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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2465件

亡くなっても本当にまた会えるのでしょうか?

また質問にきました。よろしくお願いします。 先月51歳の大切な大切な彼氏を病気で亡くしました。彼はバーのマスターでたまに行ってましたが、この8月に2回目の離婚をしたあたりから急激に仲良くなり、ほぼ毎日一緒に居ました。期間も短かすぎて10月から入院したので、思い出や思いでの詰まった物や、病気が悪化しだしてからは話しもろくにできなくて。憤りの無い寂しさと後悔と自分の情けなさ、不安、などどうすればいいのかもう分からなくて。 愛してると何度も言ってくれた彼を不安に思ったり。 本当にもう会えたり話せたりできないのでしょうか? 彼は本当は無になってしまったのでしょうか? 話を聞いてくれそうな、カウンセラーや霊視のできる所をいつも探してしまいます。 愛おしくて、愛おしくて、息がつまります。。私はまだ35歳でまわりの皆んなは幸せにならないとって言ってくれますが、彼を一生忘れられないまま他の人と幸せになれるのか自信もありません。 私があっちに行くその時に彼は迎えに来てくれますか? どうも自分本意な事ばかり書いてしまい本当にすみません。 皆様、行き場のない思いをどうか聞いてやって下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 177
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頑張りが報われない

質問したばかりなのに、またすぐに質問してしまい申し訳ありません。 現在、就職活動中であり、先日第一志望の病院を受験し、また不採用となってしまいました。 友人も受けており、友人は内定を頂いていました。この友人は大学に入り、最も仲良くなった友人で、就活や将来の事などお互いによく相談し合っていました。一緒に遊びにもよく行きます。 私は7月から就活を始めましたが、友人は今回の病院からやっと就活を始めたという状態でした。自分は7月からずっと色々な所へ病院見学に行ったり、試験対策をしたり必死にやってきたのに、就活始めてすぐに内定を貰った友人を見て、悔しさや嫉妬の気持ちが生まれました。 友人は、就活の対策をほとんどしておらず、勉強なども頑張るタイプではありませんでした。しかし、要領が非常によく何事も上手くこなしていく人でした。要領が良い友人を羨ましいと思っていました。 長い時間をかけたから良いというものではないとわかってはいますが、今まで頑張ってきた自分は何なのだろうと思ってしまいました。努力が報われない悔しさに涙が止まりません。辛いです。 自分のが努力してきたはずだから、友人よりはできるであろうという思いもあったのだと思います。この気持ちが余計悔しさを増幅させました。友人の事を見下してるような自分もどうなんだとも思いました。 努力したことが必ずしも報われないというのは今まで生きてきて、痛いほど感じています。 でも、この報われない悔しさは何度経験しても慣れません。引きずってしまうこともあります。今は、それでも頑張り続けなきゃいけないのが辛いです。要領よくなれたら、どんなに楽だろうかとも思ってしまいます。 私は将来への不安から焦り過ぎて、頑張りが空回ってしまっているんだと思います。今まで頑張って来たことは無駄なのかと考えてしまいます。 頑張りはいつか報われますか。無駄にはなりませんか。 愚痴のような質問をしてしまい申し訳ありません。ご回答頂けると幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 65
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2023/04/12

自殺を考えてしまう、助けて下さい

はじめまして。新卒で就活をしている者です。一次面接で6回連続で落ち、持ち駒もなくなってしまいました。 本来であれば、就活の時間を増やすべきでしょう。しかし、もう毎日、泣いてしまう、眠れない、朝早く起きてしまう。といった状況が続き、いつしか消えたいと感じるようになりました。 最近は、身辺整理を行い、いつでも自殺できるようにしてあります。でも、怖いのです。死にたくないのです。 でも、昨日、電車を待っている際飛び込もうと無意識に思っていました。楽になれると。 しかし、損害賠償が親に請求されるのではないかと思い、踏み止まりました。 あと、純粋に死んではダメだと思いました。生きたいと。 父は心の病気になってしまい、現在無職です。加えて、母は蒸発してしまい消えました。少しでも、お金を稼ぎたいと思っています。 また、週末は祖父母の家に行くのですが、父が離婚していないことに怒り、怒鳴られます。 どこにいても、気が休まらないのです。 家を楽にしてあげられたらといつも思っています。でも、面接で落ちる。私は、社会に不要な存在なのでしょうか。 昨日、就職支援の相談員に相談したら、会社に何が提供できるかがないからでは?と指摘されました。確かに、そうです。ごもっともで、改善すべきところです。 また、第一志望の志望動機を話したら、多分落ちただろうと。もうショックで私は何がしたかったのか疑問だらけです。 本来は、冷静に相談に乗ってくれた方に感謝すべきでした。でも、できなかった。うわべだけのお礼しか言えなかった。 また、他の何人かの相談員に模擬面接を担当してもらった際、このような指摘はありませんでした。 悔しいです。何で、もっと早くにこの欠点を自覚できなかったのか。 もう生きていたくない。早く楽になりたい。親に申し訳ない。こんな気持ちが四六時中頭の中をぐるぐるして、気が触れそうなのてす。 死にたい、消えたいでも死にたくない。生きたい。矛盾だらけです。 他にも、道はあるはずです。でも、一本にしか見えないのです。 助けて下さい。もう、藁にもすがる思いで、ここに相談させていただきました。 どうすれば、もっと気楽に取り組めるようになるのでしょうか? 泣かないように、前向きに取り組めるのでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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2024/07/18

医ですが、責任の重さに戸惑います

20代の医師ですが、医師としての責任に少し戸惑いを感じてしまいます。 上手く治療が行けばとても嬉しいですし感謝されるしやりがいもあります。しかし少し治療が上手くいかないだけで責任感を感じてしまい、「自分だからこうなってしまった」とか、「他の人がやればこうはならなかったのでは」と思ってしまいます。 先日も手の手術をした患者さんに術後強い疼痛が出現して、手が麻痺したようになってしまうことがありました。 CRPSといって、手術など侵襲が加わった際にまれに起こる原因不明の疼痛症候群で、防ぐ手立ても、有効な治療法もないものです。同意書にも記載してあり、十分に説明しています。患者さんもとても良い人で、「しょうがないね、大丈夫ですよ」と言ってくれます。過失ではないしある程度しょうがないとは分かっていますが、「手術しなければこうはならなかった」とか、「他の人がやれば起こらなかったかもしれない」など自責の念にかられてしまいます。今は休日でも、病棟で苦しんでる患者さんのことを考えてしまって落ち込んでしまいます。 医療といえど完璧ではない、失敗も含めて目の前のことを一つ一つ学んで次に活かさなければならない、と分かってはいますが… 医者の仕事は非常にやりがいがあるし、これからも頑張って患者さんを助けてあげたいと思っています。 今後医者を続けていく上で、心構えや、何かお言葉などあれば賜りたいです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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憎しみを何とかしたい

同居している祖母に対する憎しみが積もり積もって辛いです。 祖母は父を養子にしたので、義理の祖母で私とは血縁関係はありません。 祖母は若いころから自己中心的な考えで私たち家族のことを縛ってきました。自分の思い通りにならないと逆ギレをし、家は私が購入したのだから出ていけと怒鳴り散らし脅すことがしょっちゅうでした。ただ次の日には何もなかったかのように振る舞うので、まだ幼かったころの私は、訳が分からず、怒鳴り声が怖かったのを覚えています。 理不尽な理由で母をいじめているようにしか見えないこともしょっちゅうあったので、私の中ではバケモノにしか見えなくなり、祖母が言うように別々に暮らした方が幸せなのではないかと何度も思いました。 その祖母が認知症になり、一人では何もできない状態になりました。昔のことがあるので今更優しく世話なんてできません。私自身はストレスで体に変調が出てきました。祖母のせいで本当の家族仲が不和になり、何で祖母が同居しているのか、何でまだ生きているのかわからなくなってきました。こんな考えがよくないことはわかっていますが、憎しみが積もる毎日です。 ちなみに、祖母は子育てをしたことがなく、好き勝手生きてきたせいか、共感能力に欠けています。目の前で人が泣いていても気が付かないような人です。こういう所を見て、増々嫌いになりました。

有り難し有り難し 30
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自分を知りたいという執着

これまでの人生で、自分というものを無自覚に蔑ろにしてきたのではないかと思っており、今更ながら自分は何者で、何が好きで何が得意なのか、といったことをあらためて見つめなおす必要があると考えています。 というのも、特に仕事において、他人に自分の努力を認めてもらいたい、という強い欲求が自分のなかにあり、自分への評価を他人に委ねてしまっていることに気づいたからです。 自分の軸とも言うべきものがもっとしっかりしていれば、自分への評価を他人に委ねることもなく、そのことによって生じる煩悩も小さくなるのではないか、と思っています。 しかし一方で、仏教の教えに「無常」「縁起」「無我」というものがあり、「あらゆるものは常に移り変わっていき」、また「あらゆるものは関係性のなかで成り立っており」、それゆえに「永遠不変な自分というものも存在しない」と理解しています。ゆえに、自分という、常に移り変わっていくものに執着しすぎると、それは煩悩に変わり、人生が苦しくなってくる、というのも実感としてあります。 自分のことをもっとよく知りたい、必要以上に他人に依存しすぎない自分になりたい、という執着は、仏教の教えに反するものではないでしょうか。もしそうした思いが煩悩になるとしたら、そうならないための知恵をいただけると助かります。

有り難し有り難し 23
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