私のことを本当に尊重してくれているなら、こうしてくれるはず
「本当に私のことを思ってくれているのなら、○○してくれるはず」
という思い(以下、「相手への期待」と呼びます)が消えません。そう思ったら最後、「○○してくれないということは、私のことを嫌っているんだ、なんとも思ってないんだ」という思い(以下、「思い込み」と呼びます)が生じ、相手へ疑いの目や憎しみを向けてしまいます。
こうした「相手への期待」や「思い込み」が無くならない限り、人に疑いや憎悪をむけ続けることになると思います。親切心で接してくれた人に、悪意を向けることをやめたいです。
「思い込み」をなくすために、「思い込み」の発端となる「相手への期待」をやめるべく、以下のような努力をしています。
まず、相手へ期待することをやめるために、多くの人と関わり、色んな人の考え方を聞き、十人十色の価値観を受け入れようとしています。その結果、私と全く違う考え方や価値観をもっている人がたくさんいる、だから、相手が自分の思い通りになることはめったにない、ということは分かりました。しかし、それでも、人と会話をしているときに、「私のことを配慮していたら、そんなことはふつう言わないよな。」といったような気持ちが生まれ、最悪、相手と会うのをやめたくなる時があります。
また、相手へ期待することをやめるために、自分磨きも注力しています。自分に自信がつけば、自分に期待して、相手へ期待しなくなるだろうと考えたからです。そこで、内面磨き(勉強、趣味、家事等を頑張る)から、容姿の外見磨きまで、出来る限りやっているつもりです。そのかいあって、以前よりもできることが多くなって、自分は少し頼もしくなったかなと思えてきました。それでも、相手への期待をやめることができません。
長くなりましたが、お尋ねしたいことは以下の点です。
「私のことを大切に思ってくれるのならば、○○するはず」と相手へ期待しなくなるためには、上述のような努力は無駄なのでしょうか。もし無駄であるならば、何を行うべきなのでしょうか?
相手へ期待することは無駄なことだと、どうすれば心から納得できますでしょうか。
有り難し 30
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