今年は、7月に母親、同月に同い年の友人(どちらも病死)、8月には、30代半ばの頃、付き合っていた元彼が亡くなりました。 元彼とは、友人を通して知り合ったので、友人から訃報の知らせを受け、悩んだ末、お通夜に参列しました。(知らせてくれた友人は、私用の為、参列しませんでした) 参列した事は、後悔していないのですが…昨夜、連絡をくれた友人に久々に会ったところ、自死だった事を聞かされました。 友人も訃報の連絡を受けた際は、状況は不明だったそうで、告別式後に他の友人から聞かされたそうです。(原因はわからないそうです) 私は、病気だったのかな?と思っていたので…驚きましたし、「馬鹿‼」という言葉しか出てきませんでした。 彼とは、別れてから、かなり時間が経過していますし、今も気持ちがあるわけではないのですが… 付き合っていた期間は短かったものの、当時、年齢的にも結婚を意識しておりました。 結果、一方的にフラレてしまったんですがねぇ。(理由は教えて貰えませんでした) 私は、どうやって彼の死を自分自身で納得(表現が正しくないかもしれませんが)したらいいのか?わからずにおります。 よきアドバイス、宜しくお願い致します。
7年前に彼女が自殺しました。当時大学生でずっと遠距離だった事もあり毎日電話したり定期的に私から出向くようにしてました。ただ、進学するたびに段々と彼女の元気がなくなり亡くなる直前には死にたいなどマイナスな意見ばかり言うようになりました。結果としては彼女を助ける事もできず、前職ではお前が殺したとなじられ私自身がやっぱり俺が殺したんだと思うようになりました。それから現在まで楽しい、幸せだと感じると意味のわからない罪悪感が襲って来るようになり物事を心の底から楽しめなくなりました。彼女のせいじゃないしもう亡くなったことに関しては未練があるわけじゃないと思ってます。ただ、一時期は人として劣っている私が生きていて良かったのだろうか、人を殺しておいてなんで楽しんでるのだろうと考えてしまうことがありました。会社の仲間や友人と食事をしても酷い時は吐いてしまうことなどもありました。幸いなのか鬱病などの病気ではないそうで、現在は一先ず抗うつ剤と睡眠薬を薬を処方してもらってます。書ききれない部分などありますが私はいつか心から幸せだ、楽しいと感じて生きていけるのでしょうか。幸福感の中で何に対してなのか分からない罪悪感を抱かず過ごしていくことができるのでしょうか。もう泣きながら何かに対して謝り続ける夜が耐えれそうにありません。うまく文章にできないですが、この意味のわからない罪悪感だけでも取り払う方法を教えてください。
父が亡くなり3ヶ月経ちました。お墓がまだたってないので、実家で大切にしています。 一人の時に、お骨に話しかけてたり涙したりしています。 来年5月の一周忌に離れた市営墓地に納骨する予定ですが、居なくなると思うと今から寂しいです。 父は寂しがり屋の性格でした。父が初めて入る仏様で まだ誰も入ってないので 一人であんな所にと かわいそうで仕方ありません。 家の近くにお墓がある農家が羨ましいです。 お骨ペンダントや分骨は、なくしたりする心配があるため諦めます。 元気に生きて行くためにどう考えたらいいですか? 周りに話す人がいません
随分前に、結婚について質問させていただきました。 今はその彼と婚約し、結納も済ませ、式の日取りを待つばかりです。 正式な入籍と挙式はまだなのですが、その前に母方祖母の十七回忌があります。 彼はそれに出たがっています。 私の親類に挨拶したいのだと思います。 ただ、母がそれに難色を示しています。 母がいうには、彼の父方➡彼の母方➡私の父方➡私の母方の順にお墓参りするべきだと。 彼側のお墓参りを前に、こちらの母方の法要に参加させるのは、申し訳ないというのです。 彼は「うちの親は気にしないよ」と言いますが。 ちなみに、彼の御先祖のお墓は、かなり遠方で、まとまった休みがないと、行けません。
1ヶ月前に母の死があり、子育てと家事に追われた生活の中で母のいない生活に慣れつつはあるのですが、やはりふとしたとき母のことを思い出し、会いたくてしょうがない気持ちになります。 私の不安定な気持ちが原因で主人とも毎日のように喧嘩してしまい、仲直りしてもまた喧嘩の繰り返しでまだ小さい子供にまでかわいそうなことをしてしまっています。 以前はこういうことを全て母に相談していたのに、今では誰にもこういったことは相談できず、ただただ母に会いにいきたい、母がいれば…、結婚しなければこんなことにはならなかったのに、離婚した方がいいのか…こんなことばかり考えてしまいます、、 母がいないこれからの人生、生きていくのがつらいです。 どう生きていけばいいのでしょうか。
いつもお世話になっております 春に主人が亡くなり、未だ現実を受け止められていない時に、今度は母の病気の状態が良くなく、精神的にどうしていいかわかりません。
今年初夏に父が突然亡くなりました。朝「行ってくるよ」と出かけた途中の道で倒れていたところを救急車で搬送され私たちが駆け付けた時は意識不明。亡くなるのを待つしかない状況でした。私は父にとても大事にされたくさんの愛情で過保護なくらい甘やかされて育ちました。私が仕事で成功することが父の楽しみだったのに、一度は事業部のトップになったにもかかわらず能力不足で左遷され、転属した先の男性上司にとことんいじめられ、悩んだ末、退職しました。さぞや父は落胆したのではないかと思います。両親の願いだった結婚もせず、仕事の道を選んだ末路でした。その後両親と暮らし父には親孝行といえることもできたと思っています。ただ、父がいなくなったことが悲しくつらく、残された母のショックも深くこののち母もなくなってしまうことがあると私は一人きり。どうやって生きていけばよいのか悲観的になってこころにずーんと思い鉛を抱え毎日不安なまま仕事に行っています。できれば仕事もやめてずっと母のそばにいたい。けれども働かないと生活できない。どうしてこうなってしまったのか、いずれ両親と別れがあるのはわかっていたのに突然で何が何かわからないまま日が過ぎています。毎日生きている事に感謝して生活しなければならない事はわかっていますが気持ちが沈んで気持ちがおかしくなりそうです。どうかこれから生きていく指針をお教え下さい。
松来未祐さんという声優であり、ラジオパーソナリティをされていた女性が一昨年、病気で亡くなられました。 穏やかな人柄でよく笑い、笑顔が素敵な可愛らしい女性でした。 私は松来未祐さんのファンだったのですが、彼女が亡くなられてから暫くは、その実感がありませんでした。 ですが、松来未祐さんの声を聴きたくて、彼女ののこした楽曲やラジオ番組を聴いていくうちに、もう彼女の言葉を聴くことは出来ないのだ、彼女にしてあげられることは何も無いのだという実感がこみあがって、とても哀しい気持ちになっております。 私は、この気持ちをどこに向かわせれば良いのでしょうか。 ご教示お願いいたします。
仏教に限らず宗教が具するテーマには、如何にして必然必至の死を受容するか、超克するかということがあると思います。 にも関わらず、人の死んだ時にからんで「忌日」とか「回忌」など「忌まわしい」という字を使うことには違和感があります。 死や血を忌まわしいもの、汚らわしいものとするのは神道の思想のような。 また、各宗祖が亡くなった時をも指して「遠忌」と呼んだりすることがあると思いますが、僧侶のかたはこれには抵抗ないのでしょうか。
私は現在大学一回生です。大学入学まえの春に母を癌で亡くしました。母の死から半年以上たっても母の死を受け入れることができません。また、受験のため、闘病中の母に何もしてあげることができなかったことをとても後悔しています。ときどき、自分は1年間勉強してたことが間違っていたんじゃないかと考えてしまいます。正直母の死を受け入れる気がしません。どうすれば少しでも母の死を受け入れれるのでしょうか?
度々質問お願いします。 今月父親が亡くなりました。家族葬でやりましたが予想以上にお金がかかってしまいました。もう少しで四十九日になります。寺にお墓があります。先祖のお墓がありますのでお布施代などかなりかかります。 母親は、私が死んだら何もしないでいいから!と密葬を望んでおります。今後どのようにしていけばいいのか?とても悩みます。 ご回答の方を宜しくお願いします。
実家にいけば、いつもいた祖父がいないことが寂しいです。一人になると、今頃祖父はなにをしてるんだろうとか、祖母とは再会できたのかなと考えてしまいます。 何十年先になるか分かりませんが、私が死んだ時あちらの世界で私は祖父と再会できるのでしょうか。
先日、夫の従妹(30代)の母(叔母)が亡くなりました。 従妹は離婚していて、子供(4才)と亡くなった母との3人で暮らしていました。 従妹の父は、従妹が小さい頃に亡くなっているので、これから従妹と従甥と暮らしていくことになります。 私の家は、夫と子供と夫の両親と夫の弟と住んでいますが、舅が、「四十九日が終わったら、◯◯(従妹)と△△(従甥)も一緒に住むようにするかー…」と言い出しました。 もちろん誰も反対はしないし、色んな面でその方がいいと思っています。 ですが、従妹の家のお仏壇をどうしたら良いのか分かりません。 従妹の家のお仏壇には、従妹の両親の性根が入っています。 従妹の父は、舅の実の弟にあたります。 私は、本家のお仏壇に性根を入れてもらったらいいと思うのですが、舅や姑が良くないのでは…と言っています。 もし、本家のお仏壇に入れない場合は、別の部屋に従妹の家のお仏壇をおいて、性根をいれてもらったらいいのですか? それとも、建物も別にした方が良いのですか? 下が車庫で上が部屋3つとトイレがある離れがあるので不可能ではありません。 (私と夫と子供が寝るだけに使っています。) 本家も分家も曹洞宗です。
最初の結婚生活は7年で突然の旦那の事故死! 縁あって再婚しましたが、5年目に幼な子を残し自死の道を選んだ主人! 子供達から2度も父親を奪い、あまりにも酷い運命に私も自責の念から逃れられずにいます。 私には主人を不幸にしてしまう因縁みたいなものがあるのでしょうか⁇ 2人の主人はしっかりと成仏し、穏やかな日々を送っているのでしょうか?
今朝から衣替えにと断捨離作業をしていたら懐かしの母が書いた私の生い立ち日記(母子手帳)がでてきました。私が産まれてから数年ところどころ祝い事の写真と一言コメントなど。そんな事もあって、今日から✏日記を!と思い本屋へ行くとhasunoha書籍の横に[私ノート、10月始まり手帳、エンディングノート]と並んでいたのでエンディングノートを手に取り中を…簡単な事務的に伝えておきたい事柄を記入するもの、毎日の日記ふうに書き残しておくもの、遺言書と同等?!に記入するもの等々たくさんありました。エンディングノートとは自分の為の?誰かに伝える為の?とぼんやり眺めていたら側に居た年配のご夫婦がお互いに記入しておこうかしらとホノボノ話されておりました。少し驚いたのは携帯電話のID.パスワード記入欄などもあり…もし自分なら✏何を思って重要なノートを記するだろうかな今日明日と毎日クルクル変わる私事を簡単に記入したら後でやっちまったなぁ…とならないかしら とhasunohaのお坊さまにも質問したくなりました。
こんばんは☆よろしくお願いします。 私は約1年半前に妹を交通事故で亡くしました。 あれから1年半たち、私に変化がありました。 亡くなって間もない頃はまだ子供が産まれたばかりだったのもあり毎日がバタバタ忙しくしていました。 妹が死んだツラさから逃げるように休みの日には友達を呼んでタコパをしたりBBQをしたり祭りに出掛けたりと予定を沢山いれていました。 子供が1歳になり保育園に入り仕事復帰をしました。 営業職なのですが運転が怖くなりめまい動機不安感があり仕事を先月末で辞めました。 病院に行き、不安な時に飲んでくださいと薬をもらいました。 辞めたら動機や不安感は解消されるかもと思っていました。 辞めて2週間近くたちましたが不安感だけが消えません。 しかも明らかに去年の妹が亡くなって間もない時より体が不調で何も楽しくありません。 最近、友達に「興味あること何❓」と聞かれ答えれませんでした。 今、何もかもがどうでもいい。 妹が死んだと言う残酷な経験をした私にはちっちゃい悩みなどどうでもいい。そんな考えになっています...人のことが考えれない。他人などどうでもいい。 きっと私は、精神的に余裕がなくて今、妹の死をすこし理解しはじめたのかなと思うのですがそのような考え方はツライです。 心が死んでしまいそうな気がします。 何を言いたいのか文章では難しいですね。 誰かに聞いてほしくて書かせていただきました。
病的かつ分かりにくい文章で申し訳ございません。 私は、自業自得な出来事で精神的な健康を損ねたことをきっかけに、地元の神社仏閣に通うようになった20代の女です。 最近は、学業や進路の大切な場面などでお参りをさせていただき、心を落ち着かせています。(昨年は人生に関わる大切な願い事が叶い、信心が一層深まりました。) 神社仏閣は私にとって安らげる、大切で大好きな場所です。 しかし、最近私の中の強迫的な心的傾向あるいは筋金入りの天邪鬼が原因で、「お参り中に全く本心では無い言葉が頭の中にチラつく」という悩みに苦しんでおります。(今年の初詣では、大好きな神社でお参り中にふと「地獄に落ちますように」という言葉が浮かんできて動揺してしまいました。直ぐに参拝しなおしましたが、今も心にその出来事が引っかかっています。) これはどうやら「縁起強迫」という強迫性障害?の一種のようですが(間違っているかも)、日常生活には全く支障がないので特に病院などにはかかっていません。 そして、その「地獄」の参拝の後しばらくして、大好きな祖母が心臓発作で急逝しました。 本当に、なんの前触れもなく、今思い出しても涙が止まりません。 そして今、精神的にも経済的にも私のことを厚く支援してくれた祖母を亡くした悲しみの中で、「あの時の「地獄」を神様仏様が「叶え」られたのだろうか」と不安に思っています。 以上のことからお聞きしたいことは、 ・神さま仏さまは、私が「縁起強迫」で願ってしまった恐ろしい「願い事」を「叶え」られるのでしょうか。訂正の参拝は無駄でしょうか。 「縁起強迫」で訳の分からない願い事をしてしまっても、訂正すれば神さま仏さまは分かってくださるのでしょうか。 ・祖母が安らかに逝くためには、私はどうすれば良いのでしょうか。
こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。
飲酒運転で7キロに渡って居眠りして起きてを繰り返し最後はノーブレーキの10トン車に信号待ちしてた所に追突され主人は即死でした、身体は下半身はありませんでした、加害者の謝罪もなく、現場にすら一度も行かず、裁判当日、来ない、というあり得ない加害者です、交通事故は故意ではないと世間では言うのでしょうか、そして親しい人からも言われました、ほんとにそうですか? 車は凶器になるのだから、その結果がどうなるのかは普通だったら想像出来るはずです、それで愛する人を失って故意ではないから仕方ない、なんて思える訳ないのです、裁判で実刑になりました、すぐに出て来ますが…、どうしても殺された命と寿命で亡くなった命が同じとは思えないのです、病気さえも今は羨ましく思えてしまうのです、それは誰も悪くはないから、なんて思うのは苦しいです、主人が居た時の私じゃなくなってきて、もう戻れない気がして この事故で主人も亡くし、自分のままでは苦しくて生きては行けない 加害者のせいで当たり前では生きて行けなくなりました、 夫婦を見れば未だに泣けて、日々一人きりで、その上事故のトラウマからかテレビのニュースが見れない、主人もニュースで放送され映像がフラッシュバッグする、人が殺されたりの刑事物もみれません、あの日まで毎日運転してた車も乗れてません、なにも考えず当たり前にしてた事が怖いのです、悲しい、寂しいだけではないのです、また主人が亡くなったのを人に話す事が難しくて、嫌で、でも話すならこんなにひどい事故で亡くなった、とちゃんと伝えたくて未だに言えてないのです、これが病気なら言えるのに…ってこれは経験して感じる事なんだと悲しくなります、裁判だってしたくなかった、それは辛い現実に向き合う事だった、そして犯罪被害者になってしまった、やはり他人から命を奪われた遺族は大切な人の命を失うだけではない二次被害があるのです 被害者なのに加害者が起こした事の結果そのレールの上を歩く人生になってしまった、そう思うと身体が震えます、人の言葉が怖い、なぜ被害者が不自由に生きなくてはならないのでしょうか、納得出来ず一生受け入れられない、そんな人生に意味はあるのでしょうか、いつまでこの暗闇は続くのか、心の底から笑えないなら、もう人生やめたくなります
こんにちは 6月30日に母をガンでなくしました。 私と母は変な話ですが共依存なところがありました。 母を亡くして、私の半分も死にました。 母の分まで生きる いつまでも悲しんでいると母も悲しむ などなど そんな綺麗事なんていらない 私はお母さんに会いたい それだけ なぜお母さんが死ななければならなかったのか なぜ母の財産目当てのクズばかり生き残っているのか お母さんが死んでから、親戚中が揉めています 母は家族のめんどくさいことを笑顔でこなしていた人でした 両親の介護、家の書類、幼稚な父の相手… 母が死んで家が崩壊しています 母が余命宣告されてから、夫のことも嫌いになりました 母のために死ぬ5日前に安心させたくて入籍しました 今はもう別れても構わないとおもっています 私も死にたい 自殺未遂を何度も繰り返していますが蘇生されます 私もガンでいい なんでもいいからお母さんに会いたい あいたいんです 月命日なんて、なんてしょうもない風習なんでしょう 坊さんのお布施に何十万も払ってばかばかしい そんなことで儲けている坊さんも憎い なにもかもにくい このまましんで、いろんな人を呪い殺したい 私は神や仏なんて信じていません こんな思いをさせて、生きたかったお母さんを殺したやつらを許さない 殺してやる。私が死んだらつまらない金儲けで生きている奴ら、クズなやつら、みんなみんな呪い殺してやる。 お母さん私をひとりにしないで 私も連れてって