ご質問させて頂いきますハルソラと申します。 私は3年以上に渡り、お寺を参拝した際には読経しています。 お経は開経偈から始まり、懺悔文、三帰、般若心経、御本尊真言などです。 しかし中々、お坊さんのように上手く読経する事が出来ません。 声の通りもよくありませんし、息継ぎ、唾を飲み込む時に読経が不自然に途切れてしまいます。 上手く読経するよりも内容を理解し、心掛けが大切とおっしゃられるかもしれませんが、その点はふまえた上で、お坊さんのように読経する方法、コツをご教授下さい。 よろしくお願い致します。
たまたま仏教の起こりについて簡単に知る機会があり、葬式でよく読まれている身近なお経でもある、般若心経について興味が沸きました。 そこで、このお経が何を伝えようとしているのかインターネットで調べていたのですが、サイトによって解釈が微妙に異なる様で、本来の意味を理解出来たのか自信がありません。 以下が現時点での私の解釈となりますが、間違いがあればご指摘いただけませんでしょうか? •自分自身も、他人も、世界そのものも空(実体の無いもの)である •よって、苦しみや生、死も実在しないものであり、状態が移り変わる過程でしかない •そう考えれば、思い悩む必要など無い ※現時点でディティールまでの正確な理解は求めておらず、まず、ざっくりとした意味を理解したいと考えています もし上記の解釈が概ね合っていると仮定すると、葬式で読まれる般若心経は、故人に対してではなく、遺族に対して読まれているものなのでしょうか? オリジナルの仏教では死後の世界には言及していないと認識しており、故人に対して読まれるというのは違和感があり、上記の発想に至りました。 専門書等を読んでみようかと思いましたが、その道のプロであるお坊さんに聞くのが一番正確かと思い、質問させていただきました。 勉強不足な点は多々あるかと存じますが、可能であればご教示いただけると幸いです。
こんにちは。よろしくお願いします。 無量寿経に「唯除五逆誹謗正法」とありますがこの「正法」とはなんですか? もし「正法」というものがあるなら先祖の供養をこの「正法」でしたいと思うのですが。
私の家系は先祖代々浄土真宗です。 父は本家から独立して遠く離れた地域で家庭を持ち、近隣の浄土真宗のお寺の檀家になり、私たち子供と暮らしていました。 その父が数年前に他界したので新たにお墓を建てたのですが、近隣の浄土真宗のお寺(檀家となったお寺を含む)や無宗派の墓地に良いところ(空き区画や立地)が無く、色々考えた末に生前父が好きでよく登っていた山の中腹にある真言宗のお寺にお墓を建てました(浄土真宗のお墓を受け入れてくださる真言宗のお寺でした)。 ですので葬儀場で行ったお葬式や自宅での法事は浄土真宗のお坊さまに来ていただいてますが、お墓への納骨の際にはお墓のあるお寺の真言宗のお坊さまに真言宗のお経を読んでいただくことになりました。 私はこの縁で真言宗のお経に少し興味を持ち、今では般若心経を覚えて唱えることもできるようになりました。 ただ、家系的に浄土真宗ですので実際にお墓等で般若心経を唱えたことはありません(浄土真宗では般若心経を唱える必要がないとの教えを少し理解しています)。 今後も自宅の仏壇や法事では唱えるつもりは無いのですが、真言宗のお寺に建っている父の墓前で般若心経を唱えて良いのかを迷ってます。 実際に納骨の際には真言宗のお坊さまに真言宗のお経を唱えていただいた事実もあるのですが、浄土真宗家系の私は、それでも父の墓前で般若心経を唱えるべきでは無いのでしょうか? ご縁で真言宗のお寺にお墓を建てたことですし、父のためにもなるのであれば唱えたい気もしています。 どうかご教示頂けますようお願い致します。
阿弥陀さまは、念仏を唱える人を救われるという誓願を立てられ如来になられたんですよね。でもお経をよく読むと、救われる者から「五逆罪と正法誹謗を犯した者を除く」とあります。 では、現代において親を殺した人や仏教を誹謗した人は、罪を悔い改めたあとでも救われないのでしょうか?
一般素人がお経唱えても大丈夫ですか? 前にどこかで、般若心経を一般素人が唱えると幽霊が寄ってきて危険。みたいなのを聞いたんですが、本当ですか? また、除霊効果のあるお経や、霊感上げる効果のあるお経ってあるんですか? よろしくお願いします
先日は浦上和尚様、中村和尚様にご回答頂きありがとうございました。 お二人のお言葉には感謝しておりますが、彼のいない事がこんなにも寂しいとは思いませんでした。 お二人には私がお経をあげてもらう事は良いと言って頂き、救われた気持ちでした。 ただ先日、彼が一番信頼する先輩に話したところ『彼はそんな事は望んでいないと思う。人間は死んだら無になると思うよ。お経をあげても届かないと思う。彼が生きていたらそんな無駄な事はするなと言うよ』と…。 冷静に考えれば私も彼はそういう事を言う人だと思います。元気な時私が世話を焼いてする事にはやはりそう言いました。でも後にはいつも私の気持ちに応えてくれました。 私がする事は許してくれると思うのですが、形だけの家族でも家族のする供養の方が正しい事なのかもと思ったりします。 亡くなる一ケ月程前には先輩にも離婚の話しをしていた。先輩の前で電話して離婚の話を娘にし、けじめをつけようとしていた。私には過去の自分がした事で悪い事をした。と言っていたと聞きました。 私のことなどなんとも思っていないだろうなぁと想っていたので救われた気もしました。でも彼も寂しかったんだろうと想うと前向きになれません。 またお答えを頂けないでしょうか
なぜ、日本の仏教のお経は漢字の羅列で、信者のために分かりやすいように別に生き方の手引書のようなものを作ってこなかったのでしょうか。 僧侶の読経のためだけに存在しているとしか思えません。
四月半ばに父の一周忌と納骨の予定でしたが、コロナの影響で納骨は延期で家族だけで一周忌を自宅で行うことにしていました。 一度お断りしているので、まだお坊さんには頼んでいません。 先日弟が80代の高齢の母の感染を心配して取りやめたほうがいいと連絡がありました。 今は一人暮らしなので、私たちも濃厚接触にならないように気をつけて過ごしています。 無宗教だったので、葬儀の際は親戚に宗派を確認し、真言宗のお寺を葬儀屋さんに手配していただきました。一周忌には購入した霊園で、そこの施設で紹介のお寺に変更予定でした。 弟の言葉もあり、一周忌をやってあげたいけれど感染リスクもあり心配だと、母も悩んでいます。 自分たちでお経をあげてもいいのか、ただお経などあげたこともなくわかりません。 母には命日に母と私で手を合わせてあげれば、父もそれで許してくれるはず、三回忌をきちんとやってあげようと話しましたが、本当にそれでいいのだろうかと私自身もわかりません。 この先感染も拡大しそうな中、どのようにしてあげればいいのでしょうか。
私は、お経を聞くのが好きなんです。 ある配信アプリで、読経枠をよく聞いていたのですが、なぜか、私へのあたりが強くて思い余ってそんなに私が嫌ならブロックしてくださいと、枠主のお坊さまへDMを送りました。すると、ブロックされた後に、枠内で私の名前を晒したようで、その枠主のファンと思われる人達から続々と罵詈雑言を私のアカウントへ書き込まれてしまいました。心が折れてしまった私は思わずアカウントを消しました。中には阿弥陀さまから、罰があるとまで。 アカウントを消したので、直接は聞いていませんが、今日の配信では、私の事をメンヘラと発言があったと教えてくれる知人もいて、涙が止まりません。 その枠主のお坊さまにそんなに嫌われる理由を私なりに考えました。思いあたるのは、浄土宗と日蓮宗の読経枠もファンになっていたからかなぁと。(このアプリは、アカウントからどんな枠のファンか見る事が可能) 浄土真宗のお坊さまは、他宗派のお坊さまのファンになっているリスナーは嫌なのでしょうか? 私がファンになっている浄土宗と日蓮宗のお坊さまも、内心は嫌なのでしょうか? 私は、仏教の事をよく知らずに地雷でも踏んでしまったのでしょうか。
いつもありがとうございます 前回母が余命一ヶ月と言われたと相談したものです。 私たちや、医者の先生の予想を裏切り、たった8日で旅立ちました。病状も安定してると言われ、直前まで好きなものを食べ、具合が悪くなって数時間で苦しい時間も少なく皆んなに看取られて旅立ちました。 本人の希望で、葬儀は無宗派で、ご住職も呼ばず家族だけで母を囲んでお話ししながらおくることになりました。 お墓も散骨して欲しいと生前から強く願っていたので希望を叶えてあげたいと思います。ただ、私たちの気持ちの区切りのため通夜、葬儀の形式をとり、位牌は作るつもりです。 参列するのもたった数人、お経もほとんどなくですが母は導かれていけるでしょうか まだ気持ちの整理もできてなく、乱文で申し訳ありません。
ご質問させて頂きます。 「仏説阿弥陀経」の出だしで「如是我聞」とあります。 現代語では「私はこのように聞きました」と教わりました。 阿弥陀経の内容は、お釈迦様が説かれた法であることは理解できたのですが、いったい誰が聞いて伝えてくれたのか? 当時のお坊さんとか、名前はあるのか?とか、気になります。 また、他のお経にも「如是我聞」から始まる お経がたくさんあると聞きました。その他のお経も阿弥陀経の「如是我聞」の人と同一人物なのでしょうか? お教え頂ければ 幸いです。 よろしくお願いします。
こんにちは。 海外在住で真言宗を信仰しています。申し訳ないながら実家に帰った際に御仏壇に手を合わせる程度でした。そんな両親も亡くなり、海外に出てしまい親不孝をした分、毎日両親を思い手を合わせていました。 それではいかんと思い、色々勉強を始め、高野山の法話WEBも拝見し、 檀信徒勤行を購入しCD音源と共にお経を唱えるようにしました。 そこで気になってきたのですが、毎日同じ勤行でよいのでしょうか? 朝、夜、週末などお勤めのルールやルーティンなどはありますでしょうか? 真言宗では、大日経がメインと書かれているものもありますが、大日経のお経は勤行に含まれておらず、またお経自体がオンラインサイトで発見できませんし、購入できるところも見つかりませんでした。解説書のような本は沢山ありますが。。 また、理趣経が購入したお経の裏側にありますが、ある程度の勤行を重ねてから取り組むレベルの高いお経と推察いたします。 何分海外在住の為お寺に伺うこともできませんが、ありがたい事にオンライン配信でご法話やお勤めに参加できます。しかし、檀信徒として日々どのようにお勤めし、信仰を深めていけばよいのかは検索しても見つかりません。どうぞ御指導の程、宜しくお願い申し上げます。
昨年長男である旦那が正式に墓守に。 去年墓経時に棚経もお願いしても連絡なし棚経も来てもらえず。 今年も盆前墓経時に棚経をお願いしてて、連絡なしで7月末にポストに名刺だけあって夜に連絡をしたら「棚経に行ったけど不在だった」と。 連絡もなく来て不在と言われても共働きで常に家に居るわけじゃないし、日時を指定してもらってその日は電話を切りました。 棚経は午前中との約束だったので、義母も9時前には我が家に。10時過ぎ確認も兼ねてお寺に電話。 「住職が他所回ってるから午前中は無理、午後に行く」と。 11時半過ぎに電話がかかってきて「午後は施餓鬼があるから棚経は無理。お寺来たら一緒に棚経のお経あげてあげてもいいけど?」 去年はお願いしても無視、 今年は連絡もなく勝手に来てその後約束した日時は来れず、上からの物言い。 何のための約束か⁈と旦那も義母もブチ切れ。 実は仏壇開きもやってもらえるまで2年かったという経緯が。 元は旦那の祖母が檀家、義父と曽祖母の位牌を義母が管理をしてました。(祖父は祖母が勝手に集合墓地に遺骨を巻いてしまいこの時は位牌なし) 当時、義母の再婚があり長男である旦那はまだ未成年。墓守は無理で、出来る歳になるまではお寺に位牌を預ける形をとりました。 5年前に祖母が他界。その際叔父が別宗派で葬儀、納骨もしないまま2年。叔父の方から祖母の位牌と遺骨をそっちでどうにかして欲しいと連絡があり、これをきっかけに成人した結婚もしたと旦那も墓守を決意。菩提寺になるお寺で祖母の戒名と祖父の相談、位牌の引取りをお願いしました。 はじめはお寺も対応が早く、 叔父から位牌遺骨引取り→その日のうちにお寺へ行く事ができて、4人の位牌も早くに受け取る事ができたのですが… その後からはぐだぐた。 お寺へ行ったのが秋の終わり。 これから寒くなるから納骨は春先、その時に仏壇開きも、との事。 春になりでも連絡はなく、こちらから連絡。納骨当日はその日別の方の納骨があってそのついで?な扱い。 仏壇開きも仏壇等を揃えた状態でお願いしてましたが、納骨以降仏壇開きの連絡なし。墓前法要の度に直接話しても「また連絡する」の繰り返しで、我が家が引っ越す話をしてやっと返事がもらえて漸く…な流れ。 こんなに適当なら同じ日蓮宗の別のお寺さんに変えた方がいいのか?と思ってしまうのですが…。
曹洞宗のご葬儀で聞いたお経ですが、 最初に「としゅさしどーう」と言ってから始まりましたが、感じとしては陀羅尼のような音で現すお経に感じました。 正式なお経の名前はなんというものなのでしょうか?
妻が40代で病気で他界しました。 生まれた時から日蓮宗に馴染んでいて、影響を受け子供も日蓮のお経が好きになりました。 葬儀は、私の家系、まだ私の父がおり、丸く収めるために浄土真宗にしました。 49日、仏壇も浄土真宗にする予定です。 しかし葬儀後、子供達(6歳児、12歳児)から、49日以降は浄土真宗にしようといわれ、反対されたのです。 私も日蓮にするべきだったのではと、引っかかっており、次からは日蓮でいこうと考えております。 すでに仏壇まで、浄土真宗にしてしまったのに、日蓮宗の方に頼んでお経は読んでいただけるのでしょうか?無理ならどうすればいいでしょうか。 納骨場所も日蓮宗にするか、親にしたがうかまよい、自分にとって何が大切にすべきか訳が分からなくなってます。 その間にも日蓮宗の自宅近くの納骨場所は予約がいっぱいになっていくし、子供達の希望を叶えてやりたいのに、父が納得せず、このまま家族関係が崩れるのではと心配です。 妻のためには、自宅近くの子供達が参りしやすい日蓮宗の納骨場所が一番いいと思うのですが、父がまだ健在なので、簡単に即決できず、浄土真宗のお寺の納骨場所にしようか迷います。 浄土真宗のお寺場合、父と妻が後は一緒に入ることになり、浄土真宗と日蓮宗のお経を二人に聞かせることになります。 これは大丈夫でしょうか。無理ならどうすればいいでしょうか。 妻が亡くなり1年経ちません。 私達家族は、毎日家族揃って浄土真宗の仏壇に妻が覚えようとしていた、日蓮宗のお経を流しながら手を合わして毎日暮らしています。 納骨って気にならないんですが、場所がなくなっていくため、毎日悩んでいます。
先日、母の一周忌を行いました。 お寺へ行きお坊さんにお経をあげてもらいました。 お坊さんがお経をあげている時「お母様の事を思い出しながら聴いて下さいね。」と言われたのですが、お経を上げる時にお経の本?を貸してくれました。 お経が始まるとその本を無心で目で追っていました。お経が終わり、気付くと母の事を思い出ていませんでした。 亡くなった母はきっと気にしてはいないと思うのですが、少しモヤモヤしています。
書道を教えていて、般若心経は字数も少なく よく写経作品にするのですが、 浄土真宗の生徒には心経はむかない(本からの知識ですが) ようなので、 題材として文字数が少なく、 作品として掛け軸などにして飾ってもおかしくない お経はありますか? もしくは阿弥陀経のような長いお経の一部だけを書くことは よいのでしょうか…(不勉強でそもそも区切りもわからないですが…)
無知で大変申し訳ない質問です。 お坊さんは、法事やお葬式で、お一人でお経を上げるようになられるまで、皆さん、 厳しい修行をなさるのですか? なぜ一般人のお経とお坊さんのお経では、表現しにくいですが、パワーというかオーラというか、違う力があると思ったので、違いは何なのだろうと思った次第です。 失礼かつ無知な質問で申し訳ないです。 何卒よろしくお願いします。
三條錫杖の意味についてお教え頂けますでしょうか。 宜しくお願い致します。