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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 不安」
検索結果: 8607件

他力が足りない

過去、現在含め、周囲に足腰の弱った人が二人います。 一人はトイレに駆け込む前に排泄物を漏らし、もう一人は玄関で倒れて咄嗟に助けを呼んで助かりました。その時、二人とも同じことを言いました。 「なんで、こんな風になってしまったんだろう…」と。 二人はきっと、この時まで「自分のことは努力次第で、ある程度管理できる」と思っていたんだと思います。だけど、出来ない(出来なくなってきた)と強烈に感じて、ショックを受けたんだろうと思います。 健康は人がコントロール出来ないと実感し易い、最たるものだと思いますが、二人は咄嗟には納得出来なくて「何故?どうして?」と怒りと不満と絶望を感じたようでした。 その時、何となく閃くものがありました。 人間も含め、すべてのものは環境によって生かされていて、自らコントロール出来るものは実は何一つないのではないか、と。もちろん、生きるために嫌でも努力は必要ですが、それ以前に環境が整わなければ望み通りになることはない。それが当たり前の事実なのかな、と。 前置きが長くなってしまいましたが、その時、頭に閃いた文字が「他力」でした。私は宗教には不案内ですが、その言葉はぼんやりと知っていました。この生かされているという事実を「他力」というのでしょうか。でも、私はそれを有難いとは思いません。事実に有難いも有り難くないも、善悪も、良し悪しもないように思えます。 他力とは、有難いとは何でしょうか。

有り難し有り難し 53
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過去の懺悔。今後の生き方

私は結婚する前に浮気、不倫を何度もしていた最低でバカな人間でした。 その頃には主人とお付き合いしてました。主人のことは、大好きでしたが、不倫、浮気という概念がなく遊び心でしていたと思います。 同棲してからは一切しておらず結婚して楽しく幸せな生活でした。主人が私を大事にしてくれ寄り添い、愛してくれいるのだなとより深く思うように。私も、主人に感謝と愛していることがより痛感しました。 そんな中、過去の不倫、浮気という最低な行為を数々を思い出し、主人に結婚前とはいえなんて酷いことをして何度も裏切り行為をし、本当にありえないと今更ながら気付きました。 また不倫相手の奥様に本当申し訳ないことをしたと後悔しかありません。私は自分が気持ち悪く、後悔と罪悪感に苛まれました。自業自得です。何年ものかなり前のことですが奥様にいつかバレて恨まれる恐怖をもち、そして不倫相手の奥様が不幸になってしまったらとか、どうしてこんな罪をしてしまったのだろうと泣き、不安と罪悪感と死にたくなりました。 そして主人に告白し謝罪するべきか悩みましたが覚悟をし主人にすべて告白し謝罪しました。 主人は「ショックだが、全て飲み込む、だが飲み込むには時間かかる。飲み込むのは愛してるから。もう二度しないこと、今後は誠実にいて」と私にいってくれました。 本当に傷つけしまったことが申し訳ないのとそれでも愛してくれることに感謝しかありません。私はもう過ちは戻らないのだからくよくよしないで、二度と悪行はしないことを主人に誓い反省し、許してくれた主人に寄り添い誠実に尽くして生きていきます。 そして不倫相手の奥様は数年前まで不倫相手と仲良くしているのがわかり少し安堵しましたがそれ以降はわからないですし、私がやった罪はどちらにせよ許されないものなので不倫相手と奥様のこれからの幸せを心から祈り懺悔したいと思います。何かあった場合は奥様に謝罪をするのは覚悟をします また、夫も含め親や様ざな人のために良い行いをして生きていきたい思います。そして仏様神様にも感謝と今までの懺悔をしていきます。文字の制限もあり書けなかったこともありますが上記のことで生き方、心構えのご指導がありましたらどうかお教えいただければ幸いです。 また、私はこのような罪をおかしていきましたが私自身が幸せになってもいいのでしょうか。

有り難し有り難し 55
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こんな私でも供養できるでしょうか

以前質問させていただいた者です。 こどもを死産してもうすぐ一年になります。 その子のお墓や仏壇ができ、一周忌の法要もお願いしています。その際にお墓への納骨もさせていただく予定です。 ですが、私自身、未だに気持ちの整理がつけられず、お墓や御仏壇のことを考えると気が遠くなり、辛くなってしまいます。辛さというのは、こどもが亡くなった悲しさ、あの時私がもっと早く病院に行っていたら亡くなることはなかったのではないかという後悔、生きて産んであげられなかった私自身を責める気持ちです。 夫は、私の気持ちを聞いてくれ、お墓も仏壇も作らない方がいいのではと気遣ってもくれましたが、夫自身は、お墓や御仏壇をそろえて手を合わせることが供養になるとの想いがあり、準備をすすめてくれました。 これまで、仮の御仏壇に毎日手を合わせてきましたが、想うのは「ごめんね」と「また会いたい、また抱っこしたい」ばかりです。悔やんでも自分を責めても、亡くなった命はもどらないし、供養にならないと思いながらも、一年経ってもそんな自分を変えられないでいます。 一周忌は来週ですが、法要の間もお墓や御仏壇から目をそらしてしまいそうで、涙が出て動けなくなりそうで、きちんとして居られる自信がありません。 供養の仕方がわかりません。私はどうしたら供養をしてあげられるでしょうか。

有り難し有り難し 33
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死ぬことを受け入れたい

度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 78
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恋人が自死をしました

もう1週間経ってしまいました。 遠距離で12歳年上だった彼が、彼のアパートの自分の部屋で首を吊っているという連絡を彼のお母様からいただいました。理解ができません。 彼と私は、年明けには同棲をして結婚もしようと真剣に話していました。私が大学生なので夏休みなど1ヶ月くらいで関西の方に遠征できてくれて半同棲のような生活をしたり、沢山出かけたり、将来の話をしたり。 彼には友人はいません。在宅ワーカーなので、同僚と言える人もいません。周りの人間関係といえば、私が知る限り 私だけでした。全くそのような素振りを見せたことはありませんでした。 私は、表向けはポジティブなのですが 彼には頼ってしまいネガティブな発言や八つ当たりなようなことをしたこともありました。 私は孤児として育ったので、彼と結婚して子供を持つことが楽しみで将来の話を沢山したのですがそれが重荷だったのかもしれません。9ヶ月も付き合ったのにどうして彼のことを助けられなかったのか。逆にどうして気が付かないほど彼を傷つけたのかととても苦しいです。 7年ほど前に母をもうつ病で同じ亡くし方をしています。もうすべて自分が原因としか思えません。 彼の携帯に残された遺書にも明確な動機はなく、自分はなんて惨めなんだ。将来のことが不安すぎる。と呆然なものが記されていただけで、彼女には事故と伝えてほしいと、彼女のことがすごく大好きですごく幸せだったと綴られていたそうです。彼のお母様から知りました。 今頃、彼が生きていればこの週末デートの約束をしていました。彼の誕生日でした。 私はどのように彼の死を受け入れて生きていけばいいのでしょう。どうして私はこんなにも人を死に追い詰めてしまうのでしょうか。もう自分の人生に耐えられないです。

有り難し有り難し 30
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不倫の罪を母に伝えても良いのかどうか

初めてご相談いたします。うみと申します。長文となってしまいますが、どうぞよろしくお願いいたします。   私は5年間妻子のある方とお付き合いをしておりました。その方は、過去に奥様に不倫をされ、ひどく傷ついておられました。そんな時にお付き合いを始め、お互い本気で結婚を考えておりました。   ですが、私が不倫という罪悪感に耐えられなかったり、私自身を本当に愛してくれているのか勝手に不安になってしまい、徐々に彼にあたってしまうことが増えていきました。たくさんの愛情をもらっていたにもかかわらず傷つけてしまいました。   ついに、彼から将来を考えられないと別れを告げられました。私は生きるのが下手で、人に頼ることが苦手なため、泣いたり怒ったり感情を素直に出せるのが彼しかおりませんでした。そういった不安定な状態もあり、今はまだ私を気にかけてくれています。ただ、恋愛感情はもうないとはっきりと言われております。   まだ彼のことを忘れられませんし、ひどいことをしてしまったという後悔が常につきまとっています。その罪悪感と彼のいない将来が悲しくて仕方ありません。不倫をしていることに罪悪感があったにもかかわらずです…   ここでやっとタイトルのご相談となります。 この件について、私は墓場まで持っていくつもりでおりました。そして、これからの自分の幸せを望むつもりはありませんでした。自死を選ぶつもりはありませんが、生きる意味を見失っております。   しかし、つい最近母から結婚もせずに、親元を離れ一人で頑張っている姿を想像すると心配だと言われました。普段泣かない母が涙を我慢しているように見えました。   帰省した際にはご飯を作ってくれたり、日用品を送ってくれることがあります。本気の恋でしたが、正しい関係ではないため、母の優しさを申し訳なく感じてしまいます。また、現在は結婚について前向きに考えることもできていません。   ですので、母に全てを話したいと思っているのですが良いのでしょうか?母にとっては知らないまま過ごせることなので悩んでおります。 今まで一人で溜め込んでしまい、家族や友人には自己開示が不十分でした。だからこそ彼に依存してしまったのだと思います…   自業自得であり、また説明不足な点があるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 54
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2024/05/05

さすがにもう幸せになりたい

不幸自慢のように思われてしまうかもしれません。けれど、どれだけ不幸であったか、不幸であるかということを書かせていただきます。 小学生のときに転校してから、今までずっとずっと、死にたい死にたいと思いながら生きてきました。 いいかげんに幸せになりたいです。 転校した初日に母に言った言葉は死にたいだったそうです。私は覚えていないのですが…… その日から学校にいても家にいてもしんどくて、生きていることが辛い、消えたいと思う毎日でした。 実際はしんどくないのに死にたいと言っているかというとそういうわけでもありません。 小学生の頃は人の目が怖かったです。場面かんもく症といって、学校関係の場面では声が出ずに話すことができませんでした。前を向くこともできず、首が痛くなるほど下を向いていました。 小学生の頃には父からの性的な暴力が何度かありました。今はもう一緒に暮らしてはいませんが、親子関係は続いています。ですが父親として認めることはないです。 中学生は不登校で、少しだけ通いましたが、授業をまともに受けられないし、下ネタが飛び交う荒れた環境でした。1人の子からブサイクだ、存在が気持ち悪いといじめられたこともあります。机をぶつけられたりもしました。 高校生の間は、転校してからの人生で一番穏やかなときでしたが、やはりブサイクだ気持ち悪いと言ってくる人はいました。辛いことが重なった結果うつ病になりました。 こうやって書いていると、あまりしんどくなさそうだなぁと思われるかもしれません。 ですが本当に心がしんどくて、生きることが苦しいんです。 最近は支えてくれていた母もしんどくなってきてしまって、ケンカが増えました。私が責任を押し付けて、母のことを尊重できていません。 私の命はなぜあるのだろう、苦しむためにあるのかなと感じます。 変な話、嫌に思われるかもしれないのですが、小さい頃に悪いものに取り憑かれたことがあるみたいなんです。有名な厄除けのお寺でよくしてもらいました。 その悪いもののせいで辛い人生なのかなって、悪いものに責任を押し付けたくなります。 生きることは苦しみであると仏教は説いていますよね。 幸せになれるって言って欲しい気持ちもあります。 長年苦しんだから、幸せになれますか? 人生に希望が見えなくて、希望を見せて欲しいって思ってしまいます。

有り難し有り難し 36
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人や自分の死の受け止め方

先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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三人目の子供を中絶してしまいました

私には愛する子供が2人います、夫も私と子供を愛して大切にしてくれ、幸せいっぱいでした。 子供は2人で、3人目は考えられないね、と話していた矢先の妊娠でした。 病院で妊娠が確定しますますパニックになってしまいました。 とにかく不安要素しか頭に浮かんできませんでした 私自身の体調の事、ほとんどワンオペ育児だった事、時期的な状況、なによりまだまだ小さくママっこで抱っこの取り合いばかりしている2人の子供に寂しい想いをさせてしまう 様々な不安要素を頭で積み重ね、苦しくて苦しくてどうしても産む決心が出来ず、夫と母と話し、中絶をしました。  手術が終わって次の日から後悔が止まりません。 何故あんなことをしてしまったのか、お腹にいたのは我が子で、今いる子供たちと同じように私に愛され抱かれるべき命だった  手術の日、あの時こうしていれば、やはり何があろうと産むべきだった、そればかり考え時間を戻したい、とそればかり考えてしまいます。 2人の子供達を可愛く思うたびにあの子もこうして私に抱きしめられ守られるべきだった、と自分を責めて苦しくなります 私が後悔で苦しんでいる事で、母や夫も苦しめている事は分かっています この事を一生抱えて生きていく、それは覚悟しています、けれど子供たちには何も罪はないのです、笑わせてあげたい、楽しい時間をたくさん過ごさせてあげたい、その前提に私が笑顔でいないといけないと言う事はわかっています、しかし今はそんな自分も許せない気持ちでいます。 供養は先日してもらいました、あの子は守ってもらえると思えましたが、供養してお地蔵様に祈りながら、我が子をこんな所へ一人で行かせてしまった、と涙が止まりませんでした。 いつか、準備をきちんと整えて、再びあの子を授かりたい、その時は必ず幸せにする、その為にまた選びたいと思えるママになる、そんな考えにすがって生きるのは間違っているでしょうか?

有り難し有り難し 23
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結婚、家庭のネガティヴなイメージ。

たくさんのアドバイス、ありがとうございます。 私は幸せな家庭、楽しい家庭の想像が乏しいです。 小さい頃から私は夢みたいなものがなく、漠然と夢を聞かれると「素敵な花嫁さん」といっていたような気がします。 たぶん、人の顔色を伺って行動する性格なので自分のやりたい事がわからない、やりたい事があった所できっと私には出来ないと思い込んでいたからだと思います。 結婚式で少ない予算内でしたが可愛いドレス、プロのヘアメイクで結婚式を挙げれることが出来、式場の方にも良くしてもらえて満足しました。夢が叶ってしまいました。 なんか、その後自分にとって大変な事がいろいろあり「もう、私死んでもいい人生なんじゃない?」と漠然と考えるようになっていました。死にたいとか生きてるのが辛いとかじゃなく漠然と「この先、生きていくのがめんどくさいな、必要あるのかな?」と少し前までは思っていました。 結婚するまでは大変だったけど、やりたい事をやれていた面もあり楽しく過ごせていた時間もたくさんありました。 でも結婚にあまりいいイメージがない事に気がつきました、主人には申し訳ないけど結婚をしたいと言うより、安定をしたいから結婚をしておいたと言う気分でしました。 母が私にはずっと幸せそうには見えず、母からおばあちゃんや父や親戚の愚痴、ママ友や学校行事などでのネガティヴな事ばかり吹き込まれていて、家庭を築く事にあまり明るいイメージがなく、楽しい事より不安な事の方が先に浮かんでしまいます。幼稚園を楽しみにしている姪っ子に対しても母は「幼稚園は楽しいことばかりじゃないんだよ」と吹き込んでいました。 母は結局離婚をしました。私は母ではないし、同じ人生を歩むわけではないのは分かってはいるし、母自身の性格に問題があったから幸せじゃないのもわかっていますが、不安になってしまい、無駄に構えてしまいます。 暖かい家庭ってどんな感じでしょうか?私に認知の歪みがあるのかもしれません、どう考えればいいでしょうか?

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良かれと思ってほくろを除去しましたが…

約1年前に、以前から気になっていて大きくなってきた顔のほくろ一つを思い切って除去しました。思っていたよりも深く広く削られたこと、赤く腫れたことの二点は予期せぬことではあったのですが、数ヶ月は長年のコンプレックスが取れたことの喜びで術後のケアに励んでいました。 2、3ヶ月で赤みが消え、半年で跡は目立たなくなると医師からは言われていましたが、半年以上たっても赤みと腫れは治らず、内服薬やステロイドで炎症を抑えている現状でした。 そうしたことが続き、いつまでこのケアが続くのかと不安になってきたので、ほくろの除去についてネットで調べてみると、他にも色々な除去方法があること、今回施術してもらった美容外科からリスクや最終的に残る跡についての説明が足りなかったことが分かりました。 そこから自分の選択(病院選び・医師選び)が間違ってしまったのかもしれないと、後悔や不安の念で不安定になり、何も手がつかず、寝込むようになりました。 施術した美容外科に相談に行くと、「全て説明はしている」と言われ、質問に対しても威圧的な態度で返されたりと大変ショックを受けました。 今は最終的に残ってしまった跡が受け入れられなくなり、何も楽しめなくなり思い悩む堕落した毎日を過ごしています。 こうした気分のどん底に入ってしまってから、化粧をすればほとんど隠れるとはいえ、見る人が見れば薄っすら分かってしまう傷跡を晒して生きていくことに自信がなくなりました。覚悟していた傷跡とは違っていたので、ほくろの時よりも気になるようになりました。 そしてどんどん悪い方向に考えてしまっていて、そもそも顔に傷をつけてしまったこと自体が、間違っていたのではないかと自分を責めています。 コンプレックスとして受け止めていれば、こんなことにはならなかったのに、自分の弱さが生み出したことだと自己嫌悪に陥っています。 自信喪失から、ほくろを除去してしまった自分が他の人からどう思われるのかも気になるようになりました。 予想外の傷跡を残してしまって、生きる価値もない人間だと思っています。 後悔、罪悪感、自己嫌悪、自信喪失、羞恥心、執着心、希死念慮、平穏に暮らしている人への嫉妬が過去最大級で襲ってきます。全く立ち直れず、毎日が地獄です。 この様々な気持ちを解放するにはどうしたらいいのでしょうか。 長々とお読みいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 14
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決断ができない堂々巡り

はじめまして 長文失礼します。 人生の選択を迫られています。 離婚の申し出がありました。 決断をしないといけないかもしれないと思う自分がいますが、乗り越えられる自信がありません 人との関わりに異常に疲れ とにかく怖いといって逃げ続けている自分がいます このまま状況がよくなるわけではなく、悪くなるかもしれないのに 自分で決める事ができず、自分に自信もないため、根拠のない自信が欲しく、自己啓発、占い等、付け焼き刃で安心となる材料を見つけては自分の中に収めて安定を図ろうとしますが、不安はおさまりません。(根拠のない自信を持つことは生きる上で必要な事もあるとは思っています。)信じるままに、自分の考えを貫き通す強さがあればと思います。 他の悩み相談、ハスノハでの過去の皆さんの相談内容等、自分と似た境遇の人へのアドバイスを読んでいました。 やはり現状を打開するには決断をするしかない、今は辛いかもしれないが、乗り越えると楽しい事が待っている、子供のためにも、そういう答えになるのだと思います。 生きにくさからくるストレス、子育て、仕事、金銭面 すべてを抱え、乗り越える自信が私にはないのです 頼れる先もありません 話を聞いてくれる人はいますが その人たちも人生に苦しんでいる状況で、そのうえ私の悩みを聞いてほしいとは、言えません つらつらと書いてますが、結局私は、そのままで大丈夫だ、と言ってほしいのだと思います。とどまるという決断もできず、誰かに今のままで大丈夫だと背中を押してもらいたいのです しかし、自分の望む答えを引き出しても、このままだと相手に何をされるかわからない、やはり、決断すべきなのではないか、という不安が収まることはないと思います ずっと繰り返しなのです 自分が決めないといけない事です。でも、決めた方向に動くのが怖いのです。 それでもやるしかない等、たくさんの言葉が頭に浮かんできますが、浮かぶだけです 現状を打開したいです

有り難し有り難し 20
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