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検索結果: 198件

戦争、死への怖れ

はじめまして。やまと申します。 死ぬのが怖いという思いがあります。 そして、ある妄想にとらわれております。 自分の住んでいる所が北朝鮮からの核ミサイル攻撃をうけるというものです。 世界は何か見えない大きな力に動かされていて、私たちは戦争をさせられているような気がしてならないのです。 ここ二三日、一晩中上空からヘリの飛んでいるような音が聞こえています。 ニュースやネットなどを見、妄想に妄想を重ね怯えてしまいます。 少しの物音にも怯え、サイレンが鳴るのではないかと気にしたり、核兵器が上空で爆発する様子や土地が汚染され誰も助けには来ない様子などを妄想したりしてしまいます。 このサイトで、戦争について怖れている方が他にもいらっしゃることを知りました。戦争を怖れるよりも、今できることをやるしかないということは頭では分かっているつもりですが、やはり怖れ、迷ってしまいます。 今できることというのは、この場所(今住んでいる県または国)から逃げることなのか。普段の生活を続けることなのか。それとも、死を怖れないようになることなのか。どうすればいいのか分かりません。 いったい、どうすればいいのでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 お忙しいとは思いますが、 ご回答いただけたら幸いです。

有り難し有り難し 117
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恐怖や不安、苦しみと向き合う覚悟が持てない

何度も質問してしまい、大変失礼致します。 いつもhasunohaを拝見しながら、自分自身と向き合い、考えさせられております。 そんな中、自分の中で「私は何も分かっていないのではないか?」という考えが浮かび、また今までの私は「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしたくない」という考え方に強く「執着していた」のではないかと考えるようになりました。 そういった考え方に執着しているせいで、自分が嫌だと感じたことや、やりたくないと思っていたことを避け続けてしまったせいで、全く自分が成長できていなかったことに気付き、とても情けない気持ちになってしまいました。 さまざまなお坊様のありがたい言葉を何度も拝見することで「苦しい思いや辛い思い、悲しい思いをしてでも、これからは自分の足でしっかり歩きながら、他人や社会にお役に立てる人間になりたい」と思っているのですが、いざ「これを始めてみよう!」と思っても、自分の中で「恐怖心や不安」が出てしまい、なかなか手を出すことができません。 恐怖心や不安を抱えながらでも、それでも新しいことや自分が怖いと思っても、それでも手を出せる「きっかけや心構え」など、何か良い方法があれば、是非教えていただけませんでしょうか? 私はもう、過去の自分とはさよならしたいですし、変わりたいです。新たな考え方で、頑張っていきたいと思いましたので、このような情けない人間に渇を入れていただけるとありがたいです。どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
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地獄が怖くて仕方ないです

また、ご質問すいません。 前にアドバイスされた通り、祖父母の仏壇にお線香を供え、子供の頃のやらかしや失敗などを手を合わせながら「ごめんなさい」と謝ったりしました。 だけど、また自分の嫌な所ばかり思い出し今度は自分の死後の心配をするようになってきました。 まだ、二十代の小娘ですが、正直に言って地獄が怖いです。 子供の頃に子供特有の残酷さと好奇心で生き物を死なせたり世話をしないで死なせてしまった貰い物のカブト虫の事を思い出したり、謝れなかった事、嘘を付いたり間違いを犯したり人を馬鹿にしたり傷つけたり、悪口や心の中で悪態をつたいり、とんでもない事を考えたり、借りた物を返さなかったりと本当に悪い事をしてきたと思うようになったりしました こっぴどく叱られたり、私自身も嫌な思いをしたり物を返してもらえなかった事もありますし、人の役に立とうとしたり良い事もした事もあると思います。 でも、自分の悪い所を思い出しその後に地獄を思い出して怖くなってきました。 昔絵や絵本で見た地獄を本当に怖がり悪い事をしたら地獄に落とされるという事に怯えていた記憶があったと思うのに、でも、大きくなってそういった感覚が薄れていき人の死に対して無関心な部分が出てきたり地獄を題材としてを扱った漫画やアニメを見てもフィクションだと思って受け流す事もありましたが地獄に行った人が鬼に身体を斬られたり責め具を受けているのを見て怖くなって目を背けた事もあります。 それらを思い出し、また罪悪感が蘇り私が死んだ後に地獄に行く事になったら・・と考えたらとても怖くなり、しかも、本やネットでは相当長い年月を罰で苦しむと書かれていたので本当に怖いです。 正直に言って地獄に行きたくありません。むしろ幽霊になってずっと現世に留まっていた方がいいんじゃ・・でも、それはそれでどうなんだ?と思考がぐるぐるとまわりました。 自分勝手だと思いますが、生前の罪を償う為とはいえ死後も痛い思いや苦しい思いをするのが嫌でたまりません。 違う事も考えようとしましたが、結局また思い出して時に心の中で絶叫したり誰か助けてと思う事もありました。 楽しいと思える事も怖く感じる時もありこの思考を止めるには一体どうすればいいでしょうか?これらの事を思い出すのは何か意味があるのでしょうか? 地獄に落ちないようにするにはどうすればいいでしょうか?

有り難し有り難し 399
回答数回答 4

法要の席での迷惑なおじさん。気持ち悪い、怖い…!

 いつもお世話になっております。  定期法要参列したら、怖い思いをしました。おそらく、ストーカー一歩手前の行為に遭遇しました。以下、長文です。                *  法要後に相談会があって、皆さん銘々に会議室に行きます。 私もそこに向かおうと歩いていたら、角曲がれば会議室、という所で、私と同じく定期的に参加しているおじさんが、私を見つけた途端シャッと引っ込みました。廊下には当時私ひとり。  部屋に入ってどこに座ろうかと見まわしていたら、「はい、はい。元気な子は前に座って!」といって自分の隣に私を座らせました。    お上人様が入室して相談が始まると、お茶を飲み干した方に入れて回っていたので私も頂いたら、「はい、お坊さんに入れてあげて」と私に急須をつかませ、共同作業?をさせてきました。                *  以前そこの相談会で、やはり定期的に参加する別のおじさんに私が近くに立っていた時や向かいに座っていた時に無言で見つめてきたりされたのと、相談日ではない日に無秩序な参詣客男性が内陣にどかどか入ってナンチャッテ五体投地(あきらかに動きが大げさで気を引こうとしてるのがわかる)をし、  終始私を見つめながらお堂を歩いていたり(のちにご信徒のおばあちゃんが尼さんに通報し、注意されてた。でもなぜかドヤ顔) という目にも遭っているので、余計怖いです。  かといってそんなことお寺の人にいちいち言えないし。               *  お寺は苦しみ悩みを抱えた人も大勢参詣する。承知しています。  でも、若い私も明日のことはわかりません。もっと極楽浄土、阿弥陀様の声ー法の教えを聞きたいし、安らぎや元気も頂きたい。  そういう事態に遭遇した時の対処法をお教え願いたく、今回のご質問とさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 6
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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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大切な人との死別後の生活、トラウマ

以前にも相談させていただきました。 タイトルにあるように死別を経験し、どうしてもとらわれてしまう思いがあるので相談させてください。 私は今からおよそ3年前に同棲していた恋人を突然病気で亡くしました。今でも思い出さない日はないですが少しずつ普段の生活に慣れているところです。 今は新しくお付き合いしている方ができ、結婚を考え同棲しています。 おそらく彼も、私の両親や周りの人も、私が死別のつらさを乗り越えて明るく生活していると思っていると思うのですが、実際は毎日トラウマに取りつかれているように怖いのです。 私は30代前半で周りには同じような経験をされた方はいなく、不安な感情を吐き出せる場がなくてつらいです。 新しくできた大切な人も、近々突然亡くなってしまうのではないか、そして大切な両親もみんな私を置いていなくなってしまうのではないか、どうせ死別するなら出会わないほうが良かったのか、あの時の気持ちをまた味わうのがたまらなく怖いのです。 毎日離れているときなどはどうしても考えてしまいます。 夜、帰りが遅くなった彼を死別の状況と重ねてしまい一人部屋で具合が悪くなります。(動悸や吐き気など) 今の自分ができることは時間が経つのを待つこと、亡くなった彼のお祈りすること、くらいで・・何かほかにできることはあるのでしょうか。 せっかく幸せな時なのに苦しいです。 彼にもあまり心配をかけたくなく、いまだに死別のトラウマに苦しんでいると言えません。 お坊さんでしたらたくさんの死別された方からの相談をお受けされているだろうと思い頼らさせていただきました。 状況を変えることは難しいと思われるので心の保ち方や、これから生きていく中での心構えなどお知恵を御貸し出来たら幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
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中絶し彼と離れる決意をなかなかできません

初めまして。 現在妊娠8週目の妊婦です。 カテゴリ違いでしたら申し訳ありません。 彼とは1年一緒におり、今年に入ってから、半同棲の形を提案し、仕事終わりや休みの日には同じ家で過ごし、出かけたりするようになりました。 今年の初めに一度妊娠しましたが、私の転職や母親としての自覚も芽生えず、経済的な面でも諦めるしかありませんでした。一度目の処置の最中、呼吸が止まることや意識が朦朧とし、大きな病院へ搬送しなければというところで意識が戻るという怖い経験をしました。そんな経験をしていながら、今回避妊できていなかったことは反省しています。自己責任だと感じています。 今回の妊娠ではもう赤ちゃんを産んで一緒に育てたい、心臓が動いているこの子に早く会いたいと思い、彼に私の気持ちを話しました。 ですが、タイミングが悪い、自分には結婚願望はない、産んで結婚しても長くは一緒にいられないとハッキリ言われてしまいました。2人で頑張る道はないのかと聞いても黙ってしまうため、恐らくないのだと思います。 すごく怖いですが、中絶することを考え、もう彼とは一切会わないという選択肢を取るしか道はないのかと思うと涙が止まりません。毎日つわりは酷く、仕事を休職させてもらっています。 私と赤ちゃんには時間がないため早く決断しなければいけないのですが、彼に依存しているからか決断することができません。 自分勝手な悩みであることは重々承知しております。

有り難し有り難し 8
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2024/02/04

何が正しいのかわからない。

私は地方の檀家寺に生まれました。 幼い頃から父にお坊さんになること以外の道を許されず、反論すると暴力や大切なものを壊されたりしてきました。 逆らうことができ学生時代は本山に寄宿しながらの修行生活をしました。 しかし、修行を終え娑婆に帰ってから、自分でやりたいことを選べなかった後悔と青春時代を失った後悔に襲われました。 それと同時に本山から帰ってからは周り(寺族、檀家様、周りの寺院)からの期待が大きくなっていました。 住職が私のいない間に周りのお寺や檀家様に「息子は望んで家を継ぐために本山に修行に行ってる」と意気揚々と話していたそうです。 それだけではなく住職は結婚したら将来同居がすぐできるように二世帯住宅を完成させていました。 結婚しても、食卓でも仕事の話やすぐに機嫌を損ねると癇癪を起こし暴力を振るってきた父と一緒に生活することは相手のことを考えると私はできませんが、、、。 そんな日々が数年続く中で住職から荒行に行くようにいわれました。 私は生まれつき身体も弱いですし、正直行きたくありません。 本山での修行中は家を継ぐ決心や僧侶になる発心がない状態でした。 しかし、逃げずにいたのは本山よりも癇癪を起こす住職の方が怖かったからです。 今は祈祷寺でもないのにこれ以上、修行をしたくないという思いがあります。 そのことを父に話すと癇癪を起こし泣きはじめます。 もちろん、修行道場は自分自身の信仰あって成立することです。望んでもいけない人が大勢います。 縁あって寺に生まれたからといって私のような中途半端な人間が僧侶を志してはいけないと思っています。 本山から帰ってきてからは上記で書いたことや、父の癇癪や、親の言う通りに生きない罪悪感(荒行に行かない)で押し潰されそうになり鬱病になりました。 今は療養施設に入っています。 最後にですが私は決して僧侶という仕事は嫌ではありません。大切な生き方だと思っています。 ①僧侶の皆様は自分の将来をどのように決めてきたか。 ②本山で修行し、周りや親の期待されているが荒行に入らずに今後もその期待に応えれない罪悪感をどうしたらいいのか。 ③私のような人間が僧侶を続けて良いのか。 応えられる範囲でご教示ください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 31
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子供の改名

初めて質問させて頂きます。 宜しくお願い致します。 現在5ヶ月の赤ちゃんがいるのですが、難読な名前を付けてしまい、改名を考えています。 出生届を出した数日後に、検診で産婦人科に行った際に、看護師さんに『難しい名前だね!』と言われたのをきっかけに悩んでしまい、もしかして子供の名前はキラキラネームではないかと後悔しています。 (名前はお坊さんにのみ公開させて頂いております。) 友人にも何人か名前を伝えましたが、やはり難しい名前だねと言われました。 不妊治療の末にやっと授かった子で、気持ちが入りすぎてしまったのかも知れません。名前は個人を認識するもの、読めないと不便であるという意識が欠けていました。本当に子供に申し訳ないです。 子供の名前を言った時の相手の反応が怖くて、家に引きこもるようになってしまいました。 家族に勧められ精神科にも行きましたが、鬱の一方手前と言われてしまいました。 改名について、夫と両家の両親と話し合いましたが、今時は難読な名前の子はたくさんいるから変えなくて良いという意見でした。 でも私はどうしても納得がいかないのです。 24時間ずっと、名前のことばかり考えてしまいます。 子供の名前は所謂キラキラネームでしょうか。 将来のことを考えて改名した方が良いでしょうか。 これから小学校受験もありますし、就職ではキラキラネームの子は苦労すると聞き、本当に不安でたまりません。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 長文になってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました。 どうかご意見をお聞かせ頂けますでしょうか。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 31
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49日までの間、残された私達がするべき事!

父が、急死して母は毎日泣いてます。 「お父さんは自分が死んだ事に気付いてないと思うから、あっちにいけるか心配」と母は言います。 もちろん、ささやかですが葬儀を済ませ、実家には毎週、曹洞宗のお坊さんがきて下さりお経をあげて下さってます 実家へも車で片道三時間かかりますが、出来る限り私も行って、父に手を合わせ「お父さん大丈夫だからね、私達も頑張るから!」と声をかけに通っています。 父は、一瞬過ぎて、死んだ事にきづいていないのでしょうか? 私達の事は見えているのかな? 49日までに、してあげると良い事、その後出来なくなる事など何か些細な事でも、ありましたら教えて頂けたらありがたいです。 一番近くにいた父がなくなり、49日までのお互いの過ごし方やマナーなど、きっと知らない事もあるのでは、と不安です。 お花、お経、ロウソク、通常のお供え物の他に仏様が、喜んでくれる物や事もあれば、ぜひお教え下さいm(__)m いまだから、父にしてあげられる事、してはいけない事、初歩的な質問かも知れませんが、改めて教えて下さいm(__)mませ。 お忙しいところ、最後までお読み頂き感謝です ありがとうございますm(__)m よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 41
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