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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8503件

挑戦したいのに強い自己否定で動けない

挑戦したいことはあるのに、自己否定が強くなり、行動することが出来ないでいます。 予定も立てて、明日はこれをやろうと思っても、次の日になると、何もやりたくない気持ちが強く出てしまい、動き出すのが億劫になり、現実逃避で携帯をさわり、時間ばかりが過ぎていくことが多いです。 どうすれば行動出来るようになるでしょうか? 何もやりたくない気持ちが大きくなる時は、何か些細なことでも、自分の思ったように、スムーズに事が運ばなかった時が多いです。 スムーズに運ばない原因として、やった事がなかったり、苦手だったり、やり方が分からない部分があったりして、それを人に聞けないことかなと思います。 分からないことを人に聞くことや、相談すること、コミュニケーションがそもそも苦手です。 出来ない、出来なかった自分を見ると、強く自己否定してしまい、死にたいと思ってしまいます。 その自己否定が出ることで、行動しようにも、動く気力が無くなってしまいます。 動けないことで、さらに自己否定を強くしてしまいます。 本当はやりたいのに、強く自己否定してしまって動けず、さらに自己否定を強くする現状が、とても苦しいです。 何か少しでも、突破口が見えたらと思います。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 2
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2023/05/28

悪口を言われたお釈迦様のお話しの意味

周りで、悪口を言われたお釈迦様のお話しを読んだ人達で、この意味をどう取るか?という意見交換?がありまして… 何人かは、「悪口を受け取らない」という意味だと解釈しましたが、 「悪口を受け取らない」は死ぬまで自分を愛する覚悟を持てるまでは、受け取らないというのは難しい という意見もありました。 下記のように言っていました。 悪口を言われる、というのは 少しエネルギーが下がってる時に起きやすい エネルギーが少ないから、エネルギーの強いひとから悪口を送られてくるわけです だから、有難くエネルギーちょうだいしておけば良い 悲しくなっちゃう場合は 悪口を言われていることより より自分の深い部分を褒めまくる。 でも本当に大事なのは 世界中がどんなに私の悪口を言っても 私は絶対に私の味方だ! という覚悟を決めること。  気分で態度を変えず 「私は死ぬまで私を愛する!」 という覚悟を持つ! それが出来るまでは 「悪口を受け取らない」 は難しいと思う! この人の言っている事も、お釈迦様のお話の意味として合っているのでしょうか? お坊さんは、どのように捉えているのかお聞きしたく質問いたしました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 29
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2025/04/15

両親への負の感情を少しでもなくしたい

私は、あまり良い環境の家庭に育っているとは言えません。家にいる間は、いかに両親の不興を買わないかを考える日々でした。進学を機に、自分の幸せをつかみたいと、1人で自立し頑張っていこうと必死に生きてきましたが、20代後半になり、両親間の問題や母の介護など、介入しなければならないことが出てきてしまいました。私の方からは、一定の距離を保ちたいと、両親と話し合ったり社会福祉士の方と相談をしてデイサービスと連携して対応していますが、父母間の執着や執念、子供のお前は何でこんなこともしてくれないのかという恨み言を会う度に言われ、昔のように心を蝕まれている感覚が蘇ってきています。大人になり両親にも強く対峙できると思っていたのに、幼い頃のままの心がまだ残っていたことがとても苦しく、不甲斐ないです。 過去に囚われてしまう自分や、人が何もしてくれないという考えばかりの両親に嫌悪し、絶縁しようとしたこともありました。 しかし、一番信頼し協力しあっていた姉が難病にかかり、余命が短いと告げられました。今までごめんね、最後まで何とか協力するからね、と言われ、なぜ姉や私がこれほどまでに苦しまなければならないのかと、両親への恨みが膨大になりました。 恨みをもっていては、自分が幸せになることは難しいことはわかります。しかし、ふとした時に感情が噴き出し、自分や姉はひどく不幸だと思いこみ、ひどく沈み込んでしまいます。 心療内科で相談をしても、少しずつ心理学の本を読んでも改善はあまりしません。 親子や家族での負の感情を、どうしていけば良いのか。病院の先生の言うように、物理的に離れるしかないのでしょうか。仏教では、どういった考えや観点があるのか、教えて頂ければありがたく存じます。

有り難し有り難し 43
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実家がなくなる事が寂しいです

近日中に、実家を売ることになりました。 私は地方から関東に出て暮らしている身であり、地元の実家に帰るのも年に2回程度(お盆と年末年始)なので、「将来的な事を考えたら、この家をいつまでも残しても仕方ない」という両親の判断です。 両親も定年を迎え、これから老後の暮らしをするに当たって、この家は広すぎるというのもあるようです。 両親は今後、こじんまりとしたマンションに暮らす予定です。 私としては、両親が話し合って決めた事なら口を挟むつもりは無いですし、実家を売る事にした理由も頭では理解出来ますが、やはり寂しいです。 物心ついた時から住んでた家なので、沢山の思い出があります。 現在、引越し手伝いのため一時的に実家に帰ってるのですが、ときおり感傷的になります。 実家を離れてずいぶん経ちますが、私にとって実家は故郷の象徴であり、なくなるとなると心にポッカリ穴があくような感じです。 子育てには最高の環境な家なので、もう高齢者になった両親がいつまでもここで暮らしたり、社会人になった私がたまに帰省で帰ったりする頻度で過ごすよりも、これから子育てをする若い夫婦に住んでもらった方がこの家にとって良いんだろうな、とは思ってます。 その思いと、実家がなくなる寂しい思いが渋滞している状態で、あまり心の整理がつきません(とりあえず家の写真は撮りまくっています)。 こういう場合、時間が解決してくれるものでしょうか? どんな心構えで過ごすべきでしょうか? よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
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少しだけ幸せで、死ぬなら今だな、と思う。

 少しだけ幸せで、死ぬなら今だと心のどこかで思う。共感されない。仏教で解釈できるでしょうか。  今、仕事が少し分かり始め、欲しいものややりたいことがある。楽しいこと、大切にしたいこと、少しずつ好きな人たち。欠片が積もって私は前より自分のことを知っている。  幼稚園の頃、自分だけが箸の持ち方を知らないことに愕然とした。私は何も知らず、何も出来なかった。それからずっと、何かを覚えるために生きてきた。逃れるために。  ある時、所詮地獄なのだと思うと、楽になった。ましな地獄にしようと思った。辛かった経験は少し報われ、褪せて。鈍にならないうちに。  怖いのは、地獄だと思って耐えている場所が天国だったのだと知ることか、本心はどこかの天国を夢見てそんなものは無いと証明することか。川底に光る宝物を拾い上げた時、それはまだ宝物か。まだ見ぬ幸福を恐れている。  今なら、鮮やかな走馬灯と未来の淡い幸せを夢に見て、眠りにつける。  正気に戻ることを恐れている。幸せを痛み止めにしてごまかしごまかし生きている。  ふと、正気に戻る時がある。そしてこれから先、何十年も生きる。このまま効き続けるとは限らない。過剰に求めてしまうのではないか。今よりずっと、幸と不幸に翻弄される。服用しすぎて、自分を失っていることすら気づかなくなってしまうのではないか。 いや、実際は、幸せを服用するたびに、正気に戻っていっているのではないか。これまでは無心で生きてこれたのに、どんどん脆くなる。  痛みを薄めることでしか保てないのに、痛みすら自分の一部で、私は自分を得るために生きてきたのだ。今ならまだ、自分でいられると。  考えすぎだ、なんとなくでいいよと言われた。考えすぎることは根本的な問題ではない。なんとなく生きられる人は、本質として生きることの幸せを受け入れられる人ではないか。過去であれ、未来であれ。死ぬ不幸とは相対的に。次の瞬間に痛み止めが切れることに常に怯えたりしない。  生きる不幸から逃れる必要もなく、生きる幸せが恐ろしいと思う、死ぬことの不幸だけが人並みな私は、何のために生きればいいのですか。

有り難し有り難し 13
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後輩の結婚ラッシュが辛いです。

32才独身(女性)です。 結婚願望は20代の頃からありましたが、よいご縁がなく、婚カツを頑張った時期もありましたが、成果がなく諦めました。 仕事だけは順調でしたので、必死に頑張っていましたが、昨年の人事異動で左遷のような内示を受け、仕事のやりがいまでも失った状況です。 そんな折、3才~4才下の後輩たちの結婚ラッシュが相次いでおり、とても辛い状況です。結婚ラッシュはもう次世代に移ったのだなと呆然と眺めています。 もともと人から舐められやすい性格であり、仕事も閑職にやられたことも重なり、後輩たちからも見下されています。 真面目に自分にできることを懸命に行っているだけなのに、なぜどんどん悪い状況になるのか、苦しんでいます。 適齢期に言い寄られた人もいましたが、失礼な言い方になりますが、変わった人で、その人に好かれたということで余計職場で笑い者にされました。 馬鹿にされないよう身なり等にも気を付け、人への配慮ができるよう常に読書等をし、改善する努力はしています。 でも、うまくいかないということは何かがおかしいのだと思います。アドバイスを頂けますと嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 29
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初心のお寺からパワーを授かりたい

いつもお世話になっております。 昨年、今年と運気がさらに悪くなることはなかったのですが横ばいのような感じで、あまりパッとしない日々を過ごしております。 起死回生をねらって転職活動や資格試験も頑張っているのですが、あと一歩のところで実を結ばない結果が続いています。 今、結果待ちのものもありますが、自分の力を発揮出来ず、悔しい気持ちと同時に、成功している奇跡を信じて、運を天に任せている状態です。 そこで、少しでも運気の流れを変えたく、やはりこれまでずっとお世話になってきた某寺にお参りして何かパワーのようなものを授かろうと思っているのですが、あまり意味はないでしょうか。 たしかに、過去には「参拝したけど良いことがなかった」とか「おみくじを引いたら凶が出て、その後本当に不運が続いた」とか良いイメージがなかったこともありました。 一方で、就職に悩んでいた時に参拝した直後、すんなり就職が決まったり、6年前には参拝して1週間後に今の妻と出会ったと言う「運命」を感じたこともありました。 特に理由はないのですが、このお寺からパワーを授かると、運気が変わる気がします。 お参りに行く価値はあるでしょうか。

有り難し有り難し 18
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父親に対して

知的障害の中の軽度知的障害があります 上手く説明が出来ませんがよろしく お願いします 37歳の時にメンタルがやれて心療内科に行き知能検査をして軽度知的障害だと診断がされたんですが 実は小学校入学する前にテストを受け ますそのテストの結果から特別支援学級へ行く話が出ていたにも関わらず父親が私の障害を認めず学校に直談判してまで 私を普通学級に行かせたそうです その話を親戚のおばさんから話を聞き ました 親戚のおばさんは障害者の学級の教師を定年まで勤めて方にもなります その事実を知った瞬間、悔しくて 怒りでボロボロと涙を流しました 父親は他界していますし 母親も他界してしまいます やりきれない気持ちになりました 今までの人生はなんだったんだと 思います 父親のせいで人生の選択を間違えさ せられたせいで私は苦しみました 特別支援学級へ本来いかないといけない のに普通学級へとなると 親戚のおばさんには大変感謝しています 大人になり取得が非常に難しくなり 障害者手帳を取得する為に手紙を書いて もらいました 父親に対して許す、許さないとかでは 無くてなんと言えない気持ちになります 妹がいて私が特別支援学級へ行くことで いじめにあうのを心配して 普通学級へとも話をしていました 私が特別支援学級へ行ったからって 妹がいじめにあうとは限らないと思います本人次第ではと思いました いくら昭和の時背景があったとしても あの時代に特別支援学級へ行く話が ある事は奇跡だったのに 父親のせいで潰されてしまったという 思いになりました 過去は変えられないし戻れないのも よく、理解出来ますし 過ぎた事をいちいち気にするなといわれる事も理解出来ます 私は今後、どのような気持で 向き合えばいいのだろうと思います

有り難し有り難し 14
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不安ばかりで未来が怖いです。

私は三年前の高校2年に脳腫瘍が見つかり抗がん剤治療、放射線は1年で終わったものの病気の影響はなかなか消えません。 体温調節が難しく、真夏になると高熱が出ます。なので、外出が難しく、病気が見つかる前は保冷剤を抱えて通学して熱を出しながら通っていました。今は通院をしています。 病気になる前は夢がありました。商業高校に行き働き、そのお金で家族旅行に行くこと。母のような母親になること。 高校は中退。一旦は働いたものの体がついていきませんでした。 そして、この病は妊娠が難しいということも。 外を歩いた時同級生と真正面ですれ違ったのに気づいてくれませんでした。 副作用で髪の毛が抜けて、顔もむくんでいたからかも知れませんが声をかけることもできませんでした。気づいてくれなかったことに心が痛かったです。 誰といても孤独で、すべてを奪った病気が許せません。頑張って高校に入って夢もあったのに今はどうすればいいのかわかりません。自信なんてとてもじゃないけど、もてません。 病気になり死を身近に考えてから、いつか周りの人が亡くなると考えるだけで不安です。 家族が大好きで毎日掃除をする時、玄関のスリッパをみんな送った後、並べながら(気をつけて無事に帰ってきてください)と祈っています。それくらい不安です。 こんなこと誰にも言えないし、答えなんか悩んでもわかりません。心が苦しくて、一人でいると泣いてしまう時もあります。助けてください。お願いします。

有り難し有り難し 38
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仏様とご先祖様の関係性等をお聞かせ下さい

私の相談をお読み頂きありがとうございます。 前回、仏壇の参り方もご教授頂き本当にありがとうございます。 その後も変わらず、お世話?お参り?させて頂いていると思っております。 今は色々簡素化されて来ており、私の周りにも、「自分が亡き後は我が子の負担になりたくないから法事等も不要だ」と申す者もおりますが、私自身は代々引き継いでもらえればと思う部分もあります。きっとご先祖様はそんな姿を見て下さっていると信じております。 またまた無知な私の質問ではありますが、仏様とご先祖様の関係性が分からなくなってきました。ご先祖様は仏様とは違うのでしょうか? 先ほども仏壇のお世話は私自身は代々引き継いで欲しいとお申しましたが、純粋なお供養の気持ちだけかと言われれば、正直なところ、お恥ずかしい限りですが見返りを求めている部分があるのかもしれません。私は適齢期を過ぎてもまだ独身であります。私がこのまま独り身で亡き後、甥なり姪なりが、どこかで私を思い出してくれれば…だから今は私のやっていることを見て、「あー、叔母さんあんなことしていたなぁ」と頭の隅にでも置いてもらいたいと思っていたします。 そして… 仏様は私たちの願いを叶えて下さるわけではなく(冷酷とかそのような意味ではないです。)温かいお心で私たちを見守って下さっているのだと今現在私は考えております。では、ご先祖様は? ご先祖様も私たちの傍で見守って下さる存在なのだとは思いますが… 悲劇のヒロインを演じたいわけではありませんし、もっともっと大変な方々がいらっしゃる事も承知ですし、こんなこと序の口だとは思いますが、家庭内で上手く行っていないことが長きに渡ったり、ずっと頑張っている婚活が全戦惨敗中で、自分の力不足を棚に上げて気持ちのはけ口をご先祖様に向けているだけなのかもしれません。 ご先祖様はご先祖様のお役目だったり修業があるのだとは思いますが、私たち子孫が温厚な日々を送れる手助けなり道しるべなりを頂戴したいと思うことは私のエゴであり愚かな事なのでしょうか? もちろん、日々私たちがこうしていられるのはご先祖様あってのことですし、軽んじているわけではなく、感謝はしており、だからこそ毎日仏壇のお世話も続けられています。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2