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検索結果: 494件
2023/05/14

過去の自分について

こんにちは。初めて質問させていただきます。過去の自分の言動についてです。  私は両親が共働きで、小さい頃から祖母の家で面倒を見てもらっていました。私のいとこも祖母の家で暮らしていて、よく一緒に遊んでいました。祖母の家には祖父の母親の仏壇があって、祖父は毎日その仏壇に手を合わせて供養をするように早口で何か唱えていました。小学生だった私は、その仏壇がある部屋に誰もいなくなった後、祖父の真似をして私も仏壇に話しかけるということをしていました。その時私は、何かしらを話し終わった後、最後に「いとこが早く死にますように」と言っていたんです。仲が悪かったわけではなく、むしろ毎日遊んでたぐらいだったのになぜかそんなことを、覚えてる限りですがしばらくの間毎日言っていました。もちろん本気で死んで欲しいと思っていたわけではありません。その当時は死というものをあまり深く考えておらず、このこと以外でも、何かに無性にイライラして独り言で「死ね」と大声で言っていた時期もありました。(今はそんなことは無くなって、いとことも仲良しです)百歩譲って自分で思っているだけだったらまだ心の中にしまっておけたのですが、身内の死を、しかも先祖の仏壇に願ってしまっていたので罪悪感がすごいです。かと言って、本人に直接言っていたわけではないので本人は知らないですし、仏壇の人に謝るのもなんか違うなと思います。  いまさらどうしようもないのはわかっていますが、どう気持ちを整理したらいいでしょうか?

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出産と旅行どっちが大切ですか?

臨月に入りいつ陣痛や破水など出産に向けて体がなるかわからないのに、こればかりは病院の先生も助産師も仏さんも解らないと思います。 なのに6人の息子を産んだ義母は予定日を聞くと「経産婦でも、まだ産まれないわ!」「私の時は…」の一言です。 今回産むのは私で義母ではありません。おさんも赤ちゃんもそれぞれ違うからどうなるかはわかりませんし、今でも命がけだと思います。 なのに、義両親が毎月旅行へ行くのですが、嫁が臨月に入っていてとてもお寺の留守番までできない。行けば掃除などしなければなりませんし、葬式や法事が入れば私と上の娘と留守番です。一度断ったのに今日になり、「どーしても、旅行へ生きたい」と義両親から旦那が言われたらしく連絡してきました。 旅行は2泊3日ですが、旅行は遊びですよね?いかないとしぬわけでもないと思います。 旦那に今回もそうなら産後も毎月か弱い新生児を連れて泊まるの?と聞くと、俺だって体も頭も体も一つだだから解らない。と言います。 確かに義父は視力を徐々に失う難病で今度の免許の更新もできないらしく今のうちにいろいろみておきたいらしいですが、今すぐ見えなくなるわけでもなく、どちらかといえば私と赤ちゃんの方が今現在再優先だと思うのですが、どうなんですかね。 本来ならうち嫁なのにお寺に同居してないし、留守番くらいしなければならないでしょうが、今回は違うと思うし理解して貰っても、いいのではとおもいます。 その割に一日たりと旦那には休みはくれません。旦那も不満に思ってます。 義父も義母も私達を便利屋さんとしか思ってないと思います。 本当に疲れました。 私が我慢すれば済むことでしょうがこちらからすれば、今は赤ちゃんを迎える準備があり、義実家に泊まるとなればわたしが準備をし、変えれば片づけをしなければなりませんし、ましてやいつ出産、入院してもいいようにキャリーケースに準備万端なのに、また荷物を解いて帰ってくればにまた荷物を作らなければなりません。 それをやるのは私です。旦那ではありません。 なぜ臨月にそんな事をしなければならないのか理解できません。日本全国を回っても、義両親に臨月に振り回されるそんな妊婦はいないと思います。  

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2023/10/07

毎朝死にたいという思いから抜け出せない

30代後半、二年前から結婚相談所で活動してます。周りも晩婚、子供は授かればいいね、という方が多く、その程度の気持ちで入会しましたが、不妊治療も辞さないという方が多く私の覚悟と重さが違いました。 選ばれるために必死に自分磨きをし(お陰で、スタイルだけは褒められます)、何人にもお会いし、生涯共にするなら妥協できないと選り好みしている内に二年経ちました。過去の自分を蹴り飛ばしたいです。 両親は、末に生まれた私を愛情深く過保護に育てた一方、姉への期待は大きく、数多くの習い事に加えて進学先は彼女の希望通りでした。姉が選んだ道は私がやりたい仕事でした。 姉の進学費用を理由に、習い事を辞めさせられ、私がその道に進もうとすると激務ゆえ家族全員に反対され、泣く泣く違う道に。思えば、高校を卒業したのだから家出してでも進むべきでした。 その後悔を引き摺りながら、高望みせず身の丈に合わせた条件の下、両親の介護も考え、実家から車で1時間の範囲で婚活し、惨敗。 独身を覚悟する歳になり、生きるために資格取得(進学必須)を考え、受験、合格。ただし、進学すれぱ少なくとも婚活から二年は離脱せねばなりません。 相談所の担当さんは、とても信頼できる方で、もし2年後戻ってきても今よりも更に厳しい、とはっきりと言われました。 姉が子供を産んだので、孫が、という訳では無いですが、結婚、出産…せめてそれくらいは同等でいたかったという劣等感があると気づきました(甥たちは無条件に可愛いです)。 独身も多い世の中だし大丈夫、と友人達は言いますが内心「結婚してるから言えるんだよ」と思い、友人や姉と私の人生は違うと分かっても受け入れられません。 また、80目前の両親へ心配かける情けなさと、この瀬戸際で進学を応援するよ。という両親へ、今更?と複雑な気持ちもあります。いやな奴ですよね。 一つ一つの選択を誤った自業自得ですが、母にも妻にもなれず、夢を叶えたところで孤独に死ぬなら価値がないと涙が止まりません。 「死にたい」「消えたい」と思いながら毎朝目が覚めるようになり、抜け出せません。兄の仏前(思い出させたくなくて死の理由を未だに聞けません)で寂しそうする姿をずっと見てきた事、病気で子供に先立たれた知人の姿を目にし、両親が生きている内は、と踏み留まっていますが…ぎりぎりです。前への進み方がわかりません。助言をいただきたいです。

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虚無感満載です。

あけましておめでとうございます。今年も幸せな人はもっと幸せに、辛い人は少しでも楽になれるよう祈ります。 いつもくだらない質問をしてすみません。 正月と言うことで初詣に行きました。神仏習合のお山に行きお参りをした後は、山に登り反対側まで歩きました。 無心になれるかと思い歩いていたのですが沸き上がる思いは他者への怨みばかり。ただ単に体と心が疲れただけでした。 そして、その後には家族のことを思いました。 それが今の悩みです。私は心の底で親の死を願っていることに気づきました。 正確にはずいぶん前から気づいていたのかもしれません。 私の親は別に毒親と言うわけではありません。 ただ、父が介護状態で姉の人生を縛り付けているように思えるのです。 父は昔から酒と煙草を吸いました。体調が悪くなってから止めるように言うと癇癪をおこしました。 今、介護状態なのも自業自得なのです。 そんな好き勝手した尻拭いをなぜ姉が被らなければならないのか。と言う怒りににた感情が吹き出しました。 私が実家に帰り看病すると言う話をしたことがありますが断られました。私だと父と喧嘩になるからでしょう。これについては私のあまえです。 母もぼんやりしており、何を考えているのかわからず恐怖を感じます。 私は両親が死ねば姉が解放されると思い込んでいるのかもしれません。 姉のための願いではなく自分の心を楽にするためだけの願いだと思います。 考えが堂々めぐりになっています。 今は多少頭が冷え、虚無感を抱え離人感がひどいです。

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生きているのがつらいです。

自分の価値が分かりません。 自分を大切に出来ません。 数年前から、毎日毎日、寝る前に「目が覚めたら死んですように」「明日こそ死ねますように」と祈るようになり、朝起きるたびに「まだ生きてる」と絶望していました。 それでも、やりたいこと目指しているものがあったので、これではダメと鼓舞し未来をイメージするようにしました。 しかし、お前にはそれは許されないと戒めのように、プラスのイメージを持つたびに、大なり小なり突き落とされ続けてきました。 そのうち30歳までに死にたいと思うようになり、29歳のときに癌が見つかりました。 Ⅱb期の子宮体癌です。 抗がん剤と手術で根治する、と言われ絶望しました。 まだ、死ぬことが許されないほど苦しみ足りないのですか? 両親や友人に望まれ、治療を受けることにしました。 二月から抗がん剤投与が始まり、来月末に摘出手術を受けます。 周りの人達に心配をかけまいと前向きな発言もしますし、そのときは自発的に元気になったらやりたいことがイメージされます。 それでも、浮上すれば落とされの繰り返しです。 これ以上大切な人達に心配も迷惑もかけたくないから愚痴も言えないです。 けれど、毎日死にたいと思いながら生きるための行為を繰り返すのは辛いです。 やはり、一度死を渇望した私には心から笑って明るく生きる資格はないから苦しんで苦しみ抜け、ということなのですよね。

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2024/05/13

この世から消えたい

いつもご相談に乗って頂き心が一瞬だけですが落ち着きます。しかし私のネガティブな性格のせいで自分の存在が許せません。気に入らない事を言われれば癇癪を起します。仕事中も余裕のない時に利用者の訴えが重なってしまうと優先順位が分からなくなります。死を選んでいるのか自傷行為をすることで周りに私の苦しみに気づいて欲しいだけなのか分かりません。以前もお話ししましたが両親が些細なことで言い合いになります。自分が仕事に行っている時もやっているのかもしれませんが。今日は朝から調子が悪く横になって休んでいた時に両親の言い合いで目が覚めてしまいました。父親はすぐに大きな声で母親に言い返します 平屋建てなので部屋も隣り合っているので仕方ないのですがその後は私が家に居なければいいんだと思い雨の中、散歩に出ました。高齢の親より先に居なくなるのは順番が違うと言われそうですが私は毎日がツラいです。世の中には私よりツラい状況にいる人はたくさんいるのは承知していますが…。生きていなきゃ行けない人がいなくなり生きていても不平不満ばかリを言う私は早くこの世から消えたいです。私を必要とする人はいないです。いなくなれば喜ぶ人の方が多いです 信頼していた医師との出会いがなければ今の自分はなかったと言われましたが 今となれば会わず消えたかったです。医師には感謝しかないですがその医師も今は以前より診察時に質問しづらい雰囲気になってきています。もう心研究材料である心臓に何もない患者はどうでも良い存在なのだと思います 家族にも医師にも何も言わずに眠るようにこの世から消えたいです ただ一人の本音を言える友人に会えなくなるのは辛いですがそれよりも今の両親・両親と姉の関係・姉との関係の原因が私と思うので。 もう私は生きる価値のない人間なのです

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相続でもめる親戚

最初に ・今回、親戚の兄弟の兄が結婚をする。親の持ち家は兄が相続。結婚相手は兄よりだいぶ若い。 ・弟はかなり昔に結婚をしており、外で暮らしている。子供も社会人。 親戚が熟年結婚するらしく、兄弟で兄の結婚を機に遺産相続の話で揉めているらしく、その話をしに兄弟入れ替わりでわが家にやってきます。 お互い、自分の主張があるのはわかるのですが、自分の都合のいいように話をしていきます。 遺産相続といっても、その親戚の両親は数年前に亡くなっており、遺産の相続は終わっているはずですが、弟の方は子供に兄の持ち家(もともと親の家)を相続させたかったみたいで、兄が結婚することにより兄が亡くなった場合、兄の嫁さんが家を相続する事になるのが気に入らないらしく、遺産相続では自分ばかり損をしているような話をしていきます。 兄は兄で、弟は都合のいいことしか憶えていない。被害妄想が酷いとかの話をしていきます。 他にも結婚するにあたり色々な不満があるようですが・・・ 要するに愚痴を言いに来ているわけですが、こちらとしてはあまり気分のいいことではありません。 私としては、揉めるだけの財産があるだけ羨ましいくらいですが・・・ 両者を落ち着かせるには、どんな話を兄弟にすればいいのでしょうか? 私としてはどうでもいいというのが本音ですが、何回も話を聞くのがしんどくなってきました。 大変失礼な言い方かもしれませんが、お坊さんは職業柄?と言ってはあれですが、人の死に接する機会も多く、遺産相続の話も聞くことが多いのではないかと思い質問させていただきました。 何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
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心の整理をつけるにはどうすればよいでしょうか

先日この場所を知り始めて質問をしました。 1つ回答をいただけたことで少しだけ心が軽くなった気がしました。 また一つ心を軽くできればと質問をさせていただけたらと思います(これも1つの煩悩なのでしょうか) 去年、小学校からの友人の訃報が届きました。私にとっては親友と言える友人でしたがこの20年はお互い環境も変わり年に1度年賀状を送り合い数年に一度メールか電話をするそんな繋がりでした。訃報は友人の奥様から手紙で知らされたため詳しい事はわかりませんでした。 訃報を知り半年以上がたちますが、普段は心に無くても、ふと、心に上がってきて辛く悲しくなる時があります。 いつ、どこで、何が原因で亡くなったのか、どこにお参りに行けばいいのかもわかりません。無くなった友人の知り合いには伝が無く、奥様とも直接の面識はありません。またそのような状況で悲しまれているだろう奥様に聞くのも躊躇ってしまっています。 どのようにして心の整理をつければ良いのでしょうか、詳しい事を訪ねる手紙を送っても良いものなのでしょうか。 話が少しずれてしまいますが、20年ほど昔に良くしてくださっていた叔父を亡くし、10年程前には父が亡くなりました、どちらも未だに思い出し悲しくなる事があります。 叔父、父、そして今回の友人それぞれ夢に出てきた事があります、言葉を交わせたことはありませんがどの夢の時も穏やかな状況で逢えていたので叔父も父も友人も向こうで安らかであってくれればと願っています。 取り留めの無い文になってしまいました、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 31
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2022/02/27

いつか来るかもしれない戦争が怖いです

最近、プーチン政権とウクライナの戦争の話をよく見かけますが、その中で、次は日本ではないかという意見を目にして、それ以来戦争のことが頭から離れません。 もちろん戦争というのはとても恐ろしくて怖いものであるのは周知の事実だと思います。 ですが、数日前にその意見を見てから、 「いつ日本に攻めてくるんだろう」 「自分はあと何回朝を迎えられるんだろう」 「島国で逃げ場もない中、どこに逃げたら生き延びられるんだろう」 という考えが、ずっと頭の中にこびり付いて離れなくて、ここ数日ずっと不安と緊張で気持ち悪い状態が続いています。 両親の顔を見る度に、「自分はあと何回両親と話せるんだろう」と考えて泣いてしまったり、夜も熟睡出来ず、何度も目が覚めるようになりました。 戦争が恐ろしすぎて、戦争で死ぬのとコロナで死ぬの、どちらの方が苦しくないんだろう、と考えたり、今目の前の線路や道路に飛び込んで死んだら、日本で戦争が起きたということも知らないうちに死ねるのかな、戦争が起きる前に死んでしまった方がつらくないんじゃないか、と、死を考えることが怖いあまり、逆に死んでしまいたいという矛盾した考えを抱いてしまいます。 不安でネットで色々調べてしまうから、自分自身で余計に不安を煽っていることは理解しているのですが、最新の情報を常にチェックしておかないと、いざ戦争が起きた時に出遅れて死ぬのでは、と思ってしまい、寝ている時と仕事の時以外は常に色々調べてしまいます。 解決方法がある問題ではないのですが、少しでも気持ちを楽にしたいです。 私の周りにいる人達からは、考えてもいないのか、あえて話題にするのを避けているのか分かりませんが、全くそういった話を聞かないので相談することも出来ず、こちらでご相談させて頂きました。 こういった、解決方法のない問題に対しての不安を和らげる考え方などがございましたら、教えて頂けますと大変ありがたく存じます。

有り難し有り難し 54
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結婚できなかった、これからの人生が見いだせません

来月40歳になる男子です。自らの残りの人生について相談させていただきたく思います。 来月40歳になるのですが、とうとう結婚することができずに40歳を迎えることになりました。国立社会保障人口問題研究所の出生動向基本調査によれば、40歳時点で結婚できる人は全40歳代男性の0.3パーセントであるという結果も出ています。従い、40歳までに結婚できなければ、もう事実上私の人生に結婚はないだろうと思います。 結婚相談所に登録するなど、今まで人並みに活動はしてきました。また、運動や食生活に気をつけ清潔感や身だしなみにも気をつけてきたつもりです。 しかし、自分がいいなと思う人に気持ちが伝わることはありませんでした。正直、40年生きてきて女性ときちんとおつきあいをしないまま30歳代が終わってしまいました。生まれてこの方何をしてきたんだろうと思います。 精神医学や心理学をたくさん勉強しましたが、どうやら私は精神的な成長に失敗したようです。子供時代に両親の愛も希薄な状態で育てられたのも今は認識しています。 この文章を読んでいただければおわかりの通り、女性の気持ちをどう考えているかもおそらく伝わらない、稚拙な文章だと思います。女性を愛する能力は子供の時から鍛えられなければならないと言うことを、恥ずかしながら今知ってしまい、もう間に合わないと落胆しています。 周りの幸せな家族やカップルをみて非常にうらやましく思うとともに、正直なんで自分だけがこんなに孤独なのだとねたましく恨めしく思います。 人間最後は皆平等に死ぬと思うのですが、私は今から自分自身の死だけを目標に生きていくことに落胆しております。結婚だけが人生ではない、ほかにもつらい人たちはたくさんいるといわれても全く耳に入らないのです。 残りの人生、前向きなイベントは終わってしまい、残りの人生は両親の死と自分の死だけが待っています。 私には何が足りなかったのでしょうか?残りの人生何をしていったらいいかわかりません。アドバイスをよろしくお願いいたします。

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2023/12/10

老病死に対する自暴自棄

祖母の死から二年経ちます。 それまで親が相続の関係で揉めていたので怒りしかありませんでした。 遺言状を真ん中の叔母が書かせて全財産を真ん中の叔母に託すという趣旨を書いてたのが見つかって、叔母が牛耳ってたので目茶苦茶でした。 弁護士に父が相談して何とか取り分は取れたようです。 それが解決し半年たった今頃急に涙が出てきて、寂しい気持ちが拭えなくなり、何故か心が荒み自暴自棄になりそうです。 子供の頃はお世話になってた祖母なので、その優しい祖母の姿と、叔母に言いくるめられた祖母の寂しさのようなものと、叔母への怒りと恐怖と人間不信とぐるぐるしてしまって、ヤケクソになりそうです。 後、疎遠になった好きな人も難病の母の介護をずっとしていて、その人に対しても何だか嫌になってきました。というか、この祖母の死すら乗り越えられない私がその人とも今後関わる機会かあったとしても向き合える気がしません。このまま疎遠のまま逃げ出したい気持ちと、別にその人は悪くないのになという気持ちと半々です。 本当は母や上の叔母が一番ショックだろうに自分のことばかりで、そんな自分も嫌になります。 いとことも叔母の関係でギクシャクして、昔はとても仲良しだったので虚しいです。 ただ、今までその問題を仕事でがむしゃらに消してたのがプツッと糸が切れたように放心というか、悲しさ虚しさしんどさがどっと押し寄せてきます。一気に仕事どころじゃなくなってしまいました。 明日戦争で私が死ぬとか、明日私が病気で死ぬわけでもないのに何悶々としてるんだろう、という想いも消えないです。 他にも去年別の祖母を介護したあと入居して、それも今頃寂しさや虚しさに繋がっているかもしれません。 習慣のように仏壇でお礼をしてましたが、今思うと最近は理由がわからないまま強迫観念のような感じでやらないと気がすまない感じでした。 広い意味で老病死への向き合い方、乗り越え方を教えてください。 (両親は余りにも淡々とお金の手続きを済ませた、それ以上は話ししたくないという感じだったのでお坊さんに相談しました)。

有り難し有り難し 6
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2023/08/02

悲しみを憎しみで癒していた

いつもありがとうございます。 最近の気づきを聞いていただきたいです。 弟の死の悲しみをを父への憎しみで癒していたのかも。。。と最近気づきました。 両親が離婚し、弟と私は母と暮らしていました。 父への憎しみは父が亡くなってからより一層思いが強くなり、 弟の死の悲しみも、父への憎しみがあったから耐えられた気がします。 もし、憎しみがなかったら弟の死をも受け入れられなかったかもしれません。 ある意味、父への憎しみがあったから私は乗り越えてこられたのかもしれません。 悲しみと憎しみ。似て非なるもの。。なのでしょうか。 こういってはなんですが、父への屈折した思いがあったことに今では感謝さえしてしまうのです。 親子としての縁はとても薄かったけれど、娘からこんなに嫌われている父だけれど、なんだか許してくれるような気もします。 おそらく父へのこの気持ちをご相談するのはこれが最後となると思います。 私の中で決着がついたからです。 嫌ってもいいし、憎まれてもいいよと言ってくれているような気がします。 私の気のすむようにすればいいと。 実際に父と暮らしたのは5年か6年。父が何を考え、弟や私のことをどう思っていたのか、少しでもかわいいと思っていたのか、思っていなかったのか。 もうわからないけれど、もう手放せる気がします。 憎しみで大切な弟の悲しみを癒すというかごまかしていた気がします。 きちんと悲しむことも必要ですよね。 もう私は、私を幸せにしたい。 もちろん、不幸せではないけれど、憎しみを手放したい。 そんな気持ちをこちらで開放させていただきました。 とりとめもなく申し訳ありません。 なんだか少し優しい人間に近づけるような気がします。

有り難し有り難し 3
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