hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 967件

母の死

母が自死をしてしまいました。 父を病気で亡くしてから長いこと、母はうつをわずらい、実家で1人暮らしで寂しさもあったのに、定期的に実家に帰って顔を見せるだけで、もっとしっかりして、ときつくあたったこともありました。 ここ3か月位連絡は定期的にしてましたが、コロナを理由に帰省するのが疎遠になっていました。 亡くなる1週間前くらいだったか、割りと頻繁に連絡をくれて、仕事中だからと冷たく切ってしまった時もありました。 亡くなる前日も連絡をくれたのに、私は素っ気ない話し方をしていました。 話しの最後に今度行くから身体気をつけてね。と言ったら、ありがとうと言ってくれたのです。 その時は気付かなかったのですが、振り絞るように、伝えてくれたんだと思っています。 なぜあの時、もっと優しく、時間があったのだから会いに行かなかったのかと、悔やみます。 成人するまで、育ててくれて、両親には迷惑をかけてきたうえ、親孝行は全然出来ませんでした。 母が供養できるように、母を想い手を合わせるとともに、これからの自分の生き方が問われる気がします。 話しはそれますが、長い間、疎遠だった姉との会う時間が母の死により増え、なにかの因縁も感じております。 今はなにも出来なかった後悔しかないのですが、家族もいますし、前を向いて行こうと思っております。 何故か最近、仏教の本や、動画などを読む、観るようになりました。 教えをいただきまして、少しずつ光が見いだしていきたいと思っております。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1
2022/12/21

祖母の死

昨日大好きな祖母が96歳で亡くなりました。祖母は施設に入居しておりました。私は旦那の仕事の都合で遠方に住んでおり、昨日の夕方危ない状態と言われた時に私以外の家族は会いに行きましたが、私は会いに行けませんでした。その夜亡くなって、母からは亡くなってから夕方会いに行ったことと亡くなったことを聞かされました。両親も大変な状況だったと思うので、私に後からの報告になったことはしょうがないと思います。ただ、私だけ祖母に何も言うことができないままお別れとなってしまったことの後悔があります。それと同時に遠方にいるためまだ死を実感できず言葉で表せられない感覚になっており、明日帰省して祖母の顔を見るのがこわいです。死を受け入れなきゃいけないのがこわいです。 コロナになってまともに面会もできない中、2週間前にたまたま友人の結婚式で帰省した際に祖母とリモートで面会をしました。半年前にリモート面会した際は私を理解して会話もできていましたが、この時は首を振る反応はありましたが祖母は一言も言葉を発しませんでした。年齢も年齢なので覚悟はしていたので、悲しかったですがしょうがないと思っていたので次会いにきた時に会話できたらいいなくらいの軽い気持ちでバイバイしてしまいました。もっと話せば良かったのにこれが最後になると思わず、生きているうちに後悔しないようにと思っていましたが結局後悔するかたちになりました。 高齢になって体の色々なところが痛いと訴えることが多くなり、施設入居中もコロナになったり骨折したり色々苦しい思いをしていたようで早く死にたいと言っていたと聞き、痛みから解放されて天国で楽しく幸せに暮らして欲しいと思っています。 心からそう思うのですが、死を受け入れたくない自分もいて祖母にお別れを言うのがつらいです。生きているうちに感謝を伝えれなかったことや祖母の近くにいれなかったことで大好きな祖母への気持ちが全否定となってる気がしてつらいです。亡くなった後でも感謝は伝わりますか。天国で聞いていてくれますかね。 まとまりのない文章ですみません。ただ誰にも言えないこの気持ちを聞いて欲しくて書き込んでしまいました。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

祖父が幸せになるために、私が両親にできることは?

祖母が自死するまで、してからの時を考えては自分の力の無さを思い知り、その時の気持ちが今も消えません。 祖母ちゃんも祖父ちゃんも大好きですが、それを口にすれば「あんたは何にもわかってないからね。」と、母は私を責めるでしょう。今までずっとそうだったから。残された祖父ちゃんをかばったときも、言われることは同じです。 父は祖母ちゃんの死を母のせいにしています。確かに、嫁姑関係は悪く、祖母ちゃんが親戚に母のあることないことを話したり、我子を溺愛し母に嫉妬し、かなりのことを母に言ったりしていました。祖父ちゃんも母のことを「うちの嫁さんお嬢様だから。」と、色んな人に言っていたようです。 私も嫁いだ身として、母がどれだけ嫌な思いをし耐えてきたのかを想像することができます。 ただ、年をとった祖母ちゃんや祖父ちゃんに対する発言や行動が行き過ぎる母がいるのも事実です。 どうでもいい様な物でも、祖母ちゃんには必要な物・大切な物を母は祖母ちゃんに捨てるよう促したりしていました。母にしてみれば、「祖母ちゃん、物が多すぎるから手伝ってあげないとどうしていいかわからないでしょ。」という善意でしたこと。でも、祖母ちゃんは捨てたいから手伝ってと母に言ってません。「祖母ちゃん、物が多すぎて困ってたわけじゃないんじゃないの?」と言うと「私が悪いっていうの?」と母は不機嫌になり、暫く連絡を絶たれてしまうこともありました。 母が父に、祖母ちゃんや祖父ちゃんに言われたことを話すと「そんなこと、仕方がないことだろ?」とか、「お前がもっとこうしてやればいい、ああしてやればいい…」と母の話をはなから否定して、母のせいにすることがほとんどです。父は「いちいち面倒くさい。」と、私にこぼしていました。「我関せずなのに、お母さんにはもっとやれっておかしくない?」と言うと、父に「お前はなぁ…」と説教された挙句、「もういい。」と連絡を絶たれてしまうこともありました。 残された祖父ちゃんが「生きていても何もいいことがない」と言ったりします。でも、私は「生きるっていいな」と思えるようになってもらいたい。 父と母には、いい加減にしてくれ!という想いでいっぱいです。だけど、父も母も大好き。 父と母がもっと相手を思いやれれば、きっと今より少しでも幸せになれるのでは? きっと、祖父ちゃんも… だけど、その方法がわかりません。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

息子の死

はじめまして。 先月、不妊治療の末授かった大事な息子がわずか10ヶ月で亡くなりました。 死因は解剖の結果もわかりませんでしたが、私の寝かせ方が悪かったのではと今でも思っています。 息子は本当にかわいくて優しい良い子で、息子から愛される幸せを毎日感じ、とても幸せな日々でした。 あんなにかわいい良い子がなぜ死んでしまったのでしょうか。沢山の幸せをくれて感謝している一方で、こんなに早く死んでしまうなら生まれてこなければこんな絶望を感じることもなかったのにと思ってしまうことがあります。 あの時こうしていれば、今も生きていたかもしれないと考えると余計に辛くなるので、あれが息子の運命だったんだと思うようにしていますが、それでもなお「なぜ死んでしまったのか」と毎日のように考えてしまいます。 主人や両親は、また赤ちゃんを産んで母親になれると励ましてくれますが、30代も後半で不妊治療を再びして授かることができるのかとても不安です。 息子は帰ってこないことはわかっていますが、もう二度と母親になれないかもしれないと思うと、人生に絶望します。 もう生きていても良いことなんて起こらないから死んでしまいたいとも思いますが、両親にこの辛さを味合わせる訳にはいかないので両親が亡くなるまでは死ねません。 なぜ息子は死んでしまったのでしょうか。 私の行いが悪く、その罰として息子は死んでしまったのでしょうか。 もう生きていく自信がありません。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

父の死

3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。 私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。 今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。 自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。 今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

祖母の死

先日祖母が亡くなりました。両親共働きだった私は幼少時から同居の祖母に面倒を見てもらっていて、筋金入りのおばあちゃん子でした。 せっかくおばあちゃんが99才まで長生きしてくれたにもかかわらず、生涯を通じて十分な恩返し、特に結婚して実家を離れてから10年ほどの晩年期は何一つおばあちゃん孝行しないまま、老衰で亡くなってしまいました。 孝行できなかったのではなく、孝行しようと思えば時間もお金もあったのに、なぜか、しなかったのです。実際におばあちゃんを亡くしてみてようやくことの重大さに気づき、底なしの恐怖と後悔を感じ涙が止まりません。 出来たことといえば、私が20代~30台前半のころに合計3回ほどおばあちゃんを短い旅行に連れて行ったこと、また嫁さんを紹介できたこと、ひ孫を見せられたこと、たまに顔を見せにだけ実家に行っていたことぐらいです。本当にそれだけです。生涯を通じて、おばあちゃんに感謝を伝えることはおろか、語り合うようなレベルの会話は一度もしませんでした。 40才前後にもなって、また実際に祖母を亡くしてみて初めて、このような重大なことに気が付くような大馬鹿愚か者の自分に嫌悪の極みです。 子供のころはおばあちゃんを大切にしなければと強く意識していて、おばあちゃんが死んだりしたらどうしよう大変だと子供心に恐怖していて、その気持ち自体は持ち続けていたつもりなのに、今思えばどうでもよい仕事や付き合い、自分の楽しみなどを優先し続けてしまったこと、また老いが深まっていくおばあちゃんを見ても、死を間近にしたおばあちゃんを見てさえも、本当に死ぬこととなぜか結び付けられていなかった自分の馬鹿さ間抜けさ加減に、本当に自己嫌悪しかありません。 後悔したところで文字通り取り返しがつかないこと、他の質問を参照して、おばあちゃんにできなかった恩返しを両親や身近な人にしていくしかないことも理解しているつもりですが、心が散り散りすぎて思わずこちらに記載させていただいている状況です。 質問になっておらず申し訳ありません。

有り難し有り難し 45
回答数回答 2

両親が老い、いつかは死ぬということが受け入れられない。

この春進学し、家から2,3時間のところで下宿を始めました。 初めて両親と離れて暮らすということもあり、友達は出来たものの、心に穴が空いたようで、両親が月に数回のペースで遊びに来てくれる日以外の、誰もいない夜は特に寂しいです。 私は一人っ子で、両親の愛情が他の兄弟に奪われることに対する嫉妬を経験したこともありません。 小学校高学年から中学生にかけて、親に反発することも多くありましたが、両親とはずっと良好な関係です。 新生活が近づくにつれ、40手前で私を産んでくれた親と会える時間は自分にどれだけ残されているのだろうかと考え込んでしまって、泣きそうになることが多くなりました。 私の親は大病をしたことがなく、今の時点では健康面で全く心配はないのに、親が少しうっかりしていたり、怒りっぽくなった日があると(昔からそうだったかもしれませんが、前以上に心配になります)親と親が老い、死んでいく想像をしてしまいます。 この悩みを友達に打ち明けても納得のいく答えが返ってくる気がしないし、親にこの歳で子供みたいに甘えたことを言うのも恥ずかしいです。 就職にしても、現時点で私のやりたいことと地元での仕事はズレているにも関わらず、親との時間をもっと増やしたいと言う気持ちから、地元就職に傾いて来ています。しかし、地元で就職した場合も、いつまでも親とくっついていたいという気持ちから逃れられない気がして怖いのです。 親は私に自立して欲しいと考えていると思いますが、私の心の中ではうまくいかず、とても辛いです。 親に守られている自分が、いつかは親を守る立場に変化していくというのも怖いです。私はどう親の変化をを受け入れていけばいいのでしょうか?

有り難し有り難し 33
回答数回答 2

とにかく死が怖いです

初めて質問させて頂きます。 幼い頃から【両親の死への恐怖】が止まらないです。 最近さらに増したように思います。 私は一人っ子のため、相談できる兄弟も居らず、今苦しい時間を過ごしています。 両親とは離れて暮らしていますが、とても仲が良く、月に1度は長距離を移動して会っています。母とは毎日電話をするほどです。 しかし、元気だった父の反応が最近鈍ってきたように思い、病気で逝ってしまったらどうしようと思い始めたのが死への恐怖が増したきっかけです。 長年透析をしている母はいつまで元気で居てくれるのか。 さらに今年出産をして、両親だけではなく、自分の家族への死の恐怖も覚えてしまいました。 隣で寝息を立てている息子に何かあったらどうしよう。 いつもしっぽを振って懐いてくれる犬はいつか居なくなってしまうのかと、そんなことを考えては涙が止まらないのです。 夫は良い人で話を聞いてくれますが「悩んでも仕方ないんじゃ?」との答えばかりです。 大好きな家族との別れを考えては涙し、不安になり、体調を崩しそうになります。 先のことを考えてばかりではダメ、今を生きなければと分かっているのですが…。 拙い文章で申し訳ございません。 どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

息子の死

10年近く統合失調症で精神科に通院しています。 主人の両親が先祖崇拝・ユタ信仰者で、私の幻聴や幻覚を病気では無く、先祖からの知らせなので薬を飲むな。先祖の言ってる事を良く聞き、拝みをしなさい。と言われました。 一時期、薬を飲まない時期がありましたが病気が悪くなり、自殺願望まで出て入院寸前まで行きました。その後からは、病院の先生の事を信用し、毎日薬を飲んで身の回りの事も出来るようになるまで回復しました。 数ヶ月前、息子がバイクの単独事故で亡くなりました。お通夜の大勢の人のいる前で、姑から あなたが先祖の拝みごとをしなかったから、先祖が怒って 孫が死んだんだ。間違った事反省しないと…と、色々言われましたが 私が過呼吸になってその後のことは、悲しみのあまり余り覚えていません。 息子は、私の夢の中によく会いに来てくれます。いつもニコニコしてて、私に元気を与えてくれます。実際、霊感のある友達の所や、学校にも普段通りに行ったりして遊ぶのを楽しそうにしているみたいです。 息子は、人の文句や憎しみを持っている性格では無い。この世が思う存分楽しめたら自然と、あの世に行くよ。と霊感のある方が教えてくれて安心しています。 私が、姑に言われた事に憎しみを持ったり、本当に私が拝みごとをしなかったから、バチが当たって 息子が無くなったのか…このような事を毎日考えてます。私の憎しみが息子に伝わって、息子が成仏出来なかったらそれも 悲しく感じます。 本当に、先祖はバチを与えるのでしょうか?

有り難し有り難し 17
回答数回答 1

ペットの死について

他人のペットの死んだ話なんて、興味が湧かないかもしれませんが少しだけ聞いて下さると助かります。 つい最近、若うさぎが急逝しました。 麦という名前で、茶色の毛にお腹の部分は灰色で、鼻先や足先が黒くて、面白い毛色で、とても愛らしく思ったことです。抱き上げると、暫く茫然として、はっとして他の所に行きたがって蹴りつけてくるようなお転婆でしたが、家の中を走ってはずっと私や家族の周りをぐるぐる回って鼻先で足をつついて気を引くような愛らしいやつでした。まだ家に来て二年経っていませんでしたが、私と家族の日常の一部でした。 それが、つい昨日の早朝5時に死にました。 ケージを激しく引っ掻く音と、次いで悲鳴が聞こえて、離れた部屋に寝ていた私は目を覚ましました。うさぎは普段鳴きませんが、鼻を大きく鳴らして悲鳴を上げる事が稀にあります。 しかし、悲鳴は止まず、ケージを引っ掻く音がふっと消えた途端にのたうち回るような音がしました。 微かに両親が起き出した音がして、そして取り乱したような声が聞こえて、私は暗い部屋の中で急いで起きて、真っ暗な廊下に立ちました。悲鳴とばたばたという音を聞きながら、私は暗い廊下で自分の肩を抱いて薄暗いリビングを見ていました。母が溜息のような泣き声を上げ、近寄って小屋を覗き込むと、父が「死んじゃった…」と横で呟きました。麦はもう横たわって死んでいました。 まだたったの二歳でした。多分、夜中に突然内臓に何か発症して、あまりの痛みにショック死したのだと思います。うさぎは強い痛みを感じるとショック死してしまうのです。 死んでしまったものは戻ってこないのもよく知っています。もう麦が廊下を歩く私の後を追って走ってこないのも分かっています。 ですが、あの薄暗い中で、突然ケージを引っ掻いたのは、私たち家族を呼んでいたんです。痛くて助けを求めたんです。あの時そばにいればよかったとか、そういう事も思いましたが、どうする事も出来ないのは明白で、遣る瀬無い。 死んだ後はきっと楽しく過ごしていると信じていますが、あの薄暗い異様な空気の早朝と骨が折れる程暴れて悲鳴を上げる、あの愛らしいうさぎはまだ、記憶の中にいます。記憶の中で、悲鳴が聞こえます。死ぬ程の痛みの中で、家族を呼ぶ彼女を、どうか見守ってやるような救いを、祈って下さい。完全なエゴですが、どうか少しでも思いを馳せて下さると幸いです。

有り難し有り難し 42
回答数回答 2

祖父の死について

先日、父方の祖父が急に亡くなりました。朝食中の事故だったようです。 前日にも会って話をしており、当日も朝に父が会っているので本当に急なお別れでした。 もし僕が前日に会った際に別の行動を取っていればバタフライエフェクトか何かで運命が変わっていたのかもしれないなどとも思い、悔しい気持ちでいっぱいです。 4年前の祖母の死後、僕も買い物等で色々と手伝いをしており、足腰は弱っているものの元気な祖父の姿を見ていたのでかなりショックです。 「もうだいぶ長いこと生きた、いつ向こうに行ってもいい」と話す祖父でしたが、まだまだ生きられたはずです。 なにより、両親を続けて亡くした父の悲しみはどのくらいかと、心配です。 孫の僕ですらこんなに悔やんでいるのに、子である父はどれだけ苦しんでいるのかと思うと、やりきれない思いです。 今は「そういう運命だった」と自分に言い聞かせるしか納得の方法がありませんが、そうはいっても急なお別れというのは避けられたかもしれないと思ってしまいます。 どうすれば心を落ち着かせられるでしょうか。また、どのように父を見守れば良いでしょうか。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ