法然上人と 日蓮聖人
日蓮聖人は 法華経は 五逆謗法も成仏できると 説かれている と
法然上人は 法華経は 難解だから 自分は 三学の器ではない と 善導大師の念仏に救いを 見出だされた
その法然上人のお気持ちは いろんな育ちや 生まれ、環境、心情、人間関係、時代、経済、
複雑に絡み合っている中での 私達が 罪をおかさないことを また 罪を犯しても 内省し更生できることを 教えとしてくれたのだと思います。
日蓮聖人も また 同じようなことを色読されご自分の南無妙法蓮華経を確立されたのだと思います。
念仏か 題目か で 悩みます。
日蓮聖人は どうして あんなに念仏を破伏したのか と 残念です。
法華経の 一乗のお心で見れば 全てが 一乗のお釈迦様の教えにみえるんじゃないか とも思います。
日蓮聖人の曼荼羅を破って捨ててしまったことから、五逆謗法になるのではないか 罪障消滅したい と 思い 日蓮聖人の題目と 法然上人の念仏で 悩みました。
相反するようですが どうしても ひとつにしぼりきれずに ふたつを考えてしまいます。
どうしたらいいでしょうか
悩んだまま 頑張らなくてはいけないのでしょうか
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