2年以上も前のことになりますが、以前「父に隠し子がいた」というタイトルでご相談させていただいたことがあります。隠し子というより、もうひとつ家庭があったという感じです。それを2年ちょっと前に知りました。私以外の家族は知りません。(私が小中学生のころ、ほとんど父は家にいなかったので、すぐにあの頃かと納得しましたが…) もうずいぶん前のことで、私を取り巻く環境も変わりました。もうすぐ結婚も控え、仕事も順調、周りからみれば幸せでしょう。でも今もずっとずっと心には憎しみというかモヤモヤが消えないのです。 父とは全く会っていないのですが、たまに母や祖母から近況を聞くと、父はバーを始めたり筋トレを始めたり、金髪にしたり、SNSを始めたりと何だか嫌な気がします… 反省なんて全くしていないように思えます。 また、以前の質問では父の素行について触れてはおりませんでしたが、昔からアルコール中毒でキレるとゴルフクラブを振り回して部屋中のもの、壁、窓を壊すような人間でした(人には手を出しませんでしたが、みんな恐怖を感じていました)今に当時のことを思い出してしまうことがあり、抗不安薬が手放せません。 大学まで行かせてくれたことには感謝していますが、本当に憎んでいます。葬式にも出たくないと思っています。 今私が持っている考えが間違っていることは理解していますが、どうしても憎しみが消えるどころか蓄積されていくのを感じます。 私はどのように考えを改めればよいのでしょうか。
私は、「しなきゃいけないこと」があるときに、すぐには取り掛かれずにエンジンがかかるまで時間がかかります。 そんな自分の怠け癖を直したいのですが、叡智をお貸しいただけますでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。
死期が近いと線香の香りがふわっと香ると言う話を聞いたことがあります 本当なのでしょうか 愛猫8歳(くらい)から線香の香りがします 最初は霊感がある母が先々週あたりから『留(とめ 猫の名前)からお線香の香りがする』と言っていました 私と妹が嗅いで見てもいつもの匂いで異変は有りませんでした。 死期が近い人が無意識にやってしまうという、掌を眺める『手鏡』を母がやっていたのを何度も見ているので、『もしかして母が連れて行かれるのでは 』思いましたが、今日私も猫から線香の匂いを感じました 家に線香は一つもありませんし仏壇も置いていません 死期が近いということなのでしょうか?
先日弟が21歳の若さでなくなりました。 友人と海に遊びに行き、流され行方不明となりました。 幸い1週間後に出てきてくれたので通夜、葬儀をやってあげる事ができましたが、少し落ち着いた今辛くて仕方がありません。 弟は行きたかった企業に内定をもらい、これからって時にこのような事になり本当に可哀想です。 小さい時から喧嘩もせず、わたしを頼ってくれる本当に自慢の弟でした。 流された時に苦しまなかったか、怖くなかったかと考えてしまい毎日苦しくなります。 そして、もう少し会っておけば…しっかり話しておけば…と後悔の念に駆られています。 弟と2人兄弟だった私は、1人になってしまった今両親をしっかり支えなければならない。 私も仕事をしなければならない。 支えてほしい彼氏は弟が行方不明の時も浮気をしている。 と今精神的にとてもキツイです。 どうすれば、楽になりますでしょうか。
皆様いつもお世話になっております。 この度は僧侶の方々に対する素朴な疑問をお書きします。 「仏様の前では皆平等」という言葉がありますが、お坊さんも衆生に平等に接しておられるのでしょうか?答えにくいかもしれませんが正直嫌だな、とかこの人はすごく大事、という方はいらっしゃいませんか? 修行を重ねたら皆に平等に接することができるのですか? ご回答をお待ちしております。
耳が良くなったのか僅かな音にも過敏に反応してしまう。 自宅にて坐禅していると、隣人のTV音や家族の生活音一つ一つで集中が途切れてしまう。 必要なら山のような閑静な場所で坐禅したほうがいいでしょうか? それともこの程度の生活音で掻き乱される程度なら、まだ大して集中も出来ていませんでしょうか? 後、良い事も多くありました! 坐禅を終えて体を見ると、目やには出てるし、耳くそは溜まってるし、 鼻頭からは粉が出てくるし、歯には歯垢が出てきて、首元にも垢が… 本当に肉体は不浄なんだなぁと気付けた事ですね。 爪が僅かな間にも伸びていて、悩んだりしてもお腹は空くよなぁ、と。 食事で幅を広げると、目で見るモノ、耳で聴くもの、鼻で嗅ぐもの等も、 よく節制して気を付けないと、食物を食べる時同様、毒を除くように、食べ過ぎないようにしなければ病気を招いて苦しむんだなぁと気付けた事です。 一度、食べ過ぎで救急車に乗った事があります。20歳です。 酷い状態でした。嘔吐が止まらなくて寒気がすごい。 布団の上でのたうち回っていました。 「これは生まれて初めての痛みだ。とんでもない病気になったんだ…」 と言っていたら、救急隊員さんは「生まれて初めてか」と笑っていました。 お医者様に掛かりますと、「よくこんなに食べれましたね!」と驚いていました。笑っていました。腸が凄く荒れているから当分は食べるな、と。 思うに、肉体が食べ物を多く消化しようとして他の機能が弱まったから寒気がしたり震えたのかな、と。貪りが強いとこんな目にあっちゃうんですね。 世間でいう楽しみには、不安や悩みが憑き物だな~って(笑) 豪遊すれば、いずれお金が無くなるのが怖くなったり、 王様のように偉くなったら、命を狙われて自由に歩けなくなったり、 若さを自慢に服装等に凝りだすと年を取るのが異常に怖くなったり(笑) どこかで欲を満たそうとすると、ツケが付いて回るから求めて走り回らず、 ドカッと落ち着いて坐っとこうと思うようになって多少は余裕も出ました。 坐禅することで落ち着いて物事を見れる、行えるようになりました。 間を置けるというか、すぐに飛びつくことはなくなりました! それもこれも、坐禅会に参加してお坊さんとの縁があったからでしょう! 素晴らしい事です。もっともっと坐禅会が流行って、多くの人に仏縁が出来ればいいなぁと思います!
秋のお彼岸なので、坂東三十三観音霊場である弘明寺さんで、去年の春に亡くなった恩師の為に御塔婆を建立した(菩提寺と戒名が分からなかった)のですが、大丈夫でしょうか?
お世話になっております。 以前病院へ行き、内臓が下がって体外へ出てきてしまう、骨盤臓器脱の存在を知りました。今は何ともないですが、私もいつかなってしまうのではないかと、怖くてたまりません。 予防のストレッチなどを毎日していますが、怖くなくなる方法はありますでしょうか? 少しおかしな質問ですが、ご回答お願い致します。
メンタルが弱い収入が少ない男らしくない 知的障害がある という理由で彼女もできず 結婚もできないという 事を毎日考えてしまってます… でもこんな家庭にしたいなど夢は ありますが諦めるしか無さそうです… 毎日のように、仕事から帰って来て 一人夕食をたべ、スマホで寂しさや不安を 埋める…という生活が生涯続きそうですが これは宿命だと思ってます
昨年、全く前触れや自覚症状がなく緊急入退院を繰り返し、手術を受け退院後は今後の生活や仕事について不安の連続によりインターネットを通じて楽になること等を調べていました。 振り返ると冷静じゃなかったように思います。 少しずつ日雇いのアルバイトを体調に合わせながら入れ、気持ちが安定方向になり社会復帰をしたものの完全ではなかったのか体調を崩すこともあり退職。 その後、完治をして今後の不安がないと言うと嘘になります。 自分では人生の底まで落ち、少しずつ這い上がるだけですが楽しむ気持ちに転換が始まっています。 今だけでなく、明日以降のことは誰にも分からなく人生に次々起こることを最終的には自分で乗り越えるしかありませんよね。 昨年のこと、辛いことでしたが今では笑って言えます。 達磨さんが転ぶことがあっても、起き上がることが出来るように、時間かかっても起き上がることが出来るように感じています。 人生の修行なのでしょうか。
1~2ヶ月ほど前、授業中となりの席の同級生が寝ていたので起こそうとして、ふと自分の手を見たらグーの形になっていて、 その時は「こいつ絶対殴ってやる」等と思った訳でも無く、たまたまグーの形になっていただけかもしれませんが、だんだん「なんでグーになってるんだ?」「もしかして殴ろうとしていたのか?」と思い、少し怖くなってきました。 不安になりすぎて時間が経つにつれ、殴ってないはずなのに殴ったかのように思い込み始めてきて、自分に自信が無くなってきました。 自分でもどう説明すれば良いかわからない状態で周りの大人に相談しても自分が望んでない方向に話が進んだり、ちょうど生徒会に立候補している時なので、自分が悪くないはずなのに、そこに影響するのは避けたいです。 どうやってこの気持ちを解決すれば良いのでしょうか? どうか皆様のお知恵を御貸しください。
こんばんは。毎度お世話になっております。また相談させていただきます。 ネットでは「相談に乗ってくださる方も時間が空いたときに回答してくれるので大丈夫」という意識があり、こうしてご相談することができていますが、現実の生活の中だと「相手も忙しいだろうに相談されても困るだろうな」「相手の時間を奪って迷惑をかけてしまう」との思いがあり、なかなか相談やお願い事ができず、自分の中で悩みを蓄積させてしまうタイプです。 故にストレスが溜まっても相談して発散することがあまりできずに、自分を心身ともに傷つけることでストレスを発散させたくなってしまいます。 またストレスと言っても自分の努力ではどうにもできないタイプの悩みに対するものなので、解消することもできません。 根底には僕が自分自身がとても嫌いだというのがあるかと思いますが、精神疾患だった母の元で育った環境が原因か、遺伝か、はたまた気質かは分かりませんが、自分も気分障害だと精神科の担当医より言われました。 服薬してはいるものの、自分の心根のせいか、後ろ向きな思考が拭えません。 幸い、「自傷行為をして精神科に入院になるのは嫌だ」という一心で食い止められてはいますが、どうすれば軽くて自傷したいという欲求・重くて希死念慮を無くすもしくは軽減させることができるのでしょう?
現在、私は一生治らない病気、いわゆる難病に苦しんでます。 正直、希望が全く見えず、自殺も考えてしまいます。 私の父親は、22年前、自分が中学3年生の時に自殺しました。 最近、どれほど苦しんで父親が死に至ったのか、よく考えます。 自殺は非常に恐いです。 でも、それすら考えてしまうほど、人生に希望が持てません。 運命で自殺の連鎖はあるのでしょうか?
嫁ぎ先の親に心無い酷い事ばかり言われているので同じお墓に入るのが怖くて嫌です。 質問1:死後も同じお墓に入っている人達は顔を合わせるものでしょうか。会う場合死後もまた心無い言葉をかけられ続けるのでしょうか。 上記の件もあり、自分で新たに墓地等を購入するか私の旧姓のお墓に入れるなら入りたいとも考えています。 (主人とも折り合いが悪いので死後は同じお墓には入らない予定です。) 質問2:ご先祖様の問題、ルールとして、結婚して姓が変わってしまっていても私だけ実家のお墓に入る事は可能ですか? それとも離婚等して旧姓に戻れば実家のお墓に入る事はできますか。
お疲れ様です。北風小僧と申します。 今回の質問は 自分自身が自殺したい云々では無く、 仏教的な観点から見て "自殺"とは一体何なのか。 そこに興味を持って質問させて 頂きたく思います。 まず、なぜそう思ったのかと言うと 趣味で歴史や宗教について 調べていたところ、 様々な方が論文やブログ等で 自殺とは仏教において "許される"のか"許されない"のか という点に触れておりました。 人によって 「お釈迦様が自殺について明確に咎めた記述は無いから許される。」 という方、 「動物に対する殺生をそもそも禁じているのだから人間も動物だし、自らを殺めることは許されない」 という方、 十人十色の見解があり、非常に興味深かったです。 そこで、 「お坊さんの考えはどうなんだろう?」 と思いました。 是非とも多くのお坊さんにお答え頂きたいです。 どうかよろしくお願い致します。
2年程前に妻が乳癌になり、それを機に私自身が心気症(病気不安症)になってしまいました。 幸い妻は無事手術も終わり、現在は通常の生活を過ごしております。 私はいまだに、体調に異変があると癌だったらどうしようと考え、直ぐに病院行き出来る限りの検査をしてもらい、納得出来なければ、別の病院で検査してもらうといった事を繰り返しております。 今、一番不安なのが一年半程前に親知らずを抜いた歯茎の違和感です。 歯医者で診てもらったところ、大丈夫だと思うけど、心配なら大きな病院で診てもらったらと言われ、大学病院を受診しましたが、特に心配無いと言われて一旦は落ち着いたのですが、数日後やはり気になり、以前通院していた市民病院で再度診てもらったらところ、今は問題無いけど、歯磨きなどで何度も傷つけると悪いものになる可能性もあるから、一年後にまた診せてと言われたことがショックでなりません。 このまま一年間毎日悪いものになったらどうしようと怖い思いをしながら過ごす事を考えたら辛くて仕方ありません。 妻や知人に話すと、考え過ぎとか一年に一回の健康診断と同じとの意見や細胞なんて破壊と再生を身体中で繰り返してるんだから同じだよと言われました。 私も頭では分かっていても気持ちや考え方が切り替わらなく、仕事も休んでしまう状態になってしまいました。 どうか気持ちや考え方が変わる良い知恵を授かりたいと思いますので、宜しくお願い致します。
永遠の地獄についてお坊様はあると思いますか? 永遠の地獄などないなんて考えは 着るものも食べるものも住む場所もある先進国で生まれた人の平和ボケした考えだと思うんですが 量子力学の光には波と粒が最初から同時に存在する二重性の性質があるという理論において この世界はどうして生まれたのかを究極的に突き止めると全ての根源は量子力学の二重性の性質に行き当たるそうで この世界は最初から有ったと同時に無かったという最初から同時に存在する二重性の性質 何も無い空間でもそこにヒッグス粒子が有るという最初から同時に存在する二重性の性質 全ての根源はこの量子力学の二重性の性質に行き当たるなら 死後の世界において永遠の地獄はなかったと思ってもそれはあるという二重性の性質を想定できますよね だとしたら永遠の地獄があると思うんですが イエスキリスト様はその永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですが 全能なる神ではなくただの人間であったお釈迦様は 瞑想して悟りを開いたことで 永遠の地獄から人々を救える全能なる神の力があるんですか?
最近祖父を癌で亡くしました。 病室で亡くなる直前の祖父には会えたのですが、以前会った時はまだ元気に会話できていた祖父が枯れ木のように痩せ細り、意識もなく目と口を開き、ただ呼吸するだけの姿にショックを受けました。 いつも優しくニコニコと笑っていた祖父の顔よりも、最期の顔が思い浮かんできてしまってつらいです。 身近な人を亡くす経験が初めてで、自分もあの様な最期を迎えるかもと思うと人生を前向きに捉えられなくなりました。 そして、家族の死に対してその様に考えてしまう自分はダメじゃないかと責めてしまいます。 どうしたら身近な人の死に対して気持ちを整理できるのでしょうか? やはり時間でしょうか?
こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)
こんにちは。学生の者です。この間wikiで地獄について調べました。 行く原因に虫を殺す,嘘をつくなどがありそれらに当てはまってしまったので、地獄に行くのではないかと恐れています。 hasunohaで他の方の質問も聞き南無阿弥陀仏などを唱えたりしましたが、やはり不安です。 このままで大丈夫なのでしょうか?また、極楽浄土等に行く方法はあるのでしょうか?回答お待ちしております。