興味と愛情
私はいろんな宗教の教えに興味があります。その中でも特に仏教に興味を持っています。
海外では激しい宗教対立がある中で日本では独自の均衡を保っているように思い非常に素晴らしいことだと感じています。
しかし教えを拝聴することも有り難いのですが、等身大で「話し合える」お坊さんとお酒でも飲みながらぶっちゃけトークをしたいと常々思っていました。
ところで、私の両親は敬虔なクリスチャンのはずなのですが、幼い頃から私を殴ったりののしったりして、彼らが思う通りにした時だけ「愛してる」と言われてきたので、「相手の思う「何か」をしないと私はいてはいけないんだ」と思うのが当たり前でした。
そして心身ともに病んでしまい、病院に通うも長年の投薬の副作用でホルモンバランスを崩し体重の激しい増減を繰り返し、免疫力がなくなり肝臓、腎臓、皮膚疾患、病気になりやすく転職を繰り返しています。
そんな私を両親はののしり、私は自分自身の不甲斐なさに落胆しています。
何回も挫折を繰り返してきましたが自分や病気、誰かのせいにするのではなく心の平穏を得たいと前から気になっていたお寺に通い始めました。
最初はただ境内を歩いたりするだけでしたが、本堂でお経を読む会に参加したりお坊さんとお話をするようになりました。
そして少しずつ前向きになり転職先も決まりこれからという時に
檀家さんの派閥争い?の様なものに巻き込まれ、悪口を耳にし凄く悲しい気持ちになっています。
なぜ同じ「仏」「神」を信仰しているはずなのに、他人の行動を批判するのか?
私には解らないのです。
また同年代のお坊さんの考えや展望など率直な意見を交わしたいのです。
そんな思いの中、少し年下のお坊さんでフランクな対応をして下さる方に最初に記述したお酒を飲みながらぶっちゃけトークをこの方なら出来るのではないかと思い連絡先を渡し飲みに行きたい旨をお伝えしました。
今はこれが知的好奇心、興味なのか恋慕なのかわからなくて混乱しています。
そしてそれが相手のご迷惑になっているのか不安です。
皆様からしたらこういう事は迷惑でしょうか?
有り難し 16
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