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hasunoha 問答検索結果 : 「私 縁 」

検索結果: 12786件

上京するか地元で結婚か

東京に住みたいと思う気持ちがどうしても捨てられません。 住みたいと思う理由は、食べ歩きが好きで、仕事帰りにいろんなお店に行きたいと思うからです。地元にも美味しい店はありますが、東京は最新のものがあったり有名なお店が多いです。東京に住むことが難しければ、埼玉や千葉等近郊でも考えています。 今は新幹線で3時間ほどかけて3ヶ月に1回ほど東京へ出て、発散しています。それでもやっぱ東京に住みたいという気持ちが消えません。見慣れた地元の風景を見ていると一生このままなのかと憂鬱になってしまいます。 そんな中、今の派遣先で契約社員にならないかと言われ、悩んでいます。休みが取りやすく、雰囲気の良い会社で、仕事内容も楽しいです。しかし、頑張っても3ヶ月に1回程度しか東京で過ごすことが出来ないので、何をやりがいに思えばいいのだろうと途方に暮れてしまいます。最近同僚の子が東京の実家に帰ったので、余計に羨ましく思うのかもしれません。私ももっと早く行動していれば冒険できたと。 私は20代後半に差し掛かるので、そろそろ人生どうやって生きていくかの岐路だと思います。 また、仕事以上に悩んでいるのが、彼氏と別れることになることです。予定があってもデートを優先してくれたり、私が行きたいと言ったところにも絶対着いてきてくれます。私が怒ってもきちんと話を聞いて解決してくれます。これから先これ以上の人に出会うことはないと思います。結婚も急かされています。彼氏に上京の話は相談しましたが、着いていくことはできないとのことで、上京を選べば別れることになります。 別れを考えただけで涙が出るのですが、これから一生このつまらない地元で暮らさなければならないと思うと憂鬱で、、 何かを得るためには何かを捨てなければならないことはわかっているのですが、どうすればいいと思いますか。

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失恋後の心の整理ができません

てまり と申します。 失恋後の感情の整理の仕方を教えてください。 3ヶ月前、学生時代から付き合っていた恋人に振られました。私が先に就職したことで途中から遠距離になったり、一度別れて半年後に復縁したり、紆余曲折を経た3年間でした。 遠距離になってからは交通費は私が負担することの方が圧倒的に多かったですし、新卒1年目の給与から度々数万円を捻出するのは容易いことではなかったのですが、相手がまだ学生だったという懐事情を鑑みて、毎回本当に楽しみに会いに行っていました。 気の合う同士、非常に仲良く、お互いに誰よりも心を開けていたのではないかと思います。 私は彼を人として尊敬していました。いずれ結婚したいとも考えていました。お金を多めに出していたのも、「いずれ家族になるための投資」と思っていたところがありました。 それが、相手からの電話越しでの「やっぱりお前とは結婚できない」という一言で呆気なく終わりました。 要因を問いただしても、自分1人が悪いとは思えず、彼に対し初めて憎悪しました。捨てられた悲しみも、戻らないお金や時間に対する執着も、親友としての彼を失った絶望感も、様々なものが合わさった感情だと思います。 いま、決して復縁したい訳ではありません。相手の心も私の心も、元に戻ることはできないとわかっています。 ただ、相手を深く傷つけたいほど憎い気持ちがずっと残っています。言葉は悪いですが、大好きだった彼の顔を腫れ上がるくらい殴りたいし、彼を次の恋どころか日々の生活に支障が出るくらい精神的に追い詰めたいという残酷な感情が消えません。距離が遠く、行動に移せないことだけが救いです。 それなのに、幸せだった日々も忘れられず、嫌いになりきれない自分がいます。 LINEも写真もすべて消去し、新しい交友関係や趣味を始めましたが、結局まだ立ち直れていません。 人生を共に歩みたかった人を、たった3ヶ月で忘れるのは無理なのかもしれません。ですが、相手のことを好きな気持ちと憎む気持ちを同時に抱えながら生きていくことにそろそろ疲れてきています。 どうしたらこのぐちゃぐちゃの心を整理できますでしょうか? 読みづらい文章で申し訳ありませんが、ご回答のほど、何卒よろしくお願い致します。

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慈悲とは、共感、広い心?

こんにちは。仏教の慈悲について考えていたのですが、迷いました。お暇な時に、教えてくださると助かります。 私は最初、慈悲は愛と同じかな?と思いました。愛とは誰か困っている人を見つけたら自分がしてほしいと思うように相手を扱い助けることだ、と助祭から昔教わったんです。それと似た気持ちかなと思って。でも慈悲について過去の記事を読んでいるうちに、慈悲と愛は違うかもしれないと思うようになりました。仏教では周りの人や生き物と自分が皆繋がっている考えがあると感じたんです。それで、まず慈悲とは共感することなのかなと思いました。でも、共感だけではなくて広い心で人の為に祈るような意味もあるのでしょうか。うまく言えないけれど、憐みみたいな....例えば、自分に敵意を持っている人に対して慈悲の心で接するような表現をどこかで見たのですが、それは相手が自分のやっている悪い事に気がついて正しい道に進めるように祈ることかな、と思ったり。あれこれ考えているうちにわからなくなってきました....。 題とは直接関係ないけれど、今月父の一周忌でお坊様のお祈りと共に納骨されていくのを見届けることができました。普段は全然泣かないのに涙が出てきました。悲しいからではなくて、安心したからだと思います。僧侶とはすばらしいお仕事ですね。とても感謝しています。

有り難し有り難し 81
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