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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 わからない」
検索結果: 2716件

幸せになりたいのに上手くいきません。

親の死と失恋が重なり苦しいです。 前回質問させていただいた者です。 幼少期から家庭不和の中辛い気持ちで育ち、 父が亡くなった今、大人になってから怒りで父へ言い過ぎたことへの懺悔、もっと愛情が欲しかった気持ちなど色々思い出し涙が出ます。 そんな時に彼からメールで一方的に別れを言われました。 父の葬儀から2日後会いご飯を作ってくれていたので、あたたまる、美味しいと言って頂きましたが、父が何も食べられずに亡くなったことを思いため息を付いたら「ため息付かないでや」と冷たく言われました。 慰めて欲しいと言うと「俺は今まで色んなことや人を見てきた、誰か亡くなっても笑っていたいから」と言われました。 ため息付かれたら料理が不味いのかと思うじゃん、と言っていました。 さすがに笑っては過ごせず、ただ慰めて欲しいだけでした。 元々ありがとうやごめんなさいがあまりなく、 バリアを貼ったようなオーラを終日出したり、自己中心的さを感じていました。 彼なりの思いやりがあるはずと、出来るだけ気付くように努めて笑顔を心がけていましたが、合わないんじゃないか、君は気分の起伏があると言われました。 2、3度、嫌な部分や怒ったりしたことはありますが後からメールなどでお詫びとお互い歩み寄ろうとポジティブに伝えていました。 ヒステリックになったり頻繁な小言は言ったつもりはありませんでした。 今回のことも自分の辛かった気持ちとご飯ありがとう嬉しかったと伝えましたが、結局気持ちが無くなったと別れを告げられ音信不通でした。 私は求めすぎだったのでしょうか? 彼も気持ちや感じ方で不満があったんだと思います。まだ3ヶ月だったのでもっとお互いを見て理解を深めたかったことが伝わらず、私は求めすぎで接し方と思考が悪いから幸せになれない結果になるのだと自分を責めてしまいます。 父と似ている人を選んでしまうのでしょうか? やっと自分の人生を切り開いて行けていた時に辛いことが同時に重なり寝込んでいます。 挫けそうです。 皆様のご指摘をお聞きし学びを得たいです。

有り難し有り難し 9
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2022/11/21

自分の身の振り方で悩んでいます

こちらで過去に相談をした事のある私の兄弟がその後自死しました。 スマホの履歴からこちらへの相談履歴を確認、貰っていた回答は至極真っ当でその通りに生きて欲しかったと思います。 今回は私自身が兄弟の突然の自死を受け、事務手続きや片付けなどやるべき事はなんとか進めているものの一難去ってはまた一難の通りに後から後から自死した弟がらみで主に人間関係の精算が終わらず次々に問題が噴出し、私自身もおかしくなりそうでどうしたら良いのか、客観的なご意見を頂ければと思い質問します次第です。 本来であれば、家族が自死したとはいえ事務手続きや片付けが一通り終われば、あとはゆっくり故人を偲んで遺族は生きていけると思います、が私の弟の場合は周りにいる人間があまりにもひどく、ろくでなしばかりで正義漢に燃えアンフェアな事が許せない私の性分として、弟の周囲にいる人間がひたすら許せないのです。 まず、1人は弟の自称親友で、火葬の直後に弟の愛用の鞄から現金を盗みました。理由は、弟がその人の家へ数日宿泊した際にかかった光熱費や食費を取り返したかったから、だそうです。 ちなみに弟の周囲の人間は皆弟より私よりも年上です。私は、年上であれば年下にはたくさんご飯を食べさせてあげるのは当たり前だと思っているのでたかだか数日の食費や光熱費で火葬の直後に故人の現金を盗む人の思考がわかりません。そもそも、弟はその人に車を何台も無料であげてるのです。 もう1人はいかにも田舎のクズヤンキーといった、常に負のオーラ全開で発言や雰囲気がおかしな人は最期、弟が鬱が進行しほとんどものを食べられなくなっていたにもかかわらず、弟の亡くなる同日に重労働を斡旋したそうです。他にも、数々の否定的な言動で弟を苦しめ追い詰めてくれたようです。 3番目は自称彼女。付き合ったのはトータル半年足らずですが、献身的なようで自死へ向かう弟の話は一切聞かず、ひたすら彼女自身の夢や意見を押しつけて弟を追い込みました。また、弟の家から大量に荷物を盗難してる事も発覚。 弟が報われないと考え私としてはなんとかしてやりたい気持ちですが、自分もおかしな人たちに飲み込まれそうです。 このまま私は復讐すべきか、それとも自分だけの人生を歩むべきか悩んでおります…。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

どうしてそんなに生命を軽く扱うんですか?

生来の体質ゆえに普通の人と同じような人生を送ってこなかった私ですが、十代の頃から長いあいだ「希死念慮」という死神に貼り付かれてきました。死ぬほうが楽なことは一杯ある。いままでそれに負けなかったのはひたすらに自分自身に負けたくない気持ちゆえにです。子供の頃からずっと「死」について考えてきました。 私は特定の信仰を持ちませんが、なんとなく「生かされている」という気がしています。 「お天道様が見ている」というのに近いかな? この「お天道さま」は誰も人が見ていなくても非道なことをすると罰を与えます。「天罰」というやつですね。 大事故で九死に一生を得て助かる人もいますし、大災害で亡くなる方もあれば、奇跡的に助かる方もおられます。特に東日本大震災のような災害で、本当にわずかな差で生死を分けた人の話を聞いたりすると、本当に不思議な気持ちになります。 なにが運命を分けたのかわかりませんが、私はこう考えてしまいます。「助かった人は生き延びてまだやるべきことがあったんだ」と。 不幸にして亡くなられて、遺族に大きな悲しみを残された無念の死を迎えた人も、その大きな犠牲によって、多くの人に訴えるものがあって、改善のきっかけになったこともあるし、遺族がその人の分も力強く生きていこうとする力の源になったのかもしれないなあ…とも…。 すべて私が勝手に思っているだけのことですが、だからこの世に「無駄な生命」はひとつもないのです。天命だか運命だか、寿命がある人はその時まで、生き延びる運命にあるかもしれないし、短く定められた寿命の人は普通なら大丈夫、くらいのわずかなことで命を落とされることもあります。 …だから、私も、生きているということは自分なりの役目があるから生きているんだと思っています。それがちゃんと出来てからじゃないと死ねないかもしれません。 黒柳徹子さんのエピソード。ユニセフの仕事で「寿命があるなら大丈夫だから」と地雷原にずんずん入っていかれるという話。単に無謀とは違って黒柳さんの中にも「生かされて生きている」感覚が強かったんじゃないでしょうか。 生きているうちはこの世での役目があって、それが完了するのが死ぬ時。自分勝手に途中で投げ出したら、それまでの苦労も無駄になりますよね。 相談ではなくてすみません。一度しかない人生、大切にしていただきたい切なる願いです。

有り難し有り難し 26
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義理母の自殺

約一年前に、主人の母がうつ病で自ら命を絶ってしまいました。 その頃、私自身は妊娠8ヶ月でした。 義理の母は、もともとは社交的で明るく前向きな性格でした。 亡くなる3ヶ月程前から『肩や腰が痛いから外出も出来なくて』と聞いていたので、なかなか実家に遊びに行けない状態でした。 義理の母の性格上、とても世間体を気にする人だったので、うつ病だったと聞いたのは亡くなる2ヶ月前でした。 私自身の父親がうつ病の経験があり、自殺の心配があるというところまでいきながらも、なんとか復活したので、すぐに病院などを紹介すると義理の父に伝えたのですが、『あんまり騒ぐと余計本人が気にするから。通院もしてるし大丈夫』との返答で、定期的に連絡は入れていましたが、それ以上はふれられませんでした。 亡くなる二週間前に『こっちに遊びにくる?』と以前の明るい声で電話があり、会いにいくと、以前のように子供を可愛がってくれ、産まれてくる子を楽しみにしてくれていました。 しかし、二週間後に自宅で夜中に服毒自殺をしてしまいました。後に聞いたところ、義理父に『死にたい』と漏らしていたそうです。 主人の家族はとても仲が良く、義理母を中心に笑いの耐えないごくごく普通の家族でした。 以前に義理母が大病をした際も、義理父と義理兄、兄嫁、主人、私と連携し、支えて乗り越えました。そのぐらい仲の良い家族でした。 義理母の死から一年が経ち、残った家族で支え合いながら、前向きに日々を過ごしているのですが、どうしても拭い去れない気持ちがあります。 一つは、なぜ仲の良い大切な家族がいたのに、残して独りでいってしまったのか。あれだけ孫が産まれることを楽しみにしてくれていたのに、それを待たずいってしまったのかと怒りの気持ちです。思ってはいけないのかもしれませんが、どうしても許せなくなってしまいます。 もう一つは、もう少し何かすべきだったんじゃないか、断られてももっと踏み込んで行ってたら何か違っていたんじゃないかという大きな後悔です。 自分自身の父親の経験があったのに、なぜもっと対応ができなかったのかと、悲しむ主人をみる度に後悔をしています。 どう、気持ちを処理していけばいいのでしょうか?

有り難し有り難し 32
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2021/10/30

「死にたい」発作

最近、「死にたい」という気持ちが発作的に出てきて、一度出てくるとしばらくはずっとその思考に支配され、涙が出てきます。 新しい大学に入ってから、精神状態がゆるゆると下降気味なのですが、学業やバイト、交友関係もしんどくなってきて、そろそろダメかもと思っています。 精神科にも通い薬も服用しているのですが、気分は安定しません。ここ1週間は発作に加えて怒りっぽくなりました… 昨日も発作が起き、幸いにも希死念慮等々に理解のある友人と話せたのですが、話す中で自分が今年度前半よりも良くない状態にあるということが分かりました。 それは、死ぬことが救いのように感じられるというか、例えるならば余命宣告を受け入れた患者さんのように死ぬことを受け入れていること、そして、発作が起きた後は自死についても考えるのですが、この方法は痛いだろうか(楽に死ねる方法がないか)とか死んだら(大学やバイト、家族は)どうなるかとかについてもう考えておらず、ただただ車を見たら飛び込もうかとか山手線にぶつかろうとか(そうでなくても山手線は吸い込まれそうになりがちですが)になっていて、以前のように自殺の失敗について考えなくなっていたことで、これが客観的に知らされた昨日、私は自分が大丈夫ではないのかなと思いました。 でも、私には大学もバイトも彼氏という存在も、一応の知り合い(友人もどき?)もいるのですが、まだこのまま頑張った方がいいのでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。 ちなみに、実家に戻るという選択肢はありません。自ら檻に戻りたくはないので…

有り難し有り難し 11
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自殺に救いはないのですか

私自身精神疾患により、希死念慮に悩まされています。 ただ、幼少期に母親を病気で亡くしているので自傷、または自分から死へ向かうことは母に申し訳なくてできません。 (錯乱状態になったりした場合はわかりませんが。まずそうはならない疾患です) 長患いの中で、とても澄んだ心を持つ友達ができました。 彼女は自分だけを責めて、病気のせいなのに「こんなこともできない自分はダメだ」との思いを抱えて自ら旅立ちました。 私個人の考えでは彼女は自殺というより「病死」だと考えています。 身体的疾患での死は仕方ないととらえられますがやはり自死というのは公にするには憚れることもあるようで私が彼女の死を知ったのは旅立ってから3か月ほど後のことで、もちろんお葬式にもいっておりませんし、ご両親が特殊な宗教をなさっている関係からお墓参りもさせてもらえません。 「霊能者」というような人は「自殺した霊魂は救いがない」とか「ずっと真っ暗闇をさまようだけ」などと言う人が多いようです。 そんなのひどすぎる。あんなに苦しんだ挙句、誰も責めず自分だけを責めて、精神疾患による考え方の歪み・・あまりこの言葉使いたくありませんが・・もあっていってしまいました、あんなに苦しんだのにまだ苦しまねばならないなんて・・・ 自らいのちを絶つということをよしとしているわけではないのです。 ただ、精神疾患(心の病気≠精神疾患)によりこのような結果になった方々にも救いはないのでしょうか。 もう一度申し上げますが、彼女が生きていた頃を知っている私は 彼女のことは今でも「病死」ととらえています。

有り難し有り難し 41
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2023/03/01

ドタキャンした親友が許せない

先日喧嘩した友人のことが許せず、怒りが収まりません。 いろいろと準備が必要な約束をしていたのですが、彼氏を優先され前日の夜にドタキャンされました。それに私が怒ったことに対して友人も怒り、喧嘩になりました。 約束というものの重さや人間関係の優先度に差があることは理解していますが、とても楽しみにしていたし、最近仕事で昇進し疲れ切っていたこともあって、どうしても彼女のことが許せませんでした。 なんとか気力を振り絞ってこちらが悲しかったことも伝えようとしましたが、友人は自分は何が悪いのかわからない、あなた(私)の対応がショックだ、と自分のことばかりで、私がその友人を許せない以上、関係は続けられないのだなという結論になりました。 10年以上の付き合いのある親友だったので、約束を軽く扱われたこと、悲しかったことを伝えてもこちらを一方的に責めてくる姿勢、関係性を保つ努力を彼女がしなかったことが悲しく、怒りがおさまりません。 私は価値観の違う人を必要以上に認めないと指摘されました。わかっていて10代の頃から自分を変えようとしてきましたが、いい加減疲れてきました。 親友を許せない自分を責める気持ちも強くありますが、許せるように変わろうとすることにも疲れてしまって心の行き場がありません。 自分も親友も許せない私はどうしたら良いでしょうか。ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 9
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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1