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hasunoha 問答検索結果 : 「私 後悔」
検索結果: 9097件

実家の継承と信教・婚姻の自由

私は福岡県の日蓮宗の寺の次女で、今は実家から企業に勤務に行っています。実家の寺は長女の姉が婿養子を貰う予定でしたが、うちの正干与の寺の住職が持ってきた見合いの話を受け、東京の寺に嫁がせることになりました。 よって私に実家の寺の継承の話が回ってきたわけですが、私は継ぐ気もなく、会社員の方と恋愛しているので、僧侶と結婚する気もなく、そろそろ実家を出ていくつもりです。しかし父は3年間したら戻ってこいと言います。そこで思ったのですが、日本国憲法では職業の自由も婚姻の自由も保障されているのに、人々の幸福のために働いている僧侶たるもの(父)が、そのように実娘の意にそぐわない婚姻をさせようとするのは、僧侶としていかがなものだと思われますか?姉も結婚などしたくなく泣いておりました。前時代的にもほどがあるし、うちの寺も檀家が減っており今後経済の保証があるかどうかもわかりません。寺の継承のための親のエゴでしかないように私は思います。実際姉の嫁入りの話も私には秘密裏に行われており話し合いもなにもなく決まりました。反発をすると感謝の意が足りないと言ってきますが、それと継承の話は話が別だと思います。 また、父母は私に「信仰しろ、拝みなさい」と言ってきますが、信仰とはそのように強制されるものではないと思っております。また生まれた家がたまたま寺であったというだけでその寺の宗派の信仰をしなければなりません。これは寺に産まれた場合、信教の自由はないのでしょうか?"改宗は良くない、バチが当たる、絶対に良いことがない"、などとよく言われてきましたが、改宗は本当に良くないことでしょうか。 現在の日本では宗教より法律が上です。私の人権、私の法の下の平等は宗教により制限されている気がします。 他のお正人方のご意見をお伺いすることができればと思います。

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自殺はいけないことなのでしょうか

こんにちは 現在大学3年生の20歳の男です まだ3年生が始まってすぐの状態ですが訳あって留年が確定しており、そしてこのまま大学に居座り続けても卒業するのは難しいという状況になってます。 もうこの先の将来にやりたいことや希望が見いだせず、不安でしかなく、自ら命を絶つという考えまで出るようになりました。先日亡くなられた名古屋の大学生も同じような気持ちだったのだと思います。 振り返ってみれば、幸いにもこれまで私は家族や友人、恋人(今はもう別れてます)にも恵まれ、大変幸福な人生を歩んできたつもりです。そういった満足感から「もういいかな」という気持ちも芽生えているのも事実です。 私の理想は、というか当たり前だと思っていたのは、両親のように結婚して家庭を持って子供を育てるということでした。しかし今の私の状況、私の能力、社会環境などををずっと考えたり、同じような境遇の方がどういった人生を歩んでいるのかを調べていくうちにそれも無理だとわかりました。 正直もうしんどいし満足です。 生きていく目的や希望もないです。自分の理想からかけ離れた生活をしていくのも惨めで辛いです。 それしきのことで、と思う方もいらっしゃると思いますが、私にとってはそれしきのことが辛くて辛くてたまりません。 自ら命を絶つのはいけないことなのでしょうか。 また、そうなったとき、両親や兄弟の心労を少しでも減らすにはどのような言葉を残せば良いのでしょうか。

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四十九日を前に、死にたくなってきました

初めて相談させていただいてから、もう少しで母の四十九日です。 日増しに、涙流す時間や量が増えて最近は死にたくなってきました。 女手一つで育ててくれたのに、38にもなって反抗期になり、母に酷いことを言ったり無視したり、どんなに謝っても謝りきれないほど。 時には口喧嘩したとき、早く死ねばいいのにとまで思ったこともあります。 そんなだから、淋しくさせて母の寿命を縮ませて殺したようなものです。 死の前日や当日も母の面倒もろくに見てあげませんでした。当日は、苦しんでいる姿を見ていながら、私の寝不足優先で横になり、そのあとそばにいることもしないで100均に汚物のついた手や足を拭くための雑巾を買いに行き、ひとりぼっちにさせました。 探せば家の中にいくらでも拭くものがあったのに、それすらせず。 100均なんて行かずに、さっさと救急車を呼べばよかった。横になんてならないでさっさと救急車を呼べばよかった。 今年こそは、私のものばかり買って自分のものは何一つ買って来なかった母にも母の日や誕生日に靴や服をプレゼントしようと思っていたんです。 きっと母は、同じ家の中にいて、そばにも来てくれない、言葉も掛けてくれない、私に嫌気がさして、生きる気力を無くしてしまったのと、神様が母を大事にしなさすぎている私にバチを与えたのだと思います。 どんなに願っても、夢に出てきてくれません。 生きてる間に、母の話しかけに散々無視したりないがしろにしてきた報いだと思うのですが、 なんだか、限界な気がしてきています。 親不孝して母の寿命を縮ませて殺したような私が、なぜ生きなければならないのか。 何だかんだ言っても、やっぱり母がいないと、私の幸せはありえないんです。 四十九日に位牌に芯入れしてもらうと、本当に母が死んでしまったことを認めなければならない。墓参りも辛いし、行きたくない。今、位牌や写真を見るのも辛いんです。 そばにいると言われても、霊感が無いから感じることも、姿を見ることも、声も聞こえない。だから、余計に辛いんです。願うのは、私の寿命は要らないから、母を生き返らせてほしい。 通り魔や事故に巻き込まれて死ねればいいのにと思っています。

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