hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

卒論でお寺の経営を調べています

私は経営学部の3年生で現在、お寺の経営に関する卒論に取り組んでいます。ですが研究に煮詰まってしまいました。 本来なら地元のお寺様に取材をすべきなのですが、残念ながら未だ出来ておりません。なので藁にもすがる思いでここに質問させて頂きます。 なぜ、お寺の経営について調べようと思ったのかと言うと第一に私がお寺が好きだから、第二に宗教というベールに包まれ実情があまり知られない経営に興味があったからです。 調べていくうちにお寺には観光寺、信者寺と檀家寺があることを知りました。 ・観光寺のお坊さまで経営に気を付けることはなんでしょうか?観光寺のメリット、デメリットなど。また以前までは檀家寺だったという場合の方は観光寺にしたことによる変化など教えてください。 ・檀家寺のお坊さまで経営に気を付けていることはなんでしょうか?檀家寺のメリット、デメリットなど。また依然観光寺だった、もしくは今後、観光寺に変えようと思っているなどありますか? ・今後、お寺の経営を調べる際に気を付けたほうがいいこと、おすすめの書籍、論文などがありましたら教えてください。 なお、研究と関係ない個人情報などについては明かさず十分な配慮をします。 お忙しい中、不躾な質問になりますが、どうかお答えいただければ幸いです。

有り難し有り難し 76
回答数回答 4

子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

有り難し有り難し 64
回答数回答 3

 釈尊の言行その2

大忍貫道 様 釈尊の言行(その1)で追記 を見逃して大変失礼致しました。  回答の締め切り通知を変更通知と間違えて調べて、追記があったのを知りました。申し訳ありません。  重要な問題なので、再度質問を立てます。  我々の出来ない体験を、釈尊が代わりになさって伝えて下さったのが仏教です。  「輪廻転生について」のお礼欄で、私は 「如来(釈尊)は真実を語るものであり、如来は真理を説くもの、ありのままに語るもの、誤りなく説くものだからである。如来は虚偽りを語るものではない。」  との金剛般若経の引用をしています。  輪廻は信じる信じないのレベルではなく、真実か虚偽かの問題なのです。  そこが仏教が宗教か否かの判断になると思います。  金剛般若経の続きで「前世、現世」が出てきます。  釈尊の語りですから、これは真実なのです。  これが輪廻転生に他ならないのではないでしょうか?  因みに仏教が信でなく真実であることは、仏教の基盤である「般若心経」が科学的真実を語っているので明白です。  詳細は省略しますが、ヒントは「諸法」の「空」が「不増不減」であるのは、諸法が自然界の中で唯一「閉じられた系」であるからです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

想像しただけでその想像した罪と同罪なのか

想像しただけでその想像した罪と同罪なのか。 ご回答をください。助けてください。悩んでいます。 私の母と私でドラマを見ていた時、親が子を殺すみたいな場面があったんです。それで「私はお母さんを殺さないよ」と伝えた時にふと、 「でももし、母がゾンビになって殺すべきだと判断した時とか、母が病気になって楽にしてあげるために薬とかで安楽死にして殺すことはあるかもしれないな。」 と考えたんです。でも、それっていくら母親のためと思っていることでも罪は罪なのかなという思いと、それに続いて私が母親を殺すなんてことを考えてしまった、という思いが出てきたんです。 そこでネットで調べてみると、「罪は想像した時点でもはやその罪を犯したのと同じ」みたいな内容を目にしまして、とても怖くなっています。無間地獄の罪状に「母親を殺すこと」というものがありますが、それに私は当てはまってしまったのでしょうか。実際に私は母親を殺したわけではないですし、そんな特別な場合ないと思っていますので殺すつもりもありません。今もキッチンで夜ご飯を作っています。 改めて質問をまとめると、 「私が母親を殺すことは、母のためになる場合ならあるかもしれないと思ってしまった。このように『母を殺す想像』をしてしまったことは、実際に母を殺した罪と同罪になり、私は無間地獄に落ちてしまうのか。」 ということです。本当に怖いです。ご回答何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2