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hasunoha 問答検索結果 : 「私 ストレス 」
検索結果: 6544件

価値観の違う同居に疲れてしまいました

こんにちは。 いつも為になるお話、ありがたく思いながら拝読しております。 同居中の義実家の価値観や考え方の違いについて悩んでおります。 具体的には、 ・人の物を勝手に使う、人の部屋に勝手に入る ・使ったものを元の場所に戻さない ・カビ臭や生乾き臭を気にしない(気づかない?)、食器を濡れたまま食器棚に戻す ・どんなに些細なことでも、相談していなくても必ず口出ししてくる ・夫との雑談に義母が勝手に混ざってくる ・食事のマナーが悪い(口を開けて噛む、箸で人を指す、食事中に排泄などの話をする) ・昔の子育てを押し付ける(夏でもエアコンは使うな、果汁を飲ませろ、抱き癖がつく) など…他にもたくさんありますが、書ききれません。 はじめのうちは私が嫁に入るのだから私が合わせようと努力していましたが、あまりにも衛生観念やマナー、距離感などが違いすぎて、自分が信じてきたものはなんだったのか分からなくなってきてしまい、混乱とイライラで疲れ果ててしまいました。 やめてほしいことやこうしてほしいと思うことを夫に伝えたのですが、夫も義両親と同じ価値観の中で生きてきたので私が間違っているの一点張りだし、そもそも義親に言ってもらえたところで歳なのもあり改善されると思えません。 ならば、自分が変わるしかないと思い、お知恵を貸していただけないかとこちらにお邪魔した所存です…。 イライラしている自分が嫌です。こうしてネットに義家族の悪口を書き込む自分が嫌でたまりません。 こういった受け止め方をするといい、こうすると気持ちが楽だ、こうして気分転換したらいいなど…なにかヒントをいただきたいです。 穏やかに、笑顔でさらりと生きたいです。 よろしくお願いします。 (残念ですが、義父が病気で入院中なこと、私が0歳児を抱えていて働きに出られないことなどが重なっており、別居は難しいです。別居以外でお願いします)

有り難し有り難し 8
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2022/12/03

生徒との接し方について

進学塾のバイトをしている大学生です。 高校生の頃、受験戦争で追い詰められ精神疾患を患った経験から、生徒に自分より勉強を優先すべきだという接し方をしたくないです。 高校時代、親や先生も友だちも周りは皆いい大学へ入る事だけに価値を置いていて、私は自分がとうに限界を越えていても無理をやめる事が出来ませんでした。だから、他教科も学校もで時間のない受験生は無理のない量を考えて宿題を出しています。結果、宿題の量が少ない!と上から怒られます。 受験前には塾から膨大な量の宿題が課されます。見かねて、全てやりきれなくていい。無理しなくていいと言っています。独断です。ばれたらきっとヤバイです。 よく生徒から「受験生は寝てるとき食事の時以外は常に勉強が当たり前。頑張れない人間はこの先何でも諦めるしょうもない人間になる、人生地獄行きやと学校の先生から脅された。理由もなく頑張れない、どうしたらもっと頑張れるようになるのか」と相談を受けることがあります。わたしはそんなに勉強しなくてもいい、そんなことない先生は極端すぎるだけ、先生はいい学校に入ることが人生の価値みたいにいうけどな、自分のペースで歩いていいという内容を伝えています。 しかし、研修では塾長から販促のため生徒が自信がないのをわかっていながら更に不安を煽るよう指示されます。 塾はお金儲けのための場所なんだな、と思いました。 他の講師は自習で集中出来ていない生徒を叱ったり、生徒が宿題を忘れたり問題を何度も間違えると頭から叱りつけたりしているようです。それでは生徒に「自分は悪人だ」と思い込ませるだけで無意味だと私は思うのですが、、、 私にもそのようにするよう注意されたこともありました。 わたしの行動は他のバイト講師、塾長の考えとあまり合わないため、私の職場での信頼が落ちてきているように思うことがあります。 正直おいしいバイトだし、うちも貧乏なので続けるために塾の方針に従った働き方をするか迷っています。 また今までわたしの生徒に対してやったことは無意味ではなかったですよね???

有り難し有り難し 2
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もう疲れました。生きてるのが辛いです。

私は人が聞くと「いいところに勤めてるね」と言われるお堅いところに勤めています。 ただ職種が自分にはあっていない現業系の仕事でおまけに同じ職場の事務系の人たちから蔑まれています。 最近でこそハラスメントの風潮や私自身の年齢もあり露骨に馬鹿にされなくなりましたが、勤めはじめた頃は宴席などで随分嫌な思いをしたものです。しかし同僚の低俗ぶりをみると言われても仕方ない自分も十把一絡げなんだとも思い、あきらめてました。 実は今のところに勤める前もお堅い法人の事務職をしていました。辞めた理由は今となれば私のわがまま。辞める理由も必要もないのに変な意地をはって辞めてしまったのです。 今の仕事は父もやってました。仕事のやりがいや人からの評価より、趣味に生きそこそこの給料をもらえればその方が自分にあっていると思ったのですが蔑まれる辛さは、想像以上でした。 現状を打開しようと何度か人事異動もしましたが場所を変えても同じ事でした。そのうえ事務所の統廃合等で私の職種の異動先はなくなってしまいました。数年前実施された事務系職への変換試験も受けましたが面接で不合格。その面接はいわゆる圧迫面接で、それがきっかけで今まである種の敬意をもっていた事務系職の人達に対し不信感をもつようになりました。 面接だけでなく「同僚は差別されてるけど自分は違う。だいたい前の仕事が同僚達のような現業系と違うんだから」と十把一絡げと言いながらも自分だけは特別視されているという考えの甘さからくる反動もあったのだと思います。 今年他界した母は「せっかくいいとこに勤めてるのになんでお父さんのやってる仕事に変わるの?」と転職に反対だったのですが、今となっては母の忠告を聞かず目先の楽をとり転職した事を、後悔しています。 コロナウィルスや災害等で苦しまれている方の事を思うとなんて恵まれた環境だとも思いますし、いい歳して何を甘えてるんだとも思います。 でももう耐えられない。毎日毎日が苦痛です。子供がまだ就学中。家のローンも残っていて辞めたいけど、辞められない。 虚言癖が有名で暴力的な同僚の顔もみたくない。事務系に馬鹿にされ無視されるのにも、もう疲れました。 いっそ消えてしまいたい。休みは朝から帰宅後も、毎日酒浸りの日々です。 甘ったれた悩みで申し訳ありません。どうすれば良いのか。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 32
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2024/09/01

嘘をついてにげてしまった。

はじめまして介護士をしています。今から数年前に職場で認知症の方をケガさせてしまいました。 その時とても忙しく人手もなく、時間に追われる日が長い間続いていました。またその方は当時一番手が掛かる方でした。  その日も時間に追われて心に余裕がないときにその方がまた手のかかる行為をされ、何度言っても通じない事に私は怒りを感じて、その勢いでその方の足を攻撃してしまいました。そのあと暫くしてその方が骨折していることがわかりました。  それを聞いた瞬間目の前が真っ暗になり、頭を真っ白になり立てなくなりました。まさか骨折したとは思わず、折るつもりもなかったです。  その時私は自分の今までが崩れ落ちることや仕事をクビになること、そして自分の両親の顔が浮かびとても怖くなりました。そして私は自分が攻撃したからではなく不注意で折ってしまったと嘘をついてしまいました。  結果この件を事故ということで終わりましたが、その日の夜は自分のやってしまったこと、嘘をついてしまったことに対して激しい後悔と罪悪感につぶされそうになって泣きながら一人その方や両親、そして神様に謝罪をしました。最低な自分に対して絶望しました。ちなみにその方は問題なく経過され元気な様子でその後も過ごされてました。  その後暫くしてその職場を退職し、今は別の職場で働いています。ですがこの事を忘れたことはなく、今でも思い出すと胸が張り裂けそうになります。親にも本当のことは言ってません。数年も前の事なのでその方のご家族の所在はわからず、前の職場とも関わっていません。私は二度とあんな事を起こさないと誓い真面目に働いています。それでもふと思い出すと胸がしめつけられます。  数年たった今この時の事を強く思い出しあの当時の後悔や罪悪感が蘇りどうしていいか分からないときにこのサイトを見つけました。  自分は最低な人間です。でもこの思いと向き合いたいと思い今回相談させて頂きました。

有り難し有り難し 6
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「喜怒哀楽」から抜け落ちた「怒」

私は、今でこそ生き抜く為の知恵の1つとして、「怒」も必要ではないかと思っています。がしかし、昔の私は「あなたには喜怒哀楽の怒が抜け落ちているのではないか?」と言われ続けてきました。一番分かり易い例を上げますと、中学生の頃、私は酷い「イジメ」を受けていました。体も心も、いつも傷だらけ。精神的な苦痛だけでなく、肉体的な苦痛も味わう毎日。具体的に申しますと、グロテスクな内容になりますので、控えさせていただきます。でも、私はいつもいつも笑っていました。親にも先生にも相談することが出来ないまま…。卒業式が近付いてくると、先生方から、いろいろな言葉が書かれたカードのようなものをいただくようになりました。書き出しは、どの先生方も同じ言葉がおどります。「笑顔の素敵なトラスさんへ」「smile & intelligentなトラスさんへ」。まだまだ情報化社会でもない、スマホ等の媒体もない、SNS等の伝達手段もない時代。その時代に、1人、ひたすら「自殺」を考える日々を送っていた私には、その「笑顔」の「裏」にある苦悩を全く気づかれなかった、また、私自身、伝える、助けを求めることが出来なかった、結果、先生方はイジメに気付けなかったのだなと痛感した記憶があります。しかし、何とか卒業式の日を迎え、帰り道、ある友達が、別れ際に、こう言いました、「みんなでゲームしてたんだよ!誰がトラスさんを怒らせれるかゲーム!」と。唖然としましたね、「え?ゲーム?何それ?」と。子どもにとって、「イジメ」は「ゲーム」の1つなのです。 最近、よく児童・生徒等の子どもの自殺問題が注目を浴びています。多くの尊い命が失われています。「怒」の無かった私は、中学時代、辛い毎日を過ごしていた当初から、「イジメ=殺人」だと思っていました。大人になった今、私は問いたい!!!『イジメ=ゲーム→殺人』、この流れ、お坊さまの皆様はどのようにお感じになられますでしょうか? 今でこそ「怒」の必要性を痛感した経験から、時には「怒る」ことも大切だと思えるようになった私ですが、今思うのは、『イジメ=ゲーム→殺人』、そういう事象は、子どもの社会でも大人の社会でも残念ながら存在し、消えることなく存在し続けるのではないかということです。ちゃんと「喜怒哀楽」の感情表現あってこそ人間であり、どの感情も大切にしていかなければならないと、私は思っています。

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コロナが始まってからの停滞

やりたいことをやる環境。生活費を稼ぐ仕事。健康な生活。三つともほしい。 コロナが始まって、唯一上手くやれていたバイトがほとんど休業になってしまいました。障害もちで、車も持っておらず、地方都市では私の体質に合った仕事が見つかりません。 これまでに様々な支援センターや役所に相談しました。移行施設は1年半も無職で訓練しないといけないそうで、駄目でした。 致し方なく、都会での就職活動を始めましたが、バイトの経験しかないため、9割が書類段階で落とされます。 状況を変えたいのに変えられない。やりたいことをやる環境を得られないまま、時間やお金がなくなり、気力も擦り減っていく。 今は世界中で多くの人がそんな状況だと思います。上手くいかなくても、あれこれ自分の機嫌をとってやっていくしかないわけですが、お金をかけず、他人とも会わずに出来る気分転換というのも、そろそろネタ切れ。散歩をしても読書をしても、もやもやとした気持ちです。 コロナで会わずにいたら、長い付き合いの友人とも絶交するに至りました。何を大切にしているのか、どんな言葉や思いやりを求めているのか、双方解らなくなって傷つけあうこととなったのです。 担当の医者は患者の話を聞きませんし、書類代も以前より高くなりました。仕事を見つけて、厄介な父親から離れて、新しい人間関係を構築し、医者も変えたいです。 私の就活を応援してくれるのは、仕事を紹介してくれる会社の方だけです。「障がい枠の低賃金で都会で暮らすなんて、体を壊す」「フルタイムで働いてくたくたになったら、やりたいこともやれずに毎日が終わる」「なんのために会社員になるのか」と家族や友人だった人から言われました。実際危険だと思いますが、今のままでは、停滞したままです。 やりたいことをやる。そのためには場所とお金が必要で、それを得るためには仕事が必要。さらに病気で倒れないように生活の質も維持しなければならない。 あまりに長く停滞しており、そんなことが出来るのか、自信を失っています。周囲が心配するように、ろくに経験もない障碍者が三つの両立を目指すのは無茶なのでしょうか?

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2022/09/12

精神科が受診できない

31歳の会社員です。 先輩の独立や転職でなし崩し的にリーダーに据えられ、上司と部下の板挟みの日々から鬱病と思しい症状に悩まされていますが、病院を受診できません。 近隣の精神科、心療内科を訪ねても 「既存患者の予約でいっぱいで初診は一切お断り」 と口を揃え、一年後でも良いから予約を取りたいと話すと、 「これ以上ごねるなら警察を呼ぶぞ」 と怒鳴り返されました。 保健福祉センターに尋ねても 「諦めて下さい。あなた一人に割ける時間はないんで」 と突き放され、いよいよ症状が重篤化して救急精神医療機関に尋ねても 「ここは自殺や自傷を起こす患者の医療機関だ。自力で通報できて何が救急だ、ふざけるな」 と罵倒されました。 「日に日に症状が重くなっている。このままでは死んでしまうかもしれない」 と訴えても 「じゃあさっさと死ねよ。お前みたいな奴は死んでも誰も困らねぇよクズやろう」 と吐き捨てられてしまいました。 家族や職場は「鬱病など甘ったれの言い訳」と信じて疑わず、信じて欲しければ診断書を出せと迫って来ては、診断も受けていない現状では反論もできません。 今ではまともに食事も取れず、1ヶ月以上まともに眠れません。 四六時中頭痛に意識がふらつき、車も運転できません。 何の気力も湧かない身体に無理矢理力を入れて働いていますが、正直このまま命を削って働き続ける位ならこのまま首を吊った方が楽なんじゃないかとさえ思い始めました。 結局私が死んでも困る人なんて本当にいなかったのかもしれません。 私はどこで間違えたのでしょうか?

有り難し有り難し 27
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