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hasunoha 問答検索結果 : 「 後悔」

検索結果: 10260件

兄の死 後悔

兄が亡くなり3週間立ちました。兄は事故にあい、一度死にかけた命を一度とりとめ、必死でリハビリをして頑張っていました。私は出産したばかりで兄に一度も会うことができないままでした。会いに行けないのには理由があり、精神的に不安定で暴力事件をおこし拘置所にいたからです。両親が出産したばかりだから会うのは落ち着いてからと言われていました。しかし、時は立ちましたがなかなか会いには行けませんでした。兄はいつも妹を心配してくれていたと聞きました。なのに、私は兄を見離してしまいました。とても心が優しく綺麗で繊細な人なのに、助けを聴いてあげることもできなくなっていました。苦しんで傷ついて辛い時を、私はどうにもしてあげれませんでした。両親も自分を責めているから、私は親の前では泣けません。兄が一生懸命生きる事を教えてくれているのだと思いますが、兄に会って優しい言葉を何でかけてあげれなかったのか、毎日後悔しています。潰されそうです。兄はお前は幸せになれよ!って、いつも言っており、私は兄が幸せじゃないと幸せにはなれんよ!って。本当に優しい兄でした。精神的に病んでからは人格が変わってしまい、手をつけられず、家族も何度も 崩壊しました。生きるか殺されるかの瀬戸際で暮らしていました。兄を憎むこともあったけど、リハビリを頑張って必死で歩こうとしてるのに、私は会いに行かず優しい言葉をかけてあげることもしないまま、兄は病院で窒息死しました。兄を想わない日はなかったですが、なぜ一目会って話てやれなかったのかと申し訳なさでいっぱいです。私は両親も心配です。兄が因縁を全て背負い込みかわいそうなことをしてしまったと。今の私はどうしたらよいのでしょうか?涙で枕を濡らす毎日です。主人や子供もいるから、ちゃんとしなきゃと思いますが、後悔で潰されそうです。

有り難し有り難し 6
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後悔 母親の不倫

19歳女です。 半年前くらいに母親の不倫を知りその日から母を軽蔑した目でしか見られなくなりました。幼い時から本当に愛情を注いでくれていたし、弟も含めた4人家族でしたがこの不倫を知るまで本当に仲の良い家族だと思っていました。 数ヶ月は我慢していたのですが、自分の母親に限ってそんなことをするなんて考えたことがなかったので、余計に精神的に辛く耐えられなくなり母親に酷い言葉で問い詰めてしまいました。 それまで単身赴任をしていた父でしたが単身赴任が終わって帰ってくる1週間前に私が母に話をし不倫をしていることを認め、母親も自分の将来がまだあるから私と弟が自立したらその人と今後の人生を歩みたかったなどと言い、父が家に帰ってきた日に母から話をし1ヶ月後に離婚しました。今は父弟私で住んでいます。 数ヶ月経ち私は本当に父親に酷なことをしてしまったと後悔するばかりで、でも黙って隠し通すのも家族のために働いている父に申し訳ないと思う自分もいます。そして母親も誰よりも私を側で支えてくれて応援していてくれたのに自分は両親になんてことをしたのだろう、取り返しのつかないことをしてしまったと後悔と自己嫌悪に襲われる日々で、最近は気分の上がり下がりが激しく日によっては突然涙が止まらなくなって泣き崩れ遅くまで眠れないです。一番辛いのは両親のはずなのに、、 色々な感情があり、自分でも全く整理ができず心理カウンセリングなどに行こうかとも思いましたが正直もうどうしたら良いのか分かりません。 文章が所々分かりにくくすみません。 何かお言葉をもらえると嬉しいです。

有り難し有り難し 28
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飼っていた猫への後悔の気持ち

はじめまして。 今、後悔してもしきれない、飼い猫に対して、本当に申し訳ないと思う、絶望的な気持ちの中にいます。 昨日飼い猫が亡くなりました。 夫と知り合った時から夫が飼っていた、元野良猫でした。 今まで猫は飼ったことがなかったのですが元々猫が好きで、夫と結婚してからも、主に私がお世話をし、とても可愛がっていました。 猫と出会って3年程経ち、子どもが産まれました。 産まれてから半年は猫と子どもを離した方がいい、と知って、衛生面や抜け毛など細かいことが気になり、強迫性障害を発症し、その当時は猫に対する罪悪感と産後の精神不安で随分悩みました。 とりあえず、赤ちゃんの部屋を作り、そこに入れないということで落ち着いたのですが、その後も衛生面の不安をどうしても打破することが出来ず、それから死んでしまうまで、子どもが産まれる以前のような、どのお部屋も自由に歩き回れたり、一緒に寝たりということが出来ませんでした。 死んでしまった恐らくの原因も、私がもっと猫のことをよく見て病院に連れていっていれば、その病気で死ぬことはなかったのではないか、と思えてなりません。 昨日の朝も、体調が急変してもう長くはないことが分かりながらも、夫に託して仕事にいきました。 今までの猫への仕打ちは勿論のこと、長くないことが分かっていながら、その最期の時でさえ、どうして抱っこしていてあげなかったのか。 到底許してもらえないことをして、今までごめんねと。せめて最期だけは、何も気にせず昔のように抱っこして、看取ってあげればよかった。 今までのことも、死ぬ瞬間の時のことも、死んでしまった後からでは何もかも遅すぎるし自業自得なのですが、死んでしまってから、昔の思い出や死の瞬間の対応の後悔で涙が止まりません。 いつもぴったりくっついて、後を付いてきて、自ら抱っこをせがむような、とてもいい子だったのに…本当にごめんなさい。 明後日火葬をします。それまで猫に出来ることはありますか?また見送った後も、この子がお空で幸せになれるために私に出来ることはありますか? 厳しいご意見でもお叱りでも頂ければ有難いです。どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 15
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後悔ばかりの過去との向き合いかた

はじめまして。 早速ですが相談させてください。 私は現在アラサーの女です。 幼い頃からいろんなしてはいけないことをしてきてしまいました。 嘘、盗み、自己中で周りを振り回すなど。 大人になってからも相変わらずで、二十歳頃に既婚者の方と関係を持ってしまったこともあります。(しかも二人も) 一人は学生の頃から好きだった相手。もう一人は職場の方。倫理観もなく性欲や自分の欲に従った結果です。 マトモな恋愛経験がなく、異性に求められる事が嬉しくて、後先考えず流されてしまいました。 不幸中の幸い?なのか、不倫はどちらもバレずに終わりました(真相はわかりませんが) その後、私は様々な要因で鬱になり仕事を辞め、極力人と関わらない生活をしていました。 しかし、こんなどうしようもない私の事も受け入れ支えてくれる男性ができ、結婚しました。(不倫したことも知っています) ずっと家庭環境が最悪で、実家では心休まる時間なんてほとんどなかったのに、夫と過ごす毎日は人生のなかで一番穏やかで幸せです。 そう心から思うようになった頃から、過去の自分の行いを思い返し「なんてバカなことをしてきてしまったんだ」と後悔する毎日です。 特に最近その自責の念が強くなり、食事も喉が通らずストレスからなのか吐き気が続いています。 不倫はバレなかったら良いわけではない(もちろんバレてたらもっと悪いですが)これからバレるかもしれない。夫に迷惑をかけるかもしれない。 自分だけではなく他所の家庭を壊していたかもしれない。壊すかもしれない。 しかしいくら懇願しても過去には戻れないしやり直せない。 今私ができるのは、いざ慰謝料などを請求されてもきちんと払えるようにお金を貯めること。これ以上、人を悲しませるようなことはしないこと。 頭ではわかっているのに不安と後悔で押し潰されそうになっています。 どこまでも自分勝手な自分に嫌悪は増すばかりです。 どうしたら前を向いて生きていけるでしょうか。こんな私でも生きていって良いのでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2023/02/13

中絶の後悔と今後について

初めて相談させていただきます。 私は30代後半で、中学生の子供が1人います。3人家族です。 若い年齢での出産と、子育てが想像以上に大変だったこと、夫との関係(性生活)も上手くいっていなかったことから、気付けばこの年齢になっていました。 しかし、心のどこかではずっと2人目、兄弟を作ることについて思い、悩み続けておりました。 そんな中、十何年ぶりに思いがけず妊娠が判りましたが、自分の年齢と子供の年齢、もし産まれてくる子に障害があったら、等の不安がよぎり、最後まで悩みながらも中絶という選択をしてしまいました。 そして数ヶ月後にもう産まなかった後悔をしているのです。 理由は、自分の年齢的に最後のチャンスだったんじゃないかという思いと、万一今いる子供に何かあったら子供を失うという将来への不安。やっぱりもう1人育ててみたかった、兄弟を作ってあげたかったという気持ちからです。 今は不安な気持ちから朝早く目が覚めてしまい、胸が苦しくなってしまう症状が出ています。 自分が選択したことなのに、勝手なことだと本当に思います。 今からでももう一度頑張ろうか、40歳まではまだギリギリ産めるんじゃないか、と焦る気持ちもあります。 自分は本当はどうしたいのか、わかりません。 夫はどうしても欲しいという気持ちはない、最終的には私が決めることだと言います。 どんなことでも、アドバイスいただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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離婚の後悔で死ぬほど苦しいです

子連れ離婚して数年たち、激しい後悔に押しつぶされそうになっています。これまで仕事と子育ての両立に必死で、それ以外のことは何も考えられなかったのが、元夫に同棲相手がいると知ったのをきっかけに、突然今までの人生を振り返り、一気にいろんなことに気づきました。 私は過保護過干渉な親に育てられ、幼少期から常に親の顔色を伺い、親にとっての「いい子」でなくてはならない、という潜在意識が強烈に植え付けられていました。それは無意識下に深く内在化されていたため、自分ではそのことに気づかず、親の意向に沿う事が親孝行であり、沿わないことは親不孝であり人間として駄目なのだと思いこんでいました。だから自分の気持ちも分からず、親の言うことが自分の考えでもあるかのように錯覚して、親が元夫を悪く言うたびにそれが自分の気持ちかのように思い込んでいました。  自分の本当の気持ちは元夫を嫌いになったわけでもなかったし、離婚などする必要無かったのに、長い間、元夫にも嫌な思いを我慢させてきていたことに気づき、気づいた今なら本当の自分の気持ちに素直に、夫を大切にしていけるのに、もう二度とそれが叶わないと思うと絶望しかありません。 初めて死に方の検索もしてしまい、でも子どものことを考えて踏みとどまるのに必死です。子どもの前で普通に振る舞おうとするだけで精一杯で、毎日毎日息をするのも苦しいです。過去は変えられない、今を生きなければならない、とは頭では分かっているはずですが、近い将来子どもも巣立って行くことを思うと、本当に自分は一人きりだという喪失感と孤独を突きつけられ、絶望してしまいます。 生き続けなければならないとはわかっていますが、でも後悔と孤独と不安で苦しくてたまらず、どうすれば生きられるのかわかりません。いい年をしていつまでも真の親離れができないまま、大切にすべきものを蔑ろにしてきてしまった私の自業自得でしょうか。 一日一日が苦しくて苦しくて生きていける自信がありません。どうすれば生きられるでしょうか。

有り難し有り難し 100
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結婚披露宴での後悔

3年ほど前の事なんですが、今になって常識のない失礼な事をしてしまったと後悔しています。 自分の結婚式で祝辞をいていただいた上司へのお礼をきちんとしませんでした。 祝辞をしていただいた方には、お車代を渡さないといけない事を知っていましたが、当時私は常識がなく、お車代は交通費と思っていて、祝辞をお願いした方は同じ市内で交通費がかからない方だったので、それは違うかなとお礼を包まず、引き出物のランクを上げてそれをお礼とし、当日、後日に口頭でお礼を述べて終わってしまいました。 後になって、お車代=お礼という事を知りました。引き出物のランクを上げたと言ってもマナーで言われているお礼の額ほどは上げず、少し上げた程度です。 今考えると引き出物のランクアップしても、相手は誰と比べるわけでもなく気付きませんよね。 その時の私は、祝辞を引き受けていただいた事にとても感謝していましたが、お礼はこれぐらいでいいだろうとお礼を軽く考えていました。 今になって色々と調べてみると、お礼を包むのがマナーと知り、上司に対して非常識な事をしてしまったと気づきました。 義母がお礼をとても大切にする方で、結婚後それを間近で見ていて、お礼の大切さを知り、なんて事をしてしまったんだ、お礼を軽く考えていてなんてバカだったと自分がとても情けないです。 夫側の祝辞や乾杯をしていただいた方へのお礼も、義母が別で準備し渡してくれていた事を最近知りました。 祝辞をしていただいた上司に大変失礼な事をして申し訳ない気持ちでいっぱいです。上司はそんな私に対して、式後も変わりなく接していただき、感謝しかありません。 私はその後、退職したのでその方ともう関わりがなく、謝罪もお礼ももうできません。 他にも、スピーチをしてくれた友人、余興を頼んでしてくれた友人にも同じような対応をしてしまい、みんな私の為に忙しい中、時間を割いて考えて準備してくれたのに、このような対応をしてしまい、申し訳ないです。 この事を考えていたら、結婚披露宴での自分の対応で次々に心配になることがでてきて、頭がいっぱいです。 もうどんなに後悔してもやってしまった事はどうにもならない事で、自分があの時にしっかり対応していればこんなに悩む事もなく、自業自得な事なのですが、この気持ちをどうにも消化できず、最近ずっと考えてしまいます。

有り難し有り難し 29
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母が亡くなりました。後悔ばかりです。

つい先日、最愛の母が亡くなりました。 約8年前に乳癌がみつかり、すでにステージ4。 自分はいつも後まわしの家族思いの母は、私や姉、父の入退院で大変だったこともあり、自分の体調変化をわかっていながら病院へ行くのが遅くなりました。 母にとっての宝物は家族。 娘や孫のために長生きするとツラい治療を頑張ってくれていました。 ひ孫も産まれ毎日楽しく暮らしているなか脳に転移し、手がつけられないと医者から告げられ入院して10日で亡くなりました。 優しくて、家族が大好きで、我慢強くて。明るく、常に前向きで、母の口から誰かの悪口や弱音も聞いたことないような素晴らしい人でした。 病院では、母が『私もう長くないね…』って。涙が止まらずにいる私に、自分が1番ツラいはずなのに私の涙をふいてくれて『泣かないよ』って。 母は、『私は幸せだった~』って何度も言ってました。私が『貧乏で、お金なかったのに?』ってきくと『良い娘、孫、ひ孫に恵まれたから、私は幸せだった~』って言ってくれるんです。 『生まれ変わってもまた私の娘で産まれてきてね』って母は言ってくれました。 私と姉が出来るのは、亡くなるその時を、ひとりにさせないこと、そして痛み苦痛がないようにでした。母は寂しがりだったので。最期は母は自ら、家族写真を手に取り、大好きな孫に手を握られ、家族に見守られ亡くなりました。 亡くなったあとも私は後悔ばかりで涙が止まらず前に進めません。 私がはやく脳転移の異変に気付いていれば。体の不調を言ってくれてたのに。どの医者に言っても脳転移は誰も分からなかったようで。でも私が何度も医者に言えば良かったのに。家に帰りたいと言う母、病院に連れて行かないで家で看とり出来るようにしてあげれば良かったとか。 ひ孫と遊んでいる幸せな母の顔を思い出しては、なんで助けてあげられなかったんだろうと後悔ばかり。 母は、家族一人一人に手紙を残してました。 家族の心配と、自分が病気になって迷惑をかけたという内容です。 私はもちろん家族も迷惑かけられたなんて一度も思ったことありません。 家族にとって母は、大きな大きな存在でした。 私は自分が大好きな母を殺してしまった気持ちから抜けられず、寂しくて悲しくてツラくて。 私を信じて一緒に治療を頑張っていてくれた母。私のせい…。。

有り難し有り難し 67
回答数回答 2