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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる どうしたらいい」
検索結果: 13644件

他人への嫉妬をやめ、自分に自信を持ちたい

他人の持っているもの(特に人間関係)が羨ましく感じ、 悔しい気持ちや妬ましい気持ちで苦しくなります。   詳しいことは書けませんが、私は携わっている仕事に関係する才能/能力/運があるそうです。 自分でもそう思える瞬間や出来事は多々ありましたし、家族や知人、会社の人からもよく褒められました。 「他の人が欲しいと願っても手に入れられない天性だ」とも言われたことがあります。 その仕事は幼い頃から夢見ていた仕事で、もちろん才能があったことは嬉しく、誇りに思っています。     しかし、私は人間関係を築くのが苦手です。 そのせいか、人間関係が上手くいっている他人を見ると、気が狂いそうなほど嫉妬してしまいます。   例えば「友達をたくさん持っている人」「恋人を持っている人」「人気を持っている人」など… 人に選ばれている、人に好かれている他人を見ると羨ましくてたまりません。   家族や知人に相談しましたが「些細な事だから気にするな」「楽しそうに見えるのは上辺だけだ」と言われました。 「友達は数じゃない。どうでもいい友達がたくさん居ても仕方ないよ」 「あの人は恋人は居るが、実は浮気症で相手をとっかえひっかえしているんだぞ。そんな恋愛がしたいのか?」 「人気があると言ってもお調子者なだけ。会社のトップには目を付けられてるよ」 「お前は特別な才能を持っているのだからいいじゃないか」 何度もそう諭されましたが、嫉妬が収まりません。 頭で理解しても、心が伴わないんです。     自分に無いものを持つ他人が羨ましい。 才能は仕事に使えるが、人生は仕事だけじゃない。 才能が無くても、人に好かれている人生の方がよっぽど充実しているように見える。 自分の人生は充実しない。充実できない。努力をして改善しても最初から持ち得ている他人に勝てない。   「才能があるから良い」と割り切れず、自分に無いものを望んで、ずっと誰かを、何かを嫉妬し続ける人生がツラいです。 どうすれば自分の持っているものに自信が持ち、他人に嫉妬せずに生きられるでしょうか?   キチンとまとめられず申し訳ございません。 こんな内容でも、どうかご相談に乗っていただけますと幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
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亡くなった親が子供に憑くことはありますか

去年の4月に祖母が亡くなり、5月に母が病により亡くなり7月には恋人が手術をしました。立て続けに私の周りで悲しいことが起きたため、お祓いに行こうと決心しました。 母方のおばがよく霊に憑かれやすいみたいで、お祓い屋(普通のお家でした)を紹介してもらい1人でいったのですが、2人憑いてるとのことでした。  一人は男性(悪霊)で、その日に祓ってもらいましたが、もう一人は母だといわれました。 霊媒師さんが言うには、亡くなる時の感情や感覚を持ったまま魂になるので、母は自分の身体がないことに気付いてなくて、まだ苦しんで助けを求めて私のところに来ていると言われました。 楽にするには私が毎日声に出して「体はないから楽になっていいんだよ」といってあげてください、もしまた今度見たときにまだいらっしゃったら成仏するお祓いをします。と言われました。(もしお祓いになると、5万円で、時間が3時間ほどかかるということも) 私は早く楽になってほしいので、家族にそのことを相談しましたが、父は「金額提示をしてくるのはおかしい」と、別のお寺にお祓いに行くことになりました。  そこでは親が子に憑くことはないと言われ、20分ないくらいのお祓いで終わりました。 ちょっと早く感じて、これでいいのかな?と心配になり、最初の霊媒師さんに行ったほうがいいのか、どうしたら良いかわからなくなったのでお話を聞ければと思います。 亡くなった親が子供に助けを求めて憑くことはあるのでしょうか? お祓いは場所によってかかる時間もお金もこんなに違ったりするのでしょうか?

有り難し有り難し 72
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悲しむ方へ掛ける言葉を教えてください。

僧侶の皆様お世話になります。いつも感謝しております。 私の職業は占い師です。 占いが仏教の主義に反するものであることは重々承知の上ですが、修行を積み重ねられた僧侶の皆様のご意見をどうしても頂戴したく記しております。 私の仕事の形式は対面占い(お客様と1対1で会う)ではございません。 その為ご依頼くださったお客様には「ありがとうございました」と後日メールを送ることになっております。 そのメールなのですが、本当に苦しみの只中におられる方に対してどう書けばいいのか悩んでおります。 人は誰しも苦しみや悩みを抱えています。ですが、それがあまりにも大き過ぎて「消えたい」気持ちにまで追い詰められている方には何をお伝えすればいいか…私が書いたものが余計にお客様を傷付けないかと思うと不安な気持ちになります。 こちらが言葉を選んでも、それでお客様が元気を出すとは限りません。 人に本当に勇気や希望を与えられるのは神様や仏様だけだとは常日頃思ってはおります。 しかし私は仕事柄、いかにお客様に希望を持って頂くかを考えなくてはなりません。 どのように言葉を選んだら良いのでしょうか? 失礼な質問になり本当に申し訳ございませんが、回答をお願い申し上げます。漠然とした質問をお許しください。

有り難し有り難し 51
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2025/05/26

自分が嫌になる

学校でペアワークがあり、やる気がなく、言わないと何もやらない人とペアになりました。先生の指示は聞かず、こちらから指示を出しても嫌そうに従う人で、その人の態度にとても苛立っていました。直接伝えてもずっとそんな態度だったので、苛立ちを抑えきれず、次第にその人に聞こえるように友だちに悪口を言うようになってしまいました。 あとからわかったことですが、その人は家庭の事情でその時期はとても忙しく、余裕がなかったそうです。それを聞いて、自分は相手のことをひとつも考えずに自分の主張を押し付けてしまっていたと、反省しました。 そして最近、その悪口を話してしまっていた友だちに避けられていることに気づき、何かしてしまったなら謝りたいと言うと、その時期聞こえるように悪口を言う姿がとても醜悪で、嫌だったと言われました。 その時期のことは自分の中でも最も反省しなければならないことと思っていたのですが、ペアを組んでいた人だけでなく、仲がいいと思っていた友だちにも嫌な思いをさせていたのかと思い、本当に落ち込みました。 こんな自分でも一緒にいてくれる人たちもいるのですが、そんなやさしい人たちに自分がふさわしくないのではないかという思いが強くなってきました。こんな嫌な人間、いつか周りの誰からも見放されるのではと思うと怖くてたまりません。変わらないといけない。そう思うのと同時に、みんな心の底では私のことを嫌な奴だと思っているのではないかと思うと、誰かと関わるということが本当に怖くなってきました。この期に及んで保身ばかりしか考えられない自分にも嫌気がさします。この先どうやって暮らしていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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2025/05/14

今の平和は嘘。だから何もかも虚しい

例え何かを為そうとしても、何か努力をしようとしても、自分の人生を生きようとしても、いずれ戦争ですべて奪われます。だから、何を感じるのも苦しい。ずっと泣きながら生きています。 そして、死んでもまたこの世界に生まれてしまいます。自我とは物質的肉体に付随するものでしかありませんし、極楽浄土なんてフィクションの産物にしかすぎません。確かなものは死と絶望と残酷な営みだけです。もしも極楽浄土が本当に存在するならば、この世界中で起こっているありとあらゆる残酷な環境の中に生み出される命に説明がつきません。どうして、戦地や過酷な独裁国家の中に、まだ人は生まれ続けるのでしょう。いつかの自分がファーストペンギンとしてシャチに食い殺される可能性は、この世界が終わるまで永遠に付きまとい続けます。 だから、この人生も、今の平和も、「人類」という営みも、何もかも束の間の嘘でしかありません。この世界の本質は、破壊と暴力と残酷な営みだけです。私達は死んだ後、更に過酷な環境の中に産み落とされる覚悟をしなければなりません。そして、強制的にもたらされる死はもう目前にまで迫っています。 存在しているのが辛い。物質的存在から逃れられない自我が辛い。脳科学的に言えば極楽浄土なんて信じるのも難しい。なぜなら、超常的上位存在なんて本当は居ないからです。あるのは残酷な物質的営みだけ。 ・物質的世界や自我や人類の営みなどといったものは、全てが偶然の産物でしかない ・必然性や何かの意図が介入していないということは、どこまでも無秩序で残酷になるということ ・それでいながら、結局は物質世界から逃れることなどできない。死んでもまた他の生き物の感覚器官が「自分」になるだけ だから、ありとあらゆる平和や慈悲やぬくもりが嘘のように感じられ、「どうしてこんな世界じゃないんだ」と苦しくなります。愚かにも、嘘っぱちな温かいものを望み、「これらが尊ばれる世界であるべき」などと思ってしまいます。その度に、残酷な真実との落差に苦しくなります。何を為すのも、希望を持つのも苦しい。死ぬことで物質的世界から「本当に」解放されるなら、安心して生きられるのに。 どうして極楽浄土を信じられるのですか。こんな残酷な世界で。私は悪くない。世界が悪い。だってこの世界は本当に残酷だから。慈悲や幸福よりも破壊や暴力や不幸の方がずっと大きくて強い世界。

有り難し有り難し 19
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2025/03/27

浪人について

前回人間関係について相談させてもらったものです。その節はありがとうございました。結局親友の彼とは復縁し、2人で旅行にいきました。 本題に入ります。 私は大学に全落ちしてしまい、浪人することになりました。現役の時はその親友に支えてもらったおかげで心が壊れるのを防ぐことができました。が、彼は第一志望校に合格することができ、地元を離れます。なので現役のように心の安全地帯がありません。彼と復縁した後旅行に行ったのですが、その旅行のあと気が緩んだのからなのか、どっと疲れがでてきて食欲がなくなり、時々吐き気もし、不安が襲ってきます。 浪人の選択をしたのは自分なので文句は言えません。もちろん親には感謝しています。しかし、ぶっちゃけ旅行に行った後気が抜けてか、旅行前のような気力はありません。支えてくれるような友もいないし。疲れました。 もう塾にお金を払ってしまったので逃げることもできません。悲しみで何も考えることも出来ない間に物事が淡々と進んでいくことに恐怖を覚えます。ぶっちゃけ自分の行きたい大学に行きたい、というより早く楽になりたい、という思いの方が強いです。 甘えかもしれません。「死んだら楽になるのかな」と頻繁に考えてしまいます。 今後、どのような心持ちでいればいいのでしょうか?どうすれば楽になれるのでしょうか?早く苦しみから抜け出したいです。

有り難し有り難し 26
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愛されていなかった、愛されていないと認めてもいいでしょうか

両親に愛されていない・愛されていなかったと認めることで苦しみが軽くなりました。 こういう風に思うことは間違ってはいませんか? 今まで「親だったら子に対してこうあるべきなのに私の親はそういうことは全くない」と思ってきました。 納得いかなことは挙げればきりがありませんが私の親の対応を人に話すと皆ビックリする状況です。簡単に表現すると「無関心」ということです。経済的にはほどほど裕福でほどほどの地位と名誉を持った親です。) 最近気づいたのですが、「親は普通こうあるべき」と べき論で親を見て、かけ離れている親を認めることができませんでした。 もちろん、世間で普通と言われる状況を基準にすれば私の両親が良い親とは言えません。しかし、両親それぞれが自立していて自分の生き方で生きています。(母はなくなりましたが自立した人生を全うしました。) 私に面倒や迷惑をかけたこともありません。(身勝手ですが) 究極を見つめると「人は誰かのために生きるものではなく、自分の生命維持の為に生きるものだ」と私は思っています。 そういう観点から考えたら両親がしてきたこともまた『そういう生き方であった」と思えます。   「べき」を手放してみると、そして、「愛されていなかったんだ」と認めてみたら 親との心の距離が離れ楽になりました。 諦めとかし失望ではなく心の恨みみたいなもの、こだわりが少し無くなった気がします。 このように考える(?)感じることは良いことでしょうか?

有り難し有り難し 91
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家族の中で疎外感を感じます

3人兄弟の長女です。 妹、弟がいます。 ずっと家族の中で疎外感を感じてきました。 母が大切なことであろうことを私には何も話してくれないのです。 例えば従兄弟が結婚したとか、祖母が入院したとか、家族であれば日常会話で話題に出るのではないか?と言うようなことです。 つい最近では入院した父の退院する日を知りませんでした。 他の兄弟は知っているのに、です。 つまりは、私だけ知らないのです。 母には何度も涙ながらに抗議しています。 母も悪気はないようですが、毎回 私にだけ何も知らされない・・・ 虚しいです。 兄弟の中で独身なのは、私だけなので他の兄弟の方が話しやすいこともあるんだろうな、とは思っています。 だとしても、父の退院日などは教えてくれて当然ではないかと思うのです。 最近ある考えに辿り着きました。 私は、何かあったときに話すべき人に入っていないのだと。 それで家族と言えるのでしょうか? 考え出すと、ただただ虚しく悲しいです。 そのせいで、妹や弟に冷たい態度をとってしまうこともあり、自己嫌悪になります。 特に妹とは比較されるので、妹へのねたみや嫉妬が0%もないかと言われればウソになります。 それでも、私にだけ何も知らされないのは疎外感を感じてしまいます。 どうすればいいのか、どう気持ちを持っていけばいいのか分かりません・・・

有り難し有り難し 32
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