読んでいただきありがとうございます。 去年大学現役の頃、民間で就職活動をし、失敗して今年は公務員試験を受けました。 結果はほとんど面接で落ちてしまっている状態です。まだ受けるところはありますが、自信がなく、辛いです。 色々なところでこういったことを相談すると、「就活は縁だから」「(私)さんを採用しないのもったいないよ」と慰められます。 慰めてくれるのはありがたいことですが、「縁だから」というのは引っかかります。民間でも何十社も受けて縁がなく、公務員試験でも受けられる分は受けて縁がなく…… 元々鬱になっていて通院しているせいもありますが、まるで「この世に縁がない」と言われている気分になり、いなくなった方がいいのかなと思います。 「就活ごときで…」と思われるかと思いますが、今の日本社会で生きていくには働くことが必須です。その中で働くことに縁が結べないなら、やはり社会から必要とされず、いなくなった方がいいと感じられます。(海外で働く手もあるという話や、小説家などのアート面で活躍することを提案する方もいますが、わたしにはそれはできません、金銭的にも、才能もないので) 私はなぜこの世に生まれてしまったのでしょうか?もし意味などなくても、なぜこんなに苦しいことしか起きないのでしょうか? 私は宗教学を大学で学んだこともあり、自殺の各宗教の扱いも知っています。しかし…ここまで酷い扱いを受けるとそれすら視野に入れたくなってしまいます。 ここ(現世)でやりたいことは沢山あります。死にたくありません。しかし、自分の立場、社会的身分が安定しない以上、やりたいことの何にも近づけなく、ただ自分と同世代の人がやりたいことをやって、私が欲しいものを手に入れているのを指を咥えて見ていることしかできません。 宗教学で学んだ、四苦八苦の中の求不得苦とはまさにこのことなのでしょうか それでもあまりに辛いです。 あまり相談になっていなくてすみません。これからどうキャリアを積んでいくか、それをアドバイスしていただいても大丈夫ですし、何か仏教的観点からアドバイスをしていただいても大丈夫です。 とにかくいま、孤独です。何かご返信をいただきたいです。
家族からもみんなから嫌われて、消えろ、死ね、などと言われたり、親に顔を叩かれたりの暴力を受けています。 一回、友達に言いました。 いつも笑ってる私は、本気で真顔で、死ぬ、と言いました。 すると、あっそ、死んだら?と言われました。 友達も、私が話しかけると無視したりします。 好きな人にも、何もしてないのに逃げられて辛いです。 でも、誰にも相談出来ない。。 死にたい。 消えたい。 この世からいなくなりたい。 せめて、死んで、みんなを喜ばせてあげたい。 そして、結局いつも、ひとりで泣いてしまう。 どうしたらいいですか。
お世話になります。 私はクラウドファンディングやアマゾンの欲しいものリストが好きで、人のためにお金を使ってしまうのですが、それは仏教の布施とどう違うのかよくわかっていません。 お布施を受け取るお坊さんのご意見をお聞きしたいです。
こんばんは。 少しだけ心がしんどいなあ、というときにいつも開くhasunoha。皆様方の問答に共感しては時に涙し、頑張って前を向いている方々を見ては自分を奮起させるきっかけにさせていただいております。 今回は心の葛藤などの悩みではなく、お坊さんの敬称についての質問です。是非お教えください。 お坊さんの敬称で、「和尚様」「お坊様」というのは正しいのでしょうか。流派によって違うものですか? また葉書の宛先などは、 〇〇寺 住職 △△様 で失礼に当たらないでしょうか。 △△の後に続く特別な敬称等あれば是非お教えください。 いつもお世話になっている方ですので、出来るだけ失礼のないようにしたくこちらで質問させて頂きました。仕様もない質問で申し訳御座いませんが、お答え頂けますと幸いです。
hasunoha見てたら「ぼうさんずラブ」を発見しました。こんな面白い企画があるとは。 hasunohaのお坊さんを直撃取材が「ぼうさんずラブ」なのね。 記念すべき第1回は丹下さん! 変顔してた! 他のお坊さんにも会えますね。楽しみです。
周囲の人達に、私は、お坊さんに洗脳されてると思われているです💦 御守をバッグ、エプロンにつけてるだけなのに・・・。 お寺に行ったり、お坊さんのお話聞くのも好きだし、知らないこと教えてもらえるのが、楽しくて仕方ないです。 大好きな存在があるから、私は幸せだけど、第三者からみたら、洗脳されてるように見えるのでしょうか?
はじめまして。 リスキーな話題ですが、マジメな質問ですのでご容赦ください。 仏教関係者から聞いた話なのですが、お経を読む際にこっそり「◯ンコ」などの単語をバレないギリギリの範囲で混ぜたり、わざと紛らわしい発音をするといった悪戯?や遊びが仏教界には存在すると聞きました。本当でしょうか? ネットでざっと調べた範囲では見当たらなかったのですが、個人的にはありえる話だなと感じています。 内容も単語も聞き手は理解してないケースがほとんどでしょうから、「一切興味もないくせに、雰囲気でありがたがりやがって…」といった背景から、ちょっと イタズラしてやろうとする坊さんが出てきても全く不思議ではありません。というか、私がその立場ならたぶんやります。 あるいは、本当に卑猥に聞こえてしまう単語が混ざってる場合には、表現に苦心するケースがあるのかもしれません。 念のため申し上げますが、もし事実だったとしてもお坊さんを非難したいワケではありません。むしろ問題があるのは檀家やらの聞き手の方ですので。 それに、アニメではない方の一休さんが仏像を枕にして「俺の商売道具に何をする(笑)」と言われたエピソードなども伝わっています。 「◯ンコ」の件が本当だとしても、宗派ごとの厳格さやお坊さんの感覚は十人十色です。弔い文化や宗教観の奥深さを示す、笑えるエピソードになるはずです。 ひょっとしたら、仏教界にとっては隠したい裏話なのかもしれませんが、知恵をお借りできれば嬉しいです。 よろしくお願い致します。
私は15年うつを患っています。そのため、何事もやる気がなく楽しみもありません。昨年には、痙性斜頸という病気になり、毎日首の痛みと勝手に首が回旋するという状態です。仕事もしておらず、貯金も底をつきました。これ以上生きていても仕方ないなとおもいます。自殺したい衝動は毎日です。両親も既に他界しており自分が死んでも困る人も悲しむ人もいません。どうしたら楽に死ねるでしょうか?
この時間帯悩みますが、おはようございます。 皆さんは、お坊さんになられる前となられた後では、性格に変化はございましたか? よろしくお願いいたします。
木魚っていいですよね。あの優しい音、ここちよい響き、心から洗われるような神秘さとか。具体的に購入する予定はないのですが、そもそも木魚ってどこに売っているのでしょうか? もしかして、カタログとかあるのでしょうか。 木魚はハンドメイドっぽいのでとても高価だと思いますが、もしカタログやメーカーなどが存在するのであれば、ギターのメーカーのようにいろいろ種類があったりお坊さんの好みがあったりするでしょうか。 購入前の試し叩きとか、細部にこだわったオーダーとか。お坊さんでなくても購入できたりするのでしょうか? おおまかで良いので教えてください。
先月、遠い親戚の葬儀に参列した際に、来て頂いたお坊さんの説教に大変感動しました。 いままでの自分のモヤモヤがそのとき救われた気がして。こんな風にお話をしてくださるお坊さんっているんだと、はじめてお坊さんを有難いと思いました。 そこから私はもう一度あのお坊さんに会いたい!またあの方のお話を聞きたい!どんなことを考えて生活してるのだろうと毎日気になって仕方ありません。 その方のいるお寺で行われている座禅会にこの間はじめて参加しましたが、法話はそこの住職さんがしています。住職さんのお話も有難いのですが、私のように最近、仏教に興味を持ち出した者には少し難しく… できれば、葬儀の時のお坊さんのお話が聞きたいのですが、唐突にお話聞きたいです!というのはおかしいですし…じゃあ何の話を聞きたいのかと言われると…特に悩んでるわけでもありません。 とても困る質問ですみません。 住職じゃないお坊さんの法話はどうしたら聴けるのでしょうか…?
今の所結婚の予定は全くない独身の女です。 仕事で関わる方の中に、 電話&来客される際、開口一番に「結婚した?」と聞いてくる方がいます。 本人は冗談半分のつもりなのでしょうが、 年齢が上がる程、うまく笑顔でお返し出来ない自分がいて辛いです。 ちなみに、その人はお坊さんです…。 お坊さんからの悩みにお坊さんに相談するのも変な話かもしれませんが、真剣に悩んでいます。 仕事上、言い返す事は決して出来ない関係です。 先日も「結局は、結婚する事が幸せ。早く結婚しなさい!」とお客様の前で諭されました。 「行き遅れるぞ!」と言われて、皆さんに笑われて、恥ずかしかったです。 どんなに仕事を頑張っても、私生活を充実させても 独身というだけで自分を否定されている様な気持ちになり、 何気ない一言を言われた夜は布団の中で泣いてしまう日々です。 もう何年もこの状態で、そろそろ精神的に限界がきています。 仕事自体にはやりがいを感じています。 ですが、もう解雇されても良いので お坊さんに「もう、その質問は止めてください。」と 言ってしまいたいです…。 喉元まで言葉が出掛かっています。 冷静になるべきでしょうか? 社会人として失格でしょうか? 気にしていただいてる内が幸せなのかもしれませんが 放っておいて欲しいんです。 気持ちに波はあるのですが、 そのお坊さんから逃げたくて、自殺する事も考えている今日この頃です。 遺書にお寺の名前を明記して準備してあります。 辛いです。 助けて下さい。
わたしは統合失調症という病気です。お寺にお坊さんの友人はできましたが、恥ずかしくて相談できなくて。私は女ですが、性欲が強いのか、ハッピーちゃん(実際は本名)とエッチしたい。と、前の上司の声が聞こえて、身体が勝手にうごいて自慰行為をはじめ、親が私の喘ぎ声で異変に気付き二回入院しました。入院中は監視カメラのある鍵つきの部屋にいれられ、看護師さんやお医者さんの前で自慰行為をして、とても恥ずかしい思いをしました。前の上司とは肉体関係は有りませんが、同い年でかっこいい方だったので、私が妄想してそうなったのだと思います。振られたので連絡先は消してかれこれ7年くらい会ってません。もう忘れてもいい頃なんですが、たまにハッピーちゃんと聞こえるので気持ち悪いです。お薬はちゃんと飲んでいて安定していると思います。また、瞑想やお経や絵を描いてるうちに最近は聞こえない状態が続いています。お寺のお坊さんには恥ずかしいので幻聴が聞こえるとだけ言っています。多分、バカだとか死ねとかいわれてるんじゃないかと心配してるんだと思いますが、性欲おばけみたいな物なんで、聞こえない時は普通に家事も仕事もできるんです。これってやっぱり相談すべきなんでしょうか? お寺のお坊さんは普通に男性です。
お寺で、働きたいと思うのですが、出家をするのではなく、お坊さんや尼さんのお手伝いがしたいと思うのですが、求人サイト等見ても、お寺の募集をみたことがありません。 お寺では、求人するときは、どうしてますか?
現在高校2年生です。恥ずかしながら懺悔させていただきます。僕は中学生の時から父親の財布からお札を抜き取っていました。悪いと思っていても、お金が足りないため、どうしてもやってしまいました。 去年の暮れに父親が怪我をして転職をしてから大幅に収入も減ったらしく、父母共に節約を始め、目に見えて生活水準も落ちました。それからお札を抜き取ってはいませんが、先日、金欠だったこともあり、千円札を抜き取ってしまいました。 翌日、母親から「お父さんの勘違いかもしれないけれど、財布からこの頃千円札がなくなっているらしい。何か知らない?」と聞かれました。僕はとっさに、「知らない」と答えてしまいました。母親はそれ以上追求しませんでした。ですが、父も母も絶対に僕が抜き取ったと気づいています。 母は犯罪を犯す人に特に厳しく、常日頃からそういった人たちを蔑視しているので僕がこんなことをしていることを知ってとても悲しんでいると思います。現に、ここ2、3日の僕への対応も突っけんどんになってしまいました。このことがあってから、父ともまともに喋っておらず、父が帰宅してくる時間になると僕は部屋に篭ってしまいます。 今更ですが、とても、とても後悔しています。僕が傷ついた時は優しく慰めてくれる母、口数は少ないけれど僕のことを認めてくれる父、2人のことを裏切ってしまい、完全に信用を無くしたことが本当に悲しくて、辛いです。今思い返せば、現在の環境には何一つ不自由無かったはずなのに、どうしてこんなことをしてしまったのか。自分が本当に嫌いです。 一度失った信用を取り戻すのはとても難しいと思います。ですが、もう一度だけ、以前のような関係を立て直したいです。来年には受験だということもありアルバイト等はしていませんし、お金は全て使ってしまいましたので、お金を返すことはできませんし、今更僕が抜き取りましたと白状する勇気すら持ち合わせていません。僕は今後、どのようにしてこのことに向き合い、家族とのコミュニケーションを取ればいいのでしょうか?こんな意気地無しでごめんなさい。どうか、ご助言をください。
ユーチューブの「みすずの野望」チャンネルにて、住職の方がクラブのママと心霊スポットに出向き、クラブのママにお酒を飲みながら接客を受けるという企画を目にしました。 その企画を見た瞬間に、亡くなられた方を馬鹿にしているように見えてしまいました。とても不謹慎なことをしていると思いました。 住職がこのようなことをしても良いのでしょうか。
こんにちは 既婚のお坊さんの方、今の奥様と出会ってどのくらい経ちますか? 何歳の時にご結婚されましたか? その時はお坊さんでしたか? 興味があります お答え頂ける方にはで答えて戴きたく思います よろしくお願いいたします
初めまして、私はタイ国からです。早速ですが、ご質問いたします。和尚という言葉がよく理解できませんので 意味を教えていただきたいと思います。因みに、お坊さんと和尚には同じ意味ですか? 日本語はまだ十分ではありませんので ご遠慮なく、どんどん教えて下さい。
先日、祖父が亡くなりました。 その際にお世話になったお寺のお坊さんは 祖父が亡くなった日に枕お経を頼んだところ17時頃なのに、営業時間外と断られてしまいました。 その他にも葬儀中でお経を唱えてくれている時に数珠の紐が切れて、床に玉が転がりました。 縁起が悪いと思ってしまいました。 葬儀が終わった後、なにか数珠の紐が切れたことに対して言ってくるかなと思いきやそのままスルーでした。 調べた所によると縁起が悪いのではなく悪縁が切れた、数珠に守ってもらったなど良い意味もあるそうですね。 普通、誰もが不振に思うことならお坊さんがフォローの言葉など言うべきだと思います。 あと、腕時計を外しながらお経を唱えていました。 他にも葬儀が終わった後、喪主である私の父に「お礼を言ってください。」と言い、 父が「ありがとうございました」と言うと 「立って言ってください」と言われました。 葬儀にきてくれた親戚や祖父の知り合いなどがいる前で…… 恥をかかせたいのかな?と思ってしまいました。 確かにお礼を言わない父も父ですが、 違う言い方があったのではないかと思ってしまいます。 今回お世話になったお坊さんに対して とても不快な思いになってしまいました。 いくらお坊さんでも失礼ではないでしょうか? どこのお坊さんもそんな感じなんでしょうか? 今後関わりたくないのですが、どうすればいいですか?
業 というものについて、疑問があるので質問させていただきたいです。 よく業という言葉が使われる場面は、「あの人はあんな事をしたんだから、自業自得だ」といったものかと思います。 ある事をするとある事が返ってくる、というざっくりとした理解をしているのですが、これが倫理観と絡むと難しいと感じます。 先日、以下のような記事を読みました。 「浮気や不倫は人を傷つけることになる。これは業だから、やがて浮気や不倫をした本人達を苦しめる結果になる」 現代の倫理観に照らせば、確かに浮気や不倫などは傷つく人を生みますし、社会的にも良くないとされています。私個人も不誠実で嫌な行為だ、と感じます。 しかし、例えば妾が社会的に許されていた時代には、今よりはるかに愛人さんや不倫があったと思うのです。それが甲斐性だと思われていたこともあったと聞き、では当時であったなら浮気や不倫は今のような業ではないのだろうかと感じました。或いは、業だらけということになってしまうのではないかと感じました。社会的に苦しい立場の人々を保護した一面もあったのでしょうが、慈悲の心だけという訳でもないケースもあったでしょうし、当時でも悲しむ人もいたのではないかと思ってしまうからです。 業とは、時代の変化に合わせて、(人が傷つくものに合わせて?)変化するものなのでしょうか。 それとも、普遍のポイントとなるものがあるのでしょうか。 業というものについての難しさを理解してみたいと思い、質問させていただきました。 理解が大幅にずれていたらすみません。 回答のご検討をよろしくお願いいたします。