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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8640件

餓鬼を見ているようで

東京はお盆を迎えます。親族についてご相談させてください。詳細には書けませんが、かなり困った人です。 過去には、父母の相続について「やり方がわからない」等と言って放置し、弟と分けもせず、父母名義で送付される株式の配当金や優待券等を自分のものにしていました。次の相続が発生し、私とのやり取りとなりましたが、金融機関に「自分が全て相続することになった」と嘘を伝えて書類を作成した上、私には全く違う説明をしたり、必要な書類は送ってこないなど非協力的でした。 葬儀前から家で金目のものを探すなどする割に、入院費や葬儀費用はこちらに督促の連絡がきていました。法事に関しても、自分が施主となるものは行いませんし、参加もしません。今回も、相続に関する費用の支払いは後回しにされています。法事、各種支払いについては、仕事等を理由にしていますが、休みを取って遊んでいます。 逆に不思議なことに、本来受け取るべきものを受け取れる時には、些細なことで文句をつけたり、面倒がったりします。 金銭欲と自己保身のために、分けるべきものを分けなかったり、嘘をついたりといった状況を重ねてきたということだと思います。さらに、億を超える財産を受け取ったのに、もらえるもの、支払うものが気になるようで、既に終わっているものを調べたりしています。 周囲からは、そこまで面倒を見る必要はないと言われますし、私もそろそろ 精神的に限界です。 お盆にあたり、餓鬼事経などを読んでいると、この人について考えさせられます。お経では餓鬼が供養を求め、お釈迦様が供養の方法を弟子に教え、尊者や徳のある人々がそれに応え、功徳を廻向し、餓鬼が救われます。 仏教における施餓鬼供養や、現実でも不幸な境遇の人に寄付等で手を差し伸べることはまだ楽にできますが、このような人が身近にいる時にはどうしたらいいのでしょうか? 仏教の中で教えがあれば、また、お坊さまの意見があれば教えてください。

有り難し有り難し 29
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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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他人の理不尽な言動で旅行を台無しにされ、悲しいです

昨日、恋人と旅行に行きました。 駅を出てすぐバス(半分〜それ以上が観光客のバス)に乗ったのですが、車内が混雑しすぐ近くの通路に立っている方もいたので、奥まで進んで座らず入り口付近に立ちました。その後のバス停で年配の男性と家族が乗ってきたのですが、その年配の男性がかなり強引に私たちを押しのけて座席に座った挙句、私の肩を掴み「そんなところに立っていたら邪魔だろ!子供じゃないんだから!なんでそんなことが分からないんだ!」と怒鳴ってきました。 もちろんその家族が立てるくらいにはスペースを開け、意地悪するつもりなどなかったので私も「後ろの方がいるのに無理やり押し入るわけにいかないじゃないですか」とは反論したのですが、動揺して結局すみませんと言ってしまいました。 周りの人も驚いていましたが、その後も家族?にほかの乗客にも聞こえるように「東京からきたやつは本当にマナーがなってない」「このバスも地元の人間は半分くらいだから」と言っていました。流石に何か言ってやりたかったですが、我慢しました。 最初は怒りが湧き上がっていましたが(勝手にですが…)家族?のぼうっとした反応を見て、家族等周りの人にもいつもこうなのかと思うと段々悲しくなりました。 認知症や何かかもしれませんが、旅の初めに心がかき乱され…彼にも迷惑をかけたくなかったので、心を鎮めよう、許そう、忘れようとしましたが、観光や食事をしていてもふと思い出しては悲しく辛い気持ちになりました。その観光地は好きで何回も訪れていましたし、あんな人は世の中のほんの極々一部だと分かっていても、また行ったら強く思い出しそうでもう行けないと思います。 というのも、昔知らない人に声をかけられたのですが、自分はナンパされるような容姿ではないのでからかいだと思い立ち去ったら、大声で「死ね!ブース!」と叫ばれその男性の仲間にゲラゲラ笑われたことを、もう6.7年前の事なのに今も鮮明に覚えているからです。今回の事もずっと記憶に残ると思うと理不尽でとても悲しいです。 私には沢山欠点があり、完璧だなんて到底言えません。言い返したのもいけなかったかもとは思います。しかし今までそこまで悪い行いをしてきたわけではないと思っています。 なぜ楽しみにしていた旅行の初めにこんな思いをしなければならなかったのでしょうか。どう気持ちの整理をつけたら良いでしょうか。

有り難し有り難し 41
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2025/01/15

1/17が近づくたびに

おはようございます。 少しだけ気持ちを聞いていただきたいことがあります。 もうすぐ、1/17、阪神・淡路大震災発生の日が来ます。今年でもう30年になります。 ここ数年ですが、この日が近づくにつれ、心が傷んだり、ざわついたり、ふと涙が止まらなかったりというふうになりました。 私は中学2年の時に、神戸であの揺れを経験しました。私の住んでいる地域は家が倒壊したり、人が多く亡くなったというところではなかったのですが、ガスも水道は3ヶ月通じないという生活を送りました。 私の家族や近しい親族、友人も皆無事でしたが、火災で立ち上る煙や真っ赤に染まる当日の夜の空、液状化現象、、、  あの日の揺れ、体験したことは忘れることはありません。 もちろん、ずっと前からこの日を迎える辺りはあの震災のことに思いを寄せておりましたが、ここまで辛く涙が出てくるほどではなく、もっと冷静に向き合えていたと思います。 若かった頃は日々の学校や受験、社会人になってからは仕事や自分のことで精一杯だったこと、また関西で生活していたので、周りにたくさん同じ体験をした方も多かったのもあり、今ほど辛いと感じなかったのかもしれません。 東京での生活が10年を超えて、その間に子供が生まれて、40歳を超え、いろいろなことが感じられるようになり、自分が生き残ったことは当たり前ではない、ということがわかったのかもしれない、とも思います。 近年立て続けに起こっている大きな災害に遭われた方のこともよく考えるようにもなりました。 しかし、このところ、あまりに心が痛み、掻き乱れる時間が長く続き、これはちょっと…とも思うようになりました。 なるべく心を穏やかに日々の仕事や生活をこなしていく。 これが周り回って社会や困っている人の少しでも助けになっている、と普段から考えているのですが、特にここ数年の1/17あたりの心の振れ幅が大きく、自分でもただただ辛く悩んでおります。 気持ちを聞いていただき、ありがとうございました。

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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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何度も申し訳ありません…

何度も質問して申し訳ありません… 過去の質問でも書かせて頂いたのですが、今年の3月に母が亡くなり、先日に四十九日法要も済みました。 四十九日以前は悲しみや寂しさといった気分の落ち込みと付き合いながらもまだ何とか生活が送れていましたが、以降は感情のコントロールが利かなくなりました。 長く過ごしていただけに家の中には思い出が詰まっており、辛いので外に出たりしてみましたが、ほとんどが一緒に出掛けたことのある場所ばかりで面影ばかりを追い求めて変わらず、どうすればいいのか行き詰まってきました… 『一緒に住んでいて気付くのが遅い』 『もう少し早く気付いていれば結果は違っていた』 たらればとわかってはいながらも言われたその言葉が忘れよう・考えないようにしようとしても脳裏から離れません。 実際は嫌な予感がしていましたが、『大きな病気だったらどうしよう』と口にしていた母を不安にさせたくなかったのと、信じたくないと思っていた自分が招いた判断ミスだけに余計にです。 『どんなに痛く苦しかっただろうか』 『入院してからどんな気持ちだったのか』 そんなことばかりや生前の元気な頃から苦しんでいた姿など色々なことが脳裏を過り、年甲斐もなく涙が溢れ出て止まりません。 更に心療内科で処方して頂いた薬が合わなかったようで服用してから記憶が錯乱して取り乱し、母を探そうとしたりするようです。(自分では記憶がなく、覚えていないです) 強くなれ・気持ちを切り替えられるようになれと言われていますが、思うようにはならず苦しいです… 次の日の朝が来るのが怖く、夜眠る時、このまま迎えが来て目覚めなければいいのに…と考えるようにもなりました。 そんなことを母は望んでいないと思いますが、出来るのならこのまま母のもとに行きたいと思っています。 何か自分でも書いていて訳がわからなくなってきました、すみません…

有り難し有り難し 9
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憎しみとの向き合い方を教えてください。

家族と縁を切って かなり経ちます。 15歳離れた兄の家庭内暴力に怯え、家を出たのですが 今は安心して暮らせるのでとても幸運です。 それなのに、いまだにふとした時に思い出して激しい憎悪がわきます。 その事で心療内科に通ったり、 心理やスピリチュアルに助けを求めたりしましたが、 「憎しみはだめ、水に流す」というものが多く そうだと思う反面、 兄に対しては「可哀想な人」だとも思えず 怒りや憎しみがわいて しんどいです。 憎しみは不毛だな と思うので やめたいですし、 精神的にも良くないし、 スピリチュアルなどにあるような オーラや魂の波長などが悪いものを引き寄せたら…と怖くなったりもします。 その反面、こんな恨みを買うような相手を何故こちらが大目に見てやらねばならないのか、と 理不尽な気持ちにもなります。 かつての自分がとても怖かったことや悲しかったこと、非力だったせいで苦しかったことを 「もう済んだことだから、忘れよう」となかなか思えないんです。 許せないからしょうがないと割り切ることも出来なくて、 ふとした時に 理不尽な理由で殴られた鼻がムズムズするので悲しいです。 実家は狭いアパートで二間しかなく、 兄は一部屋を占拠していたのですが 家具などに激しく蹴りを入れたりして怖かったので よくお風呂場で勉強をしていました。 トイレよりお風呂場の方が隠れて過ごせるのですが、 日中 入浴時間がまちまちな兄が 突然 ドアを蹴破って入ってきて 入浴するから邪魔だと鼻を殴られたことがとても怖くて(長い時間 血が止まらなかったので) マンガやテレビで鼻を殴るシーンや ドアを蹴破って入るシーンを見るたび あの時の恐怖と憎悪が思い浮かんでしまいます。 何年も経つのに、特にこの事が悲しかった。 家具を蹴る音が怖くて お風呂場から出れなかったのに… 憎悪と殺意も 恐怖で竦んだ悔しさも 根深く覚えています。 世の中には、家族から嫌な目にあっても 前を向いてる方々がいますし、 私も自分のために 安心して暮らせることに目を向けたいのですが、 兄のことになるとまるでダメです。 どうか「憎しみは自分に返ってくる」とかではないアドバイスを頂けたらと思い、 質問させて頂きました。 長々とすみません、どうぞよろしくお願いします。

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2025/05/16

親友が亡くなりました

前回の続きになりますが親友と3日間だけですが 無事に面会することが出来てその内2日間は 親族が不在の時間が多くて親友と話したり 食事の介助やトイレの介助なども手伝ってあげる事が出来ました 親友が寝ている時は手を握りながら ずっと俺に付いて来てくれて有難うと言ったり 身体は見えなくなっても心の中にずっと生きてるし 俺は○○と出会えて幸せだったよと語り掛けたりしてました 親友の前では沢山涙を流しました 俺は○○と別れるのは辛いけど ○○が苦しんでいる姿を見る方がもっと辛い 俺は○○と出会えて本当に良かったと思ってる こんなにも想ってくれた人がいて幸せだったと思って あの世に行ってくれないかと親友に言いました 人は誰かに思われて亡くなるほど幸せなことはないと思うよと 親友には有難うと言われて嬉しさで胸が一杯になりました 今度の私の願いは親友が夢の中に出て来てくれて 何時も通り私の名前を呼んでくれて笑いながら話 帰宅時には今日は楽しかったと言ってくれて お母さんに宜しくねと言って私が見えなくなるまで 優しく手を振り続けている親友の姿を見れたらなと思ってます 私は親友の葬儀には仮に呼ばれても参加はしません 親友と面会した3日間で想いを伝えて来て満足してます 親友と別れるのは辛いけど私自身大事な人との別れは 心を成長させる機会だと捉えるようにしております 自分と同じような人やこれからそうなる人に対して 自分と同じような辛い気持ちをして欲しくないから 優しく包み込んであげたいと思いますし 自分の考えに共感してその人の心が 少しでも安らげばよいなと思っております 私自身心が弱く駄目な人間なので また何か悩んだ時に相談すると思いますが その時は何卒ご指導の程宜しくお願い致します 最後に私と出会えた事が宝だと言ってくれた親友が 無事に成仏してくれるように願って頂ければ幸いです

有り難し有り難し 29
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いつ逮捕されるか怖い

私は一年前(もしくは半年前)まで盗撮をやめたり再開したりしてきました。 今は盗撮しづらいスマホケースを買い、カメラにはシールを貼って、反省できるよう日記を書いて再犯を防いでいます。 画像はそこにあるだけでつらいので、盗撮をやめるたびに消しています(専門家が調べれば見つかるかもしれませんが)。 ネットにはアップしていませんが、自分の他の端末にメールで画像を送ったりしていました。 今まで捕まる気配がなかったので、被害者は気づいていないのかもしれません。 なのでそれを理由に安心しようとする最低な自分がいます。 また罪悪感があり、捕まることも怖くて鬱っぽいです。 起きたら自分の過ちについて考え、罪悪感と恐怖で何もできません。 本来なら被害者に謝るべきですが、母やカウンセラー、友達や被害者の一人に情報を伏せたり話を変えたりして相談した結果、何も知らない被害者を傷つけてしまうため、伝えない方がいいと皆は言っていました。 私も家族に迷惑をかけたくないし、捕まるのが怖いという甘えもあり、この案に賛成しています。 しかし、それは自首しないということです(被害者にも連絡がいくらしいので)。 罪には相応の報いが必要なのに、それから逃げるなて最低な行為です。 しかし、捕まるのは怖い。 被害者にもさらに迷惑をかけ、支えてくれた家族、信頼してくれた人々を傷つけてしまう。 それに被害者には私の友達、片想いしていた人もいるのです。 本当に馬鹿なことをしてしまいました。 今は、最低ですが常にいつ捕まるかと恐怖を感じています。 カウンセラーさんや母はただ再犯防止を続ければ良いと言っていましたが、本当にそれだけでいいのか疑問です。 私はもっと何か罰が必要だと思っています。 しかし私だけならまだしも、他の人にも迷惑をかけるので捕まるのは怖いです(酷い話ですが、迷惑をかける人がいなくても、私は捕まるのが怖いです)。 私はもっと正しい人間になりたかったし、周りにそう思われるよう振る舞ってきました。 だからこそ、今の私が情けなくて、被害者にも申し訳なくて苦しいです。 最後に問題のまとめですが ・捕まる恐怖と被害者への罪悪感をどうすべきか ・再犯防止をするだけで本当にいいのか その他、何か再犯防止対策や性欲をコントロールする方法があれば教えてほしいです。

有り難し有り難し 8
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大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 32
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母の死から生きる力を無くしました

何度が相談に乗って頂き感謝してます。 母の死から2ヶ月以上が過ぎ、以前より泣く回数は減りましたが、周りの人が羨ましくて落ち込みます。職場の人達はまだ親が健在な人多く、皆でワイワイ喋ってる時に、例えば親とのXmasや年末年始の話、芸能人の誰々はもういい年やろーしんだ?とか話題にして楽しそうに会話してますが、私はそれをまだ笑って流す事が出来ず、自分には母がいない、皆が言う「いい年」にあてはまり笑われてるのが悲しくなります。もちろん私の母の事じゃないし、2ヶ月経って職場の人達の中では、私が母を亡くした事は忘れてる事で‥でも私は笑えません。皆が幸せそうで楽しそうで。何で私の母は今年、家族とお別れしなきゃならなかったの?もう私の一番の味方、相談相手がいなくなり、何を楽しみに生きればいいかわからなくなって、自分を大切にするのが意味無いように思います。私には主人はいますが、子供もいませんし、本当に毎日何の為に生きてるかわかりません。子供がいれば、子供の為にとか将来どんな風に成長するか楽しみに、子供のイベント行事があったり、入学卒業、就職、結婚、孫‥と新しい出来事と出会えるチャンスがあります。私には主人と老いていくまで働いて暮らすくらいで、まだ残ってる親の死にいずれ又会い、悲しむくらいしかありません。明るい事が無いです。周りと比べてどんどん悲しくなります。勝手なのはわかります。一番辛く悲しい思いをしたのは母で、病から解放出来て母は楽になったと思いたいですが、今の平均寿命から考えると、まだまだ元気でいて欲しかったとも思います。色々悩む自分が一番嫌いです。好きになれない、楽しみない、本当にこの世に私は存在してる価値あるのでしょうか。

有り難し有り難し 14
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2025/04/12

もう夢でしか会えない愛猫

長くなります。読めるところだけで大丈夫です。 昨日、誕生日を迎えて25歳になりました。 個人的に、今までで1番悲しい誕生日でした。 3月末日に愛猫を亡くしました。 初めて保護シェルターで出会った時に『絶対にこの子にする。』と予定には組み込まれていない形で彼を引き取りました。 一昨年、胆嚢炎で1ヶ月に2回の開腹手術を行い成功し元気に走り回るくらいに回復しました。 母親は、彼が死ぬかも、と勿論心配していましたが私は 『絶対に大丈夫、死なない』と謎の自信があり、母親と猫を支えました。 今年3月、猫が体調を悪くし当日に病院へ。 原因は分かりませんでした。 この時、自分の『大丈夫』という一昨年の自信はありませんでした。 それでも彼を信じなくてどうする。頑張れ、でも、頑張りすぎなくてもいい 彼を抱きしめて声をかけました。 広い草原、緑がさぁーっと広がって、かけっこし放題、お花もあるかも、涼しい風が吹いてる。 小麦畑もいいね、貴方は白茶だから、かくれんぼしよう、と心や声に出して伝えました。 それから2日後、私は彼の息遣いを眠りつつも確認 呼吸音が落ち着いた頃に起き上がり「おはよう、元気?」と声をかけました。 その時、いつも挨拶してくれるように大きな声で鳴いたあと 一段と呼吸が荒くなりながら立ち上がりました。 運んであげようとまずはトイレへ、するとそうじゃないのかまた自分で動き出し 太陽の差し込む窓辺で、家族が見守る中息を引き取りました。 まだ、書ききれない思い出もあります。 私は、彼の死を辛いと思わず 捨て猫の時の苦しい環境から、私たちに引き取られ、幸せな天寿をまっとうしたとポジティブに、また会おうねと気持ちを切り替えました。 ですが、体は正直なもので涙が止まらなくなったり タイトルの通り、夢では彼を失う事をとてつもなく悲観的に悲しみ 虹の橋を渡った彼に私の未練で心配を掛けてしまわないか、そんな自分が嫌です。 勿論、散々悲しみました。彼が亡くなった時、行かないでとも呟きました。 悲しむことは悪いことでは無いことを理解はしています。 ですが、ペットロスがとてつもなく 持病の鬱などにも影響してしまい そんな私を亡き猫は、心配してないか、苦しんでいないか、心配です ここまで読んでくれてありがとうございます。 もし良かったら、ちょっと慰めてくれると幸いです。

有り難し有り難し 3
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早く死にたい

私は今浪人生です。   受験勉強をするために塾に通っているのですがある日突然(7月頃)に行きたくなくなり1ヶ月休んで、また1ヶ月塾に通ってまた数週間休むということを繰り返してました。 10月頃に流石に親にキレられ次休んだら熟を辞めさすと言われて11月14日まではちゃんと行ってたのですが、ここ三日間全く動く事ができなくなってしまいました。 もう何をしたらいいか全くわからないし、ここ1ヶ月は家族の誰とも話してません。(食材などは一週間の最初に階段に4000円が置いてあるのでそれで毎日過ごしてます。) もともと母親とは気が合いません。母親と話すといつも話題どろぼう?というかこっちの話を聞かずに自分だけ延々と話をし続けます。それを毎回それをされるとイライラして話たくなくなります。 母親は私が何か決めた事(進路や科目選択など)を辞めると言った時延々と人間が使う最低な言葉で、日常生活の態度とか全く関係ない事も含めて罵倒してきます。 それもあってかいつしか病気になったら休めるとか嘘ついたら休めるとか最悪死んだら何もかも辞めれるという思考になっていきました。 そして今死にたいです。 自分の決断に自信がありません。今は死ぬという選択肢が最高最良の決断と思えて仕方がないのです。 精神科にはここ2ヶ月くらい親に隠れてお小遣いを切り崩して通ってます。社交不安障害と診断されて抗不安剤などを処方されてなんとか塾に通ってましたがもう限界です。 塾長先生が優しい事が唯一の救いというか、私が決断して失敗しても決して咎めず他の選択肢を提示してくれます。精神科に通ってることも知ってます。 でもこれだけ良くしてもらっても成績は全く上がらないし、精神が安定せず体重はここ1ヶ月で5キロ減り、食べて、吐いてしまうという事を繰り返してます。自分が嫌になります。 このまま行くと受験も失敗して心も死んで誰の期待にも答えられないという最悪の結果になりそうです。 そうなる前に死にたいです。

有り難し有り難し 21
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母の死から立ち直れません

今月、母が亡くなりました。今年に入ってから離れて暮らしはじめたので、仕事帰りに、毎日電話をかけるのが日課でした。自分では出られない母に父が電話を繋いでくれて、具合が良い日も悪い日も、声は聞けたのに。もう、それができないということが、苦しくて、苦しくてたまりません。実家に帰っても、母の着ていた服、使っていたものが、あの日からすべて遺品と言われるのにも、改めて母が他界してしまったのだと感じてしまい、辛くて仕方ありません。皮肉にも、遺影は素敵な笑顔でほほえんでいて、見るたび、もう楽になれたかな、痛みから解放されたかな、良かったのかな、、と思っては、そこから明るく話す声が聞こえず、亡くなったあの日の、まだ少しあたたかかった肌のぬくもりを思い出し、涙が止まらなくなってしまいます。決して高いものではなくとも、残された指輪やネックレス、これはどこで買ったものなの?誰に貰ったものなの?写真に一緒に写っているこの人は誰?生前気にもならなかった小さな事が沢山積み重なり、本人しか答えを知らない情報を、生きているうちに聞いておかなかった自分を責めて苦しくなります。頭では、そんなことを言ったところで生き返るわけでもなく、答えてくれるわけでもないと知りながら、やはりこの現実とのギャップに胸が潰れてしまいそうです。昔から、割と信心深い方でしたので、人が亡くなった後はこうなる、ああなる、等死後の世界のお話は全て信じていました。今も勿論信じてはいるのです。でも、母が亡くなってしまってから、心のどこかではなんだか全てが綺麗事としてしか捉えられなくなってしまい、遺影を見ながらお経を唱え、実際には食べれるわけでもない、飲めるわけでもない、母の好きだったものを仏壇に備えながら、私はいま、何をしてるんだ?と考えてしまうことが多くなってきてしまいました。スーパーに行けば、母の好きだったお菓子を手に取っては悲しくなり、昔一緒に行った店に行っては、母とこんな話をしたなと思い出して悲しくなり、お母さんと並んで歩く子供と街中ですれ違っては、心を引き裂かれたような気持ちになってしまいます。まわりの方は、優しく声をかけてくださいます。自分が精一杯生き抜くことが最高の供養だ、母が必ず見守ってくれているのだと言われても、今、とても、とても苦しいのです。呼びかけても母が返事をしてくれない現実に、頭がおかしくなりそうです。

有り難し有り難し 16
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母と別離。虚しい気持ちから抜け出せません

数ヶ月前、母が癌で亡くなりました。まだ50代前半でした。 長かった闘病から開放された母のことを思えば、きっと今は安らかなのだから、悲しむことばかりではないと思うのに、夜になって布団に入ると、涙が止め処なく溢れて止まりません。 私は実家暮らしで、過保護な母に甘えて育ったところもあり、母が癌になってからも、通院も介護も最期までずっと一緒でした。 今までの人生でも泣いてばかりでしたが、こんなにも深くて底が無い、別離の悲しみというものを知りませんでした。 この悲しみを知らないままで居られたなら、どんなにか幸せだっただろうかと。 神様仏様が居られるなら、なぜ今この時、この瞬間の悲しみからは救ってくださらないんだろうと自分勝手なことを考えてしまいます。 どこまでも他力本願な考えです。 また、最後には耐え難い別離が待っているのだと思うと、人と関係を深めることも避けてしまいます。 ここ数年、四六時中、病気や死に纏わることが頭から離れません。 そしてまた、この虚しさは今生きている人間では誰も、根本的な解決はできないと考えてしまいます。 他の人の体験談や仏教の教えなどを読むと、その時は気が紛れるものの、結局は一時的なもので、この先の人生を明るく楽しく生きていくなんて、とてもじゃないけれど無理だと感じます。 いつかは、自らの死によってこの悲しみから開放されると考えると気持ちが楽になりますが、自死する勇気はないです。 母は最期まで前向きな人だったので、こんなことを考える今の自分は本当に情けなくて、顔向けできません。 変わらない絶対の安心という境地に至れたらと願いますが、今の自分には信じられません。 元々、神経質でネガティブな性格でもあり、この堂々巡りの暗い考えから抜け出す方法が分かりません。 長文失礼致しました。

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2023/11/30

お別れした命との向き合い方が解らない

最近立て続けに 大切で、愛する命とのお別れがありました。 以前にもお別れは経験しているのですが、 その時もやはりとても辛く悲しい日々が続きました。 過去の別れの時も、現在も、 ふと涙が出てしまったりします。 そんな感情とは裏腹に お別れをして一週間もたっていないのに、お腹が空いたり、眠くなったり、何気なくついているテレビを見て笑ってしまう。 そんな日常を迎えつつあり、自分がなんだか薄情に思えて許せないような、悲しいようななんとも言えない気持ちになり、日常を迎える事に罪悪感のような気持ちがあります。   私は母と二人暮らしで、 母も辛いはずなのに、そんな私を見て優しい言葉をかけてくれます。 「そばにいてくれているよ」 「大切に想っていた気持ちは伝わっているよ」 「あなたが元気にならないと、◯◯は自分が亡くなった事であなたを悲しい気持ちにさせてしまってるって、心配して苦しい気持ちになっちゃうよ」 そういった言葉をもらい、 そばにいてくれているんだな。 楽しかったし、ありがたかった、沢山愛することが出来た。 と、思ってみたり、 お別れをした相手も私と同じ気持ちであった。 と自分に言い聞かせてみたり…。 そうすることで少し心は落ち着くのですが、 「そばにいてくれている」 私にとってはとても心強い言葉で、 そう願いたいのですが、 もしかしたそれでは成仏をさせてあげられないのではないか。と、思ったのです。 無知で恥ずかしいのですが、 私の成仏のイメージは、この世に未練なく天国へ旅立ち、生まれ変わりの準備をするような、そんな感じです。 なので、 私が「そばにいてほしい」と願い、 「そばにいてくれている」と感じてしまうのは、成仏を妨げる私のエゴではないか。と。 私としてはそばにいてくれている事を信じたいのですが、 天国にいってらっしゃい。 と、見送る事が正解なのか…と どのような心でいたらいいのかがわかりません。 天国はいい所だと信じたいですが知らない土地に送り出すのも不安だと感じたり…   私が成仏に対しての理解がないだけで、 成仏してもそばにいてくれているのでしょうか? 今はお線香をたいて、一緒に過ごせた感謝と愛していることを伝え、そばにいてね。と、手を合わせています。 そばにいてほしいと願う事は良くないのでしょうか 成仏とはどういう事なのでしょうか    

有り難し有り難し 5
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震災で亡くなった母の気持ち

3月11日震災の日が近く、ある女性の手記を目にしました。その女性はお母さんと一緒にいる時に津波が来て逃げようとしたところ、お母さんは瓦礫に挟まり身動きが取れなかったそうです。 でも津波はどんどん迫ってきて、女性はお母さんを置いて逃げる事しかできなかった。その気お母さんは、「待って!行かないで!助けて!」と、ずっと叫んでいたそうです。女性は「ごめんなさい…ごめんなさい…どうか許して…」と、胸を引き裂かれる思いで避難したとの事でした。そしてお母さんは遺体で見つかったと…。 9年経つ今でも、ずっとお母さんの声が頭から離れず苦しんでいらっしゃいます。一緒にいてあげれば良かったのか、何とかできなかったのか…という思いが何度も押し寄せるそうです。 少し話は違いますが今まで質問させて頂いた通り、まもなく私には赤ちゃんとお別れした日がやってきます。それに加えて震災でのこうした手記などを読み、最近は命や魂が救われているのかをよく考えます。 この世に生まれる事なく空へ帰った赤ちゃん(水子様)は一切の恨みや煩悩は無く、私などが思うより限りなく純粋な魂であり、母が幸せに前を向いて生きていく事を望んでいるとハスノハで学びました。本当に尊いです…。また、煩悩などは生まれてから大人になるにつれて身に付くものだとも学びました。人間には生きたいという本能があると思います。だから女性のお母さんは、そう叫んだのだと思います。 赤ちゃんはこうした気持ちは持っていないかもしれません…。でも女性のお母さんの魂や思いは、仏様に救われているのでしょうか?本能でその瞬間は助かりたいと叫んだのだと思います。でも、娘さんである女性がずっと苦しむ事を望んでいるわけでもないと思うのです…。女性が間違った行動をしたとは思いません。自分の事もお母さんの事も、助けようと必死だったはずです。私なんかがとてもおこがましいですが、自分とリンクして考えてしまいました。赤ちゃんを助けたかった、本当は自分が死んでもいいかは産んであげたかったです…。それができなかった酷く愚かな母です。 でもそんな私を清らかな赤ちゃんは受け止めてくれていると学びました。女性のお母さんも今は救われているのでしょうか?女性を恨んだりなどしていないと信じたいです。 長々とすみません。色んなご意見をお聞きしたいです。

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友達のペットを殺したかもしれない。

当時、私は小学校中学年でした。 友達の家はペットにフェレットを飼っていて みんなでよく遊んでました。 ある日 私がゴム製の星の形をしたおもちゃ(フェレットではなく友達のもの)をフェレットにひきつけて遊んでいたら 角の先っぽ部分1cmほど食べてしまいました。 私はびっくりして遊ぶのをやめました。 おもちゃを欠けさせてしまった事で 嫌われるのが怖くてその事を全て友達に黙っていました。 それから期間は曖昧ですが しばらくしてフェレットは亡くなりました。 死因は聞いていません。 あれから10年も経った最近になって初めて フェレットの誤飲が命に関わる事だと知りました。 今更になって私が殺してしまった可能性が高いんじゃないかと疑っています。 もし誤飲なら想像を絶するほど苦しく痛かっただろうし むごい事をしてしまったと申し訳なくやりきれない気持ちでいっぱいになります。 我が身可愛さに黙っていなければ 助かってたんじゃないかと考えてしまいます。 そうすると眠れなくなります。 罪の意識で潰れそうでとても苦しく 私は生きている価値がない人間に思えてきます。 嬉しい事があっても幸せになるべきではないないと当時がよぎり 心から喜べません。 故意ではなくても人の家のペットは殺してしまったかもしれないくせに 自分の家のペットは大事にしているのも最低だと思います。 疎遠になっているので友達の連絡先は知りませんが まだ地元にいるはずなので頑張れば連絡を取れる状況です。 死の真相かもしれない事を黙っているのは フェレットを2度殺していることになりますか? 一生恨まれる覚悟で打ち明け、もしかしたら自分の誤飲のせいで亡くなってしまったかもしれないと謝罪するべきですか? それとも墓場までこの話は持ってくべきですか? あと、私がフェレットにしてあげられる償いはなんでしょうか? 罪悪感に潰されそうで 心から笑いたいけど笑ったら 友達とフェレットの事が頭に浮かび 苦しくなります。 殺したくせに楽しく生きたいと思うのは傲慢で最低だと感じ、 生きている心地がしません。 とりかえしがつかないことをしてしまった自分が憎いです。 フェレットと友達家族に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 長い文を読んでくださってありがとうございました。

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2022/12/23

結婚式間近、祖父の逝去

20代男です。 先日祖父が肺炎で他界しました。 1年前に肺がん、肺炎と宣告された祖父が闘病の末に先日他界しました。 宣告当初は本当に病気なの?と思うくらい元気だった祖父が、ここ数ヶ月は自分の身体を支えるのがやっとと言うくらいに衰弱していて、見るのが辛かったです。 幸い最後まで自分で口からご飯が食べられ、話すことも出来ていたそうです。祖父の最期には少し間に合いませんでしたが、冷たくなる前には会うことが出来、感謝とごめんなさいを伝えました。 祖父は私と私の弟を小さい頃から亡くなる前まで可愛がってくれて、たくさんの愛を受けました。 祖父の生前、私なりに爺ちゃん孝行をしてきたつもりです。買い物には私が時間ある時は運転して連れて行ったり、体調が悪そうな時は私が運転して病院に連れて行ってあげたり、敬老の日にはプレゼントを贈ったりしました。 抗がん剤を初めてから、祖父はせん妄に悩まされ、良く分からない事を言ったり、ワガママを言ったりしているのに私が腹が立ち、つっけんどんな態度や、1度だけ大きな声で怒鳴ってしまいました。それを本当に後悔しています。 祖父の趣味は私の祖母と一緒に車で買い物に行くことでした。祖父が1度、単独事故を起こしてから、祖父の運転が心配になり、不要な外出は控えるようにいつも言っていました。運転が好きな祖父に酷な事を言ってしまっていたのでは…と今になって後悔しています。 実は来月、私の結婚式を控えています。祖父は私の結婚式を誰よりも楽しみにしてくれていました。喪に服すべきではあると思いますが、両家の親に相談し、祖父が楽しみにしていたということもあり、予定通り式を挙げることにしました。式当日も祖父の席には写真を置き、料理も提供する予定です。 ここまで長文申し訳ありません。 私は挙式と同時に実家を出ます。挙式まであと数週間ですが、それまで家族、特に50年以上連れ添った祖父を亡くした祖母とどう接すれば良いでしょうか。祖母は悲しさの余り、毎日泣いて居ます。 また、祖父が亡くなったという感覚がまだ薄く、どこか帰ってくるのではないかと思う自分がいます。どのように気持ちの整理を付ければ良いでしょうか。 そして、何より私が出ていった後のこの家が心配です。実家から新居まで徒歩10分なので、妻が夜勤の時等は家に帰ろうと思いますが、逆にそれが両親達に負担にならないか心配です。

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