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検索結果: 368件

母親が自殺すると言っています

タイトルの通り母親が自殺すると言っています。原因は父親にあるのですが、簡潔に言うとキャバクラ通いが多く家を空けることに原因があります。 私は実家を出て一人暮らしをしており、現在両親のみ実家に暮らしています。 母はかなり寂しがり屋で、キャバクラへ行くことにはどうでも良く、家を空けることが嫌でいつもひとりぼっちと言っています。 どんな風に話をしたか分かりませんが、母はキャバクラへ行く頻度が多すぎだと父親に話したら激怒し今現在も話し合いが出来ないみたいです。 こんな感じが続くなら母は自分が死んで父に分からせると言っています。 私は死んでも何も意味無い!娘の私がいるのにと言っているのですが…中々分かってくれません。 なるべく実家にはかえっているのですが、自分の仕事があるので頻回には行けていません。 母の両親は離婚しており、親戚とも折り合いがつかず相談出来る相手が居ないみたいです。 母(祖母)と二人暮しで貧困の中大変な思いをしたと聞いて苦労したのだと思います。 祖母も3年前亡くなりましたし。更に1人なのだと感じてるのかもです。 生きてる意味がないとか、死んでやると何度も送られて正直私も心が疲れています。 そんなことはないとか、言うのですが分かってくれません。 父親とも話そうと思うのですが確かに短気で怒鳴るような人なので怖いのは正直あります。 私はどうしたらいいのですか?

有り難し有り難し 12
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2023/09/08

ベストは尽くしたと思います。

43歳男性です。 事の起こりは親の都合から治安の悪い所へ引っ越しをした事に始まります。 そのすぐ後に中学校でいじめを受け、重度の不安障害を発症し、 引きこもり生活が始まり、人間やこの世界が本当に嫌いになって13年が経ちました。    しかしながら、ただ1人の友達との繋がりが僕の心をなんとか救ってくれました。 そこからは少し活動的になりなんとか持ち直しました。    26歳ごろから、親の会社を継ぐための他社への研修や会議などに行きはじめ パワハラや村八分を受けながらも ストレスで目が開かなくなって病院に運ばれるまで必死に頑張りました。    会社に関わる事なので勝手なことは出来ず、少し休みたいと父親に相談してみましたが、子供の頃のいじめの時と同じで我関せずでした。    僕が首を吊った後も父親は笑っていました。 僕はそれをわすれる事ができません。   そのすぐ後に鬱病を発症して寝込むことが多くなりました。 そんな状況にも関わらず、いつもトラブルを起こす姉が マンションのローンの未払いから、マンションを追い出される寸前となり、 鬱で寝込んでいる僕にローンを組んでくれないかと催促。 73歳までのローンでした。   父親も「俺はローンを組めないから組んでくれ」と。 「姉が支払えなくなったらどうするの?俺の人生もある。」と訊ねると 「そんな事は親兄弟で考えるもんじゃない」と言われ・・・。   「ああ・・・コイツは俺を見てないんだな・・・」 僕の中で心の糸が再びプツンと切れました。   それからも、人生が180度変わるような大きなトラブルばかりを、父と姉に起こされ続けました。 それでも、僕は寝込んだ体と心に鞭を打ってフラフラになりながらも奔走しつづけました。   さすがにもう限界で この1年は父と姉との縁を完全に断つために必死で動き続けました。 結果的には、縁を断つことに成功はしたのですが本当に疲れ果てました。   ちょっとした知り合いに「そんな昔の事を」とも言われました。 でも、僕が心の欠片を必死に集めて直しても 父と姉が粉々に砕き続けてくる状況で。   トラブルを起こされてばかりの人生でしたが、僕なりのベストは尽くしたと思います。 でも、そろそろ限界です。 本当に本当に疲れ果てました。

有り難し有り難し 10
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2023/06/11

親の将来について

私自身が発達障害ということもあり、福祉専門職の資格もある知人の勧めから、76歳になる父と同居しております。 生活のサポートをいい年をして父親に依存しており、それ自体にやましさもありつつも同時に甘えてもしまっています。 さて、その前述の知人は、私に、「君のような人間はいざ父親に万が一のことがあってから急にいろいろなこと(銀行の口座はどこのものがあるのか、保険は何に入っているのか、等々実務的な問題)に対処する能力はないんだからお父さんと話をしておいたほうがいいよ、とアドバイスをもらいました。 なかなか切り出せずにいましたがその知人はよくそのことを私にどうだ、お父さんと話はできたか?と声をかけてくれるので、とうとう数年前に、安直にそのまま父に切り出したら、そもそも難儀な問題を考えるのを避ける傾向もあり、今考えれば思いやりも足りなかったなと思うのですが、自分の死を意識する話題が面白いはずもありません。 おれがくたばったら兄弟(年子で44歳の弟)で考えてよと、吐き出すように言ってそれからは寄せ付けない感じで取り付く島もありませんでした。 もともと無口で大事なことほどはぐらかして、父と母のすれ違いもそんなところに原因があったのでやむを得ないなとは思いました。 救いがあるのは市役所から委託を受けている相談事業所の方は、万が一の時にはお力になりますよとおっしゃってくております。 そもそも父親のその反応も当然なもので、自分自身にとっても考えるだけで憂鬱で暗い気持ちになりなかなか向き合うこともせず時間だけが過ぎています。 母は別居しており、かといって家計もともにしていて父と連絡も絶えずあるといった奇妙な状態で、母が突破口になるかもしれませんが苛烈で攻撃的な一面のある母と私自身苦しく向き合うことも避けているこの頃です。 もっとも親に過剰に色々求めすぎているこの私の心構えから正しておかなければ何も前に進まないかもしれません。 障害を甘えにしているのかもしれません。 と、同時にちょっとしたことでも真面目な話題は一切避ける、問題を過小評価して逃げる父とのコミュニケーションにモヤモヤして、サザエさんの世界のように平穏無事、面白おかしく、もそれだけでは狂気の世界で苦しくて。私の障害にしても当初はなんとかうまくやってくれよ。ちょっと工夫すれば乗り切れるだろう?みたいに考えて、一緒にいても孤独です。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2022/11/08

亡き母親の今後

私の母親が54歳で自ら命を絶ちました。 母親は約25年統合失調症と戦いました。 最近は精神症状は昔ほどひどくないかわりに、手足のシビレや脱力に悩まされ。 排便や移動などを父親が介護する場面も多々あったようです。 本人は父親や周りの方に迷惑をかけてしまっていることや、自分で自分のことができないことで精神的に落ちていたようでした。その日は父親が仕事に出かけるため訪問看護の方がくる予定でしたが、訪問看護の方がきたときにはベッド柵にベルトをかけ亡くなっていたようです。まだ暖かっかったとの状況も聞きました。 手足のしびれと戦い、25年間も精神的な病と闘い。家族としてはとても頑張って生きていたと思っています。亡くなっていたその顔も窒息とゆう要因ながら、とても穏やかだったそうです。本人も辛さからも解放されたのかなと考えることしかできません。 ですがネットなどを調べていると、自害した人はあの世にいってもとてつもない苦しみを与えられる、いわゆる天国?という場所には行けないなどという情報がたくさんあり、今後の母親のことがとても心配です。 残された遺族が、49日までの7日ごとの供養以外できることはありますでしょうか? この世で苦しんだ分、少しでも楽にしてあげたいです。 読みずらい文法、文脈で申し訳ありません。お時間がありましたらお答えください。

有り難し有り難し 19
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2023/09/12

親孝行ができない自分について

私は世間一般に言われる親孝行ができない娘です。 就職して地元を離れてから、初任給でプレゼントを買ってあげる、誕生日にお祝いを送ったり、何かあれば連絡をする、といったことをほとんどせずに来ました。それどころか、LINEなどで連絡が来ても何日もリアクションができず、放置してしまうこともあります(他の人に対してはそんなことはありません)。 たまに会って食事をするのもとても気が重いです。結婚時は、結婚式を望まれていたと思いますが、私がどうしてもしたくなく理由をつけて行いませんでした。 「そうした方がいい」と思っていても、形だけでも、実行できないのです。 思春期頃にはもう親との会話がままならない子どもでした。 話そうとしても、口が凍り付いたようになってしまい、たどたどしい受け答えがなんとかです。 思いあたる背景といえば、昔から両親が不仲で、父親は私が幼い頃から長く不倫をしていました。婚外子もおります。知ったのは成人してからですが、ずっと夫婦仲は不安定でしたし、父親はよく家に帰りませんでした。一緒に育った兄弟はおりません。 でも両親が憎いわけではありません。私に対しては良い母親と父親でした。細かい不満はあれど、不自由なく育ててくれ、感謝しています。離婚もせず娘を自立できるまで育てたのだから、親孝行されるべきだと思います。 でも、それなら誰かが私の代わりに孝行してくれないか、というひどい気持ちでいっぱいです。 いつか、親が亡くなる日が来るでしょう。満足に孝行しなかったことを後悔するかもしれません。それがとても怖いです。これさえ親を思っての不安ではないことが恥ずかしいです。 私自身が、こんな自分を受け入れられないでいます。孝行ができない自分をどのように受け止め、変えていったらいいのでしょうか。 情けない話ですが何かお言葉をいただけたら嬉しいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

自殺するという夫を理解できない

はじめまして 私は専業主婦で4歳と2歳の男の子をそだてています。 相談したいこととは夫との関係、家族のことです。 私たちは所謂できちゃった婚で結婚生活は4年目です。 4年間仲が良い時も勿論あったのですが2人目が生まれた後からは私は子供のことでいっぱいいっぱい、夫は仕事でろくに口を聞くこともなくなりました。 その頃からか色々なことで話し合いをするたびに「俺はもう終わりに(自殺)したい」というようになりました。 私がいくら「子供たちのことを考えてそのようなことは言わないでほしい。言っていいことと悪いことがある。」と言っても、彼自身父親を自殺で亡くしておりますが「俺だって親父が自殺したけどそれでも俺はここまでやってきた。子供たちだってそれくらい強く生きて欲しい」と私としては理解できないようなことを言ってきます。 昨日も言われて最近はもう何度もそれを聞いてきたので正直愛情も冷め信頼感も無くし、正直そんなことをを言われても、子供たちに申し訳ない気持ちと早くこの人から離れてしまいたいという気持ちしか湧きません。 夫が死ぬと言っているのに支えたいという気持ちも湧かないのです。 私はおかしいのでしょうか。 子供たちから父親は引き離したくはないという気持ちとこのままでは子供たちにどんな影響が出てしまうだろうという恐怖と毎日闘っています。 これからそんなことを言う夫との生活は成り立つのか、家族の将来をどう考えて行ったらいいのか教えてください。

有り難し有り難し 20
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2022/03/10

妻が私に無関心です。

結婚1年目の夫です。 1月に挙式も終え、4月には第一子を授かります。 まだ同居しておらず、出産後に同居する予定です。 最近になり、妻とのやりとりが激減し、私に対し敬語を使うようになりました。 理由を尋ねると、私に対して「無」ということでした。 恐らく、関心が無くなったということだと思います。 ちょっとずつが溜まった結果のようで、話をしようと試みても避けられてしまいます。 話し合いができないので、自分なりの考えをまとめてみました。 冷たくなり始めたのは、2月に入って、本格的に出産に向けての準備が始まった段階です。 また、出産後の新居も探さなければならず、かなり忙しくなりました。 金銭面でも、妻が退職することになるので出産後は厳しい生活が予想され、特に金銭面に関しては前向きな話ができていませんでした。 子供の準備等もできておらず、段取りが全く取れていませんでした。 その頃から敬語を使われるようになりました。 恐らくですが、妻から見ると私は積極的に何もせず、自分だけで準備させられているように感じていたのではないかなと思います。 確かに、私から準備についての話をするのが遅く、話した時には妻の母親と2人で買いに行く段取りを立てたと言われました。 負担をかけてしまったなと強く感じています。 もちろん、何もしていなかったわけではなく、不動産を巡り、子供用品を調べて準備の際に円滑にできるようにしていましたが、伝えきれていたわけではないのでそう思われて当然だとも思います。 そんな中、最初に述べたような話があり、私に対して「無」だと言われました。 一瞬の怒り、それを感じないほどの絶望と悲しみと不安と様々な感情が芽生えました。 直後、出た答えが死を選ぶことでした。 現在も死が1番楽な道に思えて仕方ありません。 わたしには、人の人生を背負うことは荷が重かったのだと思います。 背負った妻の人生をすでに不幸にしてしまいました。 私には人生は難しすぎました。 感情がぐちゃぐちゃに混ざってどうすればいいかわかりません。 感情を抑え込むたびに、自分を殺している感覚があります。 以前の私は妻とどう関わり、どう笑っていたのか思い出せません。 私は消えるべきでしょうか、 夫婦仲は元に戻せるでしょうか、 もう心が限界です。

有り難し有り難し 32
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2023/02/07

あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

有り難し有り難し 25
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