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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5451件

怒りは抑えられるんでしょうか

昨年は厄年のせいか、「祖父母の死」「交通事故3回」「骨折3回」など散々でした。 年下の彼と付き合うようになりすぐ1回目の交通事故。足の怪我が治った直後に、彼のバイクの後ろに乗っていて2回目の交通事故。 その後も小さな事故や、祖父の死が重なりメンタル面もかなりまいっている中、彼とのケンカが絶えなくなりました。 最初は些細なことがきっかけでお互いに暴言。 彼は私を突き飛ばし、私も彼を蹴ってしまうぐらいに。 そして先日は彼が私のケータイを奪い、首に手をかけたので助けてと叫んでしまいました。案の定、声を聞いた人が通報し警察がくる始末。 私はやられっぱなしではなく、蹴ったりしていたため、立件はせず。 彼は付き合う期間が長くなればなるほどちょっとした事で激しく怒り、少しでも思った返事や反応が返ってこないだけでも許せなくなっているようです。 浮気やお金のトラブルは一切ありません。 私との話の中で、少しズレていると感じた答えやリアクションが薄いなどで怒っているようです。 場がおさまらないので、悪いと思ってなくても謝り倒して、無理やり仲直りしています。この私の態度も悪いと思いますが、そもそも感覚が違うのに思ってる反応が返ってこないだけで怒るのが理解出来ません。 あ 人の怒りを抑えたり、うまく分散させる方法はありますでしょうか。 別れることももちろん考えていますが、今は逆ギレしそうなので言わないようにしています。

有り難し有り難し 23
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2023/07/07

亡くなった父への後悔で、辛いです

同居してた父を先日癌で亡くしました。診断はステージ4、手術出来ない状態、入院してたった9日で急変し旅立ちました。  私は恥ずかしながらいい年(40代)をしていつまでも思春期の女の子のように父への態度が悪く、母とばかり仲良くして冷たい娘でした。  父の具合が悪くなりだした頃から、医療に素人ながらも何か様子がおかしいと感じだし、単なる体調不良ではないと察し、そこから今までの自分の態度の悪さに吐き気がするほど後悔し、家でのお世話や検査付き添い(たくさん検査がありました)、入院諸々と仕事も投げ出しお世話をしました。その間、たった3ヶ月弱ぐらいでした。  今までの事も謝りたかったのですが、改めて謝ると「死期が近いんだよ」と言ってるみたいだし、どうしよう。でも医師の説明だと短くても半年は余命があるし、どうやって謝るか、どう覚悟するかもう少し考えようと思っていた矢先の父の急変と死でした。 意識が混濁してから、耳元で大声で「本当はお父さんが大好きだったよ!」と言いましたが父が理解してたかはわかりません。   今更ながら、もっと父と話したかった、近所の散歩でいいから一緒に出歩きたかった、と後悔と寂しさで不眠症になっています。   この激しい後悔と私はどう向き合って生きていけばいいのでしょうか。 また、父はもう苦しみもなく、好きなお酒も飲み放題の世界にいると思いますが、生前に受けたであろう私からの冷たさは、もう癒やされてるのでしょうか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

知恵との付き合い方

どんなに貧しくとも共同体を作ることで人は一定の満足を得て過ごすことが出来ます。仏教のサンガがもう一度日本民衆の支えとなれる存在になってほしいのです。孤独死なんてどう考えてもおかしい。なんで偉い人や頭のいい人が一生懸命議論していろいろな法制度を整えたのにこうなっているのでしょうか?アマゾンやアフリカの部族のほうがそんなシステム化しなくてもよっぽど上手に回っているのに。 私はもう分かりません。勉強したからって救われるのでしょうか?文明人が進歩だと思ってやってきたことは正しかったのでしょうか?基本的には人間は群れを作って初めて生き延びられる動物で本質はアフリカで人間が誕生した時から変わっていないのではないでしょうか?群れのために尽くす事と生きがいを一致させたら群れがどんな方向に向かっていくかなんて悩まなくてもとっくに人は救われているのではないでしょうか? ちょっと混乱しています。意味が分からないことを言ってすいません。自分でも道を追求しているつもりで様々な哲学・思想書に手を出しましたが、何だか盆栽をいじくり回して結局何も手を加えなかった方が立派だった様に感じて自分がちんけな存在に思えるのです。

有り難し有り難し 26
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とても辛い2018年

2018年ももうすぐ終わりますが、私にとって2017年年末から2018年にかけて、さまざまな意味での別れが続き、楽しかったこと幸せだったこともたくさんありましたが、それ以上に悲しい出来事が多く、とても辛い一年でした。2017年年末に祖祖母が亡くなり、春には付き合っていても辛いという状況でしたがそれでも大好きだった彼氏と苦しい別れ方をし、少しずつ彼への気持ちが落ち着いてきたと思っていたら、昨日10年一緒に過ごしてきた愛犬を病気で亡くしました。心臓病を抱えており通院しながら闘病していましたが、急変とのことでした。覚悟はしていましたが、愛犬の死は耐えられないほど辛いものです。今までも周りの友人たちに支えられ、一つずつ乗り越えてきたつもりですが、愛犬が亡くなったことは私に追い打ちをかける出来事で、もう乗り越えたと思っていた過去の出来事についても思い出してしまい、また苦しくなってしまいました。もう明日が来るのも辛くて、喪失感が大きすぎてどういう気持ちで2019年を迎えていいのかわからないです。ですが、2019年を今年よりもはるかに素敵な一年にしようという気持ちももちろんあります。新しい一年をいい一年にするにはどのような心持ちでいたら良いのでしょうか。今の私に助言を頂きたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 31
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改めてありがとうございます

先日より2回、こちらで複数のお坊様より暖かいご回答をいただいた者です。その節はありがとうございました。 今でもお浄土へ旅立った弟を想うと後悔したり泣いてしまうことが度々ありますが、それでも少しずつ気持ちが落ち着き、日常を取り戻しながら日々を過ごしています。 弟の四十九日法要が終わるとほぼ同時に、母方の祖父も他界しました。 祖父は享年90の大往生でした。こんなに不幸ごとが続くなんて…と考えることもありましたが、この1年入退院を繰り返していた祖父を想うと苦しいことから解放され楽になれたのかな、と思います。 偶然でしょうが、弟の四十九日が終わるのを待っていてくれたのかな、じいちゃんありがとうなんて家族で言ったりもしました。 身近な若い家族の死を体験したことは悲しすぎますが、今回のことで色々考えることも多くなりました。 大抵のことは受け止め、と言うか受け流せる寛容な心を持てるようになった気がします。 人の優しさに素直に感謝する気持ちも以前より大きくなった気がします。 悲しみや絶望、戸惑いで心落ち着かない時にこちらでおはなしを聞いていただき、又ご回答いただいたことに本当に救われました。 宗教というのはこういう時に救われるものなのか、とも思いました(良くも悪くも様々な宗教がありますが…) そんな想いもあり、改めてお礼を言いたくて質問ではありませんが投稿しました。 ご回答いただきました方、読んでくださった方、本当にありがとうございました。 これからも少しでも多くの方の気持ちが救われるよう願っています。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2022/08/23

母を亡くしました

先日母が亡くなりました。 私は2ヶ月前に一人暮らしからUターンし、末期癌の母の介護をしていました。 日に日に弱り私の介助の回数が増え、引っ越しがひと段落してようやく転職活動を始めた頃にはいつ、どのタイミングで母が私の助けを必要とするか分からずなかなか仕事を見つけられずにおりました。 母の実家で母、私から見て祖母、私の兄、私の4人で生活し、治療や検査の際は通院で療養していましたが、祖母は歳ですし、兄は仕事で家を空ける時間が多く、排泄の世話や移動時の介助は私が行っていました。 私は数年前より鬱持ちで、体力がなく一つやるべきことがあると他のことが出来なくなる部分があり母の介助以外が出来ず、無職への焦りがありました。母が亡くなる数日前は常に一人でイライラし、介助に呼ばれた際に冷たい態度を取ってしまうこともありました。 そんな自分が嫌で、亡くなる2日前にこちらで相談したいと思っておりましたが、結局投稿せず、そのうちに母が亡くなった次第です。 末期癌であり、言われていた余命も今月中だったにも関わらず、緊張感なく母に八つ当たりしてしまった後悔が強く、もっと沢山してあげられることがあったのにと自分が情けないです。 私がもっと早く気づいてあげられたらとか、病院で私がしっかり母の異変を伝えていれば助かったのではないかとか、私のせい私のせいとなってしまいます。最後に意識がしっかりしていた時も優しい対応ができていなかったので、その場面ばかり思い出してしまいます。 現在父との関係を悩む必要があり、そして暫くはこれまで1年間母の療養を助けてくれた祖母を支えて生活するため、1人遠出してストレス発散する、というのも難しくて今後の私の心も心配です。 亡くなってちょうど1週間の日、初めて母が夢に出てきました。 最初は呼吸困難で苦しんでいたものの、時間の経過につれ落ち着き、最後はお互い笑顔で手を握ったところで目が覚める、といった内容で、 母が私に何かを伝えようとしてくれたのでしょうか? 夢占いを信じるわけではないのですが、最後に痛い痛いと叫ばせてしまった分、笑顔で終われたこの夢が印象深いです。 この沢山の後悔やストレスは、いつか報われる日が来るのでしょうか? 散文で申し訳ございません。

有り難し有り難し 32
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日本という国への危機感

こんにちは。 初めて質問させていただきます。 私は今の日本に危機感を抱いています。 このままいけば日本が滅ぶかもしれません。 それは日本の労働があまりにも劣悪だからです。 日本では平気で何時間も残業をさせられます。 しかし本来それは違法です。 日本には労働基準法があり、一週間40時間以上(一日8時間)の労働は認められません。 しかし三六協定というものがあり、経営者は申請さえすれば残業をさせることができます。 その上限はなんと3時間です。 つまり経営者のさじ加減で一日11時間合法的に労働させることができるのです。 このような国は日本くらいです。 これが過労死などの労働災害を生み出しています。 今の世の中は経営者しか得をしないようになってしまいました。 このままいけば日本の国力は落ち、日本は貧乏な国になっていくでしょう。 私が危惧しているのはそれだけではありません。 反日的な組織や政府が国を支配しているのも問題です。 経団連は労働力が足りないという口実で移民を大量に受け入れようとしています。 そんなことをすれば日本人から労働が奪われ、間違いなく日本は崩壊します。 そして政府もそれを積極的に推し進めようとしています。 本当に今は日本にとって危機的な状況です。 しかしほとんどの日本人はこのことに気づいていません。 私は今そのために非常な孤独感を感じています。 そして私自身も何をしていいのか全く分かりません。 ですがこのことに気づけたのは運命的なものを感じます。 私はこれからどうするべきなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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2023/02/20

死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
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追い込まれました

いつもありがとうございます。 もう無理かもしれません。 私に残った選択肢は死しかないと思いました。 何度やっても、採用されないまま、時間だけが過ぎていきます。 三ヶ月間もの時間が過ぎ、得たものは何もありません。 転職をしようと退職したものの、就職先は決まらない。 選ばなければあると言われますが、何度も就職先で躓いた人間には最初から難しいとかわかっている、すぐに辞めるかもしれない職を選ぶ勇気はありません。 先が見えず、家族に迷惑をかけたまま、また不採用で、、、 死を考えると、やっと終わるという解放感を感じます。 いざ死に方を考えると、どこか遠くでひっそりと死ぬしかないし、、、 そのうちに死のうと思うと、生きたかったという気持ちがわいてくるのです。普通に働いて、笑って、いろんな所に行って、もっと楽しかったと死にたかったです。 なんてワガママなんでしょう。 転職や人生うまくいってる人達を羨ましく思って、うまくいかない自分と比べて。 今死ねば、きっと暗い気持ちしか残らないのでしょう。 そんな事でと言われるかもしれません。 今の私にある選択肢は死しかないんじゃないかと思うのです。 なのに、迷っているんです。 いつかうまくいくはず、そう信じたい自分もいるんです。。。 どうして、うまくいかないんでしょう。 もう苦しいです。

有り難し有り難し 32
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亡くなった父を殺したのは自分だと思います。

約3か月前に父を亡くしました。父は進行性の難病を持ち、それでも本当に難病を持っているのかと思うぐらい、自分のことをは自分で行い、シッカリした生活を送っていました。 母は体が弱く、自分のことで精いっぱいながらも父のことを診てあげていました。 父は、穏やかな性格で、誰からも優しい人だといわれていました。自分のことよりも人のことを考えるような人でした。 そんな父に私は、日頃から厄介者的な発言をしては、父に涙を流させてしまっていました。 そんな父が、軽い肺炎から心臓が悪いことが判明し4週間の入院となりました。突然死もあり得るといわれました。でも、無理をしなければまだ生きることができるかもしれないともいわれました。 厳しいが、死を宣告されたわけではありませんでした。 退院後、帰宅を願う父に対して聞く耳を持たずに、自宅から近い老人介護施設へ自宅に戻らず入所させました。 それが母にとってもいいと勘違いしていました。 父は入院中から、難病からかと思われる無呼吸状態に頻繁、「息が苦しく辛い」訴えていました。 施設入所時は、話すこともおぼつかないぐらい弱り、延命的な治療は断り、本人の希望もあり、息が苦しいことを取り除く緩和を行いました。 食事は、入院中から私が「本人がほしがらなければ無理させないで」と言い、徐々に食べなくなりました。本人のことを思ってではありませんでした。勝手に父は死に向かっていて、苦しまないで逝かせてあげると解釈して行ったことでした。 徐々にモルヒネが増え、意思の疎通ができない寝たきりの状態になり、ほんの少し口にしていた食べ物もまったく口にしなくなり、枯れるように静かに逝きました。 最期は、私が看取りました。 ずっとつぶっていた眼を少し開けて遠くを見るようにしていきました。 私は父に対して最初、助からなくてもいいという思いを持ち、対応をしていました。父のことを考えず、自分が大変にならないことを基準にしてことを進めました。 私の行動は確実に死に向かわせていました。 助からないと分かった最期の4週間ぐらいから、やっと気が付き今までのお礼や詫びを伝えたりしました。 でも、父はもっと生きることができたと思います。奇跡もあったかもしれません。 父から受けた大きな恩を、私は大きな仇で返してしまいました。 今は泣いて暮らす日々です。 今私にできることを教えてください。

有り難し有り難し 17
回答数回答 1