hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

あのとき出会ったお坊さんは。

こんにちは。 もう3年程前の冬に、奈良の真言宗のお寺(もしかするとそのお坊さんの特定が出来てしまうかもしれないので、お寺は伏せます)に行った時のことです。 境内がとても広く、小道がとても綺麗で、私ははしゃいで歩き回っていました。 すると、目の前からお坊さんが歩いてこられて、目があった私に、合掌し軽くお辞儀をしながら「こんにちは。」と声をかけてくださいました。 でも、その時は今ほど仏教のことを知らず、悪い気はしませんでしたが、とてもびっくりしてしまい、3秒ほど固まったあと、小さい声で「こんにちは…」と言うしかできませんでした。 私が固まったのは、びっくりしただけじゃなく、そのお坊さんが纏っていたオーラに圧巻されたのもありました。 すごく綺麗な茶色のお着物に、オレンジ色の大きな?(裾まで隠れる大きさの)袈裟を着ていらして、通り過ぎたときにお線香のとても良い香りがしました。 家でお線香を焚くと、ふと思い出します。 私の知っている、黒い衣のお坊さんと全く違い、絵画や彫刻でしか見たことないようなお着物で、お顔つきも、本当に仏様のようで、とても穏やかな雰囲気の方でした。 失礼ながら、別次元の方のように思えるほどでした。 もう3年前の事ですが、そのお坊さんの出会いが、私にとって強烈な体験で、今でも忘れられません。 またどこかで出会えたら良いなぁと思います。 ここにご質問させて頂いたのは、この話を誰かに聞いてほしかったのと、どういう方だったのか、なぜそのお寺にいらしたのか、推測できる範囲で教えていただきたく、投稿しました。 袈裟の色や形によって何か立場や宗派が異なるのですか?そのお寺のお坊さんかもしれませんが、袈裟を着たまま他のお寺にお参りすることはありますか? ご回答お待ちしています。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

モコモコお髭の仏様

素朴な疑問ですみませんが… お坊さまというのは、お寺さんのお家に生まれたからお坊さまの道へ進むことになった方や、お寺さんのお家に生まれていないけれどお坊さまになった方など、いろいろあって「お坊さま」をしているのだろうと思うのですが… サンタさんにクリスマスプレゼントをもらったことがないお坊さまはいらっしゃいますか? また、もしサンタさんにプレゼントをもらったことがない方がいらっしゃるなら、子どもの頃、何故、他の友達がプレゼントをもらっているに、自分のところにはサンタさんが来ないのかなぁ?と不思議に思ったことがありますか? わたしにもサンタさんの存在を信じてやまない時期がありましたので、翌日目覚めた時のワクワク感を一度も感じたことのないお坊さまがいらっしゃいましたら、理解出来るまでの間、どんな気持ちを抱いていたのか教えていただきたいなぁと思いまして… 昨日、サンタさんの形をした(と書いてある)チョコレートをいただいたのですが、私には、どこからどう見ても、モコモコのお髭をはやした仏様に見えてしまうのです。 ベルギーのチョコレートなのですが…。 一応、お菓子をいただいたら、まずはお仏壇にお供えしてから、という風にしているので、一応、いつも通りお供えしてみたのですが…15個入りのサンタさんのチョコレートが、15体の仏様みたいで、「なんだこの景色は!」みたいになっているのです。 今夜は恵方巻を食べる予定で、今月はバレンタインデーがあって、クリスマスでもないのにサンタさんがいて、でも15体の仏様にしか見えなくて… 家の中が騒がしい… その仏様みたいなチョコレートを見ているうちに、ふと、お坊さまの世界にサンタさんが存在していた幼き過去があるのかな、全くないのかな、という疑問がわいてきまして、それなら教えていただけたらなぁと…。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

使い古された道具は悪影響をもたらす?

少し突飛な質問かもしれませんが…… 現在訳あって、縄文土器や、古い農具や民具、道具類(江戸時代~昭和)が大量に飾ってあるところで、1日の大半を過ごしています。 ですが、そういう古い「物」に、人の精神を不安定にさせたり、運気を下げたり等の悪影響ってあったりするのでしょうか…? 仏教的な立場や考え方の中では、昔の人たちが使用していた古い道具って、どういう位置づけがなされうるのですか? 大切にすべきものですか? いち早く手放すべきものですか? 使い古された道具は、生きている人間に何か影響を与えるものなのですか? 幽霊がいるらしい、と噂されるほど建物自体も古いので、そもそもの環境自体が精神的に悪影響を及ぼしたりすることってありますか? また、今度、髪が乱れていたり、装飾が破損している古い雛人形(怖い)を6セットほど物置から取り出さなければならず、少しドキドキしています。 古い人形を取り扱う際の心構えなども、アドバイスいただけると有り難いです。 この場所で過ごすようになってから、精神的に不安定になることが多発しているので、 ついつい「土器のせいでは(笑)」と精神的不安定さの原因を物になすりつけてしまいます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

阿修羅像の逸話について

仏教には様々な逸話がありますが、阿修羅像の逸話についてずっと気になっていました。 逸話を端的に言うと「阿修羅の娘を帝釈天が無理やり連れ去り、激怒した正義の神・阿修羅が帝釈天に戦いを挑むも戦闘神の帝釈天には到底敵わない、そんな中で娘は帝釈天を愛し妻になる、戦う必要がなくなったにも関わらず怒りに我を忘れ戦い続ける阿修羅」 初めて見た時は結果オーライか⁈ なんだそりゃ‼︎ と思いましたがこの逸話の言わんとすることはよく見かける解説で 「阿修羅は怒りで自分を忘れ、戦いに目を奪われて、すでに娘が帝釈天の正式な奥さんだったのにも関わらず、相手を赦す心を失っていました。たとえ、正義であってもそれに固執すれば、善の心を忘れ、妄執の悪・復讐の鬼になってしまいます。過去を水に流し、人を赦すことは大切なのです。」 とあり理解出来るとこもありますが、この逸話を初めて見た時はいくら例え話しだとしてもこの話しを納得することは犯罪を容認するようで、なんとも気分が悪くこの逸話を簡単にそうかと理解するのは無神経なようでずっと引っかかってました。 程度は違いますが私の毎日はずっとこの引っかかっりです、私の煩悩が怒りなのか杓子定規な正義への固執なのか、両方ですかね? ここから質問なんですが、この逸話の中で娘が帝釈天を愛し娘に関してはある意味で結果オーライですが、実は最悪娘は帝釈天に連れ去られた後に殺されたとしてもこの逸話の言わんとすることは同じ(憎しみの先に救いはない)ような気がして、結果オーライはまだましな話しだったのかなと最近思うようになったんですがどうなんでしょうか。 上記とは違う解説等ありますか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

自分にとって、とても有難い存在です。

辛いことが、たくさんあって、独りで、泣いて生きてきました。 辛さに耐えられず、死のうとして、夜に高い場所に行った事もあります。 (お巡りさんに見つかり怒られました。) 無意識に呼吸をしないときもあります。 私は、どうして生きているのか。悩んでいました。 ある日、テレビで、お坊さんの本を紹介していたので、人は苦手ですが(苦手過ぎて震えます)、お坊さんだけは、何故か平気だったので、本に載ってたお坊さんに会いに行き話を聞いてもらいました。 SNSで、知り合ったお坊さんにも、直接会い、色々相談させてもらい、励まされ、応援してもらい、世の中には、こんなに優しくて、親切な人がいるんだなと思いました。 独りで、立ち上がれずにいた時に、生きる力を、心の安心をもらえました。 感謝してもしきれないほど、救われました。 今でも、私のほしい言葉をくれます。 めぐり逢えて本当によかった。 生きていてよかった。 生かされてきてよかった。 そう思いました。 大好きな存在になりました。 心の支えになってくれる存在(私が勝手に支えにしてます。)がいると、精神的に強くなれた気がします。 優しくしてもらった分、 お坊さんのように、私も微力ながら、人に優しくできるよう、役にたてないか模索中です。 子供の頃からですが、私の中で、何故こんなにお坊さんが、特別なのか良い存在になってるのか?わかりません(´・ω・`) 気付いたら、安心安全な存在になっていました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

極楽について

以前テレビで島田紳助さんが以下のように述べていました。(ブログからの抜粋です) 「仏教っていうのはね、自分のための拝む人へのもの。 両手を合わせた瞬間に、自分の心の中が穏やかになる。 そこに極楽が生まれんねん。例えば、あーもうムカつくわ、競馬まけた博打負けたから墓参り行こうって思う人はいないのよ。心が乱れてるから墓参り行こうとは思わない。ある日、ふとあ、長いこと行ってないな。お墓参り行こうか。と思う。その、お墓参り行こうか、と思った時、自分の心が穏やかになる。その瞬間、心に極楽が生まれんねん。だから、お墓参りの行為自体よりも、行こうと思った時の穏やかな心、それが大事なの。仏壇だってね、仏様が中にいるけど、あれは職人さんか誰かが木かなんかを彫ったものだよ。所詮。もしあれがほんとに仏様なんだったら、供えてある花も、仏様の方を向けて供えなくちゃいけない。でも実際はそうなっていないでしょ。向こうからしたら、花の裏、葉っぱの裏しか見えないよ。拝む人に向かって、拝む人の心に向かって供えてあるから。だから仏教っていうのは、心の中、拝む人の心の中に極楽があり、仏があるという教え。」 私はこのような考えに感銘を受けました。実際、極楽というにはこのようなものなのでしょうか?お坊さんたちの意見が聞きたいです。

有り難し有り難し 104
回答数回答 6

卒論でお寺の経営を調べています

私は経営学部の3年生で現在、お寺の経営に関する卒論に取り組んでいます。ですが研究に煮詰まってしまいました。 本来なら地元のお寺様に取材をすべきなのですが、残念ながら未だ出来ておりません。なので藁にもすがる思いでここに質問させて頂きます。 なぜ、お寺の経営について調べようと思ったのかと言うと第一に私がお寺が好きだから、第二に宗教というベールに包まれ実情があまり知られない経営に興味があったからです。 調べていくうちにお寺には観光寺、信者寺と檀家寺があることを知りました。 ・観光寺のお坊さまで経営に気を付けることはなんでしょうか?観光寺のメリット、デメリットなど。また以前までは檀家寺だったという場合の方は観光寺にしたことによる変化など教えてください。 ・檀家寺のお坊さまで経営に気を付けていることはなんでしょうか?檀家寺のメリット、デメリットなど。また依然観光寺だった、もしくは今後、観光寺に変えようと思っているなどありますか? ・今後、お寺の経営を調べる際に気を付けたほうがいいこと、おすすめの書籍、論文などがありましたら教えてください。 なお、研究と関係ない個人情報などについては明かさず十分な配慮をします。 お忙しい中、不躾な質問になりますが、どうかお答えいただければ幸いです。

有り難し有り難し 76
回答数回答 4