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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」

検索結果: 32090件

死に方がわからない

何度もこちらであたたかい言葉をいただき 何度も読み返しなんとか生きてきました。                    やはり私には生きづらく毎日苦しいです。                                    自殺をする人はかまってほしいだけだと何かで目にしました。          言われてみればそうなのかとさらに苦しい思いをしています。                    私には本音を話せる人が1人もいません。                    今離婚調停中で相手から離婚拒否されています。                    外に出ると他人の行動が気になり、なぜこんなことをするのかとかそんなことばかり気になります。                    もう嫌です。                    自殺したら残された子どもがどうなるのか。大人とはいえ、母親が自殺するなんて子どもの心にどれだけの傷をつけてしまうか。                    それを考えると自殺なんてと思う反面、楽に死ぬ方法、迷惑かけず死ぬ方法を毎日ネット検索している自分がいます。                    楽になりたい。                    助けてください。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

一切皆苦と苦行

22歳、京都で学生をしています。 三年前頃から仏道に少しずつ傾き始め、自分なりに歩みを進めているつもりです。 良き師に恵まれて、指導の元『自己理解』を通じて心の深くに居座る嫉妬心、罪悪感、劣等感、虚栄心などと向き合うことを続けています。 それから少しして今まで『楽しい』と単純に思ってた事がどうしても『悲しく』も見えてきてしまって辛いのです。 楽しくないってことはないんです。 それでも 楽しいお祭りもいつか終わってしまう。 若くて健康な肉体をどれだけ手放したくなくても、何か大きい力が流し去って行く。 目の前の大好きな人も永遠ではない。 お釈迦様が残した一切皆苦。 自分の師はそれを「そもそも自分と向き合うこと何なによりも苦しいのに、体や精神を痛みつける『苦行』は逃げになっている事がある。自分と向き合う事を『苦行』と言うのであれば、それが修行」と。 けどそういった『依存』があるからこうして今まで生きてこれた気もするんです。 いや、生かされてきたという表現の方がいいのかも知れません。 何かに必死にすがり付くように生きてきました。 しかし自分で立って歩いていきたいです。 今の自分の理解として 『楽しい』だけのいいとこ取りはできない。 『楽しさ』に付随する『苦しい』『悲しい』ことも一緒に受け入れないと進めない。 勿論生きていて自分の中に他人や自分に対する抵抗感や投げ出したくなるようなこともあるが、その『やりたくない気持ち』『逃げたい気持ち』がそのまま仏からの自分に気付くヒントであること。 皆様が修行をしてこられた上で、毎日されている上で参りそうになる『恐怖』と遭遇したことはありますか? お坊さんの心の中を知りたいです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

人生に疲れました

突然の質問失礼致します。私は23歳です。私が3歳の頃両親が離婚しました。親権は母親に移り、10歳の時母親が再婚。1年後種違いの弟が出来たら「もう一緒に住めない」からと言われ家を追い出されました。私は実の父親の家で暮らすことになりました。(親権は頑なに母親が手放さず)そうこうしているうちに両親が私の養育費を巡り裁判を起こし始めました。両親から罵声を浴びさせられる日々。思春期の私にはとても辛かったです。高校を卒業後、大学受験を失敗でうつ病とパニック障害を患いました。仕事を始めなければと思いアルバイトを始めました。そのうち母親や母親の再婚相手の扶養からいち早く抜けたくて、頼りたくなくて就職活動を開始。運良く決まったものの、会社の寮に入ったとたん「ここにいちゃいけない」って頭の中に誰かが語りかけてきたんです。調べてみると内定先の企業は命の危険がある、給料安い、パワハラやモラハラが横行してる会社であることが判明し内定辞退しました。ただ、アルバイトは既に退職してしまいましたので現在無職です。病気も悪化して統合失調症の診断がくだりました。こんな自分が情けなくて、でも誰も助けてくれなくて、良いことなくて、最近消えたい、死にたいと思っています。こんな私は生きてていいのでしょうか?というより生きなきゃいけないんでしょうか?もし仮に生きなきゃいけないとしたら私はどうしたらいいのでしょうか?アドバイス頂けますと幸いと存じます。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

全てが苦痛に回帰する

最近、物事を悲観的に見ることがとても多くなってきたことに悩みつづけています。 なんというか、万象が自身の苦痛に回帰するという感覚が続き、他人との会話や自分の趣味が無理な延命処置に過ぎないのではという思いが頭から離れません。 自身がそう思う理由として2つの事を考えてます。 一つは、大学で様々な考え方や価値観を学び様々な固定観念を粉砕しようとした結果、絶対視できるものがほとんど無くなってしまったこと。 もう一つは、幸福を求めるということを積極的にしてこなかったあまり、自身が苦痛や試練を耐えてまで生きる理由が思いつかなくなったことです。 自分は、今世間で言うところの就活生ではあるのですが、就労意欲が殆どありません。 一応、趣味で絵を描いているのですが、「これを理由に生という呪いを凌ぐにはあまりにも忍びない」と思いつめ。 両親からは、「生きる理由や幸福が見つかるまで生きればいいじゃん」というアドバイスをもらったのですが、その言葉すら、親心が故に自分を現世に引き留めようとする詭弁に聞こえてくるありさまです。 世間は、自分を怠惰だ落ちこぼれだと罵るでしょうが、そうした罵声すら、「オマエもこっちにきて今生の続く限り苦しめばいいんだ」という僻みと思いこむばかりです。 正直、何でここで悩みを打ち明けているかも自分でよく分かってないです。 おそらくは、まだ無意識で助かりたい、死にたくない、幸せになりたい、と思っているのかなと思います。 でも、そろそろ限界が来そうです。張り詰めた命の糸が、そろそろ切れそうです。 つらいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

私はここにいます。

私は、今ここにはいないことになっています。 外に近所の人がいるときは外に出てはいけません。 誰もいないことを確認して出ます。 出かけても、近いところでは離れて歩いてと言われます。 遠いところでは一緒に歩くことが出来ます。 近くの病院には行けません。 わざわざ遠い病院に行くことになっています。 お薬手帳も出せる薬局に行くことになっています。 障害者は嫌いなようです。 特に精神障害者は嫌いをこえて隠していたい存在みたいです。 この秋、障害年金の等級が上がりました。 支給される年金額が増えました。 やった!良かったね!と言われました。 これで安心して暮らせると言われました。 存在を消して生きています。 それが私の現状です。 それでも喜ばれることもあるのだなと思いました。 矛盾しているような気はします。 でも私はまだ生きています。 仏様は私の見方なのかなと思えました。 まだ生きていて良かったみたいです。 ありがとうございます。 私は今ここにいます。 そうここhasunohaに書けるのはありがたいことです。 そういう幸せを私は今感じている最中です。 お坊さまの皆様にも感謝致します。 また転けることもあるでしょう。 意味不明なことも言うかも知れません。 ちょっと感覚が麻痺しているみたいです。 こんな私ですみません。 何を言われても構わないです。 もう少しここに居させていただけませんか? ワガママ言ってすみません。 隣の芝生は青くないですよ。 今私が言葉に出来ることは以上です。

有り難し有り難し 36
回答数回答 1