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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件

なぜ死んではいけないのか

はじめまして。お忙しい中、この質問を見てくださってありがとうございます。 表題の通り、「なぜ死ぬことが悪いのか」ということを教えて頂きたいです。 決して、今から死ぬということではありません。ただ、「いつ死のうかな。早く死にたいな」と思って生きています。思い上がりかもしれませんが、私が死んで悲しんでくれる婚約者や姉兄がいるのは知っています。それでもどうしても死ぬことを考えてしまいます。考えないように「命は尊い」と思い込もうとするのですが、イマイチぴんときません。 私が初めて死のうと思ったのは5歳の時でした。物心ついた時から両親の怒鳴り声の絶えない家庭でした。親のことはあまり思い出せませんが(理由はプロフィールに簡単に記載しております)、父親は私が言うことをきかないと決まって「じゃあお父さん今から死ぬわ。お前が言うこと聞かないから死ぬ。お前のせいで死ぬ」と目の前で自分の首を絞める振りをしたりしていました。幼稚園に入るか入らないかくらいの年齢だった私は、本能的に「死ぬ」ということがとても怖いことだと思って泣きながら謝っていました。 そのせいなのか、気付いたら私の中の「命の価値」は相手に言うことをきかせるためのトレード品程度になってしまいました。 5歳の時に死のうと思ったのは確か、家族の誰かと喧嘩をしたので自分の言うことをきかせるためだったと思います。そして少しばかり「お前のせいで私が死ぬんだぞ、責任を感じろよ」と思っていました。 大人になった今でも、どうしてもわかりません。「神から授かった命」とか「地球より重い」とか言われても全く頷けないのです。自分の命は交渉材料でしかありません。私が今死んでいないのは今まで自殺に失敗してしまった経験から二の足を踏んでいるためです。「生きたい」と思えません。死にたいとこぼすとそんなこと言うな!と頭ごなしに叱られますが、結局どうして死ぬことは悪いのでしょうか? 自分なりに考えても答えが出なかったので、皆様のお考えをご教授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 109
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2025/05/08

猫をひいてしまいました

夜、道路で猫をひいてしまいました。 気づいた時、咄嗟に避けようとしてハンドルを切ったのですが猫も同じ方向に動いてしまい、ブレーキを踏む間もありませんでした。 運転していた時スマホを手に持っていました。スマホを見ずにもっと前方を注視していたらもっと早く気づけたかもしれません。 ああやってしまったと思ったのに、怖くてすぐに確認せずそのまま元々の目的地に向かってしまい、冷や汗や動悸や自責の念に駆られながらも頭の中で帰りはこの道は通らないようにしようなどと考えてしまいました。 なぜ私なのか、毎日死にたいと考えている罰なのかと、神様なのか運命なのかどちらに対するもよなのか、恨みすら湧いてしまいました。 自分の用事を終えたあとに、このままではダメだと思い一度家に帰って家族に同行してもらい、ダンボールとバスタオルを持って亡骸のもとに戻り、連れて帰ってきました。抱き上げた亡骸はまだ暖かかったです。 近所に動物の供養をしてもらえるお寺があり、明日の朝伺う予定です。 自分が命を奪ってしまったことも、その時の思考、行動も怖いです。法律で罪に問われないだけでとんでもないことをしでかしたのに、人間だったらどうなっていただろうかなどと考えてしまったことも怖いし、そのままにしておく人も多いのに自ら向き合いえらいねと家族に言われたことも腑に落ちません。えらいわけがないです。 家族は、こういうときはごめんねと思わずに成仏してねと願うんだよ、と言いますが本当でしょうか。 わたしはどのような気持ちでいるべきでしょうか。 なんの償いにもなりませんが、しばらく供養をしていただくお寺には通うつもりです。こうしてここで相談して心を軽くしようとしているのも卑怯で、本当に申し訳ない気持ちです。

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TVでたまたま見た予言が忘れられません。

はじめまして。 私はTVで、たまたま見た恐ろしい予言が忘れられません。 気になりすぎてあれこれ調べてしまい、もう、恐怖で 触れるもの見るもの全てに悲しくなり、1人で泣いたり、食欲が減ったり 趣味が楽しく無くなったり、怖い夢を見るんじゃないかと寝るのも嫌になってしまいました。 それでも誰かにそのことを打ち明けたら、その方も同じ悩みを抱えてしまうのではないかと いつも内緒にしています。 自分でも、このままではいけない。その時にならないと分からない。みんな一緒だ。と言い聞かせています。 それから、どうにか明るくなるために ネット等で気持ちが塞いだ時にする事、幸せを感じる方法など調べてみるのですが やっぱり、いつも虚しさで 明るくなろうとか、今を生きよう、という気持ちに至りません。 寂しさ余って、彼に抱きしめてもらっても余計に悲しくなってしまいました。 今度入籍するのでお祝いの席、新生活、旅行なども控えていますが、TVを見る前のように素直に喜べないです。 本当に彼や両親に申し訳ないです。いつも考えこんでしまう性格なので、改善する方法があれば教えて頂きたいと思います。 どうか、助言ください。

有り難し有り難し 52
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ラブラブ「これぞ私の仏教愛」

私にしてはお久しぶりです 最近ニュージーランドでテロ事件があり沢山の人々が亡くなりました 宗教を越えて祈りが捧げられているというニュースが流れています 私がhasunohaをお休みしていたのは これまで何度も挑戦してきたのですが様々な宗教を勉強する為に仏教からいったん離れていたからです 正当な宗教(?)から怪しげな宗教(?)まで其々の教えに耳を傾けてきました 旧オウム真理教のテロ事件の被害者やご遺族の方々の意見や現在の心境なども極力汲み取るよう察せられるだけ察してきました 学べば学ぶ程いろんな宗教に寄り添っていきたいなぁと思うようになり そして信仰の自由のない家庭で勝手に信仰心を持ちつつ改めて思ったことは… 今の私は仏様の教えが一番好きだということです とってもとっても大好きだということです なのでまたhasunohaに戻ってきました 巡り巡って元に戻る それだけ今の私は仏教に魅力を感じているようです 質問になりますが 仏教三昧のお坊さまにとって も~ここがたまらん!と強く強く想う仏教の素晴らしさとは何ですか? 一言では言い表せないとは思いますが お坊さまの皆様にとって ついつい熱く語りたくなる ラブラブ「これぞ私の仏教愛」をお聞かせ下さい

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病苦と今後の進退

私が小学校2年生のころ、目の病気にかかってしまいました。 それから今まで10年間の間、手術を繰り返し、キツイ薬を打ち、なんとか病気が悪化しないように生きてきました。 しかし、つい2ヶ月ほど前に右目が失明してしまいました。残った左目も状況は芳しくありません。 それまでは私が楽観的な性格だったこともあり、必要以上には気にしないようにしてきましたが、失明したことにより、やっと私の病気の深刻さに気づき、それからというもの、これからのことを悪く悪く考えてしまいます。 それから私は、高校に通うのをやめてしまいました。 それは高校を卒業し、大学を出て、就職したとしても、ひとたび目が悪化してしまえば、すべて水の泡になってしまうのではないか? と考えるようになってしまったからです。 しかし、もしこのまま学校に通うのを辞めたとしても、先に進めないのはわかってはいるのです。 先のこと考えすぎても仕方のないことだというのもわかってはいます。 しかし、わかってはいても、どうしようもない不安感が勝ってしまうのです。 家族は、辛いのなら辞めてもいい、これからのことは病気を少しでも良くしてから考えればいいとは言ってくれます。 けれど、その言葉に甘えても良いのか?もしこのままこの言葉に甘えたら自分はどうなってしまうのか。 もし高校を中退したことが知り合いにばれたのなら、みんなは僕を軽蔑するのではないかと思ってしまいます。 家族は僕のことをわかってくれても、祖母やいとこや親戚は、僕をどう思うのか? そう考えると私は一歩先に進むことも、一歩後退することも、立ち止まることも出来ず、宙ぶらりんの状態が続いています。 こんなことは自分自身で決めるのが一番良いことはわかっています。しかし、どうにも足を地につける勇気がないのです。 私はどうすれば良いのでしょうか? 読みづらい文章ですみません。

有り難し有り難し 19
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仕事の辞めどき

辞めようと思いつつも続けて数年 良いところも悪いところも人間関係も 仕事量も不満点も多々ありました。 でも、もうほとほと困り果てた辞めたいと思う原因は休日を潰されることです。 有給取れない、産休や入院した人の分まで働いた。急な予定変更も対応して事前の希望休日も予定ないので取らない 休みが勤務先の都合で勝手に潰れ 後日連絡で呑むものの当日になって予定より二時間早く来てくれの通知で間の二時間どうするんだの話で予定通りの時間でいいということがあり 家族に話すと「勤務先がおかしい」「都合のいい人になっている」等言われました。 自分が頼まれる一方で自分が頼もうとしても断られた事があって以来頼むこともやめました 1人仕事のローテなので体調が悪いときは我慢して何度も早退したくても出来ず、トイレも店を閉めて立札をかけてダッシュなのでお腹を度々壊してるのでネックでした 家族からは今やってる仕事を数年出来たのだから他に行っても大丈夫と言われてます。 丁度家族の勤務先で一人辞める予定の人がいて空きがでる話を聞きました そこは自分と真逆で肉体労働だけど休みたいときに休むことができ、予め決まった休日は休日確定、人ではなく野菜や虫と接しトイレは自由に行ける 虫を殺さないといけないことや屋外なので暑さ寒さは大変ですが休日が確定なことや、体調不良で休みたいとき気軽に休めること、トイレが自由にいけることなど、そちらに行きたい気持ちがあります。 ただ辞める人がいつ辞めるのか 辞めた後募集はするのか分かりません 未確定な状態で今の仕事先に辞める話をしてもいいだろうか 来月の勤務表は出来てるので辞めるのは再来月〆日にしようか それとも希望先が募集する状態になってから動いた方がいいのか、もう今のうちにその話を匂わせた方がいいのか分かりません 辞めたいと思うことは常でして 希望の勤務先が行けなかったとしても 個人的にもうついていけない部分があります こういうことがあったと家族に話すたびに可哀想とか酷いとか理不尽とか都合のいい人になってると言われてるのですが 自分も辛いのをずっと耐えて我慢してたので麻痺してしまって分からないんです。良いところもあるしと思ってしまいます。 こういうときはもう辞めどきでしょうか?

有り難し有り難し 4
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介護終了後の道を見つけた気がします

先月は半分くらい寝込んでおりました。よくもこれだけ眠れるな、と自分でも思いましたが、「それだけ疲れて心身が眠りを必要としているんですよ」と看護師さんに言われて、安心して(?)眠りました。 わずかずつですが、起きていられる時間も長くなりました。 実は夏以来、天涯孤独で一人暮らしである方の相談相手をさせていただいています。遠方の方なので、メールと電話が主になりますが。その方が体調を崩されて、いろいろ困っておられたので、そのこともあって、私でわかる範囲のことをお伝えしたり調べたりもしました。 伊達に長く介護や持病と付き合っているわけではなくて、公的制度や医療的なことには多少詳しくなってしまいました。 私にできることはわずかですが、それでも「死にたい=助けて」というSOSに少しは対処ができたと思います。そして他人をサポートすることに懸命になっていると、自分のしんどさや辛さを忘れるのです。 思えば両親もよく人のために行動した人たちでした。二人が積んでくれた徳は今でも私を守ってくれています。ありがたいことです。 私は高校生の頃から30年以上長くパニック障害に悩まされていて、しかしながら、両親や弟のために走り回っているうちにパニックが治ってしまった経験があります。 母の介護を覚悟して決意した途端、病室で瞬時にして五十肩が治ってしまったこともあります。見えない誰かにとても応援されている気がします。 人のために行動することは巡り巡って帰ってくるという「恩送り」は本当だな、と思います。いつかは自分や子孫のためにも現在ご縁がある人たちのためにできる限りのことをしたいと思います。きっとそれは両親の本意であって、今後の課題だと思います。 自分のためには死ぬまで絵を描きたいという目標があるので、そちらも大切にしたいと思います。自利利他のバランスが取れるように、これからも充実した人生を全うできるように過したいと願います。 こちらでいただいたご好意はとても嬉しかったので、ひとことでもお礼を申し上げたいと思って投稿させていただきました。 本当にどうもありがとうございました。

有り難し有り難し 16
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