死に対して気持ちが動きません。 父親の死は両親の離婚後何年も会っていなかったので他人事のように感じました。もう1つの理由に離婚前より母親から父親の悪口ばかりしか聞かず私なりの判断ができるほどの交流もなかったため父親像というものが母親からの話だけで固まってしまった事です。ですが長年可愛がっていたペットが亡くなった時もその瞬間は涙が出ましたが悲しみは長く続きませんでした。母親への感情も薄く扱い難い人なので死んでも悲しまないだろうと感じてしまう自分が嫌です。人として未熟なのでしょうか。
最近海外では安楽死を認める国が増えていると聞きますが、私は安楽死は自殺と同じと考えているのですが・・・僧侶の皆様は安楽死についてどうお考えですか?
死ぬのも死後の世界も怖くて仕方ありません。 スピリチュアル的なブログを読み過ぎたせいか、人生は決まっていて、起こる事も死に方も決まっていると読んでとても胃が痛くなります。また前世に犯した事が現世や来世にくると考えると怖いです。 正直、あまり食事も取れず、眠れません。どうすれば気持ちが切り替わるでしょうか。
親が僕を生んでくれてここまで育ててくれたことはとても尊敬しているし、感謝しています。 僕は都内の学生なのですが、昨年髪が大量に抜け落ちるほどストレスを抱えてしまい、身辺整理したら死のうと思っています。そのあとの親や兄弟の気持ちを考えると、苦労ばっかりかけてきて最後まで申し訳ないと思ってます。ですが、自分で生きていく自身が持てなく、家にいると自責してただ無性に涙を流してしまいます。 あと数日の間に出来る限り恩返ししていこうと思うのですが、こういう時に思いつくあてもないです。お金に困ってるわけではないありません。今の僕にできる限りの恩返しを一緒に考えてほしいです。お願いします
仏教では親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされると聞きました。 もし自衛官や消防士などの危険な職の人が任務中、多くの人を救うために親よりも先に死んでしまった場合もそうなってしまうのでしょうか?
おはようございます(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎) 私くしも 病気がちだし 毎日仕事が苦しいし 考えたら お金はいるけれど 限られた命の中で そこまで 仕事仕事で生きていくのが 正直辛い 特に この世に執着が無かったんです。子供は って言うと 私に特に求めるものはなくて 私の姉や 私の母 父に求めているみたいなので いつ 命が尽きても 悔いはないそう思ってましたら ある日 脇あたりに シコリがあるのを見つけて 一人 癌だと思って 泣くわ ショックだわ 一気に 生きたいと思う心が 湧きました 普段 命の先がみえないから 死にたいと思うけど いざ もしかしたら って事があったら 人って やっぱり生きたくなるものです。 慌てて病院へ いったら リンパ節が腫れてるだけだと 言われ ホッとしました。ただ 寿命がきたら 受け入れるうつわを 持ってなきゃなとも 思いました。 それをふまえて 病に苦しむ方の心も 学べた気がします。とてもではないけど 生きた心地がしなかったし 記憶も ボーっと ひたすら 亡くなったらどうしよう 子供は とか考えました。 なので 私自身も 少しでも ご病気に方の苦しみに 寄り添えます様 いま剃髪をし 生きてます。 私も 皆様に寄り添いますので 皆様のご病気が一日も早く治りますよう。 病気や 老い 孤独 、、、、 生きてる限り 悩みは 尽きません お坊様方は 仏様と向き合い どう この世の闇を 照らされましょうか
私は今年33歳になる社会人男です。 現在は今年61歳になる父と二人で借家に住んでいます。 兄弟はいません。 母は私が高校生の時に離婚しています。原因は母の借金です。 精神病を患っており、今は施設で過ごしています。 また離婚はしていますが月1回、父は母のもとを訪れて、食事をしたりしています。 私も3ヶ月に一回ほど、会っています。 そんな訳で、高校生くらいから父と二人で暮らしてきました。 父は母の借金を返しながら私のために、大学まで出してくれて、自分は家も買えませんでした。 食事も毎日お総菜などですが、買ってきてくれています。 最近は私がつくることで、少しでも楽をさせてあげたいと思っています。 昨年父と母が60歳になり、ふとテレビなどで70代で亡くなる方のお話を聞いていると後10年で70歳になってしまうのか・・・ 父や母がそんなに早くいなくなってしまったら、自分は一人で寂しくて辛いのだろうなと思ってしまいました。また、祖父が昨年90歳で亡くなってしまったことも、原因の一つであると考えています。 それからは毎日、そんなことを考えてしまいます。 仕方がないことだとわかってはいるのですが、どうしても考えてしまいます。 特に兄弟もおらず、悲しみを分かち合える人がいないことも原因のひとつです。 こんなことを親に話すわけにもいかず、どうしたらよいのかわかりません。 お坊様の方々にどのように考えるのがよいのか、お話をお伺いしたいと思い、質問致しました。 長くなってしまいましたが、よろしくお願い致します。
解決しない悩みばかり抱えて辛いです。 何年も前から、死にたいって願望があり自分の体を傷つけたり首を絞めてみたりしています。 死にたくなったらどうしたらいいですか?
有賀さつきさんが病気で亡くなったニュースを見て、どうして世の中に必要とされている方がこの世からいなくならないといけないのか…悔しいです。 私が、代わりに…
死んだら楽になりますか?
生きてる時の未来にはワクワクしません。 死後の世界を想像するとワクワクします。 きっと私は生きることには向いてないんだと思います。 お坊さん、ごめんなさい。
私は今不安障害になり仕事を辞め病院に通いながら自宅療養中です。 病気のせいもあり急にいろんな事で不安になります。悩んでる時がないくらいに辛いです。その中でよく死ぬ事がとてつもなく怖く感じてしまいます。 死んだらどうなってしまうのだろうと考えてしまい、なかなか眠れなかったりします。 私は内気な性格で昔からいじめられる事が多くそのストレスで家で爆発してしまい両親や兄弟に当たったり傷つけたりたくさん迷惑をかけてしまい今思い返せば異常だったと思います。学生時代は悪口も言ってしまったり自分がされて嫌なこともしてしまっていました。 今は人にされて嫌なことはしないよう心がけていますが、過去は変えられないしもう手遅れかなと思ってしまいます。 こんな私はきっともし死後に地獄があるのならば地獄にいってしまうのかなと考えたら涙が止まりません。 死んだらその先ずっと苦しむのかと思ったら死ぬのがとても怖くなってしまいました。 何か死への恐怖を和らげる考え方はありますでしょうか。 もしよろしければご回答よろしくお願い致します。
こんにちわ。 以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。 さて、表題の質問になりますが、 小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 死んだら考えることすらできなくなってしまう。 死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 自分という存在はどこへ行くのか。 と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。 葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 抗うものではなく受け入れるもの。 そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 が大事なのではと思うようになりました。 私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。 よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 宜しくお願いいたします。
幼稚園の頃でしょうか、祖父の死に接して、死ぬってどういうことなの? と眠られぬ夜を過ごしたと親から聞かされたことがあります。 中学高校の頃になると死ぬこと、無ということが恐ろしいと埒のあかない煩悶に苦しみ、そのうち、そもそも目の前に見える、知覚する世界の存在だって何の保証もない気がしてきて、そもそも懐疑論者というよりは病的に存在とか認識の作用自体確信がもてない、と不安にさいなまれていただけなので建設的でも哲学的でもなかったです。 「虚無」というのも言語や人間の思考の生み出した幻でしかないのでしょうか。 分析哲学みたいに考えればそもそもそんな思考のおよび得ないことは哲学の扱う領分ではないし、人が考える意味もないことなのかもしれないと最近は思って気もしました。 それに存在に懐疑するなら虚無だって懐疑すべきで…。 こんがらかってしまいます(笑)。 そもそもそういうことを考えてみたとて幸せに結びつくのかとも思います。
数日前、7年間一緒に暮らしていたペットを亡くしました。 ペットというよりは家族のように思っていて、私に一番なついてくれていて、とても頭が良いうさぎでした 火葬もしてもらい、お骨は家に置いてあります。 あの子がまだ生きている時は、あの子が死んでしまったら私はどうやって生きていけばいいのだろう。あの子がいなくなった時には後を追ってしまいたい。と思っていたのですが、今はそういった気持ちはなく、あの子は姿が見えなくて、撫でてあげることが出来ないけれど、ここに”居る”と思っているんです。 そう思ってはいるのですが、1人になったときや夜になると心臓がスカスカになった気分で、とても虚しいんです 死んでしまってもそばにいる。と考えていていて、いいのでしょうか…?それともだだ、私はあの子の死を認められなくて現実逃避をしているだけなのでしょうか?
死というイベントが良くわかりません。 死は所詮他人のイベントだと思うのです。 ご遺族が『後を追いたい』と言っても実行する方より生きている人の方が多いのでは無いでしょうか。楽しい思い出と時折思い出す悲しみはあるかとは思いますが、死に際の辛さは風化されていくように見える気がします。 また、亡くなられた際について周囲の方(ご遺族も含めて)の反応は 大往生された方には『立派』と褒め称えるように、 病気で亡くなられた方には『最期まで闘病して...』と勲章のように、 でも自死については世間に知られたく無い雰囲気が漂いますよね。 死にもランクがあるのでしょうか。私はランク付けされたくないです。 結局いくら周囲が『生きて、死なないで』と言ったところで、他人のイベントでしかない以上説得力がないと思っています。 このような考えの私はどこかおかしいのでしょうか?
小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?
私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。
はじめまして 誰にも話せないのでこちらでお話しさせてください。 二年前に亡くなった犬の死を受け入れられません 本当は生きられた命を私が奪いました あのこの異変に気づけたはずなのに 仕事に行ってしまい一人寂しく逝かせてしまいました それから別れることが怖くて仕方ありません 別れのない場所へいきたいです 今のこもいつか私の前から消えてしまうと 考えただけでなんともいえない恐怖が襲ってきます もっと強くなりたいのにどうしたら依存せず強くなれますか