教えについて
人は反省をして利他に生きる姿勢を築くのが人生だと考えています。
ですが、そのためには沢山の無駄ともいえる遠回りをして、一切皆苦の経験を必要とするのだと思えています。
沢山の無駄ともいえる遠回り。
こういう無駄を無くして、利他に生きる姿勢に、この世があって欲しいと願っています。
何故なら、最初から 人は、そういう道を求めていると考えるからです。
指針を失い迷い惑い、嘆き悲しみ、また道を探す。
それを是としなさいと、仏教では教えられるのでしょうか?
遠回りをしてきた私は、そういうものを無くしたくて仕方がありません。
悲しくて仕方ありません。
だからといって能力に優れてることもありません。
でも虐められて悲しみ苦しむ人の気持ちが痛いほど伝わります。
無視したくありません。
なのに前進することもままならず、健康や生活が損なわれ傷つきっぱなしです。
悲しくて仕方がないのです。
どうすれば良いのでしょうか?
有り難し 7
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