いずれ死すなら今死んでも
日々を楽しく...とは胸を張って言えませんが、自分なりに出来る事を苦楽噛み締め、本気で日々を一生懸命生きて来ていると思います。
ですが時々思うのです。「別に今死んでも良いのでは?むしろ死んだ方が後の面倒がなくてせいせいするのでは?」「いっそ死んだら色々と楽になるのでは?」
この先を生きることに絶望を感じることが多くあるんです。
「貴女が死んだら親はどう思うと思うの?」「周りの人のことも考えなさいよ」等色々あると思いますが、何故「私の生命」に関して、育ててくれた親以外に他人に意見されねばなりませんか?
さらに言えば人類皆絶滅した方が地球にとって自然にとって良いのでは?
そんな思いを抱えつつ毎日を生きています。
私1人が生きるために必要な他者の力に(生きる全てにおいて、例えば宅配便やゴミ収集小売店を利用する事も欲しいものが手に入ることも)ありがたく感謝しつつ頼っております。
であれば私1人減れば小数点以下でも人類や自然のサイクル的に多少楽になるのではないだろうか?と思ったり、私自身「このまま生きてて何かあるの?」と思ったりします。
大変な事も仕事も、責任を伴う事も配偶者も、必要で大切なものはたくさんあるので「生きててつまらない」とかじゃないと思うんです。
只ひたすら「別に今死んでも良いのでは?」と思うんです。
付随するとさらに追加で「面倒なく死ねるならすぐに死んで良いと思う」と思うんです。
痛いのや苦しいのや辛いのは嫌ですが今日眠って目が覚めなければ良いのにな。といつも思います。
なぜこんな想いを抱きつつ生きなければいけないのか。
なぜ「生きている事」がこんなに苦しくなるのだろうか。
インスタントで簡単な答えはないと思いますが、仏門を志され生きている皆様はどのようにお考えになられているのか。
恥ずかしながらご教授願えたらと思います。
有り難し 24
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