2023/05/07仏教はその目的の実践以外何もない(3)
城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)
前略
その時、世尊はかように仰せられた。
比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。
まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。
後略
(私見)
釈尊の説教にしては珍しく、修行者であった過去の苦労を述懐しています。
輪廻転生は既に先達が確認しているので、終始その出離を模索していたことになります。
生があれば自然の摂理で老病死は免れず、仏教とて救うことは出来ません。
死後は苦が無くなるので、仏教は救う必要はありません。
再生を断ち切ることだけが、仏教の救いです。
仏教はその目的以外何もないのです。
「生」については、心が永続するとなれば誕生の仕組みが常識と大幅に変わります。
渡哲也の病状に関して、一時テレビに出演した臨死体験者の新堂のぶ子氏は、講演会で「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」と述べています。
また「子は授かりもの」とも言います。
またある宗教学者が、多分「大縁経(広縁経?)」に「意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と伝えています。
このことから想像すると、総てが自分の意思で生まれたのだということになります。
親は唯この世で生きるために身体を作ってくれたのです。従って「生老病死」は自己責任です。
因みに、浄土宗ではお説教の初めに三帰衣文を唱和するそうですね?
その内容は「この身今生において度せずんば、さらにいづれの生においてかこの身を度せん」だそうですね。
「度する」は多分般若心経の結論である、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「度」ですから
正に「仏教の目的」そのものです。
有り難し 5
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