと思うのです。 多くの人がたいして注目していない部分にも「すばらしい、いいね!」と感じたり、またその逆などが起こるのでは?と。 それとも、そこは特に影響しないでしょうか。 普通の作品でも、宗教ものの作品でもありがたいです。好きな作品やその作品のどんなところが好きかお教え下さい。よろしくお願いいたします (ちなみに、セイントお兄さんという仏陀とイエスの友人漫画のクチコミが、キリスト教徒からの高評価ばかりで仏教徒からのレビューはみあたりませんでした(笑)。教徒のそれぞれの宗教観の違いか、教徒の母数の問題かわかりませんが。)

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