仏教の宗派の違いを教えてください。
はじめまして。お坊さんについて疑問に思った事があります。 僧侶の宗派資格?修行?を複数持たれている方っていらっしゃるのでしょうか? 現在、たくさんの宗派がありますが、根本は仏教なので、いろんな宗派で教えを学ばれる方がいらっしゃるのかな?と疑問に思った次第です。 もしいらっしゃれば、各宗派の違いなどの経験談を伺ってみたいです。 よろしくお願い致します。
各宗派の違いはあれど 仏教は釈迦の教えから発していると思いますが 端的にいってその教えの心髄、核心、エッセンスとは何でしょうか? 多くの宗派のお坊さんからご回答を頂けるとありがたく存じます。 なお恐れ入りますが、 仏教学的な、学べば分かるようなものは期待しません。
三礼のやり方はいろいろあって、各宗派で、唱える言葉がちがうようですが、浄土宗・真言宗・天台宗では、それぞれ言葉のどのタイミングで頭をつけたり立ち上がったり(どこの言葉でどう動いているのか)しているのですか?座るときに先にひざまずく足など、決まっているのですか? また、それぞれの意味の違いはありますか?
五体投地のやり方が知りたくて調べたのですが、チベットの話ばかりでてきてしまいました。 日本仏教の各宗派にも五体投地はあると思いますので、やり方を教えていただきたいです。 どのような作法で行えばいいのでしょうか。細かいやり方が知りたいです。 また、どのような場面で行うものですか。お寺に参拝したときに御本尊に向かって行なってもいいのでしょうか。 やる回数は一般的に何回くらいか、五体投地をする前後にはどんな作法があるか(読経など)、宗派ごとのやり方の違いなど、詳細に教えていただけるとうれしいです。
祖父の葬儀の時に「死後の世界はこうなっています」と何層かになっている図の説明を受けました。 仏教に限らず死後の世界、天国地獄も含めて「あることは知っているでしょ」からはじまることが多く、「なんでだれも見たことないのにあるということになっているのか」が解りません。 さらに私の認識では例えば仏教はゴーダマシッタルーダが釈迦のペンネームで小説を書いてそれを各宗派の開祖が読んで読書感想文を広めた、というイメージなのです。そう考えないと宗派毎の教典の違いや祭事の違いなど差が出てくることが理解できません。 宗教が絶対のもので揺るぎがないものであれば解釈が変わったり宗派が分かれたりするものではない。会派が別れたり解釈が変わるのは不完全な創作物である証かと思います。広めるために土着信仰と結びつくなどその尤もたるところです。 かなり偏った意見になっているのですが「こういうことになっている」だけで「なぜそういうことになっているのか」「それが間違いない検証は取れているのか」を説明しているものがあれば教えていただきたいと思います。 化学実験でいえば「再現性」、こうすればこうなる、というものです。それがなければ「どうなるか解らないのに信仰するの?」となってしまいます。 また、どうしても論理的に根拠がしっかりしているものでないと認められない性格なのですが、「いやいや宗教というのはそういうものじゃないんだよ」というのがあれば教えていただけないでしょうか。
度々、質問させていただいております。今回も宜しくお願いいたしします。 ハスノハの先生方は、『美坊主図鑑』なる書籍をご存知でしょうか。いろんな宗派のハンサムな僧侶を紹介している本です。 私はそれを数年前に書店で手に取り、サーッと目を通しました(立ち読みです)。その書籍に対する、私の個人的感情(くだらん!)はさておき、宗派によって(所属している僧侶が)、たくさん掲載されていたり、逆に、まったく掲載されていなかったりしました。 この違いは、ハンサムな僧侶が、その宗派にいる、いない、ではなく、”宗派ごとの姿勢のあらわれ”だろうな、と私は推測しました。 この推測は間違っていますか? また、そのとおりであったとしても、「だから、どうした」といわれれば、それだけのことですが・・・。 この投稿は私個人の(私の推測が正しいという前提での、遠回しな)各宗派への称賛と批判です。この思いに対する先生方の率直な意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。
こんばんは。お暇な時に答えてくださると嬉しいです。私のは切迫した悩み事の相談ではなくて、自分が知りたいなと思った事の質問なんです。 仏教の基本的な考えを理解するのに、宗派が違うと考え方も大きく変わってきますか? 私は子供の頃から家に聖書物語の絵本があって親しんだり教会でお話を聴いたりして、小さな頃から仏教以外の宗教の影響を受けてきました。最近初めて仏教の考え方を少し知って、これまでの自分の考え方と根本的に異なる感じで難しいと思ったけれど、もう少し知りたいんです。でも同じ仏教でも宗派が複数あるのですね。基本の考えがそれぞれ違ってくるともっと難しくなってしまうと思って、気になったんです。お坊様からみたことを教えてください。 追伸 亡くなってお葬式とか色々やるまで知らなかったのだけど、私の父は曹洞宗でした。
無知で大変申し訳ない質問です。 お坊さんは、法事やお葬式で、お一人でお経を上げるようになられるまで、皆さん、 厳しい修行をなさるのですか? なぜ一般人のお経とお坊さんのお経では、表現しにくいですが、パワーというかオーラというか、違う力があると思ったので、違いは何なのだろうと思った次第です。 失礼かつ無知な質問で申し訳ないです。 何卒よろしくお願いします。
ブッダの教えに救われ日々意識して生活しているけれど ◯◯宗派とかが多すぎてよくわからない場合も 仏教徒といえるのでしょうか? 明確に◯◯宗派の信者だ、と言えないとダメでしょうか?
菩提寺が浄土宗です。 菩提寺では南無阿弥陀仏を唱えますが、日蓮宗のお寺などを御参拝の時はどちらを唱えればよいのでしょうか。
真言宗霊雲寺派、真言宗智山派、真言宗豊山派とあります。 祖父が生きていた頃は「成田山」へお札をもらいに行ってました。 「成田山」は「真言宗智山派」と書いてありました。 今回、お墓の件で調べていたところ先祖代々のお寺さんが 「真言宗霊雲寺派」という事がわかりました。 お寺自体宗派が変わる事などあるのでしょうか? また、違いなどあるのでしょうか? よろしくお願いします。
浄土宗の行事のなかで、人生が変わる(?)といわれる 「帰敬式」と「得度式」 どちらも「浄土宗門徒」になるまではわかりますが、詳細な違いがわかりません。 どうか宜しくお願いします。
お盆やお葬式でお坊さんがお経をあげますが、そこで読まれるものは全部同じものだと思っていました。 この前ある仏教の本を読んでいて、宗派によって読むお経が違うことを知りました。 それぞれどういうお経がメジャーなのですか?お盆のときはこのお経とか使い分けとかあるのでしょうか?
先日ネットニュースで、千原兄弟の千原せいじさんが僧侶になったと記事で見ました。 そこで興味本位での質問なのですが、お坊さんって、今日からお坊さんになります!と宣言したら、お坊さんになれるものなのでしょうか? ある程度の修行などをしないと、お坊さんと名乗れないのでしょうか。 勝手にめっちゃ苦しい修行をしてお坊さんになるイメージだったので気になりました。 仕組みがよく分からないので、教えてください
お寺の娘です。 最近転職を考えていて、やはり育ってきたお寺に関わる仕事がしたいと思っています。 そこで、別院や教務所で働ければなと思っているのですが、 別院ではどのようの仕事内容なのでしょうか。 また別院で働くにはどうしたら良いのでしょうか。求人など。。 ちなみに希望は札幌別院や北海道の別院です。
離婚して以来、親以外の周りの人から再婚を勧められます。 私は相手もいないですし、探す気もないですし、今後はもう結婚したくないと思っています。 子供が小さく再婚なんて考える余裕もありませんし、今は子供との時間を大事にしたいと思っています。 いつか子供が大きくなって自分から離れていくとは思いますが、その頃は親の介護が待っています。 彼氏でもできたもんならバチが当たりそうな気もします。 周りからはまだ若いんだから再婚すればいいとかよく言われますが、結婚がそんなにいいとは思いません。 仏教では結婚に対する考え方はどのようなものなのでしょうか。 再婚も考えたほうがいいものなんでしょうか。
宗派のラベリングに重要性が見いだせず、むしろ弊害を感じることが多いです。 (800文字と長めです。) 以前とある牧師さんに教わりました。「キリスト教は浄土宗とソックリだ。日本向けのローカライズのために、あえて仏教に化けて広めた可能性を疑う研究者すらいる(笑)」 真偽はさておき、個人的には同感です。核心部たる念仏などは酷似しており、言葉が違うだけで内容はほぼ一致かと(素人目には)感じています。となると、キリスト教と浄土宗の本質的な違いは何でしょうか?人智を超えた神仏を※※教だけが独占できると見なす構造にも疑問があります。 ここからが本題です。その違い(ラベリング)は、諸々の軋轢を覚悟してまで保つべき、重要な違いなのでしょうか? 些細な見解の差で派閥や宗派が分かれていき、しまいには宗教戦争が起こるのだとしたら、単なるセクショナリズムと何か違うのでしょうか?5%の違いのせいで協力できず、残り95%の共通点を捨てているように見えます。ましてや同じ宗派や寺院の所属でも、個人ごとに意見はバラバラだというのに。宗派の上納金制度?などを聞いても、宗派はいわゆるビジネス上の"のれん"に過ぎないのでは?との現実的な疑問も浮かびます。 問いの対象は浄土宗だけではなく、宗教と道徳の境界線についてです。話がそれますが、中東問題などを理解する上でも避けて通れないテーマです。奇譚のないご意見を頂けると嬉しいです。 問を整理します。 「学べば学ぶ程に、宗教や宗派のラベリングに重要性が見いだせません。むしろなぜ拘るのかわかりません。私に欠けている視点を、どうかお聞かせください」 以下は補足です。 私はキング牧師やガンジーを尊敬しています。彼らは別々の信仰を持ちつつも、※※教徒のためではなく、社会全体の差別撤廃のために活動しました。それでいて、全ては信仰に基づくと明言しています。このスタイルに敬意を持つ反面、宗教宗派のラベリングに違和感を持つということは、何かを見落としているのでしょうか? 宗教とか宗派に拘りがなく、人に言われるまで気づきもしないのはダメなのでしょうか?
いつも多くのお知恵をありがとうございます。 今日は仏教のことで疑問に思う点があり、質問を失礼します。 仏教と一口に言っても、多くの宗派があるのですが、 死後すぐに仏となり極楽へ。 という宗派や、閻魔様の裁きを受ける。とする宗派もあります。 生まれてから死ぬまで、ずっと一つの宗派で、一族皆が同じ宗派であれば良いのでしょうが、 親戚であったり、知人であると宗派はどうしても変わってきてしまいます。 その際考えるのが、 私の死後に行く世界は、 相手の方のいく世界とは異なっており、 あの世で再会することは叶わないのではないか。 一方は四十九日と言わず極楽へ行かれ、一方は裁きを待ち、地獄へといくかもしれない。 などといった具合です。 実際にあった事例としては、法要の時に「今彼女は輪廻のためにあの世で修行をし、乗り越えているところです」というような説法を受けたのですが、別の宗派ではそうではないのだろうな。と、思ったような事です。 実際には死んでみないと分からないことなので、考えても仕様のないことだとは思うのですが。 お坊さまの皆さまは、こういった宗派による教えの違いにから生じる、死後の世界の違い(四十九日の捉え方、三途の川を渡る渡らない)など、どうお考えになられているのだろう。と、質問を失礼しました。
hasunohaのみなさまいつもお世話になっております。 浄土宗の僧侶 なむたろうです。 まもなく8月のお盆を迎えるわけですが、毎年この時期になると初盆のお檀家さんから「お盆の飾り付けはどうやればいいですか?」といった質問を受けます。 そこで、お檀家さん向けにお盆の冊子を配ろうと思うのですが、オススメがあれば是非教えてください! どうぞよろしくお願いいたします。