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hasunoha 問答検索結果 : 「 般若心経 」
検索結果: 501件

金剛経「第五章 如現実見分」のヒントをお聞かせください。

いつもお世話になっています。「金剛経5章」の勝手な考察です。お坊さんからのヒントをお願いいたします。  我々凡夫は、如来であるとの確証を得た(=如来は凡夫にとって価値があるということを知った)後に、如来を探し出せるような特徴を必死に見つけ出します。如来(=価値がある存在)と確証する前は如来でも何でも無いので特徴など詮索しません。探す目で見ていないので特徴はあっても特徴は認識できないので特徴はありません。特徴があるとは、気づいた後に作り出すものであり前には特徴はありません。  誰かが発見する前から重力や浮力は存在していて誰もが目にしています。特徴などないので気づきません。発見した人が「万有引力」やら「浮力」などの名前をつけて特徴としています。  そもそも、あらゆるものに特徴などなかったのです。人間だけに利用価値や意味があるので特徴を見つけ出します。人間以外の動物に「偽札」の特徴など知る必要はなく、特徴などありません。  動物には「言葉」がないので、臭いとかまずいとかの概念はなく本能的な反応だと思われます。我々人間も味を「言葉」にして分けていますが、親に教えられて「にがい」という味覚と経験を記憶しているだけです。  特徴があると断じても、諸法は無我であるので縁によって以前の特徴がいつまでもあるわけではありません。宇宙空間での「音」の特徴は、空気という縁がないので音は振動として伝わらないので音の特徴などありません。人相の特徴ですら、三十年も経てば全く変わってしまい以前の特徴はなくなっているでしょう。  特徴がないと断じたとしても、人間が価値を認めれば特徴を必死に見つけて特徴を定義します。  「ぶどう」は房に実が鈴なりについていて、甘酸っぱくて黒や緑色をしているという特徴によって「ぶどう」と名付けられます。この共通認識によって、市場で果物として流通しています。「ぶどう」は「ぶどう」と名付けられる前から存在していました。「ぶどう」は「ぶどう」と呼ばれなくても「ぶどう」ですから、明日から「ぶどろ」と呼ばれてもいいのではないでしょうか。  特徴によって存在しているのではなく、存在に特徴をつけて勝手に思いつくままに適当な「名前」をつけているだけではないでしょうか。  結局、あらゆるものは概念と名前によって個別の存在として有るだけで本来は区別差別のない一体であると認識しました。

有り難し有り難し 17
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自分がわからない

私は私がよくわかりません。自分が思ってる自分と、周りが思う自分が違い過ぎて理解に苦しむと同時に辛いです。 貴方は優しいね、とか貴方は愛情深い人だ、とか…言われてもどこを見てそうなるんだろう?と疑問に感じて素直に言葉を受け取れないくせに、ありがとうと笑顔で返してしまいます。 故に私は自分の意見を上手く言えません、お姉ちゃんなんだから我慢しろと昔から言われ続けたのもありますが、意見を言う前にお前ならこれが良いでしょ?お前ならこうすんでしょ?とか、言われて意見を言う隙すらありません。私の知らないところで私が形成されている気がして気持ち悪いのに、やはりそれを周りに口に出して言えません。 今まで、周りに流される人生でした。お風呂やトイレなど、確実な一人きりの空間が一番安心して息ができます。それでも、独りになるのは嫌なんです。私は浅ましい人間でしょうか…周りに胸の内を全てさらけ出したら幸せになるんでしょうか?さらけ出すことで不穏な空気になるのが怖い、なら言わずに周りに合わせたら幸せなんでしょうか? 私は私がわかりません。私は、明るくもなければ優しい人間でもないです…ただ臆病で小さい人間なんです。自分が思う自分と、周りが思う私に何故こんなにも違いが生じるんでしょうか?

有り難し有り難し 6
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負の感情の手放し方がわかりません。

初めて投稿させて頂きます。 宜しくお願い致します。 私は3年ほど前に子供を堕ろしました。 当時は何も考えておらず、子供を育てる自信もなく、当時付き合い始めたばかりの彼と結婚する覚悟も無く、安易に堕してしまいました。 少しづつ事の重大さに気づき今はずっと後悔しております。 誰にも相談せず軽々しく堕してしまった自分が許せません。 シングルマザーの友達を見ては辛くなり、1人でも覚悟さえあれば育てれたのに… 赤ちゃんを見ても涙が出ます。 あの時何故こんな気持ちにならなかったのかと。 そして、パートナーとも上手くいっておらず、喧嘩ばかり。 その背景には降ろした子供に対する価値観があまりにも違い過ぎて…ずっと我慢していました。 彼は生まれてないものは命では無いと言い、お寺で供養すらしてくれません。 彼は2人の問題と言うものの、私ばかりが辛い思いをしているように、どうしても思ってしまいます。 この先、喧嘩ばかりで2人に未来は無いのだけれど、離れたら子供の事も彼の中で無かったことにされてしまいそうで、悔しく思い、離れたく無いという、執着みたいな気持ちがあります。 このまま離れたら彼の思う壺のような気がしてなりません。 でも、自分の幸せを考えれば離れた方が良いのだと思いますが、彼に対する気持ちが手放せません。 離れても辛いのは私だけ、体を傷つけたわけでも無い彼には、本当に何も残らないのです。 それが許せなくて。許せなくて。 これから先。自分が犯してしまった罪から逃れたいとは思いません。 それは忘れようとしても決して忘れれるようなものではありません。 私がしてしまった事は最低です。 でも、それに同意した彼も同じだと思うんです。 でも前に進むにはこのままではダメだとも思っています。 彼への気持ちをどう処理して良いかわかりません。 この気持ちを処理しなければ本当の意味で前に進めない気がしてなりません。 本当に自業自得なのは分かっているのですが… お言葉頂けると嬉しいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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八正道実践のアドバイス

本件急ぎませんので、お手すきの折にご確認頂けますと幸いです。 何卒よろしくお願い致します。   ■質問 ①得度前と比べて、八正道の実践が上達している実感はあるか ②八正道の実践における、具体的な行動例とは(心がけ以外) ③八正道を実践する上での「難しさ」と、その対処方法は何か   ■仮説(想像です…) ①得度前と比べて、八正道の実践が上達している実感はあるか ・ご実感は「ある」のではないか ・筋トレと同じで、徐々に筋肉つき、サボると落ちるイメージか?   ②八正道の実践における、具体的な行動例とは(心がけ以外) 【正見】仏教を勉強する、見分を広め固定観念に気付く、瞑想する等 【正思惟】モノや人間関係や思い込みの断捨離をする、慈悲の瞑想する、感謝日記かく、怒りは深呼吸する等 【正語】うそ、悪口、おべっか、無駄話NG。言葉は大切にする等 【正業】殺さない、盗まない、不倫・浮気しない、人に迷惑かけない、菜食試してみる等 【正命】仕事がんばる、規則正しい生活する等 【正精進】煩悩を誘発するものと距離を置く(スマホ、酒、繁華街etc.)、良い習慣は継続する(笑顔、気持ちいい挨拶、募金etc.)等 【正念】瞑想する(観察型)等 【正定】瞑想する(集中型)等   ③八正道を実践する上での「難しさ」と、その対処方法は何か ・「正しさとは」で迷う⇒経典を参照したり、師匠に相談する 等?   ■質問の背景 ・四法印や四諦の理解が少しずつ進み、八正道に興味が出てきた ・しかし具体的に何をすれば良いか、すこし分かり辛い印象がある ・なので、稚拙ですが、いったん具体的な行動例を書き出してみたもの ・その他具体例があれば、是非アドバイス頂きたい(無数にある?) ・実践面での工夫や困難等、お坊様のご助言をぜひ頂きたいと思った ・また、そもそも上達(?)する性質のものか、気になっている   以上です。 いつもご回答頂き、有難うございます。     師走のお忙しいところ、重ねての質問で大変恐縮ですが、お手すきの折に、どうぞよろしくお願い致します。  

有り難し有り難し 36
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亡くなった母に後悔の念でいっぱいです

私は40代独身で、2012年に父を、2015年に母を亡くして姉と二人暮しです。 30代の時に隣に住んでいた親戚がアル中であたり構わず暴力をふるい、私も巻き込まれ、それから心を病んで対人恐怖症になりました。 その病気と容姿へのコンプレックスから結婚できず、また姉も性格のせいか結婚しないままです。 両親ともに兄弟姉妹が多く、それぞれの子供たち(私のいとこ)はほとんど結婚して子供もいます。 そのため私達姉妹は親戚から自立していないと蔑まれています。 母に何度も「孫の顔見せてあげられなくてごめんね、肩身狭いね」と言いましたが母は「一緒に暮らせるんだからいいよ」と言ってくれました。 母は若い頃から苦労し続けて私の父が暴力をふるってもずっと耐えてきました。 母に楽をさせたい、親孝行したいと思いながらも自分の病気が制御できず、母にあたったこともありました。 母は60代半ばで若年性アルツハイマー病と診断され、父が先に亡くなると認知症も激しく進行して晩年は一人では何もできないようになってしまいました。 そして最期は乳がんで亡くなりました。 何一つ親孝行できませんでした。 父が亡くなってからは母は仏壇に向かって阿弥陀経をあげつづけていました。 それを思い出して阿弥陀経をあげていますがまだ涙が出ます。 どうすれば母の死を受け入れられるのでしょうか。 母に恩返しができるのでしょうか。 母が親戚の間で肩身の狭い思いをしたことを思うと親戚にも会いたくありません。 母に会えるなら死んでもいいと思うこともあります。 どうしたらこの執着から抜け出せますか。 また、お釈迦様の教えをよく知って拠り所にしたいので分かりやすく読める本などありましたらお教えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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