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hasunoha 問答検索結果 : 「私 執着 できない」
検索結果: 2781件
2022/03/11

亡くなった母に会いたい

先日もこちらでご相談させて頂いた者です。 最愛の母が亡くなってからもうすぐ3週間になります。葬儀のとき目の前で眠っている母を見て「あぁ本当に死んでしまったのか‥」と現実を突きつけられものの、やっぱりまだ実感がないというか、受け入れ切れてはいません。 でも亡くなる前や亡くなった直後は毎日のようにところ構わず泣いてしまっていたのですが、葬儀を済ませて忌引休暇を取って何とか無理矢理にでもと仕事に復帰したくらいから妙に落ち着いたような、麻痺しているような感覚があります。つらい悲しい苦しいと思う気持ちは引き続きあるものの、母がいてくれたらもっとこうだったのに‥などと思わないように割り切っていかなければという気持ちも出てきました。 母がいたときの幸せな日々を遠く感じるというか‥実際よりも長い時間が経ったような不思議な気分です。とても寂しいです。もしかしたら防衛本能でそう思っているのかもしれません。現実を直視したらつらすぎるので。 どこかで自分の親はきっとずっともっと長く生きるだろうという思い込みがありました。まだ60代後半でしたので。 母が亡くなった後はまるで自分の一部を失ったかのような喪失感があり、心が常に重たい気がします。前述したような、落ち着く時間が増えたものの、急に不安定になり子供たちの前でも突然涙を見せてしまいます。毎日お線香をあげて母に話しかけています。こんなに寂しがっていては母は成仏できないのでしょうか。 49日の法要を来月控えていますが、分骨して部屋にずっと置きたいと思っています。夫もそれでいいと言ってくれました。 母のことが大好きで、いないことが実感できず、気持ちがグルグルとしています。 絶望感、割り切り、逃避、など感情の起伏が激しくてコントロールができません。 人は死んだら先祖に会える、というのを心から信じていたい反面、死んだら無になるのでは‥と、ものすごく寂しい気持ちにもなります。 どうしても母に会いたいです。母は今も近くで見ていてくれているのでしょうか。あの世で先に逝ったご先祖様たちと会えたのでしょうか。 突然の死でしたので、話がしたいと強く願ってしまいます。またすぐに会えるような気さえしてしまいます。

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納骨への迷い

納骨についてご相談させていただきます。 昨年の夏に配偶者を亡くし、現在遺骨を自宅の仏壇に安置しております。 昨年の葬儀の際、突然であったこと、郊外の自宅近くで葬儀を行ったこと、コロナ禍でもあったことから、家族葬で簡素に行いました。その際に、少し様子を見たいので、納骨は一周忌の時にとしました。その後、四十九日、百箇日は、お経を読むことができる親族に来てもらい、これまた簡素に自宅でお経をあげていただきました。 一周忌まで一か月となったのですが、墓のある霊園の法要室はコロナのため使用不可、おそらく導師の方も来ることはできそうにありません。一周忌、納骨法要はきちんと行いたいと思っていましたが、難しい状況です。霊園の方では、法要を行わず納骨だけはできるようです。 納骨に関して調べてみると、時期等には特に決まりはなく、遺骨にもあまり執着しないようにした方がよいという記載が多かったように思います。 きちんとした法要等を行って納骨したいという気持ちと、いたずらに納骨を遅くすることへの抵抗の間で悩んでいます。 納骨を行いたい気持ちとして、今は在宅勤務ですが、コロナ禍の状況が変われば、元々出張族であるため自宅を離れることも多くなりますし、故人との思い出の地を訪ねたりといったことも行っていきたいと思っています。 納骨を遅らせる気持ちとして、簡素な葬儀であったため、納骨法要はきちんと 行いたいこと。このような状況が、「納骨はまだ待って」と故人に言われている ような気持ちにもなることがあります。 僧侶の皆様のお考えを教えていただければと思います。 ------------------------------ 以前に「義父、義母の菩提寺へのご供養依頼」という質問を行い、和田隆恩さま、日延さまにご回答いただきました。義父母の菩提寺と連絡を取り、追善のご供養が無事できました。田舎に伺うことができなかったのですが、ご住職さまが 読経、塔婆を立て、その画像をメールでお送りいただきました。また、墓地のお世話をしてくださっている本家の方にもお話をしていただいたようです。 こちらでの回答をいただき、追善供養を行ってよかったと思っています。 ありがとうございました。

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主人と別れるべきか、悩んでいます

私の主人は現在43歳、我が強い自信家です。確かに結果を残して生きてきているとは思いますが、歳を重ねるに連れて我の強さがどんどん増しています。 今回の相談は、そんな主人と昨日話し合ったのですが、結果を出せず、私も悩んでいるため、その内容についてです。 主人は食に対して、人並み以上の強い執着心があり、毎日3食、どんな美味しいものを食べるのかをずっと考えています。私は全般的にあまり執着しない性格で、食事もお腹が空いて、その時に美味しいものを食べれたら良いな、ぐらいです。 この前の日曜の夕食(主人は仕事が休み)の前、16時ごろに夕食を何時に食べるか聞かれました。お腹が空いたのだと思い、はっきりとは答えなかったものの、17時半にはご飯を食べ始めました。(普段から、一緒の夕食は17時〜18時ぐらいです。)主人は少しイライラしているかな?とは思ったものの、いつもの大きく変わった様子はありませんでした。 次の日の朝、起きて開口一番に、「夕飯が思った通りの時間に食べられなかったから、とてもイライラしてストレスで眠れなかった。」と言われました。その言葉を聞いた時に、ショックが強く、何か今まで我慢していた糸が私の中で切れ、ストレスで、私はご飯が食べられなくなりました。 3日間絶食となりながら考えたのですが、やはり気持ちの整理がつかず、思い切って昨夜私の思いを伝えました。 ・私のせいでストレスが強くかかって寝れなかったと言われたことが本当にショックだったこと ・これから、ご飯の度に、主人に気を使い顔色を伺っていかなければいけないとすると、これから何十年も一緒に暮らしていくことは難しいと思うということ ・あなたのストレスより、あなたが私を思う気持ちが大きいなら、できればこれからも仲良く暮らしていきたい 上記のことを中心に話をしました。丁寧に話したつもりでしたが、主人からの回答は、「俺はご飯が一番大事、そこは譲れない。」でした。「自分でも歳をとるにつれて、譲れないものが多くなってきたことはわかっているが、人格が固まってきたのだからどうしようもない」とも言われました。 主人はまだ43歳、私は37歳です。これから何十年も寄り添って生きていけるのでしょうか。話し合いは一旦中断し、後日への持ち越しとなりました。 あなたが大切とは一度も言われず、ご飯が一番大事のみ。これからどうしたら良いでしょうか。

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妻の暴力 モラハラ

妻(フィリピン国籍)の言葉の暴力、モラハラが かなりの期間ありました。元々 わがままな所がありましたが、限度がありました しかし 限度を越えて、私と子供二人を攻撃 特に長女への攻撃は苛烈を極めました、長女を守る事は不可能レベル 私は本当に忍耐して 暴力を振るわず 諭す事に何度も成功しました。何百回もの言葉の暴力を受けた後にやっと一回成功でした。しかし妻はその後すぐに顔色が変化して【妻は諭された事は認めません、私は妻を打ち負かした訳ではないのに】攻撃にかかります。何百回暴力が繰り返されたかわかりません このようになったのは、私が職場でパワハラを受けて心身症 うつ病になり 又 妻の親族の不幸 更年期の影響もあったと思います。最近はビタミン剤の服用を行い回復してるような感じですが 今まで余りにも妻は暴れすぎました、事情があったにせよ 又 妻は金銭苦労があり【フィリピンの家族事情】金銭への執着心が凄まじく その事での暴力でもありました【私は小遣いなし、職場へのガソリン代は妻の財布から小銭をこっそりとっていました】その為 私は職場のパワハラ 妻のモラハラ【最近あれがモラハラだと やっとわかりました】により体をまとまに動かす事もできなくなりました【妻はまるで子供を人質にしているような状態 私も人間なので 妻に暴力を振るう可能性あり、又 親の喧嘩を子供に見せたくなく逃げていただけです】そのころは定年退職前で就職活動中だったのに、結局定年退職後の半年後にやっと就職しました【退職前は就職活動できる状態にはありませんでした】仕事はパワハラがあっても、世の中はそんなものだといってしまえば それで終わりですが 家庭はそんなものだと言ってしまえば終わりです。家族を解散でしょうか。 妻にも苦しいところはあったのは事実です。フィリピン家族事情もあり金銭苦労もあり、しかしもう私は妻に疲れてしまっていて 家族への暴力かやっと本格的に収まってきたのは つい最近 しかし突然 癇癪だろうと思いますが起こします。おそらく金銭に関してだろうと思います【裕福ではないですが、やっていけます、病的に金銭に執着心があり、お金の苦労がありすぎたのだと思います】 又 私も妻にあんまりやられ過ぎてしまいました 妻への信頼感はありません、ただ人に苦しい事を聞いてもらいたいだけですが 何か言葉をいただけたら幸いです。

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プライドの煩悩と能力を反比例させるには。

1、これまで出会ったデキル人達は、在家も出家も 男性も女性も 総じてプライドの煩悩も強かった気がします。他を見下している人も多かったです。攻撃的な性格の人も多かったです。 有能、優秀で、実績もあり、容姿も優れ、尚且つプライドの煩悩もない、もしくは平均よりだいぶ少ない人物を ご存知のかたいましたら、ぜひ教えてほしいです。こっそり尊敬してお手本にします。 2、読み物を読む限りは、お釈迦様はプライドが高いように感じられるのですが、皆さんはいかがお感じですか? 実際にはお釈迦様は無上の悟りを得ておられるということは、プライドの煩悩も皆無ですよね? プライドが高いかのように描かれているのは書き手の技量不足によるものですか?  3、プライドの煩悩を弱め、最終的には消すための具体的方法をご存知のかた居ましたら、教えてほしいです。 また、実際にプライドを弱めることに成功した体験者のかたいましたら、ぜひ体験談や修行方法を教わりたいです。私も修行に励みたいです。毎日の八正道の実践は正直難しいなぁと感じていますが、難しいなりに心がけてはいます。私は怠け者なので、正精進するだけでも、プラスの効果を感じております。アドバイスくださったお坊さん、有り難うございました。

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どう生きていくのか漠然と不安

結婚間近だった彼との別れをきっかけに、これから私はどうなっていくのかと漠然とした不安に駆られて毎日が辛いです。 彼との別れ際、私は真っ直ぐに彼を大事にしてきたつもりなのに彼の私への気持ちはこの程度だったのかと思い知らされるような言動もあり、すごく辛かったです。 それに33歳にしてやっと結婚の話が出て、私の両親もすごく喜んでいたので、がっかりさせてしまったことを思うと余計に胸が締め付けられる思いです。 こんな歳にもなって両親にそんな気持ちを味わわせるなんて、すごく情けなくて。 11月に彼の地元に引っ越す予定になっていた為、それに向けて駐車場の契約を10月末で解約していたりと色々事情があり、やはり実家からは出ないといけないので来月からは初めての1人暮らしになります。 周りの友人達は結婚して家族が増える中、私は今から1人になる。 そんな孤独感でいっぱいです。 私は一生このまま1人なのかなと。 そんな後ろ向きな気持ちから彼と破局したことをまだ誰にも言い出せずにいます。 あの時彼と別れていなければ…など今更どうしようもない事を考えてしまいます。 元彼への執着を手放せずに辛いです。 自分自身、色んな感情が入り混じっていて文章のまとまりがなくなってしまい申し訳ございません。 きっと元彼への執着を手放せない自分への焦り、これからの1人暮らしへの不安、周りの友人達とつい比べてしまう自分、両親を早く安心させてあげたいのにその兆しすらない現状への焦り、などが今の私の不安の正体かなぁと思っています。 本来、何事も立ち直りの早い私ですが、今回こんなにも長引くネガティヴ思考で参っています。 一体、どうすればこの状況から抜け出せるのでしょうか。

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元交際相手への罪悪感と恐怖感で生きるのが辛い

私は結婚前夫以外の男性とも交際していました。 なぜその様なことをしていたかというと、交際当初は不倫関係で(後に奥さんとは離婚されました。)、モラハラ気質な性格や束縛されるのが嫌で別れを切り出すものの、離婚したのは私のせいだからそれは絶対に許さないと脅され続けてきたからです。(実際のところ本当にそうなのかは分かりません。性格の不一致や一方的に離婚を切り出されたと言うときもあったので。) すぐ警察に相談すれば良かったものの、不倫してた事が恥ずかしく相談出来ないまま関係を続けてきました。 いつか私に対する気持ちが冷めるのを待っていましたが、そんな日は来ませんでした。 ずるずる関係を続けるなかで今の夫と出会い交際するにいたってしまいました。 普通ならこの時点で何としてでもその男と別れるべきなのにもう私の頭は正常な判断が出来ないくらい男が怖くて仕方がありませんでした。 結局、今の夫からプロポーズされ結婚。 それでも男との関係は切れずにいましたが(夫と結婚後男との肉体関係は持っていません)妊娠発覚した時にようやく別れを告げどんなに脅されてもつっぱねることが出来ました。 手切れ金を要求され、結婚妊娠の事実を探られないためにそれも応じました。 別れられてほっとしたのも束の間。 SNSを通じて出産した事が相手に知られてしまったのです。 相手は3ヶ月既婚だったことは知りませんが、夫とは二股の末デキ婚したと思っています。 口止め料を払わないと家庭を壊すと脅されました。 この時ようやく警察に相談しストーカーとして警告してもらい脅しはおさまりました。 今後一切関わらないということを男は誓約しましたが、夫の事を調べて接触される不安も消えません。 それと同時に男への罪悪感もあります。脅されて付き合っていたのに罪悪感というのはおかしな話ですがそういう感情もあるのです。 男へ知られていなければ不安も罪悪感もなかったばかな自分ですが、今本当に苦しいです。 知られていない頃の精神状態には戻れないことは分かりますが戻りたいと思ってしまうし、不安と罪悪感でいっぱいになって子育てもままならず実家から自宅へ戻れない状態です。既に半年も経っています。 何も知らない夫に申し訳無いし、悪いのは自分なのですがこれからどうやって生きていけばいいのか分かりません。 何の気力もわかず一分一秒が辛いです。

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嘘付きな元彼女を救えないか

先月、半年付き合った20代の彼女からとある病気を理由に振られました。 この春、彼女にとても重い病気が発覚したようです。彼女曰く今は病気の事で精一杯の為、一人になりたいという事でした。 私は彼女の意見を尊重し、側で支えたい気持ちをぐっとこらえ、別れを受け入れました。 付き合った半年間は喧嘩もせず仲良くやってきたと私は認識していたので、突然の別れが受け入れ難く憔悴しきりました。 しかし病気の彼女は更に辛いだろうとも思い、私は瞑想や慈悲の祈りなどに打ち込み最近はなんとか彼女への執着を捨て、立ち直りかけてきましが…。 彼女が風俗で再度働き始めている事が発覚しました。(彼女は元風俗嬢です、私と付き合った期間は辞めていました。) 彼女にすぐに連絡をし、お金が必要なら出したいと申し出ましたが、拒絶され二度と連絡をしてこないように言われました。 風俗に出てる理由は病気の治療費と、ストレス発散の買い物等との事でした。 ただし彼女の家はそこまでお金に窮困してるとも正直思えません。 また早急に手術が必要という話でしたが、相変わらず風俗には毎週出勤し続けています。(手術した場合は一ヶ月は動けないはずです) 恐らく病気の事は別れる為の嘘だったのかもしれません。 もしかしたら他に別の男性がいるかもしれません。 そんな彼女に対して、自分の思い通りにいかない事で怒りが湧き、執着しているのは頭で理解できるのですが、中々折り合いが付きません。 彼女はまだ大学生です。 風俗の事など全て学校に報告すれば生活態度も少しは改たまるのでは?と考えてしまう自分が情けないです。密告などはしたくないです。 ですので、そんな彼女の事は忘れるのが一番なんだろうとは思います。 が、それでもそんな彼女に、何か支える事は出来ないかと日々気を揉んでしまいます。 復縁は望んでおりません。 ただ一度愛した人です、彼女がこんな嘘や生活を続けていては将来が心配です。 私に出来る事はなんでしょうか。 こんな私に智慧を授けて下さい。

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自分の弱さと向き合うこと

今までなんとなく普通を装って生きてこられたので、身の回りの色んな問題から目を反らして生きてきました。 その結果が未婚での妊娠中絶(以前、こちらで相談させて頂きました)です。 私の考えの足りなさ、弱さ、情緒の不安定さ(11週での中絶だったため、妊娠による不安定さもあったかもしれません)によるもので、今までそれらと向き合って来なかったために、一つの命を奪いました。 父以外の身の回りの人もこちらでご相談を聞いて下さったお坊様も応援して下さったのに、です。 そこの理由に周囲への迷惑という言い訳、産まれた子が人生を悲観するという、自分勝手な被害妄想で行ったことです。 だというのに、また機会があれば同じことをしかねない自分がいます。 中絶する際は健康に気をつけ、献血と写経を趣味にしようと考えていたのに、です。 今後私がどういう人生を歩むにしろ、私の弱さ、不安定さ、依存心の強さ、自分も他人も大切に出来ないといった、今まで目を反らしてきたことは改善しないと私も周囲の人々も幸せになれません。 また、中絶へ至った理由が私の弱さであるため、そこを改善することが子の供養になるのではないかと考えています。 今現在、行政によるもの含めて様々な窓口で相談させて頂いており、精神科への受診を始めるところです。 先日も一ヶ所受診してみたのですが、他の病院へ行ってくれ、当院では対応できないと言われてしまい、それにもまたショックを受け、自死が頭を過りました。 来週にもまた別の病院へ行こうかと考えております。 しかし、生来の自分への甘さのため、何か理由をつけて行かない、安易に自死を選ぶということが考えられます。 また、妊娠中から仕事が手につかず、現在も仕事に集中出来ていません。 中絶へ至った理由の一つがまだ身体が軽いのに、仕事が頑張れなければこれから子とやっていけないと思ったのも一つだったというのに、やはり頑張れないのです。 子のため、私のために、どうすればいいか、上記で正しいと思うか、アドバイス頂けないでしょうか。 また、執着心、依存心が異常に強くそれも改善が必要です。 仏教的に、執着心、依存心から離れる考え方についてもお教え頂きたいです。

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プライドとは何者か、どう接するべきか。

【導入】  現在、就活をしており内定は一つもありません。今のところ、人生のどん底状態です。  こんな状態の中、ふと「プライドって一体何者なんだ?」と考える機会がありました。 【やや脱線】  スポーツが苦手でイケメンでもなく高身長でもない私が、唯一勝負できる場所は『勉強』しかないと思い、勉強がいつかは役に立つと信じて勉強してきました。しかし、現在の私はどん底を這いつくばるような毎日です。勉強を頑張れたのも「今は辛くても就活の時にきっと何か役に立つはずだ」と希望を抱くことができたからです。とはいえ、世の中は甘くなく、私の努力は努力しても報われない努力だったのです。就活はボロボロです。その現状の責任は、能力不足の私自身にあります。失礼を承知で言いますが「楽に死ねたら今悩んでることも解決するのに」と何度思ったことか。 【本論】  さて、本題についてです。  プライドとは何者なのでしょうか?例えば「プライドを捨てれば楽になる」という場合、プライドはマイナス的な扱いです。しかし、私が中学からコツコツと勉強をし続けてこれたのは他ならぬプライドのおかげです。「せめて勉強だけは皆んなに負けるわけにはいかない」といった具合です。   私は、プライドとは自身が現在までに頑張ってきた物事を対象に作られる、いわばこれまでの自分の過去の価値を肯定する存在だと思うのです。私の場合は勉強ということになりますが、中高浪大と勉強というプライドがあったからこそ、辛い中でもなんとか頑張れたのかもしれません。「プライドを捨てる」ことができれば、確かに楽になるのだと思います。勉強(学歴)のプライドを捨てれば収入とかは低くても就職できる幅はグッと広がり、楽に生きていけるような気がします。しかし、プライドを捨てる行為は一方で「これまで自分の過去の価値を否定すること」なるのではないかと思います。つまり「今まで多くの投資をしてきて得た勉強や学歴は捨てなさい、価値のないものに執着してはならない」と言うことになりかねないのではないかとも思うのです。 【質問】 プライドとは一体何者なのでしょうか?そして私は、自身のプライドにどのように接していけばよいのでしょうか? 内定を勝ち取った方々は、本当に凄いと思います。心から尊敬します。私は弱虫です。それでも私も今の絶望を通じて、家族の有り難みを肌で知ることができました。

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LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。 最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。 もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。 私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。 またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。 「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。 だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。 でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。 いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・ でも「怒り」は煩悩ですよね。 私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。 私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。 そこで質問なのですが、 仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか? それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか? 差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか? よろしくお願い致します。

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期待しないことは無責任?

こんにちは、質問させていただきます。 私、教育関係の仕事に就き、主に大学受験生を指導しております。 以前、非常に厄介な生徒に関して質問させていただきまして、そちらの件はある程度の折り合いがついたように思います。 しかしどうしても、生徒への期待の部分や応えきらない生徒への不安・不満が拭いきれません。 というのも、相手に期待をせずに指導することと「無責任」という状態をどのように区別すればいいのかがわからないのです。 自身の心をよりフラットに保てば保つほど、執着をなくせばなくすほど、より良い教育者から離れていまうのではないかという不安があり、それが自分が一歩踏み出すのを押しとどめているように感じます。 やはり立場上生徒の合格に期待することが我々の一番の喜びであり、この仕事のやりがいであると思っております。 私自身も合格報告のただそれだけに指導しているといっても過言ではありません。 それにそういった気持ちがプラスに働いた経験も多々あり、そのなかで激務であっても頑張れているというものあります。 また、私は塾の講師ですので、幅広い教育ではなく「合格」の一点を見据えた指導が必要になってきます。生徒の成長そのものは学力に限りませんが、私が仕事として、今置かれた立場でやらなければならないのは受からせることなのです。 こうした社会的立場も、今の悩みと密接です。幅広い意味での成長であれば、もう少し柔軟に考えられるのですが... 果たして仏教の教えを推し進めたその先に待っているのは、どういった教育者像なのか。 生徒の合格を願うことさえ執着として切り捨てなければならないのか。今の心のしこりです。 合格をただ目指す私の職業自体が、もはや仏教徒は相容れないのでしょうか。 仏教の教え自体はぜひ取り入れていきたい。その気持ちは強いです。日常生活で、仏教の考え方のおかげで救われることも何度もあります。だからこそ仕事も含めた生活全てできっちりと仏教の教えを実践していきたいと思っております。 この現状について、どのように考えていけばよいでしょうか。長文となってしまい恐縮ではありますが、ご回答いただければ幸いです。宜しくお願い致します。

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今まで奇跡的に生きてきた意味

おはようございます。 毎日相談してしまい申し訳ございません。 昨日も温かいお言葉ありがとうございます。 肝心な相談というか、私の勝手な解釈なのかもしれませんが、今まで子供の頃からの持病に加えて様々な大病を患い呼吸停止、瞳孔散大した状態など本当に普通助からない状態。助かっても後遺症が残ります、や夜中なのに会えるご親戚を呼んで下さい等などほとんど助からない様な病気を山ほどしてきました。後から母親に聞いたことです。毎回母はもうダメなのかと絶望したそうです… ところが、持病もコントロール出来き、大病もしなくなり医者にかかったさい問診票に病名を書くとビックリされてしまいます… そして、私の唯一存命している母方祖母に(あんたはまだ生きないとダメなんだろうね)と言われました。 お医者様にすら奇跡だ、本当に神仏はいるかもしれないなど言われてビックリしています。 そこで、私にはまだ生きなければいけない何かがあるのでしょうか? 私の勝手な解釈かもしれませんし、神仏、ご先祖さまに守られているのかもしれないかもと思う様になりました。 毎日朝目が覚めると本当にありがたいのです。今日も本当にありがたいことだと思っております。 そして、そう思う様になってから出来る範囲で主人や自分自身の為に料理の勉強(野菜の栄養や、食べ合わせの)をしたり、きちんと仏様、神様、ご先祖さまに手を合わせる日々です。 最初に持病が一生治らないと告げられた時は絶望し、小学校一年生から中学校3年生までイジメにあったり辛い日々を送ったりしたことすら相手を恨んだりしたこともあったりしたのですが今では何とも思わなくなりました。 本当に生きる意味、自分で理由をつけてるだけかもしれませんがまだやらなければいけないことがあるのかな?と思う様になりました。今では義母が初期の認知症ですがいっぱい勉強して自治体での認知症ネットワーク、勉強会など色々やっております。ただ、今現在は胃潰瘍で安静にしています。 お坊様達に聞きたいことは、奇跡的に何度も命を助けられる(偶然かもですが)その他にも良いお医者様にも出会い本当に持病も良くなる、これは神仏様やご先祖さまのおかげもあるのか?という事です。奇跡としか言えないとばかり言われるので。私の生きたいと思う執着なのか…?例え執着であってもまだやりたいことは残っております。どうかよろしくお願いします。

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劣等感、罪悪感、不安から開放されるには

お坊様の皆さまは、俗世間のまよいや苦しみから解放されているのでしょうか。 また、それは厳しい修行によってのみ得られるものなのでしょうか。「考え方」についての本など色々読み、実践しましたが、一向に心の辛さ苦しさ、不安、恐怖は無くなりません。 確かに身体を極限状態におけば、余計な事を考える余裕はなくなると思いますが、その状態を常に続けるという事なのでしょうか。体力気力の限界を超えて仕事を続ければとも思いますが、身体か精神を壊してしまうと思います。それは中途半端だからでしょうか。そのさらに先に心の平穏があるのでしょうか。 執着や自我を無くし、ただ、あるという感覚を身につけたいのですが、至難です。無くなった祖母や、昔の人、とくに田舎の人達はそれに近い生き方だったように感じます。 妻子もあるのに、うつ病と診断され、15年が経ちます。あらゆる意味で力不足です。医者からは無理な事はするなとばかり言われますが、自分は病気が治らないのか、精神力や根性が無いだけなのかわからなくなっています。 自分の無力が周りの全てを不幸にしてしまうという不安、自分は五体満足なのに人並みの事が何も出来ないという罪悪感に苦しんでいます。

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彼女がこのままだと自殺してしまうかもしれない

彼女との関係は不倫です。 彼女はシンママ、私は既婚者で、お互いのことは納得済みです。 数か月前、私から切り出して彼女と別れました。 このままだと私がノイローゼでどうにかなりそうだったからです。 別れたからにはスパっと関係をすべて絶つのが理想ではありますが、それだと彼女が自殺しかねない状態だったので、月に数回食事をする程度の仲となりました。 しばらくして会う回数も減っていき、彼女の気持ちも落ち着いてきていたのですが、ここ最近また感情が溢れ出してきました。 感情の不安定さは日に日に酷くなってきており、今はもう自殺しかねない状態です。 心を鬼にして彼女を完全に絶ってしまえば、いずれ私のことを忘れて良くなるかもしれません。 けれど、もしかしたら本当に死んでしまうかもしれない。 そもそも不倫をしていたのがダメだということは分かっています。 ですがひとまずそれは置いておいて、身近な人が自殺しかねないのを放っておくことはできません。できることなら何とかしたい。 かといって私が関われば関わるほど、彼女の執着心が増すためどうしようもできません。 いったいどうすればよいのでしょうか。

有り難し有り難し 10
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