hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 255件

母が54歳で亡くなりました、つらいです

3/6に母を亡くしました。酒を飲み吐いたものを詰まらせての窒息死、前日にはメールをして、亡くなる5日前には電話もしました。13日には会う約束もしていた突然のことに心が追いつきません。 母は仕事で遠方に行くことが多く共に過ごしたのは4歳まで、12歳までは2、3ヶ月置きに20日ほど、中学の3年間は共に過ごしましたが、15の頃事件に巻き込まれ両親は離婚、以降母とは別に暮らしていました。母には月に一回会いに行く生活でした。親子で過ごした時間はとても少ないと思います。 私が小さな頃に母は兄を自殺で、8年後父(私の祖父)を失っています。家事もして優しくて、けれど二人を失ってからは心のバランスを崩しがちでした。事件以来パニック障害とうつ病も持っていたことを、死後知りました。 私は酒を飲んでいる母が嫌で、つらいことがあるという事もわかろうとせず、冷たくしてしまうこともありました。 死後、家の整理をしていたところ母の履歴書がたくさん出てき、母が頑張ろうとしていた事も知りました。また母のメールから、母が男性に金銭面で援助してもらい、代わりに身体を差し出していた事、その中で暴力行為があった事も知りました。それが母の病状を悪化させたのではないか、知らなければよかったと苦しいです。 なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろうと後悔しています。 誰か一人、私だけでももっと優しくすれば、必要とされていることを母に伝えていれば、向き合って話を聞いていれば母は酒に溺れる事もなく、吐いたものを詰まらせて亡くなる事もなかったのかもと考えてしまいます。 母は依存症でしたが、私のことは常に愛してくれていました。毎月いつ来るかを聞く母は嬉しそうでした。残された沢山の私の写真、母の写真はほとんどありません。 ここ数年は一緒に写真も撮っていなかった、大切だと伝えていなかった、話をして共に出かけたかった、全てを後悔しています。 母の依存症で辛い想いはたくさんしました。普通の家庭がよかったと思う事もありました。 それでも母のことを愛しています。嫌いになったり割り切ったりできません。死後の世界でも、苦しみから解き放たれてほしいと思っています。 残されたものがくよくよしてはいつまでも然るべき世界に行けないと聞いたので前を向きたいです。けれどどうしたらいいかわかりません。 よろしければお言葉を下さい。

有り難し有り難し 35
回答数回答 1

母親の死 後悔だらけです。

12月3日 約5ヶ月の闘病で私の母は亡くなりました。  私は、離婚して子供はなく実家に6年前出戻りました。 離れて住んでいる時はとても、仲が良く大好きな母親でした。 でも、最近は、ケンカもせず、私が話をするのも避け何日も母と会話しない日もありました。 (母に離婚の事をチクチク言われる事が嫌だった) 今は、その事が悔やんでも悔やんでもどうする事も出来ず母のお仏壇の前で毎日謝っています。 元気な頃、一緒にご飯が食べれた事や何気ない会話がどんなに幸せな事だったか、今思い知らされています。 朝昼晩と、母に出来たての仏飯をお供えするたび涙が止まりません。 私自身バチがあたったと思います。 一番私を愛してくれて心配してくれた母を無視して、最後は、自宅でお腹が痛いと言われ救急車で運ばれ、大動脈乖離で緊急オペをし5ヶ月以上も意識朦朧で食事も水も採れず会話も出来ずに亡くなりました。 母が居なくなってどんなに後悔しても母が帰ってきてくれる訳ではないけれど、今の私は、 身の置き場がありません。 心がぺしゃんこになりました。 兄姉も近所に住んでいるのに、初七日に自宅に来ただけでそれ以降、一度も母にお供えする訳でもなく、お線香もあげに来ません。 そんなものなのでしょうか? 時間がない人達ではないです。 その事について妹の私は、注意しても良いのでしょうか? 自宅前を、通るのにそのままスルーして手も合わせないのっておかしいと思うのですが? 私自身が偉そうな事を言えないのですが 今、母に出来る事は、手を合わせてありがとうお母さんと思う事しか私にはできないから、、 どんな事でも、バカな私に教えて下さい。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 94
回答数回答 2

母が亡くなりました

長くなります。 母の人生は私が聞いた話では結婚後苦労をしており、なぜそんな家に嫁いだのかと思うくらいです。しかし、希望に満ち溢れていた人で、年をとったらどこに旅行に行きたい、これをやりたいと常日頃から話をしていました。 そんな矢先に見つかったのが、乳がんでした。母は乳がんのなかでも進行性の乳がんでした。そのことを早くから母から伝えられていましたが、予後不良とは知らず、あまり深く考えていませんでした。1年半の闘病を行いましたが、肺と肝臓への転移が見つかり余命2週間と告知されました。医師から説明を受けたのは父で、母へはそのことを伝えませんでした。私や兄は上京しており、ずっとコロナで会えなかったのですが、亡くなる10日前に会うことができました。亡くなる2日前までは自宅に一時帰宅したりしましたが、一時帰宅後から体調が優れず、面会が制限される中、父に見守られて永眠しました。 コロナの第3波が始まりつつあった時期で、私たちが帰省することで残された家族に迷惑をかけてしまうことから、母を看取ることも葬式に出ることもできませんでした。 私には彼氏も夫も、子どももいません。母を亡くして、人はなんのために生きるのか、今後どのように生きれば良いのかわからなくなりました。 また、後悔することとして、①進行性の乳がんと聞いて、深く考えず寄り添うことができませんでした。 ②余命を本人に告知しなかった。これは、本人が精神的に耐えられないと思ったからです。また、もともと神様や宗教に信仰深い母に神様から裏切られたと感じてほしくなかったからです。でも、時々本当にそれで良かったのか、母の意思を尊重していないのではと感じることがあります。 ③体調不良とコロナでどこにも行けない時に、YouTubeの旅動画を見せ、どこどこに旅行に行きたいねと希望を持たせてしまったこと。これにより、より自分の置かれている状況に絶望を感じさせてしまったのではないかと感じています。 ご多忙の中と思いますが、お返事をいただければと思います。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

父の死について

2月23日に父が突然亡くなりました。 以前から息苦しいとはいっており3軒の病院で検査しても特に異常がありませんでした。 4年前に兄が東京で亡くなり、両親がいる鹿児島へ遺骨を持って帰りました。 その際に父の肺癌が見つかり、治療後の約2年前に私の家近くにマンションを借りて生活を始めました。 肺癌は放射線治療で完治していました。 1年目は、大好きな父に出社前に作ったお昼のお弁当、夕飯のおかずを持って行くのが日課でしたので、家事をしながら話すのが、とても楽しかった。 私が出かける時は、必ず玄関まで見送りしてくれました。 行きたがっていた北海道にも一緒に行きました。 旅行もたくさん行きました。 病院への通院も月に一度行きました。帰り道に外食するのも楽しかった。 しかし昨年の8月から、言っている事がおかしかったり、物忘れがひどくなっていきました。 11月には昼夜逆転となり、夜中も電話をしてきたり、母に対して暴言を吐くようになりました。 あんなに穏やかで優しい父だったのに…。 その頃から着替えも1人じゃしない。お風呂も入らない。 ご飯も食べない。体重は37キロまでに痩せてしまいました。 MRIで検査したところ認知症でした。 週3回デイサービスに行かせる事にしましました。 痩せないように大好物のヤクルトやお煎餅、果物を持って行くと1日で全て食べてしまいます。 しかし最後は35キロ。 私も父のイメージが崩れていくにつれ足は遠のき、あまり会話する事もなく家事をこなし 「早く」「早く」と言い、着替えさせて出社する生活になりました。父も私の態度が悪いからか無口になっていきました。 そして老人ホームへ行きたい…と言い出し、審査が通り4月から新築の老人ホームに入る事が決まっていました。 紙に「老人ホームへ4月から入る事が決定」と書きテーブルに貼って喜んでいました。 それなのに自宅で倒れ、そのまま逝ってしまいました。死目にも会えませんでした。86歳でした。 何で私は最後まで優しく出来なかったのか後悔でいっぱいです。 あんなに大好きな父だったはずなのに…。認知症が出てからは避けるようにして。最低です。 父の死目にも会えなかったのは罰です。 夢枕にも立ってくれません。 荼毘にふされた今も会いたいです。会いたくてたまりません。 この気持ちをどのように持っていったら良いでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

突然の父の死について

初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 92
回答数回答 2
2021/08/20

父が亡くなり、心が苦しいです。

2020年の年末に父親が急逝しました。 亡くなった日の事は、母から聞きました。 仕事一筋の父は、亡くなるその日も仕事をしており、家に帰って来てお風呂に入った後、背中の痛みを訴えました。母は、父の顔色が悪い事が気になり、救急車を呼ぼうとしましたが、父が背中の痛み程度で救急車は呼ばないで良いと止めました。 母は、顔色が悪い父の事が心配で病院受診を何度もお願いし、ようやく、父の重い腰が上がりました。 それでも、救急車ではなく、父が自分で運転をして夜間救急に行ったそうです。 救急には患者が溢れており、順番待ちでソファーに座って待っていた所、容体が急変、急に意識が無くなったそうです。緊急手術で転院が必要となり、救急搬送中に亡くなる可能性もある事を説明されたそうですが、一縷の望みをかけて、転院。救急車の中では、母が父の手をずっと握っていたそうで、最初は父も手を握り返す力があったようですが、転院先に到着した時には、父の手から力が抜けていたそうです。転院先の手術室に父が入って30分〜1時間もしないうちに、母と兄は手術室に呼ばれ、手術台の上には、目を開けず息をしなくなった父が横たわっていたと聞かされました。 実家から遠く離れた地に嫁いだ私は、最期のお別れもできませんでした。 告別式、初七日、四十九日…と、法要を済ませ、父が亡くなってから日が経つのですが、最期を看取れなかった事を未だに悔やんでおります。 そして、初盆には帰省するつもりでおりましたが、このご時世、県外への移動も制限され、仏壇の前で手を合わす事も叶いません。 いつも父の事を思い出し、ごめんねと涙を流して心の中で謝ってばかりです。 この様な状態では、父が喜ばないのも知っていますが、父を思うと心が苦しくなります。 旦那に父の話をしても、他人事のような感じですので、話が出来ません。 父が亡くなってからは、地元を離れて県外に嫁いだ事すら後悔する様になりました。 父が喜んでくれた結婚にも否定的で、離婚して子どもを連れて地元に帰ろうかとも考えるようになりました。 父が亡くなって日が経てばどうにかなると思っていましたが、未だにお別れが出来なかった事や自分の選択に後悔してばかりで、辛いです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

祖父の死からもうすぐ2ヶ月です

先日、約2ヶ月間の入院生活を経て、祖父が亡くなりました。祖父は持病があったものの、ずっと元気でした。訳あって私と祖母と3人で暮らしていましたが、洗濯・掃除以外の家事は祖父がやっており、車での送り迎えや、料理など、私の生活の中心に祖父の存在がありました。 突然の脳内室出血により、緊急入院、2週間の間に三回の手術、1ヶ月間の救急病棟での入院生活、その後通常の病棟へ移動、そしてリハビリの病院へ転院し、転院から一週間せずに亡くなりました。 最初の病院へは、ほぼ毎日私がお見舞いに出向き、少しの時間でも祖父と共に過ごしました。小さい頃から祖父母にたくさんお世話になっていた私は祖父が大好きで、両親よりも大切な存在だと考えていました。 そんな祖父が亡くなり、心の底から悲しく、辛いはずなのに、冷静に受け入れている自分もいて、今までとなんら変わらない生活を送っています。 時々、辛くて悲しくてどうしようもなくなり、もう祖父がいない現実を受け入れているようで、まだ全然受け入れられないのだと実感します。というか、色々なことが急に起こりすぎて、全くついていけていないという感覚です。 それでも私の生活は変わらず続いており、時間は流れて、一緒に過ごした日々、病院での生活、祖父が生きていたことすら忘れてしまいそうな気がしてこわいです。 昔から私は家族の前では泣けないし、素直な思いを口にすることもできません。自分が何を思っているのかもよくわかりません。 受け入れられないのに、忘れてしまうのが本当に怖いです。どうやったら受け入れて生きていけますか。なんだか空っぽになった感じがして、自分が自分を生きている感覚がなくて、苦しいです。 普通に生活出来ているということは、本当は受け入れているということでしょうか。 わかりづらい質問ですが、誰か助けて下さい。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

10年以上前に他殺された母親に会いたい。

 もうかなり前のことになりますが、身内の一家心中未遂により母親を亡くしました。  事件直後からしばらくは、心から尊敬していた、加害者となってしまった身内の変わり果てた姿と、思春期特有の衝突を乗り越えてようやく人間同士として関わり始めていた最愛の母との突然の別れに頭の中がぐしゃぐしゃになりました。  それでも、両親が応援してくれていた夢に向かい立ち止まるわけには行かない一心で、また、共に強いトラウマを受けた弟の頼れる兄であり親代わりになるべく、ガムシャラにここまで走り続け、仕事の面では今ではそれなりに少年時代に思い描いていた立場になりました。  しかし仕事の性質上、どうしても日常の中で考えてしまうのです。  最愛の両親を守れなかった自分が、他人様のために昼夜問わず身を粉にしている虚しさを。その場では必死にやりながらも、どこかその姿を冷めた目で俯瞰で見ている自分がいるのです。「お母さんを死なせたくせに。この道に進まなければきっとお母さんも今は生きていたのに。結局ここまでの道のりは全て単なる自己満足でしかないじゃないか。」と。  このような日々が続いて今更、30過ぎにもなって情けなくもお母さんに会いたくて仕方がないのです。自分の頑張りを親に認めてもらいたいという幼稚で卑しい願望から来ている気持ちである事は理解しているのですが。  自らも親となったことではじめて親の愛情の深さを知り、尚更今の自分の姿、孫の姿をどうしても見てもらいたくて寂しくて切なくてたまらないです。  どれだけ人様から見て成功して見えようとも、この後悔と自責の念を抱えてあと数十年生き続ける事が辛くて恐くてならないのです。  子供たちが誇りに思える父として、この先も前向きに走り続けるために、どのようにこの深い悲しみと向き合えば良いのでしょうか。

有り難し有り難し 37
回答数回答 2
2021/06/26

一人暮らしの叔父の死

叔父の急逝に家族としてどのように両親をサポートし、亡くなった叔父に対してどのような事を思ってあげたら良いか整理ができません。 先週、突然母親から「叔父ちゃんが死んでるかもしれない。これからお父さんとマンションへ。」と携帯にメッセージ入りました。 叔父の上階の住人から変な匂いがすると管理人に連絡が入ったとの事でした。 私は大変驚き、急に怖くなり、とても落ち着いていられなくなり、急いで近くのお寺へ手を合わせに行きました。 しかし、その後「玄関で血を流して死んでいた」と母親から電話が入り、涙が溢れ落ちてきました。 警察と救急が駆けつけ、鑑識による捜査後、遺体は警察へ運ばれ、私の父が本人確認を行い、医師の診断により推定4日前に病死したと判りました。父がいうには、母は震えてしまって身体が硬直していたとの事でした。 人生のライフステージで毎度お祝いをしてくれた叔父の事を思うと、そのような亡くなり方がとてもとても残念で、悲しくて、その夜は一晩中眠れませんでした。 翌日、叔父の兄夫婦も新幹線で駆けつけ、私の両親と伯父夫婦と4名で小さなお葬式と告別式が執り行われ、お骨は実家のある岩手県へ移されました。その後、菩提寺で現地の近い親戚だけでお葬式をするとの事でした。 いつか落ち着いたら叔父のお墓参りに行くつもりですが(私の祖父母も一緒に眠っています)、私は今回、叔父のお参りが一度も出来ませんでした。正直にいうと、怖くて携われませんでした。 両親は今、マンションの特殊清掃、遺品整理、近隣の住人からの苦情の対応など、叔父の死後、ほぼ毎日のように叔父のマンションへ足を運んでいて大変疲れている様子です。私が両親を手伝う事ができたら、両親の心労は3分の1になるのに、私は何もできなくて酷い娘だなと思います。食事の準備や諸手続きは手伝っていますが、叔父のマンションでの作業がどうしてもできません。 叔父の鍵付き金庫を壊したら、中から大量に半世紀前の祖父母の手紙が出てきました。岩手から東京の大学に通う叔父を案ずる旨、母の結婚の事、都会人の父をきのこ狩りに連れて行った事などが書かれており、胸が熱くなりました。 家族とは遠く離れていても本来そうあるべきなのに、私は全然できていないと自分を責めました。 叔父が天国で祖父母に再会し、幸せに暮らせますようどうかお祈りさせてください。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2
2022/02/07

霊障、お祓いなど

子供が三人いますが、昨年の春からまずは長男が不登校→通信制高校へ転校 中学生の子も不登校(部活やテストは行ってます。) 小学生の子は五月雨登校、教室に行けない日も保健室で勉強したりして、学校へはほぼ毎日行ってます。 昨年の春まではみんな、普通に登校してました。 今は、それぞれカウンセリングを受けたり、試行錯誤しながら、背中を押したり引いたりしながら私も過ごしてます。 昨年の春まで、パートで勤めてたのですが、そこの方がコロナに感染してしまい残念ながらお亡くなりになりました。 それをきっかけに、主人が勤めることを反対し、仕事をやめました。 それから、次々と子供たちが不登校になっていきました。 この出来事と子供の不登校が因果関係があるとは思ってませんが、一度、区切りとして霊障やお祓いをしてもらったほうがよいのかと考えてます。 霊障のせいとか思ってるわけではないですが、可能性としてあるのであれば、私も前へ進むために、どこかお寺などでみてもらおうかと考えてます。 そこでなにもなければ、コツコツ出来ることをやるだけだと思ってます。 しかし、ネットなどで調べても、どういうところでお願いしたらよいかわかりません。 お寺とかではなく、霊能者と名乗る人が霊障をみてくれたりするのをネットでみますが、ちょっと怖い気もして躊躇してます。 実家が真言宗で、いつもお世話になっているお寺さんに相談しましたが、前の代の方は霊障はみることができたけど、今はできないと言われました。 何か良い方法はないでしょうか?

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

父は最後に何を言いたかったのか?

父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

いつか1人になるのが怖いです。

私は両親と、姉と暮らしています。 もちろん未婚です。 両親も年齢を重ね、体調崩す事が増えてきました。その度に、いつか1人になる…と思い怖くなります。 父か母どちらかがいなくなると仕事も続けられなくなるなぁ…とか、姉は障害を持っている為、両親が倒れたら、私は何からしたらいいんだろう…とかばかり考えて不安になってしまいます。 生活環境もがらりと変わるでしょう… 仕事に関しても、一応管理職となり、長期のお休みももらいにくい職場です。 以前は難病の父の心配ばかりでしたが、最近は母の体調が悪く、検査をする事になりました。 母も歳をとって来たせいか、気持ちも弱くなっており、支えて行く私の方が辛くなってきています。 それでも、家族の前では明るく笑顔で、仕事場でもいつも通り元気な姿で頑張っていますが、本当は辛くて仕方ありません。 「私がしっかりしなきゃ」と思えば思うほど、正直しんどいし、恐怖と不安でたまらなくなります。 最近若くして無くなった俳優さん。 特別ファンではありませんでしたが、何故か頭から離れません。 自死はいけないことかもしれませんが、自分が楽になる為の1つの手段だったのかなぁ…と思ってしまいます。 もし楽になれるなら、その選択もありなのかもしれない。 でも、私がここでいなくなる訳にはいかない! この2つの思いが頭の中をグルグル回ってとても苦しいです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

有り難し有り難し 147
回答数回答 4

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ