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検索結果: 2475件
2021/11/07

家族の死を前に控えて欠点ばかりの自分は…

 昨年12月以来、一度ならず回答僧諸師より前途に光明を見ることのできるお返事を賜り、牛の歩みではございますが、少しでも実践すべく焦りながらも奮闘中です。  実は今近しい家族がそろそろ世を去ろうとしております。ところが私は、法に触れるようなことこそしなかったものの、とかく事、志と違(たが)う半生を歩んで参りました。ありがたいことで批判めいた思いは一切ありませんが、人生の半ばを過ぎて精神方面の障害者手帳と年金も頂いております。相談機関・医療機関にも御指導を仰ぎつつ、今できる仕事(デスクワーク)を日々まじめにこなしておりますが、いい年齢をして自立にはまだほど遠い現況でございます。  世を去ろうとしている家人は、もともとひどく寡黙な人物であり、息子である私とのコミュニケーションも決して十全なものではありませんでしたが、それでも私の迷い多き半生を終始温かく見守ってくれたことを今、こころの底から感謝致しております。  ところが入院費やその他、私はまったく力添えできず、社会的に成功しているきょうだいを煩わせてしまいました。どうにもならないことですが、私も「恥」という言葉は知っているつもりでございます。  とりとめもない、しかも愚痴めいた文面となってしまいましたこと、深くおわび申し上げます。お叱りをも含めて、今後私の人生の指針となるようなお言葉を、どなたかお手すきの折に頂きとうございます。繰り返しになりますが、お叱りをも甘受する所存であります。ここまで辛抱強くお読みくださってありがとうございます。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

家族が許せません

お忙しいところ失礼します。 私は都内で働いており、実家暮らしです。 ご相談したいのは同居している兄の事です。 子供の頃は兄から暴力や罵声を浴びせられていました。 今はもう亡くなった父と母の不仲や、父の不倫と離婚、そして彼自身が学校で虐めを受け、そのストレスの捌け口にされていたようです。 大人になってからは、何事もなかったように普通の兄弟として過ごしていますが、私は今だに彼を許せません。 兄は未だに女性を軽視した発言を、母と私の前でしたり、乱暴な言葉遣いで母に命令したり、夜中にオンラインゲームをしながら騒いだり、近所の人に怒鳴ったりします。 私は兄と同業なのですが、私の仕事ぶりをバカにしたり、私は上司と結婚を前提に交際していますが、そのことについて、上司に体を使って媚びているといいます。それを嗜めると、死んだ父のように私に怒鳴ります。女性や自分と立場の違うものを馬鹿にし、痛めつけ、なじる姿は父そっくりです。 父が亡くなってホッとしてたのに、まるで父が乗り移っているようです。 母に相談をしたりもするのですが、いつも兄には辛い思いをさせたから仕方ないというようなことを言われます。 兄に辛い思いをさせたのは私じゃありません。 私だって辛い子供時代を過ごしました。 母はそれでも私に気を使い、優しくしてくれたり、女手一つで私を大学に通わせてくれたので、とても感謝しています。 私は今交際している方がいて、春に家を出る予定です。しかし、こんな兄と母を2人きりで生活させるのがとても不安です。 父の時と同じように、兄の死を願ってしまう自分がいます。兄が死んでくれれば、きっと心が楽になるのにと思ってしまいます。 父が死ぬ前も父に対して同じ事を思っていました。 本当は家族に対してこんな事考えたくありません。普通の家族がどんなものかはわかりませんが、家族の死を願う事は良くない事だと分かっています。どうすればこんな考えから解放されることができるのか、どうすればもっと楽に生きられるか、アドバイスを頂きたく存じます。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1
2021/05/24

家族が憎い

母、兄に対して強い憎しみを持っています。 子供の頃から2人に馬鹿にされ続けていました。 (幼稚園の頃名前を間違えて書いたらずっと笑われる、トラブルがあったとき何もしていないのに僕のせいにされる、お前は父親に似て心が弱いと罵倒される等) 怒鳴られるとどうしても萎縮してしまい、どんなに頑張っても疲弊仕切って仕事が長続きしませんでした。 そんな自分に嫌気が指し、自死しようともしたのですが、結局出来ず仕舞い。 情けなくて情けなくて、自分が大嫌いでした。 廃人同然でYoutubeを見ていた時、とある自己啓発系の動画が目に留まりました。 藁にもすがる思いでその言葉通りに行動を変えると、明らかに人生が良い方向に変化しました。 自分にも何かが出来ると信じ、必死で勉強して自営業を開始。 もう少しで軌道に乗るというところまで来ました。 長々と前置き失礼しました。 ここからお坊さんの皆様に相談したいことです。 プロフィールの方にも書きましたが、もう僕はこの家族と縁を切りたいのです。 仕事もせずにゲーム三昧、挙げ句の果てにダメ出ししてくる兄とそれを散々甘やかす母にももううんざりです。 やはりこれはまだ僕が甘いのでしょうか? 許せる努力をしなければならないのでしょうか? どうかこの未熟者に、皆様のお知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

家族という呪い

自殺願望で多々ハスノハの皆様にお世話になったものです。これまでさまざまなお言葉を頂いた身で申し訳ないのですが、今一度お力添えを頂きたく存じます。 私はこれまで、「やることが思いつかない」「死ぬという恐怖にかまけることが嫌い」「社会貢献を盾に社会の一部分である個人を殺しうる今の日本の労動環境で生きたくない」といった言い訳をしながら、どうやって死の痛みや人情による自殺の意志のブレに立ち向かうか、ということばかり考えてきました。 希死観念が薄れてきた今、その理由を自分なりに分析したのですが、その結果「家族の不甲斐ない面に執着してきた」という結論に至り、その執着をどう払拭すべきか迷っています。 私の両親は自分が希死観念の悩みを打ち明けた時に「生きててよかった」と言ってくれる人情の持ち主ではあるのですが、父母ともに看過できない欠点があります。 まず、母は祖父母から戦争経験を言い聞かせられたことで過保護で心配性な面があり、食事を作りすぎる悪癖があります。私はそのせいで幼少期から肥満に悩まされたこともあって食事制限と運動を一年ほど続けて体重を10キロ落としたのですが、母はそのことを今も良く思っておらず、帰省時に私が食事を減らして欲しいという度に不機嫌になります。 父は、母よりは精神的に落ち着いてますが、山奥の集落育ちで地域の外との交流が浅かったためか度が過ぎる不器用を見せることがあり、父方の祖母の嫁いびりを咎められず母にトラウマを植え付けてしまったり、効率の悪い仕事ばかりして母を怒らせてしまったりすることがあります。 ただ、私が一番気に食わないのが、こうした問題点を咎める度に「仕事が忙しくてできない」「年のせいで上手くいかない」「人間はお前みたいに強くない」などと言い訳をして逃げ腰になる両親の姿勢でした。私の希死観念は、どうもそうした元来の人の弱さを克服したい、という克己心が暴走するあまり、死の恐怖すら克服しようとしたものではないか、と思っています。 私は、人の内発性を出来るだけ尊重したいと思ってるので、最近は両親に苦言を呈する事は無くなったのですが、こうした両親に対する諦観を野放しにすると、自身の反骨精神がまた暴走しかねないという不安も抱えています。 人道で悩むべきか。修羅道で戦い続けるか。今、選択支の瀬戸際で悩んでいます。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

家族と自分。

先日はありがとうございました。 私は、家族や友人に対して、予定がある際でも嘘をつくことがあります。 例えば、友達と遊びに行くと言うことを、 親には仕事と言ったりしています。 何故かと言うと、もともと私の両親、祖父母はは私がどこかに外出すると言うと、誰と。どこに。どこら辺で何をするの。何時に帰るの。聞く人でした。学生時代も夜遊びに行く事は基本ダメで、遅くなると電話がかかってきて、おじいちゃんが機嫌が悪いから帰ってきてと言われることがありました。初めてお付き合いをする男性ができた時も、父、祖父に言うと、すぐに顔を見せろ挨拶させろやどこの誰だと家まで見に行きそうになるので、何も言わずに、出かけておりました。母には彼氏ができたことを伝えていましたが、それでも3日ぐらい連続して出るのも出過ぎだから、会うのは控えてほしいと言われたこともよくありました。そういう環境だったので、お付き合いする人は価値観が合わず、逆に非常識であったりとか。普通じゃないとか。なんでそんなに保守的なのかと言うニュアンスで。付き合っていても愚痴を言われることがありました。わかってほしいとまでは言いませんが、結構、周りから家庭環境が変なの変なのと言われていたので、自分でもイライラすることがありました。しかし、遊びに行くことに関しては弟には全くいませんでした。今は、祖父母の家に勝手についており、家族と離れて暮らしている環境です。そして最近は仕事の休みがいつかというのをよく聞かれます。私ははっきりと答えていません。全て管理されそうな気もしますし、出かけると、誰、どのあたりに、何しに行くの?何時から何時に帰るの?と、聞かれます。 名前を出しても、このことは先日会ったばっかりなのにまた会うのとばかり言われます。 なのですごく嘘をついてやり過ごしております。自分の中ではもうそれに疲れきっているとと言うこともありますし、嘘ばっかりついてきているので、死後地獄に落ちるんだろうな。と思って落ち込んだりしています。死んだ後は分かりませんが、一昨年、去年と相次いで4人なくなっているので、死への恐怖感もあると思います。そんな中でも無気力でしたくないと思う気持ちもありだらけたりとなっております。 同じような質問をしていると思いますが申し訳ありません。ですがいつも皆様にお答えいただきすごく助けられておりますありがとうございます。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2022/05/19

死と生きること

小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 4

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