hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 1264件
2021/08/20

息子が「死」を恐れる

ご無沙汰しております。よろしくお願いします。今中学生の息子が数日前から「死ぬの怖い?1億年後も俺の気持ちってあるの?嫌だな。何か胸がザワザワする。」と言って何も手につかなくなり終いには泣いてしまいます。どうやら話しを聞くと1億年後も自分の気持ちがこの世にあるのが嫌だ。死ぬと何処に行って気持ちはどうなるのか?と思うみたいです。今日は、吐き気までしていました。テレビでコロナに感染した人や死亡してる人の報道を見て怖くなったと話してくれました。誤魔化してはいけないと思い「まず、死ぬのが怖くない人はいないんだよ。皆死ぬのが怖いんだよ。そして、コロナという病気だけが死ぬ病気でもないんだよ。あなたが死んだらあなたはいなくなる。けど、あなたを忘れずにいる人の心の中にはあなたは生き続けるんだよ。」と話しました。 でも、また明日になると始まると思います。何度も何度も「死」について話すべきなんでしょうか?それとも、もう話さない方がいいんでしょうか?私の説明は間違っているでしょうか?教えていただけると助かります。「死」の事、死んだ時、死んだ後の自分の気持ちはどうなるのか、お願いいたします。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2
2022/05/19

死と生きること

小学生2年生の娘が 死ぬことに対して恐怖を抱いているようです。また、生きてるのかということについても考えて、不安になっている様子です。 思い返すとここ数年で ペット(熱帯魚)が死んでしまったり、娘にとっての曽祖母が亡くなったり、死について考える事は何回かあったのですが、曽祖母は娘自身は会ったこともほとんどない近しい関係ではなかったので、それほどショックを受けるような感じではなかったです。 それでも、人が亡くなったらお葬式をして、お骨になるという事は少しショッキングだったのかもしれません。 私はいつ死ぬの? 死んだらどうなるの? 私は本当に生きてるの? 「まだ死なないから大丈夫だよ。 あなたが死ぬのは、ひいおばあちゃんぐらいの年齢になってからだと思うよ。」 「たくさんいい事をすると天国に行けるみたいだよ。」 などとも話してみたりもしましたが、なかなか不安は解消されないみたいです。 明日死んじゃうかもしれないと泣き始めることもあります。 生きてることについては うまく説明もできず 「自分が生きてるのかを今考えられてるってことはあなたが生きてるってことなんだよ。」と 「我思う故に我あり」のような事を伝えてみたりしても、小学生には、まだ上手く伝わりません。 死への恐怖 死後の話 生きてること どのように話してあげればいいでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 4

怖い

御助言ありがとうございます。御礼をしたいのですが、私の操作が悪いようでコーナーが出てこないので、ここで御礼をさせて下さい。 主人が夜一時帰国するのですが、嬉しくもあり、また怖くもあるのです。お坊様方は私のだらしなさを御存知ありません。主人の話を聞いたら私に助言よりは注意か忠告をなさると思います。でもこのだらしない私が真実の私です。もう変えようもなく、主人の怒りに反抗は出来ない自分がいます。あ〜いけません!考え過ぎ病が頭をもたげています。やれる事はやり、それで主人の怒りが治らなかったから•••。 キリスト教では自殺は罪です。仏教ではどうなのですか?ある集まりでキリスト教の神父様と修道女の方、信者さんと自殺について話した事がありましたが、とうとう平行線でした。神から与えられた命を自ら断つのは罪の一点張りで、私は確かに神様が作った命かもしれないけれど、自殺を考えてしまう位辛い状況に追い込まれるのは罪なんですか?むしろ救うべきでは?と1対数人の話し合いになってしまった事があります。仏教ではどうですか? 何故こんな愚妻の私は生きているのでしょうね?やはり主人とワンコ達に申し訳ないです。だらしのない弱い自分が情けないです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1
2022/04/12

後悔と、切なさと虚しさ。

母が急死して、もう1ヶ月経ち、ここにたどり着きました。 三日、四日の出来ごとです。 朝、実家にバイクを置き、顔を会わせた時は、普通でした。 夜に会社から実家にバイクを取りに行った時、顔を会わせた時は、正直、死相が出てる顔でした。 親に対して、死相が出てるとは言えず、急に5、6年歳とったねと、とっさに言ってしまいました。 次の日は、用事があり休みでしたので、普段電話しませんが、胸騒ぎで朝から電話したら普通でした。 夕方にも、気になって電話したら会話が途中で聞こえなくなり、急いで行ったら倒れてました。 救急車を呼び、緊急手術となりましたが、深夜に手術の麻酔の前に、短いながらも、お母さん本当にヤバイよ。 生きるか死ぬかの瀬戸際だよと言いました。 母は、ニッコリ笑いながら、うん判ったよと言い、それが最後の会話になりました。 手術は終わったのですが、夜中に一旦帰り、提出する書類とかを用意したりなどで、あわただしかったです。 次の日、集中治療室に行きたくなかったんですが、集中治療室のチャイムを鳴らした時に、今亡くなりましたと言われました。 父親が亡くなってから、いつしかこうなる時は判ってたんですが、父親が亡くなってから永く、いつしか邪険に扱ってました。 亡くなってから、後悔とか、切なさ虚しさなど、込み上げてきてる毎日です。 無理にでも、直感に頼って病院に連れてけば良かったかなと。 たら、れば言っても遅いですが… 唯一、親孝行出来たと言えば、結婚して孫も見させられて、孫の面倒を見させたと言うか短いながらも触れ合えたくらいです。 せめて1ヶ月、永く生きてたらランドセル姿を見れたのにと残念でなりません。 葬儀後の二日目に、静かに食事中に、真横で実家で自分かあげた杖に付けてる鈴の音がしました。 鈴なんてありませんし、杖もありません。 ちなみに、嫁も聞こえてました。 49日まで母の遺骨がある部屋の出来ごとなので、ありがとうねって意味だったのかなと、勝手に思ってます。 自分の誕生日前で、未だにマザコンって、重い知らされた様な出来ごとでした。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

私には何もない

両親や親族は私を虐待してきました。虐待だと知ったのもカウンセラーに言われて知りました。 父に何度「金食い虫死ね」と言われたか。幼稚園や小学校では「優等生という差別」をされてきた気分になる位、幼稚園の先生からも「先生」と呼ばれたこともあり、小学校でもかなり別格扱いされました。 中学受験で最難関中学に入れば親からの要求はエスカレートしました。医者になりたいと思ったから、家庭内の苦しさも何もかも我慢して中学受験を頑張り笑い方もわからない位疲れている私に「医学部に行くなら何が何でも都内の国立に現役で」と言われました。 幼稚園の頃から父や祖母のモラハラ受けて泣く母のカウンセラーを1日何時間と毎日してきました。「医者になりたい」と私が言ったことには異常なまでに喜んだが女性蔑視の父が小4のある日母に対して「生理だからってイライラするな穢らわしい」と言ったことのショックが今も鮮明です。中学時代は家庭内不和なのに不妊治療に失敗した母が寝込みその結果私が教師や生徒からいじめられているのに気がつかず体が動けなくなった時どれだれ両親においつめられたか。高校も退学、レイプされた時も親からのセカンドレイプの言葉で私は自殺図りました。転院したいと言った時私を誤診した医者からの暴言も黙って耐えたのを知らない父からどれだけ「あんなにあやちゃん思いの先生裏切るなんて最低」と言われたのも辛かった 私には愛してくれる親も親戚もいません。友人も恋人もいない皆が手にする学歴もありません。 疲れました。「私と同じ思いを一人でも多くの人にさせたくない」と思い頑張って医者になろうと思っていましたがその力もないです。「命磨り減らして」頑張ってきました。賢く周りに溶け込めたことで誤診され、大量投薬で体は今もボロボロです。記憶力も分析力も周りからドン引きされます。周りの些細な発言をも記憶しているので気持ち悪がられないように必死です。私から見たら不信感で一杯でも周りを思うとそんなことも言えません。こんなに頑張ってきても報われない私は外歩いても羽織袴の人見て泣きそうだし元気そうな高校生大学生みても惨めで死にたくなります。男の人も怖すぎます。カウンセラーや予備校の人で安心できる人はいてもやっぱり彼女達含め人を信頼できません。私を作りながらも「死ね」と言った親が私を殺してくれれば良いのに。私は奴隷です。死にたい

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2022/01/16

いつか必ず死ぬ恐怖を克服する話

小さい頃から、夜寝ている時にふと、自分という存在はいつか必ず死ぬんだと考え、それを想像したときに恐ろしくなって...というのを20年以上続けてきました その恐怖を克服するために自分なりに考え出した答えがあります 人間というのは、科学的に言えば素粒子の塊である、死ぬということは今まで塊になっていた粒たちがバラバラに解散することである、粒そのものが消失するわけではない、あくまで失うのは「人間」という形だけである 他の粒たちの助けを借りて実現できていた、見る力、聞く力、考える力、記憶などは全て失われる でも、この身体(脳)の中心にいる「自分」という個性を持った粒は失われない 火葬され、煙突から吹き上がり、風に乗り、また別の何かになる 何にしても、死ぬということは、人間という形を手放し、先に逝ってこの世界を舞っている皆のもとに合流することである... こういう風に考えると、死ぬということが絶対の孤独をもたらすものではなく、むしろ生き抜いて老いた後の孤独を解消するものであるとさえ思えてきました 自分なりに納得できる答えで気に入っているのですが、こんな話をする機会がありません(家族や友達といきなりこんな話をする気にはならない) お坊さんの方々はいつか必ず死ぬことについてどのように考えているのでしょうか 仏教の教義には色々な考え方があると思うのですが、それを絶対の教えとされているのでしょうか

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ