こんにちは、ここ3ヶ月くらい本を買うようになりました。 そのなかで今でも読まれている論語という本があるのですが、こういう難しい本はどう読んだらいいのかわかりませんし頭に入ってきません。一応解説はありますが(宇野哲人による) ふと思ったのですがお坊さんたちはあの長いお経を理解して覚えているのですよね? 難しい本の読み方の参考になりそうなので お経をどうやって頭に入れたのか教えていただけると嬉しいです。
先日、母の一周忌を行いました。 お寺へ行きお坊さんにお経をあげてもらいました。 お坊さんがお経をあげている時「お母様の事を思い出しながら聴いて下さいね。」と言われたのですが、お経を上げる時にお経の本?を貸してくれました。 お経が始まるとその本を無心で目で追っていました。お経が終わり、気付くと母の事を思い出ていませんでした。 亡くなった母はきっと気にしてはいないと思うのですが、少しモヤモヤしています。
結婚して実家に住むことになり、それまでの家と他人の家を含む土地に新築しました 霊に関して臆病なのですが、息子の部屋で寝てたら金縛りにあったり、寝室のドアが開いてると安眠できません。今まで霊をみたことはありませんが気配は感じます 何か良い方法はないでしょうか?
四月半ばに父の一周忌と納骨の予定でしたが、コロナの影響で納骨は延期で家族だけで一周忌を自宅で行うことにしていました。 一度お断りしているので、まだお坊さんには頼んでいません。 先日弟が80代の高齢の母の感染を心配して取りやめたほうがいいと連絡がありました。 今は一人暮らしなので、私たちも濃厚接触にならないように気をつけて過ごしています。 無宗教だったので、葬儀の際は親戚に宗派を確認し、真言宗のお寺を葬儀屋さんに手配していただきました。一周忌には購入した霊園で、そこの施設で紹介のお寺に変更予定でした。 弟の言葉もあり、一周忌をやってあげたいけれど感染リスクもあり心配だと、母も悩んでいます。 自分たちでお経をあげてもいいのか、ただお経などあげたこともなくわかりません。 母には命日に母と私で手を合わせてあげれば、父もそれで許してくれるはず、三回忌をきちんとやってあげようと話しましたが、本当にそれでいいのだろうかと私自身もわかりません。 この先感染も拡大しそうな中、どのようにしてあげればいいのでしょうか。
先日大好きな母を亡くしました。 葬儀の前に母の一部をと思い、 母の髪の毛を少し切りました。 その髪の毛をお守りにして持ち歩こうかと思うんですが、 母の髪の毛をこの世でお守りにするに辺り母が成仏できなくなるなど何か他によくない事はありますか? お坊さんに三十五日までお経を勤めていただくのですが、 これから月命日などがありますが、 仕事などで忙しくなるため毎月お坊さんを呼べそうにありません。 一周忌などにはお坊さんにお経を唱えてもらう予定です。 月命日には必ずお坊さんにお経を唱えていただいだ方がよいのでしょうか? お坊さんは呼ばず、お経を録音しておいて流すだけでもよいのでしょうか? ほかに母のために何かしてあげると良い事などありますか?
先日、 主人のお母さんが亡くなり 葬儀を行いました。 その時に、 お経をあげてくれた お坊さんは、葬儀の間ずっとマスク。 お経の途中で お茶を飲む時だけ、 マスクをずらし それ以外は マスクをしたまま。 お坊さんも人間だから、 マスクをしなきゃいけない事もあるだろうと思います。 でも、 檀家さんの葬儀でお経をあげる時くらい 外せばいいのに… と、思ってしまいました。 なんだか、 有難いはずのお経も そう思う気持ちが半減してしまいました。 そう思う私がおかしいのでしょうか?
先月 母が急死致しました。 少し母の急死までの流れを書かせて頂きます。 4年前左側股関節骨折をし 杖生活になり 3年前に右股関節骨折をし 自宅中では歩行器 生活になり 外出する際には車椅子になりました。 1年半前に医師から 脳血管性認知症と 告げられ 進化を抑える投薬もなく 只々 血圧が、上がらないように生活する日々でしたが 突然の急死。 心不全でした。 あまりの突然の出来事で 私が喪主という 形で 今日まで様々な事に対応してきました。 心も追いつかないのに 色々な対応で哀しみとしっかり しなければ 心身共にいっぱいです。 母は 生活保護を受給しており 葬儀も 市の中で行える範囲で 葬儀を行いました。 ですが、来月49日を迎えるあたり お経を 読んで頂きたいと思う 思いが強くなり ネットで調べたお坊さん派遣に連絡をし 紹介して頂きました。 そこで 教えて頂きたいのですが 2件とも こちらの希望で こちらから出向くお坊さんとお願いしました。 1件目は 住宅内でのお坊さん 2件目は 住職が5名おり 大きなお寺でした。 料金は2件共一律の金額でした。 2件共 浄土真宗 大谷派です。 どのように 決めたら 良いのか迷っております。 お願い 致します。
私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。 海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。 しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。 ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。 そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。 そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。 何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。 最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。 そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に 檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。 なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか? 私には解らないのです。 また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。 そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。 今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。 そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。 皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?
お坊さんの考える男らしさとは何ですか?
聴くのも演奏するのも好きです。言葉にならない想いを楽器を通して表現したいです。楽器を買いたいです。 お坊さんは音楽好きですか?お経好きですか?お坊さんみたいに素敵な声になりたいです。
たまたま仏教の起こりについて簡単に知る機会があり、葬式でよく読まれている身近なお経でもある、般若心経について興味が沸きました。 そこで、このお経が何を伝えようとしているのかインターネットで調べていたのですが、サイトによって解釈が微妙に異なる様で、本来の意味を理解出来たのか自信がありません。 以下が現時点での私の解釈となりますが、間違いがあればご指摘いただけませんでしょうか? •自分自身も、他人も、世界そのものも空(実体の無いもの)である •よって、苦しみや生、死も実在しないものであり、状態が移り変わる過程でしかない •そう考えれば、思い悩む必要など無い ※現時点でディティールまでの正確な理解は求めておらず、まず、ざっくりとした意味を理解したいと考えています もし上記の解釈が概ね合っていると仮定すると、葬式で読まれる般若心経は、故人に対してではなく、遺族に対して読まれているものなのでしょうか? オリジナルの仏教では死後の世界には言及していないと認識しており、故人に対して読まれるというのは違和感があり、上記の発想に至りました。 専門書等を読んでみようかと思いましたが、その道のプロであるお坊さんに聞くのが一番正確かと思い、質問させていただきました。 勉強不足な点は多々あるかと存じますが、可能であればご教示いただけると幸いです。
昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。
ご覧いただきありがとうございます。 突然ですが、久しぶりに口内炎ができました。あまりの痛さにろくに食事を取れず、辛かったです。 仏教のいう「執着から離れる、苦しみから離れる」というのは主に「精神的な執着、精神的な苦しみ」として解釈していたのですが、何かのお話しで、お坊さんを殺すため(すいません)寺に火を付けたら、お坊さんたちは慌てたり逃げ惑ったりすることなく死ぬまでお経を唱え続けた……というのを聞いたことがあるので、「精神的な苦しみだけでなく、身体的な苦しみからも離れることができる」のだと思いますが、一体どうなっているのでしょう?どうやっている(?)のですか? 口内炎でこんなにも痛いのに、火をつけられて動じないなんて……。無我の境地というものでしょうか。
私は30歳の目前の主婦です。 私の両親は13歳のとき離婚しました。原因は父の借金でした。父は働かず、母の実家や母からお金を巻き上げる人でした。母名義で借金をさせていたり、姉のバイト代も無心していました。私もよく借りると言ってお小遣いが財布から無くなっていました。また、自分の気に入らないことがあればすぐに怒鳴ったり叩いてきました。母もよく泣かされていたのを覚えています。 私は小さい頃から父が大嫌いでした。そんな父が最近夢によく出てくるようになりました。夢の中で、元気で私や母、私の兄弟のもとにやって来て、また一緒に暮らそうと媚びてくるのです。夢の中でも父が大嫌いなことに変わりはありませんが何をされるかわからない恐怖から、夢の中でも強く出ることが出来ません。霊的なものだったら怖いし、対処出来ません。 もう16年前に父との関係は終わったことです。嫌いなのに今更好きにはなれませんし、許すことも出来ません。 どうしたら夢を見なくなるでしょうか。
私は将来、浄土宗のお坊さんになりたいと思っています。その為には、今の内からやっておくべき事は有るので御座いましょうか。 私は、今は高校生で、将来、大学に行ったら仏教を学びたいので、大学受験に向けた対策をしておく事、そして、日頃から“仏になる事”を意識しながら過ごすのを心掛ける事は行っているのですが、それ以外にも、しておくべき事は有りましょうか。 因みに、正座の練習や、『般若心経』の誦経、読経(所詮は素人の真似事かも知れませぬが)も行っているのですが、其れ等は将来、役に立ちましょうか。 これを御覧になって下さっているお坊様、教えて下さい。どうか、宜しくお願い致します。
先日、父親の葬式がありまして代々檀家としてお世話になっているお寺のお坊さんに来ていただいたのですが、お坊さんの態度とか振る舞いがなんとも偉そうなカンジで親類一同イヤな思いをしました。 まずはお経をお願いするためにお寺に電話した時から上から目線で日にちや時間を指定されました。 お経をあげる前にお布施を前払いで要求したりお布施の金額を指定してきたりするのは普通なのでしょうか? 今まで参加したお通夜ではお経の後に親族を励ますような説法をしてくれたりしているとこが多かったように思うのですが、事務的にお経をあげて挨拶もそこそこにさっさと帰って行かれました。親戚の叔父さんの話では、お坊さんが代替わりしてから檀家からの悪評をあちこちで聞くらしいです。お坊さんは世襲で檀家の者はお坊さんを選べないんですかね? 私の兄弟も檀家をちがうとこにしたいとか言ってました。インターネットで調べても最近檀家を抜ける人が多いとか出てますが、しかし先祖代々お世話になっていますから簡単にはかないようにも思いますし… どうなんでしょうね? 宗派に不満とかは無いので同じ宗派の別な檀家に入れてもらったりするのは可能なのでしょうか? あるいは本山に連絡してお坊さんを変えてもらったりできないのでしょうか? これから行事毎にそこのお寺にお願いして来ていただくことが苦痛になりそうです。 最近インターネットでお坊さんを派遣したりするビジネスがあると聞いて馬鹿々々しくて笑っていたのですが、今回自分がこのような体験してみると派遣して来ていただいたほうが正しいような気がしてきました。 今の時流がひとつ理解できました。 どうするのがよいとおもわれますか?
ご質問させて頂きます。 「仏説阿弥陀経」の出だしで「如是我聞」とあります。 現代語では「私はこのように聞きました」と教わりました。 阿弥陀経の内容は、お釈迦様が説かれた法であることは理解できたのですが、いったい誰が聞いて伝えてくれたのか? 当時のお坊さんとか、名前はあるのか?とか、気になります。 また、他のお経にも「如是我聞」から始まる お経がたくさんあると聞きました。その他のお経も阿弥陀経の「如是我聞」の人と同一人物なのでしょうか? お教え頂ければ 幸いです。 よろしくお願いします。
私の質問はお坊さんアンチのように思われるかもしれませんが、これからもお坊さんにはお世話になっていきたいと思っておりますので、不安を解消したく質問をさせていただきます お坊さんはお施主様の法事で何を思って、お経を読んでいるのですか? ただお経を読んで、法話をする作業になっているだけのような気がしてしまっています。 さらには「供養します」「供養してください」供養供養言いますけど、結局の所「供養」ってなんなのですか? 宗派問いません、この質問を見て逃げるような和尚様の言葉はいりません なんなら丁寧なお言葉で書かなくても大丈夫です!! お坊さんであっても一人の人間です、私も過度な期待はしておりません、実際に思っているお言葉をください!! ハスノハにいる和尚様方を信じております 誠に我儘で勝手ですがよろしくお願いいたします。
ご覧いただきまして、有難うございます。 早速、質問させていただきます。 私はご先祖様と亡くなったペットの御供養の為に読経をしたいと思っているのですが、どの宗派のお経を読めばいいのでしょうか? 私の両親はそれぞれ宗派が異なり、両親は離婚しています。 しかし、私は父親の苗字を名乗っています。 その場合、父親の宗派のお経を唱えた方が良いのでしょうか? 私は父方のご先祖様も、母方のご先祖様も御供養したいので、どちらの宗派のお経にすれば良いのか迷っております。 ちなみに最近は某現役僧侶の般若心経の本を読んでいるのですが、宗派に関係なく般若心経でも良いのですか? 今は読経なしで、毎朝お供え物と挨拶をして、毎晩仏壇の前で手を合わせご先祖様には『今日も1日有難うございました。安心して安らかにお眠りください…』、神様には『ご先祖様たちが安らかな気持ちで成仏されますように…』と心で唱えております。 その他、御供養にまつわる作法などございましたら、教えていただけますと幸いです。 宜しくお願い致します。
長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。