「寛容」とは何なのでしょうか
私は短気な性格をしています。他人の欠点や失敗がすぐに目につき、それに対して一々苛立ちを覚えてしまいます。
また一方で他人の目を気にしており、自分が嫌味を言われるといつまでも引きずってしまいます。
嫌味は相手を不愉快にさせるというのは分かりきったことなので、自分が苛々してもそれを口に出さず、また嫌味を言われても必要以上に重く捉えないようにし、
「何をしようとその人の自由、不利益を被らない限り私が口出しすることではない、多様な考えの人がいて当たり前」
と、寛容な思考・行動ができるよう努めてきました。
しかしこれは「寛容」というよりはただ「無関心」なだけなのではないか、と思っています。周囲の「この人寛容だなあ」という人を見ていると、そもそも他者に苛立ちを覚えない、他者の全てが面白くて仕方ない、という人であるように感じます。容量が寛いから寛容なのであって、苛ついている時点で私はすでに容量が狭い。
かのマザー・テレサ曰く「愛の反対は無関心」だそうで、やはり集団生活を営むヒトという種族である以上、「他人に無関心である」というのはあまりよろしくないことではないかと思います。
正しい「寛容」とは何であり、またどのように身につければよいのでしょうか。
それとも私はこのまま「寛容」もどきの「無関心」を続けていてよいものなのでしょうか。
有り難し 61
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