私は、10年前母を病気で亡くしました。 私が小学校低学年の頃から、30歳になるまで母はお酒を( 仕事の時間以外、朝晩関係なく )飲み続け、身体を壊し亡くなりました。 その間、子供の頃は酔った母の下の世話、愚痴聞き…。 成長するにつれ、父や、母本人にも「お酒を断ち、前向きに生きるため病院へ行き治療しよう!」と話し合いを何度もしましたが、その頃の父、姉は見て見ぬ振り…という感じでした。 私1人では無理に病院へ連れて行く事もできず、月日が経ってしまいました。晩年、酔った母と私の2人で腹を割って再度 「 お酒を飲むのは、好きなだけではなく、父や姉に気持ちをわかってもらえない寂しさもあるんじゃない?本音を打ち明けて、家族一丸となって治療し、一緒に生きていこうよ。」と話したところ、「 父、姉には言わなくていい。あんたさえわかってくれてたら、それでいい。」と母は言いました。 その後、数ヶ月して母は亡くなりました。 父、姉には母の言葉は言っていません。 本当にそれで良かったのか、そして、結局は、私も母を見殺しにしてしまった。という思いがあります。 私は、死ぬまでその思いを背負って生きていく覚悟はしていますが、 父の「母は幸せやったかな?」姉の「天国からいつも見守っていてね 」という言葉を聞くと、すべてを話してしまいたくなります。 話せば、母の死後うつ病になった姉は、さらに病状が悪化するかもしれないし、父も心が乱れることでしょう。 やはり、2人には何も言わない方がいいのでしょうか? ( 補足 / 父や姉にも、母の気持ちに気付いて欲しかった。 母は、父の作った借金返済のために10年間休みなく働き、そのストレスからお酒に走りました。 主人は、私の気持ちを理解し、支えてくれています。)
機能不全家族の中で育ち、母の自死をきっかけに十代から一人暮らしをしています。 突然、母を失い、悲しみや喪失感を感じる間もなく生きる私の心の支えとなってくれたのが愛猫でした。 とても甘えん坊で居場所はいつも私のお腹や膝の上。抱っこが大好きで、目に入れても痛くない愛しい子でした。 そんな愛猫も十三歳になり、病気を患いながらもこの数か月は毎週の通院と投薬、点滴でなんとか命を繋いでいました。 お腹が床につきそうなほどふっくらしていた姿がいつのまにか2kgにも満たないやせ細った姿になり、この子はもう長くないかもしれないと思ったその矢先のことでした。 吐き気のせいでごはんが食べられず、水も飲めず、寝たきりになった愛猫を病院に連れていこうと予約をいれた直後に、荒い呼吸が始まり、それが落ち着いたかと思えば、すーっと眠るように息を引き取りました。すぐそばにいたのに一瞬気づかなかったほど、静かな最期だったと思います。 その日から、一日中泣き暮らしています。 後悔や反省も尽きません。私の努力が、配慮が足りなかったせいであの子を失ってしまったと、もっと早く病院に行っておけば、もっと早く異変に気づいていたら、と考えては苦しくなり、自分は飼い主失格だと申し訳なくなります。 あの子が病気で苦しかった日々から解放されて良かったと前向きに捉えようと試みてはいるのですが、どうしても、ずっとそばにいてほしかった、もっと一緒に生きたかったと涙が溢れてしまいます。 これまで何度も希死念慮が襲ってきた私の人生ですが、この子がいるから生きないとダメだといつも引き止めてくれた存在です。 家族もなく、頼れる人もいない私にとって最も大切でかけがえのない存在でした。 間違いなく、私が今世を生きる理由でした。 そんな子がいなくなった今、どうやって生きていけばいいのか分からなくなっています。 どうかもう一度、同じ姿で私の目の前に現れてほしいと願ってしまいます。 そこでお聞きしたいです。 死後の世界はどうなっていますか。 愛猫は本当に苦しみから解放されたのでしょうか。 不自由のない健康な体で天国にいますか。 また、私は愛猫の死をどのように捉えたら悲しみから解放されますか。 輪廻転生を信じて、いつか愛猫が姿を変えてでも帰ってきてくれると信じていいですか。 この先私は何を希望に生きていけばいいでしょうか。
お世話になります。 先日、母が突然亡くなりました。 実家の近くのマンションでの自死でした。 母はもともと昔から「寝れない」とよく言っていたのですが、ここ2年は特に睡眠時間も3、4時間程となっており、また去年の1月には雪道で転び骨折をし入院リハビリ後に歩けるようになりましたが、以前より脚が動かしにくかったりたまに気持ち悪さや貧血等が起きるようにもなり、心身の不調から外出に不安を抱いていたように思います。 また持病があることからコロナ感染の心配をよくしていたこともあり外出する機会はスーパーへの買い物くらいになっていました。 そうなるとなかなか息抜きもできず、さらにもともと心配性な性格であったため、自分自身だけではなく家族の心配もしてくれていました。 コロナが流行り出してからは母の気持ちが少しでも楽になればと思い母の好きなキャラクターグッズや喜びそうな物をプレゼントしたり、月に一度私が実家近くの美容室へ行くタイミングで母と待ち合わせて話をする等していました。 母の他に父と兄がいるのですが私が1番母と出かけることやLINEでのやりとりが多かったり、また母と私の好きな物が同じことも多い等、母と1番仲が良かったのかなと勝手に感じています。 ただ3ヶ月程前に私自身、仕事がうまくいかず精神的に厳しくなり退職し1月の半ばからは新しい職場での勤務が始まることがあり今思えば私は自分のことで精一杯で母のことに意識を向けられていなかったなと思いますし、母は自分のことでしんどい中で私の仕事のことも心配してくれてたんだな、自分は昔からお母さんから連絡がくると面倒くさいと感じたこともあったなと思い悪いことをしたなとずっと後悔をしています。 母はあの時どのように考え行動したのか自死するまでの映像を何回も想像しては怖かったり痛かったり寂しくなかったかと考え辛くなることが1日の内に何度もあります。 1日が長く辛くどのような心持ちでこれから過ごしていけばいいのか分からず、母の元へ行きたいとも考えてしまいます。 お坊さん方にお聞きしたいこととしまして、 母にあの時もっとこうしてれば、あの言葉をかけていればと後悔をしてしまうこと、 自死では地獄に行ってしまうと聞いたことがあり母の死後が不安なこと、 いずれ私が死を迎えた時にあの世で母に会えるのかどうか、 これから先どのように過ごせばいいのか お聞きしたいです。
毎日、在家での修行の仕方や朝のお勤め体験ができるお寺様は知りませんか? 在家で、お寺とzoomで繋ぎながら 朝お掃除したり、お経を読んだり、交流したり…在家修行の生活の仕方を配信してる所など、どなたか存じ上げないでしょうか? よく本には「日常の中で仏教の教えを思い出して、日々の生活を整えるのが在家での修行の仕方」とありますが、本で読んだ内容の受け取り方は人それぞれですし、やはり仏教を学ぶ上では師僧のような、導いてくださる方が歴史上でも必要な気がしております。 (元々、お釈迦様も口伝えでしか仏教の教えは説けないという立場でいた認識しています。 アーナンダ様という熱心なファンの方がお釈迦さまの死後に教えの内容を思い出して書いたのが今の仏教の経典だと記憶しています。) 近くに寺がない都会の生活をしていても 座禅会、法話会、写経会等の体験等をYouTubeやzoom等オンラインでできたら、より仏教徒として生活が整うのになぁと感じます。 実際、仏教業界は少子化により、檀家不足で資金難に苦しんでいる。というお話を聞いた事があります。 事実、血縁関係がないお寺様の檀家になるというのはかなり難しいですし、そのようなお話ができるほど一般参拝客にオープンに話して下さるお寺様に出会ったことはないです。 他にも、仏教のために何かをしたいけど物理的に方法がない方はたくさんいる気がしています。 その為、YouTubeの投げ銭やオンライン講座などでもご奉仕できるような環境があれば…と思います。 こちらとしても、そのようなサービスがもっと普及したら在家修行が捗るのに…と思います。 なぜ、在家修行の方法などの配信や、仏教徒の方の質問に答える場所というのは少ないのでしょうか…? また、どこかでこのような活動を行っている所がありましたらご教示お願いしたいです🙇 何卒よろしくお願い申し上げます。
将来を誓い合った彼が他界しました。 彼は既婚者であり、不倫関係でした。 これから彼は離婚に踏み出してくれるところでした。 遠距離であること、遺された彼のご家族のことを考え、葬儀の参列を見合わせました。 変わりに、葬儀当日は自宅近くのお寺で葬儀の日時に手を合わせ彼のご冥福をお祈りしました。 自宅には祖母と祖父の仏壇があり、毎日お線香をあげて手を合わせておりますが、彼が亡くなってからは、朝だけ彼の写真も置かせてもらい、お線香をあげてお参りをしています。 仏壇は、その家の仏が降りてくるものと考えますと、朝の一時であっても彼の写真を置き、手を合わせることは不自然なことでしょうか。 事情もあり、彼のお墓参りにも行けません。 でも、毎日彼のことを思い手を合わせ、彼の供養をしたいのです。 不倫が、仏教において地獄に行く不徳の行いであることと知り、少しでも彼が救われるように、毎日祈りを捧げたいのです。 唱えられるのは「南無阿弥陀仏」のみですが。 写真やお花を飾り、お線香をあげられるように簡易的な仏壇を作りたいと思っています。 家の中に他人の仏壇を置くことは、良くないのでしょうか。 もし、避けた方が良い場合は、別の方法など教えていただけると幸甚です。 不倫が悪いことは重々承知でしたが、欲望のままにというよりは、お互いに魂が惹かれ合う唯一無二の存在でした。 彼に現世では二度と会えないことを感じるたびに、どうしようもない虚無感、後を追いたくなる苦しみもあります。 自死しては死後も彼に会えなくなるとの文面を読んだことがありましたので、自分の生を生き抜くつもりですが、早く早く彼に会いたいと切に願います。 心の支えであり、魂の片割れでした。 長くなりましたが、他人である彼の仏壇を、簡易的にしても自宅に置くことは良くないのでしょうか。 ご教授のほど、よろしくお願いいたします。
長文になってしまい失礼いたします。 私は現在、親とは別の地方で暮らしています。実家には盆暮れのお休みに帰省しています。わたしは母子家庭で、母方の祖父母に衣食住の面倒を見ていただいて、大人になりました。独りよがりかもしれないですが、母方の祖父母にはお世話になったので、できるだけの恩返しと供養をしたいです。 先日祖父が亡くなり、今後菩提寺をどうするか母と伯父で話をしたようです。伯父は遠方に住んでおり「墓はいらない、葬式はしなくてよい」と言っています。 母も私も父方の姓を名乗っております。 今は、かなり高齢なのですが祖母が生きているので菩提寺があります。祖母無き後は長男である伯父が菩提寺を引き継ぐことになると思っていたのですが、伯父の代になると菩提寺は無くなってしまいそうです。実際伯母の実家が、お墓がなく葬式もしない無宗教なので、それで良いと思ったようです。伯母も葬式や墓は関心が無いようです。従兄弟も法事以外で先祖に手を合わせたことがないので興味がないかもしれません。 母は自分の両親を供養したいようなのですが、他所の家の話で、費用もかかることなので、強く言えないようです。私は供養したいので、祖父母の菩提寺を引き受けても良いと思っています。しかし、皆それぞれ遠方に住んでおり、家族が集まるのは法事の時だけなので、まだ生きている祖母の前で話すこともできず・・(祖母は信心深いので、死後お参りしてほしいと思ってるようですが、息子も可愛いので、菩提寺を無くす話を聞くと許してしまいそうです。) 1 子孫が生きていて家系が続いているのに、縁者が一時的に菩提寺を引き継ぐのは非常識でしょうか? 2 別の地方に住んでいる場合、棚経など仏壇に来ていただくのは難しいと思いますが、どうなるのでしょうか? 3 伯父、伯母など母方の家の者がなくなった場合も菩提寺を預かっている期間は、従兄弟を差置いて、葬式や法事など私が喪主?になって引き受ける必要があるんですよね?従兄弟に怒られるのかな??どうでしょう?? このまま、母方の菩提寺がなくなるのを見ているしかないのでしょうか?何か良い方法があれば、教えていただけないでしょうか? (菩提寺には、檀家を解消するような話は何もしていないと思われます。母方の先祖の法事やお盆の棚経などもこれまで通り継続しています。)
いつもお世話になっております。私が尊敬する科学の 先生に、「ヘルドクターくられ」先生とおっしゃる方が いらっしゃいます。 先生は、アンダーグラウンドの分野にもお詳しく、 「これこれこういうものは危ない。気をつけなさい」 と注意喚起をしてくださっています。 その項目に、「カルト教団」があります。先日私は、 先生の記事から気になって、カルト教団について調べ ました。 私の認識では、「カルト教団」と「安全な宗教(=純正宗教)」 の違いは、このようであると認識しています。 【カルト】 1.医学・科学を否定する →通院している・通院を検討している病者や障害者を、 「医師は悪魔だ」「薬物中毒にされる」「分類屋の 言う事に耳を貸すな」などと言って、病院から 遠ざける 2.「死は救済」と説く →信者を自殺させたり、殺人事件を起こしたりする 3.「金銭を寄進をしないことで、神仏から罰が下る」と 脅す 4.排他的・反社会的思想で、信者の怠惰と慢心と孤立を扇動する →「私たちはこんなに簡単に世界の裏の真実にアクセスできて、 できない奴らと違い賢い!」と思い込ませて搾取 【純正宗教】 1.医学や科学も積極的に頼らせる →つらい症状が出ている、精神的に不安定な信徒には、 「病院で診てもらいなさい」「病院へ行くことは恥ずかしく ない」と励ましたり促したりする(確か、仏様の32の特徴 にも、「病人に薬や食事を与えて看病した結果得られた特徴」 というものがあった気が…) 2.「生きる」ためのアドバイスをする →「死後の事は仏さまにお任せすればいい」「仏さま・ご先祖様 から頂いた命を粗末にしてはいけない」「生きる上で、 仏さまが残してくださった教えを読み解いてヒントに にしよう」と促す 3.無理に寄進をさせない →例えば「生前戒名を貰いたい」と言った信徒に、「戒名、 経済的に苦しければ無理につけなくてもお浄土行けますよ」 と説く。お布施も、「自分のために使いなさい」と返したり する 4.様々な人や生き物、価値観との共存共栄を目指し、「努力」の 大切さを説く 以上の認識で問題ありませんか?自分や、最近仏事に 興味が出てきた友人がカルトに騙されないよう教えるためにも、 再確認したいのです。
もう、情けないやら悲しいやらです。夫と私はhasunohaの問答で中田ご住職様にご回答してくださった通りにしますが(死後安らかに眠りたいですから)義父にお墓の事をきちんと揉めないようにしてもらいたい旨、お願いに行きましたが義父は菩提寺って何?から始まり全く何も解っていない始末。私の実家浄土真宗本願寺派の菩提寺や祖父母の家の曹洞宗の菩提寺の話しお墓はどうしているかの説明をわかる範囲で私が説明しました。結果義父は「今の若い人はそんな事気にしていない」と訳の解らない事を言う始末。「あなたは若者ではありません。老人です。」と言いたいのをぐっとこらえ今ある墓地、家は浄土真宗本願寺派なのに義父が真言宗のお坊様にお願いして作ってしまった義父の母親のお位牌などどうするのか、義父は考えるつもりがあるのか?もう私はイライラしました。最終的には私と夫が浄土真宗本願寺派のお墓で安らかに眠る事ができれば良いと思う事にしました。社会的地位や名声なんて関係ない。バッチを外せばただの人です。きちんとして欲しいです。とここで愚痴を言ってしまい申し訳ありません。 義父家の墓地は都営霊園にあり菩提寺はありません。法事の時には霊園にお願いして浄土真宗本願寺派のお坊様に来て頂き行っております。菩提寺がないので毎回違うお坊様です。 浄土真宗本願寺派なのに真言宗のお坊様の反対を押し切って作ってしまった義父の母親のお位牌はどのようにすればよいでしょうか?
家の事は、全くした事がなく、お金にも欲があり、3年程前に大病患い、在宅介護( 独居)を受けている父ですが、一人娘の私が、結婚前は、仕事と家事、お金の管理から税金も全て当たり前のようにこなしておりました。母は持病があったにもかかわらず、父は医師でありながら気を遣って何かをすることなど全くありませんでした。そして、母は自殺しました。遺された私が、今度は、父の面倒をみておりました。ですが、感謝されず、当たり前 亡き母或いは父の母( 私にとっては祖母)の代わりのように はたまた 使用人のように仕えていました。やっと10年程前に嫁ぎ私は家を出ましたが、税金の納付、父の浮気相手と思しき人との出張の手配も嫁いでも変わりはありませんでした。 年金も一括で大金を受け取り、一年で使いきりました。自分の欲しいものを買って。 そして、3年程前に心臓と肺に大病を患い手術をうけ退院しましたが、それから何度も何度も早朝夜間問わず連絡され、自ら真夜中に救急車を呼んだりもし、何も異常無かったのですが、私が来るまで帰らないと駄々をこね、迎えに行く事も度々ありました。入院も年に1回はしていますが、入院費その他全て私が行っています。 気がおかしくなるほど電話の音が怖くなるほどでした。 父は、医師であり学生時代は仏教系学校に通っていました。 しかし、私の仕事も妨害される程呼び出しが常識を超えていると思い、父に伝えました。 そこで言われたのは、「 これが常識と思っていた。父親役は出来ない。命が惜しい。」でした。 その一方で、私が結婚した時も敢えて挙式はせず、嫁入り道具は全部私が自腹で揃えましたが、父が寄越したのは皿一枚だけでした。 そのように、子を子とも思わないような性格、金欲、物欲や生への欲のかたまりの父に疲れ果てる一方で、このような人でも、死後、極楽浄土へ( 父は浄土宗です)逝けるのだろうかと疑問を抱いております。そして、このような父に笑顔で介護が出来ない親不孝な私がいます。時折、父に疲れ他界した母と同じく出来たらと考えてしまう自分がいます。
娘が自死し、何とか日々過ごしています。片親ですが、息子も居て何とか生きとどまって居ますが、最近落ち込みが酷くなり正直いつ死んでもおかしくない気がします。 しかし、そうストレートに息子に言えば心配させてしまうし。 実家は近くにありますが、わりと機能不全家庭なので、行く事によって反対に心がざわざわと疲れてしまいます。 寄り添うような家庭でもないのです。 それでも気を遣って寄ります。 以前は寄っても食事なんて用意して貰えず、早く帰れと言われてましたが、娘の死後、急に用意してくれるようになりました。(どうも息子より言われたようです) 有難いし、気持ちだからと私も寄り、一緒に頂き、代わりに休みの日に買い物に連れて行ったり外食費を出したりお礼代わりと思い行動しています。 子供の頃から、愛情不足で育ち… 私自身ずっと愛情に飢えてたと思ってます。 亡くなった娘もおんなじだったような気がします。 なぜ、この気持ちがわかる私が、娘の気持ちを理解して気付いて育てなかったのだろう…私なりに反面教師となり、育てようとして貰えなかった事…をしてあげるよう子育てしてきたつもりでしたが、娘の自死でそれは思ってたより、娘を考えて子育て出来てなかったんだと気付かされました。 もっと穏やかにそして見守ること 特性を知って、対処してあげる事… あの子の生きづらさを何も理解してあげてなかった 亡くなり半年経ち、そんな事をよくよく考え気づかされ 本当に生きたくないのです。 自分の生きる意味も分からず 朝起きて仕事行くのも辛い 仕事中も1人だと泣いてしまいます。 ロープでもかけられそうなところを 知らず知らずに探して歩いてしまいます。 生きていてしんどいです。
わたしが学生の頃、ある朝、オカメインコのピーちゃんが口呼吸してる事に気がつきましたが、家族皆んなおおごとには思ってなくて、仕事に行ってしまいました。 当時のわたしはお金もなく、対人恐怖もあったのでペットを一人で病院に連れていくことができませんでした。 わたしは休みだったので様子を見て、家族が帰ってきたら病院に連れて行っていくという話になっていたのですが、ずっと側で見守って「大丈夫?」「がんばれ」と声をかけていたのですが徐々にピーちゃんの口呼吸は激しく苦しそうになっていき、家族に帰ってきてもらいたくて何度もメールをして様子を伝えていました。 家族から「水をたっぷり与えてあげると元気になるとネットに書いてある」と連絡をもらったのですが、時間が経つにつれて息が苦しくなっていくピーちゃんを目の前にしてパニックを起こしてしまい、生き返って欲しくて何度も必死に水をあげてしまっていました。 ピーちゃんが飲みやすいようにストローを加工したり小さなスプーンでソッと口元に水を与えていました。本当にパニックでした。 今思えば鳥は水をたくさん飲めず、苦しんでいるのに無理矢理水をあげる形になってしまい水のせいでピーちゃんは亡くなってしまいました。苦しかったはずです。本当に申し訳ないです。 もう何年も前の話ですが、その事を今もずっと考えていて、後悔しかないです。なんでパニックになってしまったのか。自分が許せないし生きているのが辛いです。ピーちゃんに会いたいです。 過去にも同じような質問をさせていただき、 「今に不安があるから過去の後悔を引っ張り出してくるのではないか」と回答をいただきました。 わたしが何に不安を抱いているのかを考えたのですが、生き物は亡くなってしまってからどうなるのか分からないし死後の世界があるのかもわからないのでピーちゃんが今も苦しんでいたらどうしようと、考えても答えが出ないことを考えています。 また、ピーちゃんが亡くなる寸前両手で掬い上げて泣きました。わたしは「ありがとう」と泣き叫んでいて、ピーちゃんはゆっくりと目を閉じていきました。 目を閉じて亡くなるのは最期、安心していたからと聞いた事があります。それは本当なのでしょうか。 ピーちゃんは天国に行けているのでしょうか。安らかに眠っているのでしょうか。わたしを見守ってくれているでしょうか。辛いです。
先日質問をさせて頂きました。 今回はお盆にあった事と、つい最近あった事についての質問です。 私は曹洞宗です。今年亡くなった祖母は禅宗から浄土真宗になりました。(祖父が浄土真宗だったからです) 祖母の新盆があり、お寺にお参りしてきました。 納骨堂には祖母の遺影を置いてきました。 広場でお経をあげられた後、お坊さんから精霊馬を置いている人は居ないかと聞かれ、皆さん手をあげず、私は自宅では飾って居ますが、手をあげませんでした。 その際、皆さんよく勉強されている、浄土真宗では飾らない、また、故人はお盆には帰ってこない、何故ならもう成仏しているから。と喜々として語られていました。 ちょっとショックでした。 確かに浄土真宗教義ではそうなのですが 言い方を変えると二度亡くなった感じに感じました。 曹洞宗の私は成仏した成仏してないに関わらず、お盆とはそう言う物だと思って居たからです。本来の教義からすると離れるのかもしれませんが、こちらから成仏した成仏してないの確認は出来ませんので、一律に帰ってくるものだと思うようにしていました。 正直今後宗派が違う祖母のお寺のお盆参りには行かない方が良いのかとすら悩みました。 先日祖母の月命日があり、お寺にてお経をあげてもらったそうです。こちらからお願いして頂いたそうです。祖母の納骨堂の前でお経を貰ったそうです。 既に成仏していると言う考えなのであれば、納骨堂の前でするのではなく、本堂の阿弥陀如来の仏像の前でするのではないのか?と思いました。 浄土真宗では納骨堂に意味があるのでしょうか?そこに居ないで阿弥陀如来に手を合わせるのであれば意味が無いのかと思ってしまいます。 そしてそのお寺では死後の菩提寺が無い人に対して浄土真宗になればうちのお寺で対応すると言うような手法を使われているそうなのですが、こういう事は良くあることなのでしょうか? あまり祖父母が浄土真宗としてのお参りなどをこれまでしてきていなかった事と、子供の頃から曹洞宗のお盆で慣れて居た事もあり、面食らって居ます。
先日義弟が、自ら命を断ちました。 妹とは結婚してまだ2年も経っておらず、余りにも早すぎる別れに生きる力を失っております。 鬱病、家族が見るところの解離性障害も患っていたように思え、よく「死にたくなる時は自分が解らなくなる、自分ではなくなる」とも話しており、自傷行為や自殺未遂をする時にはまるで別人の目つきや行動になっていたようです。 そんな義弟がとうとう逝ってしまい、先日葬儀告別式とも滞りなく終えましたが、その後の妹が心配でなりません。2人はとても仲がよく、この短い期間にあまりにも多くの思い出があり、写真も数え切れない程で、時折涙を流しながらスマホの中の思い出を辿っています。 義弟の成仏を祈るとともに、妹の傍にずっといて守ってほしいという思いもあり、また死後どうなるのか曖昧であることから、亡くなったあとの義弟がどうなるのか、置いていかれてしまった妹をどう慰めたら良いのか等、姉である私にはわからず、悩んでおります。 声をかけるにもなんと言えばいいのか。無責任なことも言えない。前向きに、は当然まだまだ無理なのもわかっています。私達家族もとてもショックですし、とても可愛がっていただけに、深い悲しみの淵にいます。 幼少期よりあまり恵まれない環境で育ち、家族・家庭の愛情をよく知らないまま育った義弟。私達の家にきて、それを体いっぱいに浴びて、旅立っていったのだと思うようにしています。 ですが、妹の辛さ、自分を責める気持ちはどうにも慰めようがなく、ご飯もろくに食べられずにいる妹のためにしてあげられることを常に考えております。 何でも良いです。アドバイスを頂けないでしょうか。
昨年秋にも一度ご相談した者です。いただいた「日に一度、決まった時間に返信せよ」というアドバイスを極力実践しながらその後過ごして参りました。また、心療内科の先生にも相談し、相手は変わらないのであって「自分が何とかしようと思わないこと」「相手を絶対に否定しないこと」「そういう人(姉)はいろいろ怖いので受診しない傾向」と指南いただきました。本日は2度目の相談です。 初めにわが家の背景はこうです。昨夏父が亡くなり、秋に姉が40年過ごした東京を引き払い帰郷し、実家で母の面倒を見ながら、契約社員としてオンラインで仕事を継続できることになりました。あと4年のつもりと思います。92の母はトイレ自立、ひとりで外出や調理などは無理、父の死後軽い脳梗塞で入院し、認定は以前の要支援1のままです。姉は子なし独身。運転免許はなく、未だに過多に消毒し続け、外出はほぼ週一二度の近くのコンビニのみ。年末「コンビニから帰ってやっとシャワー浴びなくてすむようになった」と聞きました。皮膚に湿疹が広がっていて皮膚科受診をすすめても、コロナを理由に「絶対行かない」と聞きません。父の相続手続きはそれはたいへんでした。 さて、まずメールについてです。あれから自分なりの対応として、負担になるメールは写メっておき、別のフォルダにわけ、心も軽くなるよう努めてはいます。それで気づいたのですが、1つのネタに対して、姉は平均10スクロール以上のメールを私に向けて送(りつけてく)るというファクトです。こちらが仕事中でも時に真夜中でも。「ちゃんと読め」という文言が追加されることもよくあります。昨日はのべ20スクロールのメールを受信し、さすがに熱が出ました。 もう一点、私が疑っているの姉のは強迫症またはそれに近い状態についてです。振り返っても総じて「怖がり」な姉の価値基準に基づく、母介護のグチやその他過報告しながらも、介護サービスと人の出入りに対しては拒否感を譲らない頑なな態度。。この半年、「こだわり」についての本を読み漁り、妙な対応で事態を悪化させないよう過ごしてきたつもりです。 いったい今後どう対応したらいいのか、夕べのような日は特に虚無感しかありません。助けて下さい!
数日前のことです。 7歳と5歳の愛犬がいます。 吼え癖のため留守中は換気付の防音ケージに入れていました。 その日は夜に彼と食事に行く約束で、私用を済ませて合流。 彼にもの愛犬がおり、仲が良くうちのケージに入れることもしばしば。 いつもなら一緒に家に上がりますが、面倒だったためわたしは車で待っていました。 レストランについてしばらく経った時、ふと換気扇のコンセントを抜いていたことを思い出しました。 しかし、彼の子を入れに行った時は元気だったと。 なら大丈夫か…と、なんだか嫌な予感がしつつも食事を続けました。 いつもは時間をかけないのですが、料理がコースだったこともあり3時間もかかり、22時半頃帰宅しました。 ケージを開けようと近づくと、ぐったりと目を開けて倒れてる3匹が見えました。 開けた途端ムワッと広がる熱気、3匹の呼吸で体もケージ内もびっしょり。 すぐに出しましたが、すでに体は硬くなっていました。 急いで体を冷やし救急に連れて行きましたが、手遅れでした。 お医者様によると、死後1時間は経っているだろうと…。 5歳の子は、上の子に耳を噛まれ血まみれでした。その噛み傷は耳を貫通していました。 一番体が小さく、一番苦しんだ形跡がありました。 彼の子はまだ9ヶ月でした。 おそらく3・4時間、どれほど苦しかったか…どれほど生きようと抵抗したか… 日頃、世界一愛してるよ、世界で一番大切だよ、私の宝物。 毎日呼びかけていました。私の宝物でした。私の生きる意味でした。 なのに、自分の手でそれを終わらせてしまった…。 彼の子はまだ迎えて半年です。お互い悪かったよねと、2人の過ちだと認め合いました。 お寺でお葬式をあげ、お経を唱えていただき、火葬しました。お骨になってもかわいくて、始終涙が溢れて声を上げて泣きました。 もういないんだと現実を受け入れつつも、まだあの子達のいない明日が想像できません。 心から愛していたのに、それを自分で殺めてしまった、その事実が苦しいです。 たった5歳と7歳、そして9ヶ月。 過ごした日々は幸せそのものでした。 あの子達は恨んでいないと思います。私のことが大好きでした。 後悔はとめどなく、申し訳なく、ありがとうを伝えたいのにごめんねばかりでてきます。 どのように心を向かせたら良いか、どのように考えれば良いか、アドバイスをいただけると幸いです。
現在26歳女性です。4年前、50代の母が10万人に1人の珍しいガンと判明し、薬で抑えていましたが数ヶ月前に悪化しました。 今は食欲も体力もあり普通に生活できていますが、病院からは厳しいことを言われています。 兄弟はなく、父は歳が離れていて70代です。過去に脳梗塞の経験があり、持病も抱えています。 私は近くで一人暮らしをしていましたが、今実家に戻っています。 私は、母がいなくなったら後を追いたいです。 母は、幼い頃から内向的で感情的だった私にずっと寄り添って守ってくれました。 友達や恋人、もし将来旦那さんが出来たとしても、母より私のことを考えてくれて無償の愛を与えてくれる存在はありえません。 嬉しいことがあると母に報告して、母が喜んでくれて、初めて私の幸せです。 この先私に幸せな出来事があったとして、そこに母がいなければもう私の幸せではありません。 それに、父と2人での生活も気が重いです。父娘の愛情はありますが性格が合わず、母がいてくれてやっと一緒に生活できていました。 高齢で一人暮らしの経験が無い父は離れて暮らすことを許さないと思います。でも、父を連れて結婚はできないだろうし、父が亡くなった時にはもう私も30、40代かもしれません。 もしその後結婚しても、帰る実家や家族がない私は雑な扱いを受けるだろうし、子どもを連れて離婚した時は誰にも頼れずどうしようもできません。よって結婚も考えられません。 この先私に待っているのは、最愛の母との別れ、父との暗い生活、天涯孤独の余生です。 それなら母を見送った後、遅くても父を見送った後にすぐ死にたいです。 母はそんなこと悲しむだけと言われると思いますが、死後に見守ってくれるなんてこと私は無いと思っています。 10年前に祖父が亡くなった時、姉弟で母だけ献身的に看病し看取りました。昔からトラブルメーカーで母を悩ませ、祖父の葬式にも来なかった伯母は、現在病が良くなり3度目の再婚もするそうです。 もし祖父が見守ってくれているなら、伯母よりも母を幸せにしてくれるはずです。 母も私も宗教系の学校出身ですが、今は神様や仏様なんていないんだと感じます。 すみません。長くなってしまい質問もよくわからなくなりました。どこかに書きたかっただけかもしれません。母が元気なうちにしてあげられることのアドバイスがあればお聞きしたいです。
はじめまして。 先日祖母が亡くなりまして気持ちが落ち込んでいます。 祖母は体調を崩し入院。退院後は介護施設へ入所後元気でいたと聞いていたところ急変し亡くなりました。 このご時世なので面会はできず、まったく顔を見れず話すこともできずでした。 とても気が強く、嫁姑問題もある家庭で祖母はすぐ母の悪口を言ったり人のことを良くは言わない人でした。 それが嫌で私は祖母に反抗的な態度をとったことも何度もあります。 私自身は結婚し、もうすぐ2歳の子がおります。ひ孫の顔を見ると私の見た事のない祖母の表情を見ました。 仕事や育児に追われ、たまにしか実家に帰ることが出来ず、最後の交わした言葉はトイレに入っていた祖母に(トイレでのズボンの上げ下げもとても時間がかかっていました)大丈夫?と声を掛け、「大丈夫だよ」の祖母の返答に、子供も連れていたので急いでいてまた来るね、じゃあねが最後でした。 祖母が息を引き取る時、父と母は施設に駆けつけていました。 私も仕事が終わり急いで駆けつけようとしたのですが、子供の迎えに行ってる間に亡くなってしまいました。 あの祖母が亡くなったと信じられず… 何度も何度も祖母の眠っている写真を見ながら涙が出てきます。 祖母は「おばあちゃんが死んだらみんな喜ぶだろう」とよく言っていました。 全然誰も喜んでないし、どうして死んじゃったのという気持ちでいっぱいです。 先立たれた祖父や叔母に祖母は会えているのだろうか。 天国へ行けるのだろうか。 死後の世界はどんなところなのか。 私もおばあちゃんのところに行きたい。 色んなことを考えてしまいます。 まとまりのない文章で申し訳ありません。
小学生の時から死ぬことが一番やりたいこと、という状態です。ずっとそうなのだと何度説明し続けても家族に反対されたので仕方なく今日まで生きてきました。 その間に恋人を作ったり進学したりといろいろ人生のイベントを体験してきました。 ・一緒にいたくて頑張った人生初(そして恋ができなくなったのでおそらく人生最後)の相手がDVストーカーだった ・やりたくて始めた趣味は疾患で辞めざるをえなくなった ・理系希望なのに文系にしか進学できない素質だった ・職場でパワハラを受け、なにも感じなくなったので「おっこれは働きやすくていいぞ!」と好都合だったのに身体が悲鳴をあげてしまった ・復職はよくないということで間が悪いことにコロナ禍で転職活動をすることになった 等々、人生のイベントをそれなりにこなしてきたつもりです。 何故かやりたいことはやれないようになっていると気づいたので、できることをやるようにしています。ですが、それすらもすべておじゃんになっている状態です。できた!と思っても潰れたり、壊されたりしています。娯楽すら楽しむと何かの要因でできなくなります。 誰に話しても、「ずっと不運」「いつだって苦しすぎる」と言われます。私が死ぬことを反対した家族にすら言われます。 そしてみんな、「これからどうしたい?」と聞くのですが、「私は死にたいです」と言うとそれは駄目だと止めます(特に家族は死後必ず迷惑をかけるので、彼らには私の死を納得してもらいたいのですが…)。 私は負の意味で死にたいと考えているのではないのです。今までの人生、結果はどうであれちゃんと自分なりに努力をしてきましたし、その努力は周囲も認めてくれています。努力した分だけ自分が成長したことも分かります。 正直、私がいたことで良かったことはなにもなかったけれども、やって来たことに対して私は満足してしまったのだと思います。30~70代をすっ飛ばして今すぐ老衰で亡くなってもいいです。いい人生でした。 そこまで前向きに死を切望しているのに、どうして自分で死ぬ時期を決めさせてもらえないのでしょうか。私は今、自分の生に満足しているのでもう死にたいです。死んでいいはずです。死なせてほしいです。
お世話になります。表題の件です。 私の実家は真言宗豊山派、夫の実家浄土真宗です。 プロフィールで私の家族構成は説明させていただいているのですが、この度実父が介護施設に入居しました。実母の位牌は実家にあり、実母と反りが合わなかった祖母(位牌)、叔父のもとに置いてきてしまった、、といつも心の隅がザワザワしています。 父と相談し、いずれは介護施設か私の自宅に小さな仏壇を用意し、まずは母の位牌を、叔父の死後は祖父母と父の姉(夭逝)の位牌を「先祖代々」のようにまとめてその仏壇に…と思っています。ちなみに実家は仏壇ではなく、父が家具として作り付けの棚を設置し、内側を金色にし、大日如来の絵を飾り、仏具を揃えたものでした。 ただ、夫側は…いずれ両親が亡くなったときの位牌はどうするのか?私は何となく近所に住む義弟の家に仏壇を置くのかと思っていたのですが、「俺が長男なんだし、うちで仏壇を買ったら、そこにうちの親の位牌も一緒に置けばいいんじゃない?」と。介護施設にまずは設置するかもしれない、と考えて、父の預金から購入する予定でした。そこに義両親の位牌って…となんだか複雑です。でしたら、「夫と私」という新しい家族として仏壇を購入し、みんなまとめて祀る…? 「嫁に入った立場」だから、夫側を優先すべきなのでしょうか? ちなみに夫の実家には仏壇はありません。先祖の位牌もありません。 私は一人っ子で物理的にも私以外が引き継ぐことは不可能なのですが、夫は弟がいるので、そちらに祀るという考えも有ると思うのですが、今まで実感すらわかなかった「長男」がのしかかってきました。 長文で申し訳ありません。アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願い致します。
私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。