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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 死 」
検索結果: 5035件

自宅敷地内の観音様について

以前、被災した義理の両親との同居を解消することに悩み相談させていただいた者せす。同居して2年が経過しようとしています。相談させていただいてからも、主人とは何度も離婚の話をしてきました。お互いこのストレスに疲れてしまっていたのです。そんな不仲の私達のことをみて、義理の両親がなぜか私達のことで結婚後過去最悪の喧嘩したそうです。 そして、この家からは出ていき、シングルマザーで2人の子供を育ててい る義理姉のことをサポートしにいくことときめたようです。 そこで、ご教示いただきたいことがあります。 彼らがこちらに来る時に、代々祀ってきた観音様を我が家敷地内に、被災地から持ってきました。観音様と呼んでおりますが、どうやら昔の誰かのお墓らしいのです。主人のひいおじいさまの夢に、出てきて「掘ってくれ」とお告げがあり、掘ったらでてきたそうです。それから、その観音様は震災でなくなってしまった自宅近くの山に祠を建て祀られており、代々引き継がれていたようです。 こちらに持ってくるという話の時、私は「海を眺める場所にあったものだし、観音様はあの場所が好きだろうから動かすべきではない。」と言い、また、正直、新しい住宅地なので周りも若い家族が多いため気味悪がられたりされるのではないか、という気もして反対してました。 今、観音様は庭にあり、ホームセンターで購入した物置小屋を祠のようにして祀り、義理母が毎日お水をあげています。 これから家を出で岩手県に戻るとのことで、私は上で申し上げた理由2点から、あちらに戻して欲しいと思っています。 しかし、主人も含め、こちらに置いておきたい、といっていますが私は、義理の母ほど、その観音様に愛着が持てず管理ができる自信もありません。主人は週1くらいであればお水とご飯を供えそうですが、今までの仏壇へのお供え状況を見ていると私より頻度が少いので怪しいです。 こんな雑な夫婦のもとに観音様を置いておいて良いのでしょうか。 それで観音様は幸せでしょうか。 昔、観音様のお供え等をサボっていた時期に義理父が仕事で指を切断したそうで色々と怖いです。 今後どのようにしたら観音様は幸せですか? ご教示ください。

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継承したお仏壇をどうするか・祀りかた

私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。

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強烈な殺意

私ともと知人との関係、過去の出来事の話は横に置いておいて。 いまも市役所勤めのもと知人が、私の勤め先に向けてネット上でなりすまし危害を加えてきます。       やり手がもと知人であると解せないよう証拠が残らぬ様、執拗で陰湿な形で危害を加えてきます。(もと知人はネットに詳しくプログラムで危害を加えてきていると思われます) 以前、もと知人に対してそういうことやめてほしいと訴えたものの変わりませんでした。 危害を加えてくるもと知人の連絡先は把握してます。 そのもと知人についてなのですが、 そのもと知人はこのサイトの常連利用者であるようです。よく質問投稿してこのサイトをしっかり活用してるらしいのです。手を替えあの手この手で、仏教のあれこれをはじめ、いろいろな内容で投稿してるらしいのです。しかし、私の身辺の事柄を適当に持ちだしあげつらうような内容を含めた質問投稿もしてるらしいのです。 以前、もと知人に危害を加えてくることをやめてほしいと訴えたときのことです。 自分のみが知る筋からそのときに、その直後の反応として半日後くらいに、このサイトを通じて、『心が抉られるような思いでした。』との投稿を目にしました。(その投稿が残ってるかどうかはわかりませんが) もと知人にとって、思い当る節があるのでしょう。やはり図星なのだなと思いました。 危害を加えてくるのは今も市役所勤めのもと知人であるのでしょう。 物怖じせず、よくそういうこと堂々とできるなと思うと同時に爆発的な怒りがこみ上げてきます。血祭りに吊し上げてぶっ潰したい、それくらい強い殺意を抱いてしまいます。 いわゆる、ネット上で当たり屋的ななりすまし態度で危害を加えてくるもと知人について。 もと知人の行いとそれに対する強い殺意と苛つき。今後のあり方についてなど。 私はどうあれば良いでしょうか。 どうか親身になって考えて頂けませんか。 どうか冷静な意見提示頂けませんか。 どうか宜しくお願いします。

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虐待

私の父は社会的地位のある人です。 しかし、私は幼い頃から厳し過ぎるしつけをされ、今思うと、虐待ではないかと思います。 幼い頃は、言葉遣いを誤ったり、口を滑らしたりという事は誰にでもあると思うのですが、他人にしつけが悪いと思われたくなかったのか、父は人前でよく怒鳴りました。家に帰ると、お前のせいで恥をかいた、と言って殴られました。 また、あくびやクシャミ、物に躓いたり、子供なら笑ってしまう何でもない事でも、笑うと、 『何がおかしいのか?』と言って殴られました。 冗談を言っても通じず、殴られました。殴られるとき、避けたり頭や顔を手で覆うと、卑怯だといって余計に何十発も殴られました。小学生の頃、一度走って逃げましたが、捕まって首を締められました。母が叫んだので、助かりました。 大人になってから知ったのですが、父は子供の頃チックがあり、からかわれていたそうで、笑われる事に敏感になっていたようです。 今になって思えば、父も若かったし、自分の怒りをコントロール出来なかったのかも知れません。また、子供のしつけ方が分からなかったのかもしれません。 父に殴られている間、母はいつも見て見ぬふりでしたか、大人になってから、あの頃は自分が殴られたら嫌だから助けられなかったと言って謝ってくれました。 私は今ほとんど笑わず、笑うことが罪の様に感じる性格になってしまっていて、人の冗談も、笑っても大丈夫か考えてからでないと笑えません。 テレビのバラエティ番組を見ても、人の欠点や失敗を笑いにしていることが多いので、見ていて怖くなります。 学生の頃から、面白くない、なんか真面目すぎる、とか言われ、心から友達と呼べる人は誰もいません。笑ってあげた方がいい軽い失敗なども、よく考えてからでないと、怖くて笑えないのです。 社会人になってからは実家にはあまり帰っていません。両親に会いたいとは思わないのです。 父は社会に貢献する仕事をしてきて、今でも世間からは立派な人だと思われています。いくら父が立派な仕事をしても、本当はそんな立派な人間ではないと私だけが思っています。 父に虐待されていた事を誰かに打ち明けたいのですが、そんなに親しい人もいないので、お坊さまに知っていただきたくて、書かせていただきました。 心の中の苦しさを軽くする方法かありましたらアドバイスをお願い致します。

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もし、あのとき、別の選択をしていたら

お坊さま、お正月をお忙しく過ごされていることと思います。 このメールをお読みいただき有難うございます。 寂しい、です。 自分が選択してきた道が、うまくゆきませんでした。 もし、あのとき、別の選択をしていたら・・・と百万回くらい悔みました。 だいぶ落ち着いてきたところだったのですが、 このお正月の休みで、またグルグルと考えが回ってしまいそうです。 過去は変えられないと、何人もの方々から言われました。 ごもっともです。 ですが、だからこそ、つらいのです。 受け止めきれていないのでしょうね。 失ったものより、もっているものに目を向けましょう。 これも、頭では分かっています。 でも、すぱっとは切り替えられないものですね。 時が薬になる、とも聞きます。 そうかもしれません。 2年前にくらべれば、少しよくなりました。 気持ちが沈まないように、することを見つけて工夫もしているのですが、気が付けば、過去に自分がした選択を悔いる気持ちに占領されます。 自分が選択した道が、生き甲斐だったのです。 でも、うまくゆかずに、生き甲斐を失いました。 心に穴が開き、ぽつんとしております。 私に残ったものは、なんだったのでしょう。 読んでくださってありがとうございます。

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2024/05/03

この人のもとで学ぶ事への不安

初めてこちらにて相談をさせていただきます。 私は今月から、ヨガインストラクターの養成講座を受講します。 そのスタジオは長年養成講座を行なっており、講座の説明や見学、普段のレッスンも受け、レベルの高さやスタジオに通う方々の人柄にも触れ、ここなら大丈夫だと受講を決めました。 しばらくして、先生方と一緒にヨガ哲学を交えながらみんなで悩み相談や雑談を楽しむ企画が始まり、私も参加しました。 そこではいろんな方の話を聴く事ができ、先生方の受け答えの内容に時には心震え、涙しました。 しかし先日、その企画に再度参加した時の先生方の返答や考えに違和感を覚えました。 ヨガ哲学や食生活に合わせて出てきた言葉が、行きすぎた反ワクチンの考え方や添加物は絶対悪といったもの。 さらには○○社や××社は裏で武器を作って利益を出しているから、そこの商品を買う事は戦争に加担している。ワクチンは人口削減の意味があるし、金儲けの為にワクチン接種の決まりを作り、真実がバレると誰も打たなくなるから情報規制をしている人がいる。 Qアノンなど陰謀論を語る人には有名な単語も出てきて、「私達は真実を知っている。だからこそ見本となり、間違った現代の日本を変えていきましょう」と熱く先生が語り、皆がうんうんと頷いたあの空気に今でも恐怖を感じます。 もしかしたら先生の言葉の中に真実もあるのかもしれません。 ですが普段聞き慣れない単語、怪しいかもと思えるようなものを半ば押し付けるように語り、自分が知るものを知らない周囲を見下し、自分達が正しいと断言…まるで洗脳でもするかのような言動をした先生方を目の当たりにした事で一気に恐怖心が芽生えてしまいました。 怪しい宗教を目の当たりにしたような恐怖や不安、嫌悪感は日に日に強くなります。 長くなりましたが、タイトルにもあるようにこのような不安や嫌悪感を覚えたまま本当にこの人のもとで学んでいいのでしょうか? 今の自分がなくなりそうで怖いです。かといって安定を求めるのは退行でもある、と先生は言っていました。その言葉には概ね同意出来ます。 ですがあの時の先生のような思想や言動で自分や家族、応援してくれる人を傷つけたり、振り回したくないです。 どうか、ご意見をよろしくお願いします。

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働くことに耐えられない。

こんにちは。 初めて質問させていただきます。 仏教では生きることそのものが苦であるという考えかと思いますが、最近私は本当にそう思います。 誰かにいじめられた、嫌なことがあった、そういうわけではありませんが、口癖のように「仕事辞めたい。死にたい」と言っております。 ただ私はそもそもの性格や言動がかなり子供っぽく、外面美人とでも言いますか、他人の前ではかなり明るく振る舞うため、周囲には「はいはい、辞めたいのね」程度にしか受け取られてはおりません。 それは一向に構わないのですが、私自身辞めたい、死んでしまいたいという気持ちが強くなります。 以前こちらで死にたいと思う心は自我の声、どんなに辛くとも生きたいと叫ぶのが命の声であると書かれていたお坊さまがいらっしゃいました。私はどちらの声もかなり強いらしく、死にたいと思いながらも生きたいと思い、とにかく休みの日は死んだように寝ることなどがよくあります。 死にたいと思う理由については、現代では働いていないと生きていけないため、働きたくない=死にたいという考えになるのだな、と自身で分析はしてみました。 私には病気の母もおり、家賃生活費は全て私が払っています。恋人もおりますが、決して高収入ではないのでもしも結婚しても仕事は辞めれないだろうと思います。 最近は暇な時間に働かずに生活する方法をネットで検索しますが、アフィリエイトやらFXやら決して楽ではなさそうな稼ぎ方ばかり。 長くなってしまいましたが、働きたくないというのはやはり甘えなのでしょうか。体力的にも精神的にも耐えれなくなりそうでこわいです。 なにかこんな自分でも生きやすくなるアドバイスなどございましたらお待ちしております。

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神や仏の存在とは?

今日、ふっと思った事の答えを教えて欲しいです。 この世には色々な宗教、宗派がありますが、基本的には人々を幸せに導く為や心の拠り所として神や仏というものが存在しているんだ思います。 しかし、事件や事故に巻き込まれて突然命を奪われて亡くなる人もいたり、生まれつき障害や病気を抱え生涯苦労したり生まれてすぐ亡くなる子供がいたりします。 また、生まれ育った環境で心に傷を負ったまま生きていかなければならない人達もいます。 第三者は同情したり励ますだけで終わってしまいますが、当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と言う疑問や悲しみだけしか残りません。 人は神や仏に助けを求めたり幸せになれる事を祈り信仰してるんだと思いますが、なぜこの様な差と言うか違いが生まれるのでしょう? 当事者や家族にしてみれば祈りや信仰は何の意味も無いし、悲しみを癒してくれるものでもないと思ってしまうのではないでしょうか? そう思うと神や仏とはいったい何の為に存在してるのでしょうか? 私の友人の奥様は5歳の子供を事故で亡くし、その後生まれた子供もわずか6ヶ月で病気で亡くしました。 奥様は廃人同然の様になり今も精神科で入院しており、友人も以前とは見る影もない程落ちぶれてしまいました。 きっと幸せな生活を夢見てたと思います。 ニュースで土砂崩れに巻き込まれて21歳の女性が行方不明になっているのを見て、その女性もこれからの人生に夢と希望を持ってたはずだろうなぁと思っていた時、神様って何なんだろうとふっと思ってしまいました。

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2022/08/22

道端で轢かれていた猫を埋葬したのですが…

昨日の夕方、バイトからの帰りに車を走らせていると側道にダンボールが置いてあるのが目に留まりました。 一度は通り過ぎたもののそれが妙に気がかりで、近くに車を止めて現場まで向かった所、中にビニール袋に包まれた状態で血を流し亡くなっている猫を発見してしまいました。いつも車通りが多い国道なので轢かれているのを見かねた他の誰かがこのようにして端に避けたのではないかと思います。 市役所に連絡することも考えましたが日曜日で空いておらず、しかし明日まで待つと身体が腐敗してしまうので親と電話で相談し祖母が持つ畑に埋めに行くことに決めました。(そこは近年ほとんど管理が出来ていない状態で、実際に行ってみると想像以上に雑草だらけで立ち入ることが困難だったため結局自宅の庭に埋葬しました) 一連の出来事が済んで、土に埋めてあげられて良かったと安堵する気持ちが一番なのですが、一方でじわじわと辛い気持ちが押し寄せる感覚があります。 猫の状態を見たとき母はまだ轢かれて2〜3時間しか経っていないのではないかと話していました。ダンボールを開けた際、正直かなりショックで下半身しか見れておらず、硬直した感じがあったことから亡くなっていると判断したのですが、まだ息があったという可能性も考えてしまい(母は即死だったように思うとも付け加えていましたが)、ダメ元でも病院に行くべきだったのかと思ってしまいます。また、現場から自宅までは10km程あるのですが離れた場所に連れてきて良かったのか、畳一畳分程度の窮屈な庭に埋めてよかったのか、さらに自宅で飼っている猫たちのことも気がかりで自分の行動に迷いが生じています。 しかし、同時にこのようなことを考えても仕方ないとも感じており、であれば今供養を精一杯してあげたいという気持ちも強くあります。昨日はご飯やお水、お花を一緒に埋葬し、手を合わせるくらいしか出来なかったのですが、今後この子が安らかに眠れるように自分が出来る行いやかける言葉、お供えすると良いものなどがあれば教えて頂けると幸いです。考えがまとまらず拙い文章で申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

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両親が老い、いつかは死ぬということが受け入れられない。

この春進学し、家から2,3時間のところで下宿を始めました。 初めて両親と離れて暮らすということもあり、友達は出来たものの、心に穴が空いたようで、両親が月に数回のペースで遊びに来てくれる日以外の、誰もいない夜は特に寂しいです。 私は一人っ子で、両親の愛情が他の兄弟に奪われることに対する嫉妬を経験したこともありません。 小学校高学年から中学生にかけて、親に反発することも多くありましたが、両親とはずっと良好な関係です。 新生活が近づくにつれ、40手前で私を産んでくれた親と会える時間は自分にどれだけ残されているのだろうかと考え込んでしまって、泣きそうになることが多くなりました。 私の親は大病をしたことがなく、今の時点では健康面で全く心配はないのに、親が少しうっかりしていたり、怒りっぽくなった日があると(昔からそうだったかもしれませんが、前以上に心配になります)親と親が老い、死んでいく想像をしてしまいます。 この悩みを友達に打ち明けても納得のいく答えが返ってくる気がしないし、親にこの歳で子供みたいに甘えたことを言うのも恥ずかしいです。 就職にしても、現時点で私のやりたいことと地元での仕事はズレているにも関わらず、親との時間をもっと増やしたいと言う気持ちから、地元就職に傾いて来ています。しかし、地元で就職した場合も、いつまでも親とくっついていたいという気持ちから逃れられない気がして怖いのです。 親は私に自立して欲しいと考えていると思いますが、私の心の中ではうまくいかず、とても辛いです。 親に守られている自分が、いつかは親を守る立場に変化していくというのも怖いです。私はどう親の変化をを受け入れていけばいいのでしょうか?

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亡くなった人はどこにいますか

よろしくお願いします。 母は生前いろいろな苦労をして、私も母に楽な暮らしをさせてあげられず、せめて来世は幸せになってほしいとの願いで日々仏壇に手を合わせています。 ただ、一方で疑問を抱いています。 四十九日で亡くなった方の魂の行先が決まると解釈しています。となると、既に母が誰かに生まれ変わっているのであればもう私の母としての魂はいないのでは? だとすると、拝んだり母に話し掛けても受取る人はおらず、初盆だとかお盆にご先祖が帰ってくるとかいっても(もうみんな生まれ変わっているなら)帰ってくる人などいないのでは?と思うのです。 そう思うと母が亡くなった時に親戚や知人が私に掛けてくれた、先立った母の兄弟や両親が母を迎えに来てくれてるから大丈夫だよとか、姿は見えなくてもいつでもあなたのそばで守ってくれているよとか、また会えるよとかいう言葉が虚しくなりました。 母が別の誰かとして幸せな新たな人生を踏み出しているなら勿論嬉しいです。ただ、私は誰に、何に、祈ったり笑い掛けたりしているのかと寂しくなる時があります。 勝手な想像で、母の両親兄弟、夫(私の父)らと所謂「あの世」で穏やかに暮らしているイメージを抱いたりしますが、それは四十九日の意味合いと矛盾します。 仏教では、現在母はどのような状態にあるのでしょうか。私の気持ちはもう母には届いていないのでしょうか。 或いは、私が心配を掛けてしまって母が気にして幸せに生まれ変われないなどということはないでしょうか(だとしたら話し掛けたりしない方がいいでしょうか)。 浄土真宗の住職をしている友人がいるので、できれば浄土真宗以外のお教えをお聞きしたいです。 取り留めのない長文で申し訳ありません。

有り難し有り難し 25
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