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検索結果: 878件

ご先祖様に色々申し訳ない

見つけてくださってありがとうございます。 うちは臨済宗妙心寺派です。 6月に父が仏様に召されました。毎朝,般若心経を読んで仏壇に手を合わせます。(時々寝坊します。寝坊した時は「ごめん!行く!」とお線香とおりんを鳴らしてお経はカットしてます。色々申し訳ないです) 悲しみも後悔もいっぱいありますが,自分にできる範囲のことをして,少しずつ心を静かになるようにしています。 問題はここからです。 「@@(父の名前)だけずるい」 と子どもから大人まで,各種時代の人(Max古くて江戸後期?だと思います)がどうも父を羨んでいるようです。 父を羨んでいる人たちはどんな生き方をしたか,死に方をしたかなど頭の中にふわぁっと流して,私に教えてくれます。 その人たちに,「僕たち,私たちは忘れられたの?」と言われました。 恥ずかしながら父方の家の方は,法事はショートカットするようで,御墓参りもしないようです。父の兄も新興宗教に入ってしまい,仏壇がオブジェ状態です。そのため,亡くなった人に「私こういう人!」と教えてもらわないと誰が誰だかわからないし,その人が私たちどんな繋がり方かわからないのです。祖父母もあんまり先祖については聞いても教えてくれないので,聞くに聞けない状態です。たまに自称先祖の人もいるので,教えてくれる人の話を全部が全部鵜呑みにできない状態です。(なんとなく「あ,この人人間違いしてるかも?」と思う時があります) 正直,私も父方の祖父母の家には怖くて行けず先祖に手を合わせるのができません。また,お墓はもっと怖い(荒れ果てすぎててお地蔵様にも申し訳ないです)ので,家の仏様に手を合わせるのが精一杯です。 私が直接そんなひどい状態にしてしまったわけではないですが,ご先祖様とお墓のお地蔵様に申し訳なくて・・・。 ただ,「ごめんなさい」としか言えない自分に無力感を覚えます。 たくさんの人がどんな生き方をしたか教えてくれるたびに,人間ってすごいな,と思ったり,生き方に尊敬するところもあります。時々私を見ていてくれるようで,「見てるよ」と言われるたびに照れくさく,少しありがたいな,と思います。 どのようにしたら,父を羨むことなく心安らかにご先祖様がたはいられるでしょうか。また,お墓のお地蔵様に申し訳ない旨をお伝えしたいのですが,どのようにすればよいでしょうか。お墓に行く勇気がないです。

有り難し有り難し 8
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2021/12/03

僕の持つ「揺れ」について

知恵袋にてこちらのサイトを知りずっと気になっていたことがあって、こちらの方であればわかるかな?と思いましたので質問させて下さい。 僕は小学校の頃からずっと悩んでいます 自分の中にある「揺れや、もしかしたら波動」かもしれないことについてです ある時、何かの拍子に自分の中に波紋が広がっていくのを感じたことで自分でもよく分からないものが実際に溜まっていて、 それが広がるのを僕の体内感覚や肌感覚に伝わっていくのが僕はいつも気になっていました 僕が「あ、い、う、え、お」を発したり 何か自分の心や頭で発するだけでやれることに気づきました そこからしばらくして僕は「そのことを気にしないでおこう」と思いそこから16歳になったある日の事 私は精神疾患を患ってしまいます とても辛かったですが僕の周囲の人達が親身になってみてくれたこともあり 次第に体調が良くなっていき現在に至ります(色々ありましたがそこは割愛) 現在も元気でいられて比較的時間のある生活を送れているのは周りの人のおかげで出来ています、僕の家は金銭的には貧乏なのでこのような時間を持つことが容易ではありません、この時間のある内に気になっていることを解決できれば良いなと思いどなたかのお力をお貸しいただきたいのです 私が気になっている質問を以下です ・この「揺れ」もしくは「波動」が病気が由来で出ているのではない点 ・僕はこれは「あいうえお」を発した時に出るものなので昔の言葉に関係してるものだと思い昔の日本語の起源を調べていると 「カタカムナ」というものを知ったこと ・この「揺れ」に乗せて「カタカムナ」を交えて発したところ僕の願った病気の症状がかなり緩和されたこと(そんなに直ぐ変わる病気では無いにも関わらず) ・この「揺れ」を僕のお母さんに向けて出しても本人は何も感じていないこと ・瞑想をしている時は揺れが止まるということ 書き出したらキリがないのでこの辺にしておきます 以上のことからお坊さん達が感じたことや 何か昔からの教えで残っていることなどなんでも教えて欲しいです 「仏教にこんな話があります」とかでもかなり参考になるので この今の割と融通のきく時間を生かして解決したいのです ご教授の程宜しくお願いします。

有り難し有り難し 8
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相談に乗る時どう心がけていますか?

わたしは医者です。最近、常に診察に疲れを覚えます。 なんとも言えない話や治らない病気を治してと言われること、怒鳴られること、殺害予告をされることなど強いストレスを感じます。その上コロナの問題などで仕事量も増えています。 わたしだって治したいんです。でも治らないものもあるんです。 当直も多く体も常に疲れています。 プライベートもそんなにうまくいっていません。彼氏がいますがなかなか結婚をかんがえてくれず、婚活をしても結婚できる予定はないです。友人はいますし、楽しめる趣味を増やそうと活動もしていますが、むなしさを感じています。 おそらく恋愛や婚活がうまくいっていないから嫌になっているのだと思います。 プライベートの気持ちを仕事に持ち込むのは社会人としてだめだとは思いますが、毎日しんどいです。 患者さんに死にたいと言われるたびに、わたしもだよと言いたくなってしまいます。 明日死ぬことができるかもと思って1日を過ごしています。とにかく1秒でも早く死にたいです。 という気持ちで毎日を過ごしており、時に診療に差し障りがあるように思っています。 お坊さん方は自分が辛い時にどのような心持ちで働いているのでしょうか。お忙しいところ大変恐縮ですが、ご教示いただけると幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 115
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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 79
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肉食について

お釈迦様の時代は托鉢やお布施により頂いたものをなんでも食べていましたが、 現代日本において、托鉢でもお布施でもないのにお坊さんが肉食をするのは何故でしょうか。 仏教とは慈悲の心が根底にあり、生命に対し、苦しみを与えないようにするのは当然のことです。 お釈迦様の時代、今のような方法にて動物が囲われ、無理な出産を繰り返し強要され、体の一部を切除され、まだ寿命に程遠い若齢の家畜を殺していたとは思えませんし、 お釈迦様が肉を食べていたのを理由に、肉を食べてもいいんだよ〜というのは間違っています。 残り物を頂くのと、スーパーにて肉を買い調理するのは違います。 漁師のように職業にしている人もいるし仕方ないという話も見ましたが屠殺業に嫌気がさして仕事を変えた人もいます。 出された肉をありがたく食べれば生き物も報われるというなら、人間が死んでも葬式などせず、ありがたく調理して食卓にのせて頂くべきだということになります。 植物も生き物ですが、植物に意識はないですし、もし痛みや意識があるならば、家畜の餌にされている大量の植物を減らすべきです。 穀物や水、家畜を育てるのには大変膨大な資源が使われる一方、穀物さえ食べられずに飢餓で苦しむ人々が沢山います。 日本仏教が妻帯肉食をはじめたのは、その時代において必要な選択だったのかもしれませんが、現代日本にてまだ呑気にそれに甘えているのはどうでしょう。 肉食が許されるのは、病気で肉が必要であったり、高山地帯や極寒地帯において作物が育たない地域の人々であり、 豊かな国では肉を食べたいという煩悩をできるだけなくして、もっと全体の生命に対して心を配る必要があるのではないですか。 仏教は拘りをなくし、解脱をえるのが最大の目的ですが、戒律を手放してよいのは聖人に達したもののみて(仏は存在が慈悲ですから) 煩悩だらけの人間がなんでも手放したら、欲に溺れてしまうだけで、仏教の意味がありません。 また念仏を唱えたなら救われるというのは、一時的な救済で、本当にその人を救うことにはなりません。念仏を唱えようが、殺生をしたならば、やはり因果の報いは受けます。 肉食の許容は、屠殺業を放任し結果的にその人たちをも破滅させます。 私は直接屠殺していないし、肉を食らっても極楽浄土に行けるから、それでオッケーというのは仏教では無いと思います。

有り難し有り難し 45
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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

有り難し有り難し 24
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2023/08/13

出家の覚悟について

私は、国家公務員として38年間勤めあげた定年退職者です。公務員生活の後半はボランティアでライフセーバーも経験しました。 もともと人のために役に立ちたいという気持ちを強く持っていましたが、こだわりの強い性格のためか、自分自身を省みることなく頑張りすぎることが何度もあり、そのたびに精神的に落ち込んでしまい、公務の現役時代にはうつで2度休職しました。 定年退職後に、子どもたちの夢や希望に寄り添いたいという思いから、教育支援業を立ち上げましたが、私の経営能力のなさから半年で廃業いたしました。 今回の教育支援業の失敗で、情けない思いでいっぱいでどこかに逃げてしまいたいと思いましたが、会社を整理するまでは頑張ろうと思っています。 公務は防災に関する職種で、ライフセーバーも人命救助の最前線でありました。しかし、防災でもライフセービングでも、どうしても救えない命があるという事に悩んでしまっていました。 第2の人生を教育支援業に賭けようと頑張りましたが、その失敗でも苦しんでいます。 いまは、「私は誰も助けることができない」という思いで、死んでしまいたくなることもあります。 いつかは出家したいと思っていた時期もあって、会社の整理が終わったら、臨済宗妙心寺派の「第二の人生プロジェクト」で出家したいと考えております。 もともと、宗教や精神世界、心理学や哲学に惹かれるものがあって、中学の頃から独学で座禅や瞑想をすることもありました。 仏教は書籍で薄く独学した程度ですが、ネットでテーラワーダ仏教を学んだりしています。 こんな妄想や煩悩でいっぱいの精神的に弱い私なので、自分自身61才での出家の覚悟があるのかどうかさえしっかりしていないように思います。 そんな私でも、人の悩み苦しみに寄り添いたいという思いを強く持っています。その思いだけで出家する事について、なにかしらアドバイスをいただければと思います。 忌憚ないご意見をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
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こんなお寺の訪問は迷惑ですか?

参拝や座禅会などの目的ではなく、一時間程お寺の境内で過ごすような訪問は迷惑になりますか? 何がしたいかというと、大げさな表現をすれば沈思黙考と言われることです。厳かでありながらも穏やか、そんな空気感に包まれ一体化しながらの黙考は最高のストレス解消法、好きなんです。 以前住んでいた所は観光地だったこともあり、教会もお寺も神社もみーんなwelcome的雰囲気で、気兼ね無く訪れていました。 教会は信者さんがそれぞれお祈りや神様と対話されていることも多く、違和感なく溶け込めましたし、お寺ではあまり人がおらず(たまたま私が訪れた時だけですきっと)、迷惑かなと気にすることはそれほどなく、気にされることもなかったようでした(多分)。 ここ数年は忙しくて全くできなかったのですが、やっと落ち着いてきたので再び黙考timeをと考えています。 境内の片隅で構いません。でも隅にずっと立っていたら不審者だと警戒されそうなので、参拝に来てちょっと休憩、ぼーっと景色を眺めているように思ってもらえるよう、座れる椅子等がある所を探そうと思っています。 教会なら気軽に行けると思いつつも、hasunohaでお坊さんが身近に感じられたことですし、まずはお寺に行ってみたいなと。しかしこの辺りのお寺は、解放感がないというか近寄りがたい印象があって質問しました。 よろしくお願いします。 

有り難し有り難し 25
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私の本当の夢。それは芸人なんです。

いつもいつもお世話になっております。 今回は、ダブルワーカーについての相談です。 私の友達に住職の息子がいます。 その子の父は住職をしながら、学校の先生をしているらしいです。 住職をされてる人の中にもそんな人がいるとは・・・驚きました。 さて、私は農学部に通っていて、将来は、学校の先生・研究職の二択を迫られています。 が・・・実は本当の私の夢は「芸人」です。 突然ですが、私はいじめられっ子の経験があります。 大学でのスケープゴートの件や仲間はずれが許せず、正義感だけ一丁前なのは、こういった時期があったからです。 (この年になったら、そんなこと(さわらぬ神に祟りなしではありませんが・・・)気にしないのが世間一般の風潮かもしれませんが・・・) その時、心の支えになってくれたのは、家族。そしてバラエティ番組でした。 (結局私には、いじめっ子にやり返すだけの元気があったので、事なきを得ましたが・・・) ですから、お笑い芸人は小さい頃からの夢でした。 いつから、夢を忘れてしまったのか・・・ 私の夢は、ただの芸人ではなく、日曜にいじめられっ子を集めてライブを開くような、いわば「日曜芸人」です。 弱い奴の味方になりたいです。 「何にもしていないのに、笑われていたお前らが、今度は実力で笑わしてやる番。」これを教えてあげたいです。 就職したら、仕事をしながら、休日はアマチュア芸人活動などをボランティアでしていきたいと考えています。 お金はいりません。いや、いりません。 子供からお金を取る事なんかできません。 いじめられっ子に限らず、誰かを勇気づけられる芸人になるのが夢です。 ダブルワーカー(もどき?)っていうのはやはりしんどいでしょうか? どちらも、中途半端にならないよう、努力していくつもりですが・・・

有り難し有り難し 40
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