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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件

執着心と期待

いつもご丁寧な回答ありがとうございます。今回も質問させて頂きます。長文、乱文失礼いたします。 私は、アルバイト先で良くしてくれる人同い年の先輩に恩を感じ、好意を持っていました。 沢山いるバイトの中、その方は忙しいのに、末端の私に少しでも気を遣ってくれたり、優しくしてくださった気持ちが嬉しかったからです。 私のアルバイトが最後の日に、私はその方と話す機会があり、 向こうから、就活の試験に合格したら、報告してね、2人で祝杯をあげようと言われ、とても嬉しくて、笑顔で応じたのですが、 向こうから、受かったらまず雇主に報告して、そしたらその人伝いで連絡してもらうからと一方的に言われました。 私は、戸惑い、二度手間なので直接教えてください。と言おうと思いましたが、 アルバイト中だったこと、向こうに相手がいるかもしれないと思い、自分から連絡先を教えてくださいと言えず、 結局、連絡先を知らないまま、その方とお別れしてしまいました。 (それぞれ帰る時間や休憩時間もバラバラで、バイト以外では聞けませんでした。) お世辞だったんだろうな、 私に恋愛経験がないから、真に受けてしまったのかな、 と考えましたが、 なんで私がお酒が飲めないことを知っているのに何故飲みに行こうと誘ったの? お世辞なら、社員の人を通してって言わなければいいのでは?とモヤモヤしてしまいました。 けれど、気になっているので、もし、今度会うことがあれば自分から素直に連絡先を聞こうと思っています。 しかし、普段はキャンパスが違うため会うこともほとんど有りません。住んでいるところも離れています。 しかし最近、これ以上彼に執着したり、また会えると期待するのはもう辞めた方がいいと思い始めています。 ご縁があるなら、また会えるはずだと思っていますが、いつまでも執着していると目の前の幸せを忘れてしまいそうだからです。 この執着心と期待を消すためには、どうすれば良いでしょうか?また、ご縁があれば、また会うことはあるのでしょうか?

有り難し有り難し 8
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心のありどころ

すみません、文章をまとめるのが苦手なのと、心の整理が付いていないので、文章がぐちゃぐちゃになるかもしれません。 私は、幼いころからいじめにあってきました、そのためか疲れたりすると自傷感情があふれ出てしまいます。 学生時代に窓か飛び出して頭から庭石にだいぶしたいと思ったこともありました。 仕事で失敗した帰り道川沿いの道を通りながらハンドルを川の方に回せば川に落下できるなと思ったこともあります。 幸い友だちや両親の顔そして、いつか素敵な人と出会えるかもしれないと思って思いとどまってきましたし、リストカットにも走らないで押さえてきました。 そして、こんな思いをする子どもを一人でもを少なくしたいと思い、ボランティア活動をしておりました。 親御さんから「ありがとう」と言われるといじめられて冷たい言葉が多かった反動か、うれしくなるのですが。 その反面自分がいじめられていた時にボランティアさんに会いたかったと言う願望を自分がやることで心を埋めている自分気が付きます。 さてこうしていると、人のためにがんば幸せを感じる一方で、時として、自分自身が救済されたい願望が心の中で暴れだします。 他の人が笑顔になって幸せを感じているはずなのに、私自身が甘えて励ましてほしいと思うことが出てきてしまいます。 いじめられていたころ、いつの日か恋をするかもしれないと自分を励まして来たけど、恋など夢また夢と言う状況も拍車をかけている気がします この気持ちをどのように受け入れていけばいいでしょうか

有り難し有り難し 22
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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

有り難し有り難し 6
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